Dagoo

ダ・グー

24.ごめんなさい

放課後になった。
「あの、僕……」
何かを言いかける秋吉を、白鳥は「黙ってろ」ぴしゃりとはねのけ、到着を待つ。
待っているのは勿論、先ほどの電話の相手。ダグーと雪島だ。
下校する生徒達の目につかないよう、中庭で待ち合わせした。
人目がありすぎる場所だと、雪島の決心がぐらつくかもしれない。
そう言い出したのは、ダグーだ。甘い男である。
性根の腐ったクソガキなんぞ、人前でとことん恥をかかせてやればいいものを。
まぁ、しかし。
ダグーの言うとおり秋吉を捕まえて一緒に待ってやっているんだから、自分も相当なお人好しだと思う。
白鳥にはイジメッ子をどうこうする正義心も、秋吉に対する同情もない。
ただダグーの頼み事を、さっさと終わらせたい。それだけだった。
イジメッ子三人をボコボコに殴り倒した時点で、自分の役目は終わったはずだった。
なのに、秋吉と一緒に待ってあげているんだから、おかしなものだ。
ちらりと傍らの秋吉少年を見ると、彼も困ったような表情で白鳥を見つめていた。
何故か、この少年は会って三回目だというのに白鳥を信用しているようでもある。
ダグーに会えると言っただけで、あっさりついてきた。
或いは、ダグーへの信頼か。
ダグーを知っているから、悪い奴じゃないと判断されたのか。
「……ダグーさん、遅いね」
ぽつりと秋吉が呟く。
「もうすぐ来る」とだけ答え、白鳥はベンチに腰掛けた。
何も言わないうちに秋吉も、おずおずと隣へ腰掛けると、白鳥へ話しかけてきた。
「あの、君はどうしてダグーさんを知っているの?」
やはり気になって仕方ないのか、そんなことを尋ねてくる。
無視してもいいのだが、無言の重圧に耐えきれなくなった秋吉に逃げられても困るので一応答えてやった。
「とある用事で知りあったんだ。あいつの名前がダグーだと判ったのも、その時だ」
嘘は言っていない。
ただし、その『とある用事』が何なのかと問われても、口を割るつもりはなかったが。
簡素な説明に「そうなんだ……」と頷き、どこか嬉しそうに秋吉が笑う。
「君にとっても、ダグーさんはいい人?」
返答に困る質問が飛んできて、白鳥は視線を空に逃がした。
あれがイイヤツかどうかなんて、考えたこともなかった。
白鳥に判っているのは、ダグーが、どうしようもないぐらいお人好しのヘタレって事ぐらいだ。
「さぁな、どうだかな」
素っ気なく答えた時、ようやく、こちらへ歩いてきた人影が二つ。
「ごめん、遅くなっちゃって」
深みのある低音に、秋吉がぱぁっと顔を輝かせる。
だがダグーに話しかけようとしてツレの存在に気づき、そのツレが雪島だと判った途端、顔を強張らせた。
雪島も来ると、彼には教えていない。
教えたら、秋吉は絶対ついてこないと白鳥の勘が告げていたのだ。
みるみるうちに秋吉の顔が青ざめていく。立ち上がろうとして、よろりとよろけ、しゃがみこんだ。
放っておけばゲーゲー吐いてしまいそうなぐらい、顔色が悪い。
雪島も白鳥の存在に気づいたのか、ゲッとなって足を止めかける。
しかしダグーにそっと背中を押され、白鳥を視界に入れないようにしながら秋吉へ近づいた。
秋吉は逃げられない。
逃げたくても、足が言うことを聞かないのだろう。蹲った姿勢で俯いた状態のまま、雪島の接近を許した。
あと数歩近づけば手の届く範囲で、雪島が立ち止まった。
沈黙。
数分おいて、ようやく雪島の口から、小さな声が聞こえ漏れてくる。
「あ、あの……その。しゃ、写真のこと。ご、ごめん……」
小さすぎて聞こえなかったのか、秋吉の反応はない。
雪島も、これでいいのか?というようにダグーを振り返り、無言の否定を見てから再度言い直した。
今度は先ほどよりも、多少は大きな声で。
「ごめん。今更遅いかもしれないけど、でも、悪いと思って。いじめて、ごめん」
「……え……?」
秋吉が顔をあげる。呆けた表情を向けられて、雪島は深々と頭を下げた。
「ごめん!あの写真、作ったの俺だ。お前をイジメたの、深い意味はなかったんだ。最初にやろうって言い出したのは森垣で……でも、気づいたら俺達全員、お互い止められなくなっていた。面白くなっちまったんだ。お前に酷い真似すんのが」
雪島は秋吉に何の恨みも抱いていなかった。
なのに、虐めているうちに楽しくなってしまったという。
虐められた側からしてみれば、理不尽な理由だ。
だが集団によるイジメとは、そうしたものなのかもしれない。
遊びのつもりでやっているうちに、誰もの歯止めが効かなくなり、酷い時には殺傷にまで及ぶ。
ニュースで見る、イジメが原因の殺人事件が大体それだ。そういう理由で起きている。
まさか自分が、その被害者になってしまうとは。
実際イジメが我が身に降りかかるまで、秋吉にも予想のつかない出来事であった。
自分は皆に嫌われていたんじゃない。
虐めていた側からすれば、ただの遊びだったんだ。
喉元まで迫り上がっていた吐き気が、ゆっくりと下がっていくのを秋吉は感じていた。
最初にやろうと言い出したのは、森垣――
雪島も淀塚も話を持ちかけられた当初は、ちょっと虐めてやろうぐらいの軽い気持ちだったのだろう。
しかし本来なら、二人は先輩なのだから止めなくてはいけない立場にあったはずだ。
乗ってしまったというのは、この二人にも誰かを虐める事への好奇心が元々あったのではないか。
きっかけを作った森垣ばかりを責める事はできない。
「お前が、抵抗しなくてビクビクオドオドしてばっかで、それが面白くて。……最低だな、俺」
全くだ。
吐き気の代わりに涙が迫り上がってきて、ぽろりと秋吉の瞳から溢れ出す。
一度あふれ出てしまったものは自分でも止められなくて、頬を伝って流れ落ちた涙が地面に染みを作る。
もう一度、雪島が謝る。
「ごめん」
もういいよと秋吉が言うまで、謝り続けた。
「ごめん、ホントごめん。お前の気が済まないなら、やり返してもいいから。とにかく、ごめん。あんなことされて、許せるわけないと思うけど、でも」
ぽろりと、秋吉の口から言葉がこぼれる。
「……いいよ、もう」
「えっ?」
頭をあげた雪島に、秋吉は頭を振った。
「判ったから、もう」
すぐに嗚咽が漏れて、続けて言うことはできなかったけれど。
もう、いいんだ。
悪いことをしたって、雪島さんが判ってくれたんだったら、もう。
しゃくり上げる秋吉の側へ誰かがしゃがみ込み、彼をそっと抱き寄せる。
相手の顔を見なくても、秋吉には、すぐ判った。
暖かい胸の中、優しく頭を撫でてくる大きな手。これはダグーの物だと。

「――で、だ」
泣きじゃくる秋吉をダグーが送っていくと言い残し、二人揃って去っていった後、中庭には白鳥と雪島の二人が残される。
雪島は今すぐにも逃げ出したい様子であったが、白鳥が「逃げるな」と命じると一歩も動けなくなる。
さながら蛇に睨まれた蛙の如く脂汗を流して硬直する雪島を上から下まで眺め回し、白鳥は意地の悪い笑みを口元に浮かべる。
「なんで俺が、あいつと一緒にいたのか教えてやろうか?」
半歩近づいただけで、雪島は喉の奥をヒッと鳴らして恐怖に引きつった表情を見せる。
「あいつはな、俺の友達なんだ」
ミエミエの嘘、口から出任せだというのに雪島が次に取った行動は迅速で、その場でがばっと平伏すると大声で謝りだしたのだ。
「ごごごっ、ごめんなさい!ごめんなさい!!ごめんなさぁぁぁいっ!!!
秋吉に謝った時とは、声の調子が全く違う。
命がかかっているかのような真剣味を感じる。
よっぽど、プール更衣室での乱闘がトラウマになっていたようだ。
「とっ、突然襲いかかったりして、すいませんでした!お、お、お友達もイジメたりして、もうマジ、本気でごめんなさい!!」
一年年下の相手に、地面に額を擦りつけて必死の命乞いだ。
この姿こそ、秋吉に見せてやればよかったものを。
べつだん深刻な心の傷を負ったわけでもない白鳥に、ではなく。
「さっきとは随分態度が違うじゃねぇか?」と突っ込んでやると、雪島が泣きそうな目で白鳥を見た。
「あ、あ、謝ったじゃん!あいつにもっ」
「謝った?本当かな」
じろりと睨みつけると、ぶわっと雪島の両目から涙がこぼれる。
「ホントだよ!俺、俺ほんとに悪いと思って、あいつにも、嘘じゃねーよ!」
「嘘だな。お前、どっかで考えていただろ」
雪島の髪の毛を乱暴に掴むと、白鳥は至近距離で吐き捨てた。
「お前は、あいつがお人好しで気弱な弱虫だと知っていた。だから謝罪にも心がこもっていなかった。適当に謝っとけば、あいつが許すってのも判っていたからな」
図星なのか、雪島は「う、うぅっ」と呻いて鼻をすすり上げる。
しかし彼が泣こうと喚こうと、容赦してやるつもりはない。
「土下座、出来るんじゃねぇか。何故、秋吉にもしなかった?それが、お前の保身だっつーんだよ。先輩も後輩も関係ねぇ。お前が本当に悪いと思ってんなら、もっと本気で謝ってやれ。秋吉にもな」
蹲って泣き続ける雪島を置き去りに、白鳥は先に中庭を立ち去った。
雪島が心を入れ替え、後日、秋吉に本気の謝罪をするかどうかは白鳥の知ったことではない。
そこまでつきあっていられないってのが本音だ。
何しろ、まだターゲットが残っているのだ。あと二人ほど。
森垣と淀塚。この二人も秋吉へ謝罪させなければ、ダグーの頼み事が終わらない。
「……ったく、めんどくせぇったらねぇぜ」
ぶつぶつ愚痴ると、それでも律儀に白鳥はダグーへ電話をかけた。
泣きながら土下座した雪島の様子を報告する為に。


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