Chapter3-8 クリアーブルー
ガイワイア星の最北端、ソレイアには氷山の聳え立つ地帯がある。
かつては、ここでサイクスの寒度耐久を実験していたが、戦争なき今は観光地と化した。
フェンの案内で氷山の入口に到着した四人は、防寒具を手渡される。
「寒いの?」と尋ねるフェイへ頷くと、「襟元を締めて、服の中に雪が入らないようにしてください。雪は体温を奪っていきます。それから、歩く時はボクの足跡を踏むようにして進んでください。けして途中で寄り道しないように。脇道に外れたが最後、遭難してしまいますので……」と注意事項を添えてフェンが歩き出す。
空はカラッと晴天、雲一つないと思っていたのも平地にいる間だけで、山道に差し掛かった途端、空が薄暗くなってくると共に、細かい雪が頭上へ降り注いでくる。
生き物の気配を全く感じない風景の中、雪を踏むザク、ザクという音だけが響く。
「ぶぇぇっ冷たっ。だから雪ってヤなんだよなぁ」と愚痴る小声が背後に聴こえて、誰が言ったのかと思えばフェイだった。
筏で冒険に出るぐらいだから、どんな気候天候もドンと来いなのかと思いきや、寒いのが苦手とは意外だ。
この程度の寒さだったら、ヒョウは平気だ。ザハドの平均気温より温かいとさえ感じる。
歩きながら、水の一族とやらに思いを馳せた。
彼らは手から氷を出す能力を持つそうだから、当然寒さにも強いのであろう。
だったら、やはり自分が代役に一番適しているのではあるまいか。
愛する者を庇って自らの能力で死に至る――
それがクリアーブルーの覚醒条件だそうだが、誰かを庇うのは戦闘中として、自らの能力で死ぬってのが想像できない。
氷を出す能力で何をどうやったら死ぬというのか。
「あぁ、そうだ」
先頭を歩くフェンが、不意に思い出したかのように注意を告げた。
「氷山には野生動物が生息していますので、刺激しないよう、お願いします」
「野生動物?」と疑問の声が上がる中、彼女は「えぇ、野生の凶暴な生き物です。大きな物音に反応して近づいてきますから、あまり騒音を立てないよう」と話を締めくくる。
氷山を見るのが目的だから、騒音を立てるような事態にはなるまい。
ただ、四人で来たのは失敗だった。
自分一人なら静かにしていられようが、フェイやエリーが大騒ぎしないかが心配だ。
今もフェイは「りょーかいっ!氷山見て帰るだけだから平気平気っ」と元気よく答えてフェンを苦笑させる。
エリーも「どのぐらいの音を騒音って呼ぶんだい?」と、こちらの不安を煽るようなことを言っている。
「そうですね……雪崩が起きそうなぐらいの音でしょうか」と答えたフェンは今一度、注意を繰り返した。
「雪山では大声を出すのも厳禁です。静かに移動して無言で氷山を見たら、即下山しましょう」
全員が無言で頷き、再び足を進める。
平らだった地面が、やがて傾斜になってきて急な坂道に息が乱れる。
吐く息は白く染まり、顔に張り付いた雪を払い除け、フェンの足跡を見失うまいと前方へ目を凝らす。
足が膝まで埋まる高さになってきたあたりで、フェンが足を止めた。
「――着きました。右手を御覧ください。今日は晴れていますし、氷山が、よく見えますよね」
薄暗い中に黒い影が見えるような気がしなくもないが、よく見えるというほどの景色でもない。
だが、皆が文句を申し立てる前にフェンは手で制する真似をする。
「少しお待ち下さい……時間的に、そろそろ晴れますので」
「空が晴れるのって、時間で決まっているの?」とのフェイの疑問へ答える声はない。
フェンは己の腕にはまった時計を無言で眺めるばかりだ。
焦れたエリーが、もう一度尋ねようとした時にフェンが顔をあげた。
「あぁ、やっと雲が動き始めましたね」
えっとなって四人で空を見上げる。
灰色の雲が少しずつ右へ流れていき、晴れ間が覗いていくのを見守った。
数分と経たずに真っ黒な空には星が輝き、今立つ場所から水平に見えるのは氷山――てっぺんの尖った山脈だ。
「わぁ……」
小さく感嘆がフェイの口を飛び出し、他の三人も目の前の景色に見入る。
氷山はヒョウが予想したような山脈の影ではなく、はっきり氷だと判る表面を見せていた。
先端の尖った氷が幾つも連なって、山脈を形どっているといったほうが正しい。
透き通る胴体の向こうには別の山脈が見える。
「これを見本に氷を成形するんじゃ。できるかの?」
エデンに尋ねられて、ヒョウは己の掌を見つめた。
先端が尖っているなら四角い塊よりは殺傷力もあがろう。あまり使う機会が来てほしくもないが。
「ここからだと全景が見えんのぅ……」と呟いたエデンが脇へそれていくもんだから、全員が驚いた。
「危ないよ、戻ってきな!」
「どこ行くの、エデン!?」
「駄目です、踏み固めていない雪は深いですよ!」
思わず揃って大声を出してから、あっと口元を押さえたのはフェンだけで。
「おわぁっ!」と大声で叫んで雪に沈み込んだエデンの元へエリーとフェイがザシザシ踏み込んで駆けつける。
「よいっしょぉっと!あ、あわわっ」
エデンを引き上げようとして自分まで沈みこむフェイを、さらに「どっこらしょーっい!」と気合満タンでエリーが引っ張り上げた。
できるだけ声を抑えて「戻れ、三人とも」とヒョウは指示を飛ばしたが、三人に聞こえたとも思えない。
「ふんぬーっ!」と大声で気勢をあげて、雪の上にしゃがみ込んでフェイを引っ張るエリー、そして沈み込む二人は、すっかりパニックに陥って「た、助けて、早く引き上げてー!埋まっちゃう、顔まで埋まっちゃうよぉっ」と半狂乱だ。
「い、いけません、このままでは熊が」と言いかけて、フェンが泡を食う。
「あぁ、足音が近づいて……皆さん、早く散開してくださいっ!一箇所にまとまっていたら、やられてしまいますっ」
「無理だよ、その前に二人を引き上げないと!」と大声で答えるエリーの頭上に影が落ちた。
「危ねぇ!」
声を抑える余裕など、なくなった。
ヒョウは掌に生まれたナイフを投げつける。
狙いは違わずエリーの背後に立ち上がった巨大な影、熊の片目へ突き刺さり、
『グウワァァオオォォ!!』と憤怒の声をあげさせた。
熊は傾斜を登ってきた。
自分たちの位置から見ると、出口を完全に塞がれた状態だ。
逃れるには倒すしかない。
怒り狂った野生生物を倒すには、ちっぽけなナイフ程度じゃ駄目だ。
動きを少し止めただけで、熊はすぐに立ち直りエリーへ爪を振りかざす。
「うわぁっ!」と叫んで彼女が雪に沈み込むのを見た。
雪の上では足を取られて、移動もままならない。
しかし熊には、さして障害ではないのか、もがくエリーとの距離をザシザシ詰めてくる。
噛みちぎろうと突き出した鼻先にもナイフが刺さり、『グァウッ!』と後退させる。
一旦怯みはするけれど、熊は引く気配を見せない。
そればかりかナイフの飛んでくる方角へ向き直り、移動を開始したではないか。
「やばい、ヒョウ!あんたも逃げるんだッ」
三人よりは安定した場所にいる。
とはいえ武器がナイフだけでは、いずれ噛みつかれて死ぬ。
絶体絶命の大ピンチだというのに、ヒョウの口元には僅かな笑みが浮かんだ。
「……いいぜ、これが試練だっていうなら、乗り越えてやる」
小さく口元で呟き、脳裏に尖った氷のイメージを思い浮かべる。
さっき遠目に見た氷山なんかメじゃない。
もっと太くて硬い、それでいて何もかもを貫通できるような尖った氷じゃないと駄目だ。
『ガァァァァッ!』
大咆哮が辺り一面を包み込む。
勢いよく振り下ろされた一撃を軽いフットワークで避けきると、尖りきった氷のイメージを脳裏から消さぬよう、それでいて熊の動きからも目を離さず、ヒョウはタイミングを計る。
一撃目をかわした後も間髪入れず二撃、三撃と続き、息をつく暇のない猛攻が繰り出される。
最小限の動きでかわしたつもりでも爪の風圧でヒョウの頬や額が切れて、フェイやエリーに悲鳴をあげさせた。
「駄目だ、こっちこいケモノォ!ヒョウを攻撃するぐらいなら俺を狙えーっ!!」
半分雪に埋まった格好で言ったって、熊の耳にまでは届くまい。
「畜生、手袋してたんじゃ炎が出せないよ!」と叫ぶエリーには、やはり雪に埋まった格好でエデンが「それ以前に、お主の炎はホイホイ出せんじゃろがぁ!」とツッコミを入れる。
外野の騒ぎを一切シャットアウトし、ヒョウは脳内で氷を削っていく。
鋭さは勿論だが、鉄筋建築物を数体貫ける硬度に仕上げないと、こいつを一撃で仕留められない。
狙うなら頭だ。
脳味噌を突き刺せば、どんな生き物でも息を止める。
脳内の氷は目に見えないほどの尖端を見せつつも丸太の如し太さを維持して、掌からの射出を今か今かと待ち続ける。
熊が攻撃に失敗して振り返る、その一瞬を狙って――
「今だァッ!」
掌からニュウッと氷の棒が突き出てくる。
その大きさたるや、ヒョウの身長は当然のこと眼の前で立ち上がった熊の全長よりを遥かに越えて、掌いっぱいの太さを兼ね備えた上、何十人もの成人男性が掌の上に乗っかった重みを感じて「ぐぅっ」との呻きがヒョウの口を漏れた。
多少威力を欲張りすぎたか、手首が折れ曲がりそうな重さだ。
こいつを手前にぶん投げる、それだけで力尽きてしまいそうでもある。
だが考える余裕は勿論、諦める選択肢すらない。
頭上に振り下ろされた爪の一撃が己の頭を粉砕するよりも早く、ヒョウは掌に生まれた氷棒を手前に押し出した。
「だァァァッッ!!!」
駄目だ、重たすぎて脳天を狙うどころじゃない。
手前に押し出すのが精一杯だ。
氷が抜けきった直後、ヒョウの全身を激痛が駆け抜ける。
声も出せず彼が雪へ倒れ込むのと同時に、氷棒は熊の胸元へ突き刺さり、重心に引っ張られるようにして下へ突き抜けた。
『ガッ……ァッ……ッ』と短い一吠えを残して動きを完全に止めた熊が、数秒後どうと身を横たえた。
離れた場所で戦いの結末を見届けたエリーが、ポツリと呟く。
「た……倒した?」
同じく見守っていたエデンも、ピクリとも動かない巨体を凝視しながら答える。
「そ……そのよう、じゃの?」
エデンの真横で藻掻いていたフェイが「ぶはっ!」と雪の中から生還して「ど、どうなったの!?」と尋ねてくるのへは、もう一度「じゃから……勝ったのではないかな?」と生返事で答えた。
ザシザシ雪をかき分けて近寄っていったフェンが、ヒョウを揺さぶる。
「しっかりしてください、ヒョウさん!」
しかし、すぐに意識不明と判るや否や、彼を抱き上げて皆の側へ歩いてきた。
「ヒョウさんの意識がありません、急いで下山しましょう」
「な、なんだって?大丈夫なのかい」と狼狽える仲間たちへは同じ言葉を繰り返し、フェンは下山を急かす。
誰も言葉を発せず無言で下山した後はアイアンクロウへ乗り込み、一路ソレイアにあるゼインの家を目指した。
下山しても意識を取り戻さないヒョウをベッドに横たわらせると、一同は目の前で起きた戦いについて話し合う。
「あれほどの巨大な氷を作り出せるとは思わなんだ。あいつは水の一族を越えてしまったんじゃなかろうか」
何度も感心に首をふるエデンへエリーが問う。
「水の一族が生み出せる氷って、本来はどんな形なのさ?」
「うむ。本来は小さな氷の刃でな。そいつを何十個も作り出して連続で飛ばすんじゃ。飛ばされた対象はザクザクに切り刻まれるって寸法じゃよ」
「うわぁ……残酷なんだね」とフェイは引きまくった表情を浮かべ、エリーも「連続で飛ばすんじゃ、今のあいつみたいに疲れきっちまうんじゃ」と懸念を吐き出す。
だが、エデンは首を真横に「いや一つ一つは小さいし、精神を削られるのは生み出す瞬間だけだからの、連続で生み出したとしても大した負担にもならん」とエリーの予想を否定し、ちらっとベッドを一瞥した。
「あいつは一撃必殺だと捉えたようじゃの。無理しおって」
「あんたが先に教えとかなかったのが悪いんじゃないか」と指差すエリーにつられるようにして、フェイまで「そうだそうだ、エデンが悪い」と口を揃えるのには、エデンも頬を膨らまして「なんじゃとぉ、事前に聞かなんだのだって悪いじゃろ」とスネてみせる。
いやしかし、ヒョウが自分の身長を越える氷を生み出してくるとはエデンにも予想外だった。
氷山を見本にしたのが、良くなかったのかもしれない。
全体の大きさではなく、山の尖り具合を見本にしてほしかったのだが……
熊の死体は胸を始点に足へ向かって胴体が縦真一文字に引き裂かれており、易々肉体を破損させるとは如何ほどの重量だったのか。
あれだけの物質を一回で生み出したら、精神負担も、かなりのものになろう。
声一つ出さず、ぶっ倒れたのにも納得だ。
不意に、むくりと起き上がったヒョウに全員の視線が集中する。
「もう起きて平気なの!?」と駆け寄ったフェイの瞳には早くも涙が浮かび、一歩遅れて駆け寄ったエリーの手がヒョウの背を支えた。
「無理すんじゃないよ、まだ旅は続くってのに」
「……あー……」
髪の毛を掻きむしり、ヒョウがボソッと呟く。
「内部ショートって、こういうことか。畜生、アイスも教えとけっての」
今は亡き友人の名を出して愚痴っていたかと思うと、顔を上げて「悪ィ、心配かけた」と謝ってきた。
「いい、いいんだよ、ヒョウが無事なら!無事でよかった!氷も出せてよかったね!」
「そうだよ、全部悪いのは事前に教えとかなったエデンなんだし!なのに成功したし万々歳じゃないか!」
「ってワシに罪をなすりつけるのは、やめてもらえんかのぉ!?」
エデンの抗議やフェイたちの慰めを聞きながらベッドを飛び降りると、ヒョウは全員に確認を取る。
「まだ多少の調整は必要だが、氷を出す要領は掴めたと思うぜ。んで、だ。出かけるのは、いつにする?」
「ヒョウが元気になったんなら、いつでも出かけられるよ!なんなら今からだって!」とフェイが即答し、他二人も「あぁ、それでいいんじゃないか」と頷く。
「あ、それならオーソリアンまで、お送りしますね」と声をかけてきたフェンへも全員揃って「お願いするよ」だの「ありがとう!」と返し、一同は再び宇宙船のある草原まで戻ってくると、改めてフェンへ別れを告げた。
「それじゃ俺達、もういくね。フェンも元気で!」
「えぇ、皆さんの旅に幸福が訪れますよう、ボクも祈っています。さようなら!」
フェイたちを乗せた宇宙船は、ふわりと浮いた後、垂直に高度をあげて、やがて空へ吸い込まれるように彼方へ消えていった――
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