絶対天使と死神の話

輝ける魂編 10.先行きが判らない、それこそ人生


ぐっすり眠って目が覚めるとテントの中は真っ暗で、手探りで床を這いずりながら原田は外に出てみた。
空を見上げると、満天の星が輝いている。すっかり夜になっていた。
夜に再出発すると言っていたはずだが、他のテントから起きだしてくる者は一人もおらず。
ふとパチパチはぜる音が横手から聞こえてきて、そちらを見やると、神坐が焚火の前に座っていた。
「見張り、お疲れ様です」と声をかけた原田へ振り返り、神坐が横に座れと手招きしてくる。
「目が覚めちまったのか?他の奴らは、ぐっすり寝てんぜ。ヤフトクゥス、あいつも今日は疲れたんだろうな。何度ゆすっても起きやしねぇ」
二時間交代制の見張りは誰の番で途切れたのか、ずっと神坐が見張っていたという。
重ね重ね、お疲れ様だ。
隣に座って労をねぎらう原田に神坐は「言っただろ?俺ァ寝ないと思えば何年だって不眠でいられるんだよ」と応えると、真面目な表情で原田を見つめてくる。
「それよりも、だ。ジャンギは戦闘を避けてアーステイラを探す方針らしいが、お前には輝ける魂に覚醒してもらわないとアーステイラを見つけても意味がねぇ。どこで戦闘相手を見つけるか。今のうちに決めておかないか?」
「それなんですが」と原田も困惑気味に切り出した。
神坐は原田が輝ける魂だと確信した上でファーストエンドに来た。
未覚醒の段階で会いに来たってことは、いつ、どのタイミングで覚醒するのかも知っていたんじゃなかろうか。
「あぁ、本来の未来か?お前は三回目の戦闘依頼でピンチに陥って覚醒する予定だったんだ」
とすると、相手はプチプチ草あたりが妥当か。
少なくとも、こんな遠くまで離れた場所の怪物じゃないことだけは確かだ。
恐ろしくて聞けなかったが、アーシスは地平線の陰に隠れて見えないし、五十歩以上は確実に歩いている。
この辺りの怪物に関してはジャンギもソウルズも未確認故に、何が出るかも判らない。
今更ながら恐怖が原田に襲いかかってきて、ぶるりと身体を震わせる。
間髪入れず、ふわりと上着が降ってきて驚く原田の肩を神坐が抱き寄せた。
「怖いのか?大丈夫だ。お前が死なないよう、最低限のサポートぐらいはしてやるから」
ピンチに陥らないと覚醒できないのであれば、サポートは不要だ。
未確認怪物が相手じゃピンチどころか一発即死も免れないのだが。
やはり一旦戻って、プチプチ草と戦っておくべきだろうか?
いや、しかし、ここまで歩いてきてUターンするとなったらソウルズや小島は黙っちゃいまい。絶対文句が出る。
考え込む原田の耳が細かな葉擦れを感じた――ように思う暇もなく「何ッ!?」と叫んだ神坐に突き飛ばされて、地面を転がった。
なんだ、一体何が起きた!?
焚火のあった地面が一気に盛り上がり、爆発した。
バラバラと土や雑草が降り注ぐ中、巨大な何かが立ち上がる。
しかし混乱する原田の目が捉えたのは立ち上がった何者かではなく、地面に転がる神坐であった。
ただ、転がっていたのではない。
足が、右半分胴体から下が、おかしな状態になっている!
身体の右半分が黒いモヤモヤした何かで覆われて、足が足の形状を成していない。
その神坐は「ジャンギ、ソウルズ、ヤフトクゥス!起きろ、敵襲だッ」と倒れた格好のままで叫んでおり、声、或いは爆音に叩き起こされたのか、三人がバラバラとテントを飛び出した。
「な、なんだ、こりゃ!?こんな怪物、見たことがない……!」
驚愕するジャンギを庇って、ソウルズが前に出る。
「下がっていろ、ジャンギ!」
直前まで気配は一切感じなかった。
感じていれば、どれだけ熟睡していたって飛び起きられる。
見張りに立っていた神坐だって気づけなかったのだ。
身構える暇すらなく、一瞬でガブリとやられて身体を形作る魔力を半分以上奪われた。
冥界の土で作られた死神は、全身が魔力の塊のようなものだ。
魔力をごっそり奪われたんじゃ起き上がるのも困難だ。
片腕で身を起こそうと踏ん張る神坐の上を、ヤフトクゥスが飛び越した。
「貴様は休んでいろ!このバケモノは俺が倒し、ぬぅっ!」と言葉途中で身を捻って、からくも爪の一撃を避けた絶対天使は宙を舞う。
立ち上がった巨大な何かは怪物であった。
身の丈は軽く天まで届く大きさで、ヤフトクゥスが空を飛んで攻撃しようと考えるのも当然だ。
大木の上に丸い頭が乗っかっている。そのようにも見える。
長く垂れ下がった腕の先には鋭い爪が何本も生えていて、かすっただけでも大出血は免れそうにない。
無数の複眼がギロリと一斉にヤフトクゥスを捉えた。
胴体と同じぐらいの太さの尻尾を激しく振り回した衝撃でテントが吹っ飛び、ジョゼと小島、水木を丸裸にする。
「ふにゃっ!?」と寝ぼける小島は「みっ、見てぇ、小島くん!何あのデカイの!」と水木の絶叫に釣られて空高く見上げて「か、怪物!?」と泡を食う。
テントが吹っ飛ぶまで寝ていた神経には驚かされるが、今はそれどころじゃない。
「神坐さん、神坐さぁんっ!!」
怪物が暴れるたびに、あちこちで土や草が舞い上がって小石がバシバシ飛んでくる中、原田は神坐を助け起こす。
「危ねぇ、原田!こっちに逃げてこい!!」と小島に叫ばれても、無視して神坐に呼びかけ続けた。
そうしないと、神坐が消えてなくなってしまいそうで怖かった。
黒いモヤモヤは今や神坐の身体右半分と言わず、顔を残した大部分を覆い隠す。
魔力を失い過ぎたせいで、全身を保てない。
黒いモヤは魔力の一時的な視覚化に過ぎず、やがては分散して死神だったものも失われるだろう。
神坐は「ぐ、ぐぐぐ……」と唸って体勢を楽にすると、原田を安心させようとしてか無理に微笑んでみせた。
「そ、そんな心配しなくても平気だ。冥界に戻って充電すりゃあ、こんな消耗、すぐに」
ろくに身動きできないのに強がりを言われたって、原田の不安は増すばかりだ。
冥界へ戻ろうにも、戻る行程で魔力を使い切ってしまったら、どうなってしまうのか。
自分で想像した神坐の末路に身震いして、原田は嫌な予想を振り払う。


嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
神坐さんが、この世から、いなくなってしまうなんて……
俺の問題に巻き込まれたせいで死んでしまうなんて、絶対に嫌だ!
アーステイラが怪物化したのだって、俺と関わりを持ったせいじゃないか。
俺と関わったりしなければ、彼女が醜い怪物になるきっかけすら生まれなかった。
いつかはピコと出会い、ラブラブ夫婦になれたはずだ。
ジャンギさんだって小島だって水木だって、俺の運命に巻き込まれたようなものだ。
アーステイラを輝ける魂が倒すという筋書きを全員が信じた結果、巨大な怪物に襲われてしまった。
ヤフトクゥスが光の魔法を奴の頭にブチこんでいるけど、効いているようには見えない。
きっと、もう駄目だ。皆、この怪物にやられて死んでしまうんだ。
ヤフトクゥスも俺なんか見つけないで、誰か他の人を好きになっていれば幸せになれたのに。
全員、俺のせいで死んでしまう……
そんなの、絶対に嫌だ!
絶対覚醒して、絶対アーシスに帰るんだ!
全員一緒に、神坐さんは勿論、アーステイラとピコも一緒にだ!!


強い、絶対の願いが原田の脳裏に浮かび、上空で戦っていたヤフトクゥスがハッと地面を見下ろす。
が、「うぉっ!」と余所見をする余裕は彼に与えられず、ギリギリの旋回でネバつく唾液攻撃をかわすと、再び魔力を高めてゆく。
生き物である以上、脳に衝撃を叩きこんでやれば倒せるかと踏んでいたが、何発魔法を撃ち込もうと全然倒れる気配がない。
この世界の怪物は魔法に耐性があるのか、それとも無駄に打たれ強いのだろうか。
こんなことなら平行神界を出る前に強力な武器の一つや二つ、持ってくるべきであった。
下等生物の支配する世界と高を括っていたが、魔力の通じないモンスターがいたとは予想外だ。
それでも、リトナグラリッチ様級の魔力があれば楽勝だろう。ヤフトクゥス一人では手が余る。
下等生物はアテに出来ない。死神も魔力を奪われて、あのザマだ。
肉体をバラバラにするのではなく、直接魔力を狙ってきたのにも驚きだ。
滅びの世界の怪物は魔力の残滓で産まれたから、魔力の核も見えるというのか。
攻撃を一度でも受けたら、ただでは済むまい。
死神のように消滅したりはしないが、あの鋭い爪で引っかかれたら大出血からの意識喪失は確実だ。
いざとなったら、原田をつれて戦線離脱することも考えておかねば。

絶対に死にたくない。
されど、どうすれば逃げ出せるのかが判らない。
原田の思考は堂々巡りの行き止まりで、出るのは涙ばかりだ。
神様でも不覚を取るような怪物に襲われては、考えがまとまるはずもない。
苦しい時の神頼みなんてのは、こんな時にこそ使うのだろうが、頼りとする神様は消滅一歩手前だ。
誰か、誰でもいいから、彼を助けてほしい。
この窮地を救えるんであれば、誰だっていい。
黒いモヤに全身が覆われた死神を抱きしめて打ち萎れる原田の頭上で、夜空がピカッと瞬いた。
続けて、さぁーっと雲が立ち込めて星空を覆い隠していくのにも、誰一人気づかずにいた。
なにしろ怪物が始終土や石を巻き上げて暴れているんじゃ、空を眺めるどころじゃない。
一発当たれば即死間違いなしの強敵だ。一秒たりとて気が抜けない。
飛んでくる石はソウルズの盾が防いでいるものの、大剣で叩いても炎の呪文を放っても怪物の勢いは弱まらない。
次第に焦りと絶望が戦場に立ち込める。
そんな場の空気を読まずに集まった黒雲はゴロゴロと唸り始めて、やがて重苦しくも堅苦しい響きの声が全員の頭上へ降り注ぐ。
『絶対の誓いを以て輝ける魂を覚醒させよう。我がリトナグラリッチの名において』
「リ、リトナグラリッチ様ッ!?」と、声に反応したのはヤフトクゥスだけだった。
直後にピシャーン!と迸る光の矢が原田を直撃したとあれば、他の面々の意識は、そちらに釘付けだ。
「原田くーーーんッ!」
走り寄ろうにも原田とジョゼ達の間には例の怪物が暴れていて、近寄れそうにない。
だが真っ黒の黒焦げで死んだんじゃないかと思われた原田が、むくっと起き上がる。
何の表情も浮かべておらず、全くの能面だ。
異常な様子に皆が無言で見守る中、原田は指を怪物の前に掲げる。
すると誰の目にもハッキリと光の線が一本、指から放たれて、まっすぐ怪物の身体を貫通した。
『グギャギャギャァーーーーーーーーーーーーウッ!!』
これまで一度として咆哮すらあげなかった怪物の断末魔が四方八方に響き渡り、地響きを立てて崩れ落ちるのを最後まで見ていたのは誰もいない。
空を飛んでいたヤフトクゥスまで含めて、全員が原田の元へ駆け寄った。
「原田!」「原田、大丈夫か!?体に異常はないか!」
「原田くんっ!光に撃たれたみたいだけど、何処も痛くないの!?」
ややあって原田が呟いたのは労りの言葉への返事ではなく、ずっと抱きしめていた神坐に対する一言だった。
「神坐さん……身体が」
黒いモヤモヤは、さぁーっと神坐の身体を引いていき、手が、足が、胴体が見えてくる。
モヤとして見えていた魔力が、死神を再形成したのだ。
魔力がハイスピードで自分に注がれているのを、神坐は驚愕の眼差しで受け止める。
魔力は原田の腕を伝って流れ込んでくる。
原田が神坐に魔力を与えていると言い直すべきか。
今の原田から感じ取れるのは人間の限界値を遥かに越えた、膨大な量の魔力だ。
魔力は眩さを伴い、原田の内側を照らしつくす。
なるほど、輝ける魂の名に恥じぬと神坐は感心した。
これだけ膨大であれば、全魔力と引き換えに汚染された世界を浄化することだって出来そうである。
まぁ、それは絶対天使にやらせる予定だから、原田が命を落とす必要はない。
原田の身体からあふれ出た魔力は神坐に注がれて、失われた以上の魔力が身体中に漲った。
「す……すげぇ。すっかり元通りっつーか前より強くなった気がするぜ。ありがとうな、原田」
起き上がって、にっかと笑う神坐の姿が涙で滲む。
「神坐さん……よかった……元に戻って、消えなくて、本当に良かった……」
涙でむせぶ原田の背中を、小島の手が優しく撫でる。
「ったく、正晃ちゃんは我が身の危険よりも神坐のピンチってほうが一大事なんだからなぁ」
「それはそうだよ。だって神坐先生は、原田くんを守ってくれる人だもん」
相槌を打った水木も原田の手を、ぎゅっと握りしめた。
「でもね。原田くんが無事で良かったって、ここにいる全員が思っていることも忘れないでね」
涙と鼻水を垂れ流して原田が何度も頷くのを横目に見ながら、ジャンギとソウルズは今後の予定を立てる。
「思いがけないタイミングで覚醒したようだが……どうする?」
「覚醒できたんなら喜ばしいじゃないか。あとは気配を感知できない怪物がいる危険を承知の上で進むか、一旦戻って北なり西なりを探すかの二択だね」と答えて、ジャンギはヤフトクゥスにも話を振った。
「君は、どちらへ向かうのがいいと思うかい」
「西は森林地帯だったか。そこに町はあったのか?」
質問に質問で返す絶対天使に肩をすくめて、ジャンギは答える。
「遺跡なら幾つか見つけたけど、森の最深部までは辿り着かなかったからね……今でも辿りつけた自由騎士は、いないんじゃないかな」
森林地帯は至る場所で怪物と遭遇して、探索というよりは戦闘しに出掛けたようなものだった。
残る北は砂漠地帯、ここには確実にナーナンクインと呼ばれる町がある。
ただし町では疫病が流行っていたから、今も存在するかどうかは判らない。
「空を飛んで逃げたんなら、森の中には入らないんじゃないか?」とは神坐の意見だ。
「もう動いて平気なのか」と尋ね返すソウルズへ頷くと、神坐はギュッと両拳を作る。
「前より、ずっと魔力が漲っている。今なら、さっきの怪物が相手でも互角に戦えそうな気がするぜ」
とはいえ毎回不意討ちを食らっていたんじゃ、いつかは死者を出してしまう。
ヤフトクゥスが感知できなかったんなら、アーステイラとて同じこと。
いや、怪物化してしまったから、絶対天使より感知能力は劣るかもしれない。
好戦的な怪物が巣くう場所を突っ切って、この先まで彼女が逃げた可能性は低い。
一人だけならまだしも、ピコが一緒なのだ。
彼を大切に想うのであれば、比較的安全なルートで逃げるはず。
しばらく考え込んでいた原田が決断を下す。
「一旦アーシスへ戻って、北上してみましょう」
「ナーナンクインを目指すのが妥当だと、原田くんも考えるんだね。それじゃ、そうしようか」とジャンギは頷き、吹き飛ばされてグシャグシャになったテントを折り畳みにかかる。
そいつを小島やソウルズも手伝って、全荷物を回収した後は一路Uターン。
アーシスへと戻る方角へ歩き出した。
21/11/22 UP

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