遠く離れた土地から遥々旅をしてきたマリンダは、アーシスで住居を得る。
それは別に構わないのだが、お隣さんがジャンギ――西区住まいというのは納得いかない。
東区と異なり、西区は警備隊の経費を収めないと住めないルールだったはずだ。
親なし子のマリンダに経費が払えるのか?それともジャンギが肩代わりするのか?
後者だったら不公平だ。払いたくても払えない住民が、アーシスには沢山いるのに。
そう考えたのは原田だけではなく、レナを知るジャンギの友人たちも、そういう考えに至ったのであった。
「一人暮らし、あの子にできるんですか?月経費も払えそうにありませんし、町長宅の客人としての扱いで充分じゃありませんか」
ミストの毒溢れる発言に、ジャンギは晴れやかな顔で答える。
「ナーナンクインでは、ずっと一人暮らしだったそうだよ。それに経費徴収は廃止すると前にも言っただろ」
アーシスでは長いこと、西区の住民に警備隊の経費支払いが義務付けられてきた。
だが実質は町長が半分以上ピンハネしており、上手く運用できていないばかりか無駄な出費とも言えた。
今後、警備隊の経費は警備隊自身が稼ぐ方式へ切り替える。
なにか事件が起きた場合の対処にあたり、解決したら活動費用を払ってもらう。
町の見回りは自由騎士見習いにやらせる。ごろつきとの実戦を兼ねた訓練として。
住民の懐を暖かくする、最も手っ取り早い手段はナーナンクインやサークライトとの交易だ。
しかし今日明日にも始められるものではなく、当面は西区富豪、金儲けの成功者が負担するしかない。
具体的には見習いの実習と大通りに並ぶ店舗の増加。すでに何軒か新しい店が建ち並び始めている。
「それで、よ」と瓶ごと酒をかっくらって、ガンツが問う。
「マリンダは何て言っていたんだ?レナがアーシスを出た理由」
「それが……」
少し躊躇い、ジャンギは友の顔を見渡す。
「瘴気の発生に気づいたから光の森まで飛んだ、と言っていたそうだ」
リビングは一瞬静まり返り、すぐに驚嘆で包まれた。
「瘴気!?」「なんで、そんなものが光の森に!?」
エイストの時代には、人間以外の亜種族もファーストエンドの地に生息していた。
彼らは元々別世界の住民であり、"ゲート"を通って訪れていた。
"ゲート"とは、異世界とファーストエンドを繋ぐ通路のようなものだ。
誰かが故意に開くこともあれば、自然に開いてしまうこともある。
過去"ゲート"で繋がった中に、魔界と呼ばれる異世界があった。
瘴気とは、魔界特有の大気だ。
長く触れていると魔族以外の生命体に悪影響を及ぼす為、"ゲート"を用いて魔界へ渡る行為は禁じられていた。
ゲートが開くと、向こうの大気も多少は流れ込んでくる。
なによりゲートが開くというのは、何者かがファーストエンドへ侵入してきた証拠だ。
レナは魔界の大気を光の森付近に感知し、魔族侵入の危機を抱いたので現地へ飛んだ。
光の森とは、かつて西大陸ザイナ地方と呼ばれた大地に存在した森である。
アーシスより遠く離れた場所に発生した瘴気を感知したとなると、レナが精霊族だというのも頷ける。
何故亜種族がアーシスに住んでいたのかは判らない。当の本人は既に帰郷、娘も理由を聞かされていない。
恐らくは気まぐれではないかとマリンダは言っていた。
精霊は気まぐれ、それがレナの口癖であったと。
気まぐれだからゲートを抜けて人間界に住みつき、そしてジャンギへ告白した?
「はた迷惑な奴め」とソウルズは眉をひそめ、その隣ではファルも物憂げに呟く。
「瘴気が発生したってのは、つまり、光の森があった場所にゲートが出現した……ということなの?」
「そういうことになる」とジャンギは頷き、新たな事実を付け足した。
「マリンダは旧ナーナンクインで発生した疫病も、ゲートが原因ではないかと見ているようだ」
「どういうことですか?」とミストに促され、マリンダから聞き出した内容を伝える。
疫病の正体はマナの残滓による体内汚染だが、疫病を蔓延させた原因は別にある。
それは大気の流れだ。ゲートがナーナンクイン近辺で発生して、急激にマナの残滓を増幅させた。
特効薬を作っても臨床試験まで間に合わず、ナーナンクインの民は街を捨てる結果に終わった。
一体どこの異世界と繋がったのか?魔界ないし精霊界ではないかとマリンダは推測する。
この二つが魔力に溢れた世界だというのは、レナに学んだ知識の受け売りであった。
「それよっか光の森で、その〜見つかったのか?魔族ってやつぁ」と、話を混ぜっ返したのはガンツだ。
「いや」とジャンギは首を真横に振り、遠くを眺める視線で答える。
「痕跡と思える瘴気の残滓しか見つからなかったそうだ」
ゲートは何処を探しても見つからず、さりとて瘴気の残り香がある以上、魔族は何処かに潜伏している。
しかし魔族を即発見とならなかった事でレナの興味も危機感も薄れてしまい、以降は森の外で男を引っ掛けて結婚、マリンダを出産した後は森の中で自給自足の生活をしていたらしい。
「森の外で?どこから連れてきたのかしら、その旦那様は……」
首を傾げるファルへミストが事もなげに突っ込む。
「レナは長距離を瞬間転移できたんですよ?どこからだって調達できます」
「相手は誰でも、そう、ジャンギくんじゃなくても良かったのね……迷惑な女だわぁ」
ギリッと憎悪で歯ぎしりする彼女など、もう捨て置いて、ミストはジャンギに尋ねた。
「それで、マリンダの一人暮らしの件ですけど。なんでジャンギくんのお隣に引っ越させたんですか?」
どうもレナからの嫉妬絡みで、友人はジャンギに関わる問題ばかりへ目がいってしまうようだ。
もしや、マリンダと結婚したいが為に隣家へ引っ越しさせたとでも疑っているのか?馬鹿馬鹿しい。
いくらレナの血を引いていて、彼女に瓜二つだといっても、マリンダはマリンダだ。レナではない。
ジャンギはゆるく首を振り、ミストの疑問へ答えてやった。
「彼女はアーシスのルールを知らないし、町長に任せるのは知識が偏ってしまうからね。今後の改革を踏まえても、指南役は俺が一番適任だろう?だから隣へ引っ越してもらった。遠いのは何かと不便だし、俺の目が届かないところで近辺の住民が嫌がらせをしないとも限らない」
町長経由で聞いたのだ。
フォルテやベネセ、ヤフトクゥスといった外からのお客様を、気に入らないとする住民が一定数いる現実を。
彼らが町長に依怙贔屓されている点や、余所者である点を考えると、当然出てくる不満であった。
だが、これからは街をオープンにして外からのお客様も迎え入れる予定なのだ。
いつまでも閉鎖主義でいてもらっては困る。
住民の意識を替えさせるためにも、マリンダには一役買ってもらおう。
「マリンダは自由騎士スクールに通ってもらう。見習いと一緒にアーシス周辺を学ばせるんだ」
「クラスは?というか、マリンダは何が得意なんだ」
ジャックスに問われ、ジャンギは考え込む。
マリンダは魔力が突き抜けて高い。さすが精霊の娘と言おう。
人数で考えてもウィンフィルドのクラスが妥当だが、しかし彼のクラスへ入れるのには抵抗があった。
ミストでさえ、ジャンギとの仲を疑ったのだ。弟は、もっと疑うに違いない。
ふとフォルテの顔が脳裏に浮かび、パッと答えが閃いた。
「新学科へ入ってもらおう。彼女は戦わせるよりも、バックフォローが向いているように思う」
ナーナンクインに住んでいた頃、マリンダは戦士にならなかったと聞いている。
街周辺での草収集や馬車番が主な仕事であった。
戦うのは苦手か、或いは好戦的な性格ではないのだろう。
「お前が、そう見立てたんなら、そうなんだろうよ。なら、ついでに設計も教え込んでやっか」
ジャックスの思いつきには「それよかアーシス周辺で取れる怪物の料理レシピだろ、教えるとしたら。ここでの一人暮らしに役立つぜ」とガンツが混ぜ返す。
ついでとばかりにファルが言った。
「それなら、お店を手伝わせるってのもアリじゃない?私たちが経営する魔術店で雇っちゃいましょ!」
見習いの日雇いについても、改革案が進行している。
これまで子供は富豪家での短期下男下女しか出来なかったのを、大人同様、店で長期間働けるようにする。
スクール時間外での雇用だ。
死神たちの経営する斡旋所は建物だけ先に完成、あとはスクールとの足並み調整待ちだ。
ファルとミストの共同経営、魔術道具屋も近日開店を予定している。
こちらも建物は完成しており、現在は如何に効率よく素材を集めるかの話し合い中だ。
ファルは現役に集めさせたいようだが、ミストは斡旋所を通して見習いにやらせたいと考える。
そのほうがコストも安くなるし、なんといっても名目が立つ。自由騎士見習いの課外演習という。
ずっと黙していたソウルズが、ポツリと呟いた。
「マリンダはアーシスやナーナンクインにない技術を身につけているのか?」
「技術はない」と断った上で、ジャンギは微笑んだ。
「彼女にあるのは膨大な知識と、彼女にしか使えない能力だ。特に知識は古文書にも記されていないものが多い」
「信用できるのか?」との質問にも、力強く頷く。
「歴史の生き証人、精霊族と暮らしていたんだ。彼女の知識はレナの知識と言い換えてもいい。人間よりも長い時を生きる亜種族が教えたのであれば、充分信用に足りるだろう」
それでね、と切り出した提案には、友人の誰もが驚かされた。
だってジャンギときたら、満面の笑顔で、こう宣ったのだから。
「マリンダの能力と知識を最大限に活用する為、俺も自由騎士に復帰しようと思っているんだ。腕は二本に戻ったし、体は毎日鍛えているからね。無駄に体力を余らせているよりは、外での活動を支援したい。より遠くの範囲を調べられる現役は必要だろ?それには過去の実績を持つ、俺が一番適任だ」