小島が風呂に浸かっている間、原田は神坐人形を隅から隅まで調べ回す。
何で出来ているのか、ぷにぷにと柔らかい手触りだ。
口の中には舌と歯がついていて、単純化された顔の割には作りこまれている。
上着をめくって乳首の存在を確かめた原田は、じっと人形を見つめた後。
おもむろにズボンを下にずらし、パンツも脱がせてみた。
……やはり、ついているのか。
無駄に精巧だ。
なんとなくイケナイことをしている気分になり、元通りに服を着せた後はベッドの横に人形を置いた。
このまま部屋に飾っておいてもいいのだが、留守中盗まれたらと考えると気が気ではない。
スクールへも一緒に連れていこう。
内ポケットに入れておけば、そうそう落とすこともあるまい。
そうだと思いつき、人形の首に例の笛をかけてやった。
「よぉ、それ早くも、お気に入りか?お前がお人形さん大好きっ子だとは知らなかったぜ」
風呂上がりの濡れた頭を拭き拭き冷やかしてくる小島へ、振り返りもせずに原田は言い返す。
「もらった人形を粗末には扱えないだろ」
「ふーん。どうせくれるんだったら、俺の形が良かったのに」
怪訝に眉をひそめて振り返った原田へ小島が笑う。
「風呂ん時も一緒に入って俺の人形で体を洗ったって構わないんだぜ」
「ばか」
そんな真似をしたら、人形が汚くなってしまう。
それに、一緒に住んでいないからこそ大五郎は神坐の人形を原田にくれたのだ。
いつか冥界へ帰ってしまったとしても、彼を忘れない為に。
実際の大五郎が何を考えて人形をくれたんだとしても、原田は、そう受け取ることにした。
翌日の実習、原田チームはサフィア教官の指示に従い怪物舎へ向かった。
依頼を引き受けようとしたところ、ジャンギが呼んでいると言われての移動である。
「何の用なのかしら……」
「一刻も早く強くなれって陸さんが言ってたよね。依頼を引き受けるよりも戦闘訓練しろってことなのかな」
あれこれ予想しながら行ってみれば、ジャンギ曰く、原田のチームには特別な依頼を出すとのこと。
「諸君らには合同会開催までの期間、プチプチ草退治の依頼を引き受けてもらいたい。報酬は一匹につき三クレジット。悪い依頼じゃないと思うんだが、どうかな?」
「さ、三クレジット!?三クレジットってのは、要するに三百ゴールド!?」
判り切った計算を小島が繰り返し、ジョゼも驚愕に目を見開いた。
「一番弱いと言われているプチプチ草でも三クレジットの価値があったのね!」
「いや、本来そこまでの対価はプチプチ草にない。これは君達を強化する為、特別に作った依頼でね」
即座に否定したジャンギは結論づける。
「プチプチ草相手に洞察力と回避力を鍛えるのが、この依頼の狙いだ」
「特別に作ったってこたぁ、報酬はスクール負担なのか?」との小島の疑問を否定して、ジャンギが微笑む。
「依頼主は俺だ。報酬も俺の負担だが、心配しなくていい。これでも一応資産家なんでね」
英雄たる彼が貧乏人だとは誰も思っていない。
それよりも気になるのは、一匹単位で報酬が支払われる点だ。
「総勢何匹倒せばいいんですか?」と、ピコが尋ねる。
対するジャンギの回答は簡潔で。
「倒せる限り倒してくれ。最低でも一匹は倒して欲しいが、無理だと思った時点で切り上げて構わない。一匹も倒せなかったとしても、お駄賃ぐらいは支払うよ。なお、サポートとしてエリオットが同行する。動けないほどの大怪我を負った場合は、彼に治療を任せてくれ」
不安な一言と共に、外へ送り出された。
怪物舎から連れ添ってきた救護士エリオットは、一見物腰柔らかな男性であった。
「あなたがジャンギさんに超依怙贔屓されている……ンンッ、ゴホン。輝ける魂とされる原田さんですか。私はエリオット=クラサマナと申します。普段は怪物舎で救護を担当しておりますが、本日はサポートとして同行致します。皆様、宜しくお願いします」
のっけから棘のある発言だが、本人は悪気なく微笑んで五人の顔を見渡す。
「輝ける魂って、そんなに有名な存在なんですか?」
水木の質問に「えぇ」と頷き、エリオットが博識を披露した。
「一部の自由騎士や富豪には閲覧を許された資料がありまして、そこに輝ける魂の記述も載ってございます。何故一般公開されないかは、薄々お分かりいただけると思います。記述によると、一定の周期で生まれ変わりは存在したようです。ただし覚醒したとしても魂が汚されてしまうと輝きは失われ、次の生まれ変わりに権限が移ります」
「え、輝ける魂って死ぬまで輝ける魂じゃないんだ」
驚く子供たちを見渡して、エリオットは話を締めにかかる。
「度を越えた怒り、悲しみ、苦しみ、憎しみ……そうした感情との干渉だけでも魂は輝きを失ってしまうんだそうです。ですから気をつけてくださいね、原田さん。覚醒後は心をしっかり保ち、何物にも振り回されぬよう」
原田の脳裏で、昨夜の大五郎との会話が蘇る。
お前の魂が汚されないと判るまでは滞在する、そのようなことを言っていたはずだ。
どういう意味か判らず流してしまったが、汚れとは感情変化を指していたのだろうか。
「でも、怒りや悲しみって割と頻繁に発生しそうじゃない?」と、ジョゼが小声で囁くのもエリオットは、しっかり聞き取っていて「度を越えた、です」と念を押してくる。
「人は、ふとした拍子で悪に転がり落ちてしまいます。強い負の感情は瞳を曇らせます。正しき心は強靭な精神に宿るもの。輝ける魂であり続けるには、精神力を鍛えなければいけません」
「輝ける魂であり続けるメリットってなんだ?」
小島の質問を受けて、エリオットが眼鏡をキラーンと光らせる。
「いいところに目をつけましたね、小島さん。輝ける魂は存在自体が貴重ですから、死ぬまで生活苦とは無縁の贅沢な暮らしが約束されます。なんでも我儘言いたい放題、原田さんが望めば立派な御殿で暮らせますし、三食デザート有の豪華な食事は勿論のこと、愛人から正妻だって目指せ百人!なろうと思えば今の町長を蹴落としてご自分が町長にだってなれます、フフ」
「そ、そんな強欲な望みを持ったら、輝きが失われちゃうんじゃ……?」
水木のツッコミに、尤もらしい真面目な表情でエリオットは頷いてみせた。
「その通り。待遇が良くなろうと、けして増長してはなりません。輝きを守る為にも」
「輝ける魂が必要なのはアーステイラを倒す為ですよね。だったらアーステイラを元に戻した後は、輝ける魂をやめちゃってもいいんじゃないですか」
死ぬまで輝ける魂でいたいとは、原田も思っていない。
豪邸や愛人には興味ないし、人生の望みは幼馴染二人と死ぬまで一緒に過ごす、それだけだ。
なのでピコの案に心が傾きかけたのだが、鋭い声でエリオットが発した警告には目を丸くする。
「いけません!輝ける魂が輝きを失った時、その魂が常人に戻れるとでも思いましたか?いいえ、残念ながら。輝きを失った瞬間、魂も失われてしまいます」
「え、と……それって、つまり?」と首を傾げる子供たちを見据えて、はっきり言い切った。
「はっきり言うと、死にます。途中で人生を終わらせたくないのであれば、輝きは死守しなければいけません」
「え……えぇーっ!?」
強い感情に押し流されてはいけないし、覚醒しても常に輝いていなきゃいけないとは、なんと厄介な業であろうか。
平凡な人生は最初から約束されていなかったのだ。輝ける魂として生まれてしまった以上。
「あなたが輝ける魂だとすればジャンギさんも、そりゃあ超依怙贔屓するというものですよ。本日の怪物退治依頼にしても、本来は合同会後に発動する予定を前倒しで強引に割り込ませましたからね。原田さん、あなたの為だけに。一教官のエゴがまかり通る、あれも一種の特権階級といえましょう」
歯に衣を着せないエリオットの言い分に、ジョゼが首を傾げる。
「ジャンギさんは、この町の英雄でしょう?だったら特権階級でも何ら問題ないんじゃないかしら」
「ハッ、英雄?あれは単に逃げ帰って来ただけの腰抜けですよ、しかも片腕を怪物に奪われた!」
怪物舎に勤める同士で仲良くやっているのかと思いきや、エリオットがジャンギに抱える感情は歪だ。
英雄を罵る救護士には、良い印象を抱けそうにない。
原田の眉間に浮かんだ皺を見て、エリオットも言い過ぎたと気づいたのか「ンン、ゴホン!」と激しく咳払いして、元の穏やかな調子に戻った。
「……失敬。話が逸れましたね。ともかく、この依頼にはジャンギさんも期待しております。あなたの魂が覚醒すればヨシ、しなくても度胸がつけばヨシ。そら、さっそく出ましたよ、プチプチ草が」
「えっ!?」
歩きながら、ずっとペチャクチャしゃべっていたから全然気づかなかった。
いつの間にか、プチプチ草が四方を囲む形でヨチヨチ近づいてきているじゃないか。
前から二匹、右手からは三匹、左手には二匹、背後からは一匹の計八匹で、以前遭遇した時よりも一匹多い。
「え、えぇぇ、ちょ、前からも後ろからも来てんだけど!?どっちを守りゃーいいんだ!」
たちまちパニックに陥る小島を叱咤したのは、原田だ。
「水木とジョゼは、この場で待機しろ!俺とお前、それからピコは分散して牽制に回るッ」
「えぇぇ?三人で分散するにしても、一ヶ所足りなくね!?」
なおも騒ぐ小島の腕をひっつかみ、原田は腰の鞭を引き抜いた。
「前と右は、お前と俺でやるぞ!左と後ろの敵はピコ、お前がひきつけるんだ」
「ぼぼぼぼ、僕?僕?僕が一人で三匹をっ!?」
ピコの両目には早くも涙が滲み、囮になれるかどうかも怪しい。
「ジョゼと水木に近づかれさえしなきゃいいんだ!ジョゼは一匹ずつ頼む、全体魔法は俺達にも被弾する可能性があるッ」
テキパキ指示を出す原田は、絶望的な状況下にしては落ち着いている。
とても、顔面蒼白になって芋掘り依頼をこなしていた奴と同一人物とは思えない。
或いはピンチになればなるほど、冷静になれるタイプなのかもしれない。
「水木も一応回復を、すぐかけられるようにしといてくれ!」と言い残し、原田が前方へ飛び出す。
「ま、待てよ、俺が盾になる!」と小島も慌てて後を追いかけ、一人出遅れたピコはジョゼと水木を見て、エリオットを見て、もう一度少女二人を見てから、ようやく意を決して「い、いきゃあああーーーッス!」と奇声をあげて後方へ突進していった。
ややあってピコの「いぎゃああぁぁぁ!」といった絶叫が響き渡り、ビクッと身をすくめる水木の耳元でエリオットが囁く。
「あなたにはピコさんの回復を、お願いしましょう。私は前方の二人をフォローします」
いうが早いか、前方へ走り出す。
それと入れ替わりに「痛い痛い痛い、もっ、無理ィィー!」と叫んだピコが、こちらへ戻ってくる。
あの様子だと全弾命中したのだと予想されるが、その割に逃げ足は軽快だ。
しかしピコの様子を水木もジョゼも、のんびり眺めている暇はない。
二人とも呪文に集中し、それぞれの身体を魔力のオーラが包み込む。
エリオットは前方に駆けていったが、回復魔法は味方に近づかなくても発動できると教本には書いてあった。
水木は、それをぶっつけ本番で試すつもりでいた。
やり方は攻撃魔法と同じだ。光をためた両手を遠方に差し出して、狙いを定める。
水木は、自身の魔力を全て外に押し出すイメージを脳裏に浮かべる。
魔力のオーラは、徐々にジョゼよりも水木のほうが輝きを増してゆく。
それでいて発動はジョゼのほうが早く、さっと差し出した片手からは真っ赤な炎が飛び出した。
「ピコくん、助けてあげるわ!私のメルトンでッ」
死に物狂いで疾走するピコの背後で、ぼうっと炎が着弾したかと思うと「シャギィィィ!」とプチプチ草に断末魔を上げさせる。
「あああぁぁぁぁ!」
絶叫と共に一気にゴールインしてから、ピコは背後を振り返った。
一匹は炎に包まれているものの、左手から迫る二匹は進路を変えて原田と小島の背後を追いかけている。
完全に囮役は失敗、原田の期待に応えられなかったと知って、ピコは脱力に襲われる。
「そ、そんなぁ……」
へなへなっと力なく崩れ落ちた途端、激痛までもが両足を襲う。
「み、水木さぁん、回復お願いぃぃ……しゃす」と呟いたのを最後に、ピコの意識は闇に沈んだ。
前方に飛び出していった原田と小島も、一斉散弾をお見舞いされる。
だが、それらは全て「こなくそォ!」と振り回した小島の大剣で弾き返されて、弾が止んだ一瞬の隙を狙って原田が鞭を振るう。
低い軌道での一撃はプチプチ草をまとめて二匹吹っ飛ばし、勢いの良さには振るった本人も驚愕だ。
「見ろ、プチプチ草のやつ、一匹千切れたぞ!」
吹っ飛んだうちの一匹は、その場に留まり様子見している。
もう一匹は花びら部分が丸々消滅しており、ピクリとも動かない。
そこまで勢いよくブッ叩いた覚えはないのだが、必死で振るったから無意識に威力が増したんだろうか。
ともあれ前方の残り一匹は近づいてくる気配がないし、無視して構わなかろう。
右手から迫る三匹が強敵だ。
さっきは運良く大剣で弾き返せたが、何度も同じ手を続けられるとは思えない。
「小島、散弾が来る前に切り捨てるんだ!出来るか!?」
「お、おう!」
走り出した途端、散弾が発射されて「うわわっ!」と小島は防戦に回るしかなくなる。
近接武器の短所だ。間合いが遠いと手も足も出ない。
そこへ「小島さん、原田さん、構わず前に出てください!私の結界でお守りします」とエリオットの指示が飛んできて、慌てて振り返ってみれば「ほら、敵から目を離さない!戦いの基本ですよ」と小言も飛んでくる。
「け、結界って何だ!?」と小島に尋ねられたって、原田も知るわけがない。
躊躇している間にもプチプチ草が迫ってきて、再び散弾が発射される。
「しまっ――」
身構える二人に当たるかという寸前、小さな弾は全て見えない何かに弾かれた。
「え?」
ポカンとなる小島よりも原田の理解は早く、何が何だか判らないが今のが結界だとアタリをつける。
散弾が当たらないなら、反撃にも出られる。
今度は意識して鞭を振るった。
手首のスナップを効かせるように、できるだけ複数を巻き込んで絡みつくように。
原田の狙い通り、鞭は三匹まとめて絡めとる。
反動がついているうちにギュッと手元に引っ張って外れないようにすると、三匹は団子となって草の上に弾んだ。
ぶっつけ本番にしては完璧な束縛だ。
ホッと安堵の溜息をつく背中へ「原田くん、危ない!」とジョゼの大声が飛んでくる。
否、飛んできたのは声ばかりではなく炎もだ。
炎は背後に迫る一匹を捉えたが、残る一匹は原田に散弾を放ち、結界に弾かれる。
結界がなかったら、背中に散弾を食らっていた処だ。
「こんのー!」と小島が大剣を振り下ろし、ぶちゅっとプチプチ草を叩き潰す。
様子見していたはずの一匹は、いつの間にか姿を消していた。
三匹団子状態のプチプチ草にも小島がトドメを刺し、エリオットが片手をあげて戦闘終了を告げてくる。
「はい、そこまで。七匹退治、お見事です。まぁ、私の結界あっての勝利ですから、実質倒したとカウントできるのはジョゼさんの魔法による二匹と原田さんが吹っ飛ばした一匹の計三匹ですかね。ともあれ、皆様よく頑張りました」
「は、はい……あの」と原田が手をあげて、正直な感想を伝えた。
「先ほど、自分でも思ってもみないほどの威力が出たんですが」
「ふむ?二匹まとめて吹き飛ばしたやつですか」とエリオットに尋ね返されて、頷いた。
「そういやさぁ」と、今更ながらに小島も思いついた事を尋ねてみる。
「どうなりゃ覚醒したってことになるんだ?輝ける魂って。なんか身体が光ったりすんのか?」
エリオットの返答は歯切れが悪く、「そういえば、具体的には聞いておりませんでしたねぇ」と遠くに視線を逃して、そらっとぼけるもんだから、子供たちは彼に詰め寄った。
「ちょっと!それじゃ何回戦闘をこなしても意味がないじゃない」
「あ、もしかして、さっきの威力ある一撃ってのが覚醒だったんじゃない?」
「それにしちゃ〜全然見た目変わってなくね?覚醒したら見た目も変わるんだよな?」
「文献には何も書かれていなかったんですか?覚醒後の姿について」
周囲を取り囲んでワァワァ言われたって、エリオットの知ったことではない。
「あーもー!詳しいことはジャンギさんにお聞きください。私は彼の聞き伝えでしか存じないんですから、文献も輝ける魂も」
説明をぶん投げた救護士に冷めた目を向け、「チェッ、使えないオッサンだなぁ」とぼやく小島を水木が窘める。
「そう言わないの。魔法では、いっぱい助けてもらったじゃない」
「結界、だったっけ?すごいよね!」と興奮するピコも、エリオットの魔法で治療してもらったクチだ。
性格はどうであれ、救護士としての実力は認めざるを得ない。
貯めに貯めこんだ水木の回復魔法は、行き場をなくして不発に終わった。
もっと臨機応変に魔法を放てるようにならないと、皆の役に立てないと水木は反省する。
「水木さんも覚えたらいいんじゃないかしら、結界」とジョゼに振られたので、エリオットへ尋ねる。
「結界って魔法、私にも覚えられますか?」
答えられる質問には愛想よく、エリオットが「えぇ、練習すれば必ず」と答えるのを横目に見ながら、一行はスクールへと帰還した。