絶対天使と死神の話

定められし天命編 01.自分に何が出来るのか


保健室で目を覚ました原田は、そっと身を起こす。
室内には誰もいない。自分一人だ。
校庭の方からは、大歓声が聴こえる。午後の試合が白熱しているのだろう。
――負けてしまったんだ。
改めて、じわっと悔しさが滲んでくる。
優勝できるとは思っていなかったにしろ、負けるのが、ここまで悔しいとも思っていなかった。
自分は何処か勝負事には淡白で、勝ち負けに拘らないつもりでいたはずのに。
意識が途切れる寸前、掌に集まった熱を思い出す。
あの時は、負けたくない。それだけを考えていた。
掌に己の想いが凝縮されたかのような熱さを感じて、無我夢中で手を伸ばしていた。
勝負が、どうついたのかは判らない。
しかし、ここで寝かされていたからには負けたに違いない。
午後の試合は小島が出ているはずだ。応援にいかなきゃと思うのに、体が動かない。
出るのは涙ばかり、声を出さずに原田は泣いた。
そっと入口で様子をうかがっていた人影が離れていくのにも、全く気づかずに。


足音を忍ばせて校舎を出た途端、ジャンギはガンツに見つかる。
「よぉ、どうしたんだ。こんなとこブラブラして、試合は見なくていいのか?英雄さん」
「うん。見なくても結果は大体、予想がつくからね」と答えて浮かない顔のジャンギを、ガンツがからかう。
「なんだなんだ、ご贔屓くんが負けたからって、お前までしょげてんのかよ?まだ一年目だぞ、合同会は」
「そうじゃない」と、ジャンギ。
空を見上げて、ポツリと呟いた。
「原田くんの最後の攻撃は魔法だった。なのに、誰も何の魔法だったのかが判らないんだ。それが気になってね」
「ふぅん?アレじゃねーか、輝ける魂だけに使えるって魔法」
思いつきをあげる友人をチラリ一瞥して「それは俺も考えた」とジャンギが相槌を打つ。
「もし意識的に放ったんだとすれば、原田くんは輝ける魂を使いこなせていることになる。本人に確認しようと思って、さっき保健室を覗いてきたんだけど……ね。話しかけられる雰囲気じゃなくて」
声を殺して悔し涙を流す原田を見た瞬間、きゅうっと胸が締めつけられて、うまい言葉をかけられなかった。
ジャンギが覚えている限り、合同会で負けて泣いた見習いなど一人も見た記憶がない。原田が初めてだ。
合同会は三年間で三回おこなわれる恒例行事、クラス間での力試しでしかない。
言ってしまえば、お遊びみたいなものだ。
「あー、ソロ戦は初の試みだったかんなぁ。チーム戦で負けるのとは受け止め方が違うのかもな」
「負けて悔しいってことは……原田くん、自信をつけていたんだ」と呟き、ほんのり微笑んだジャンギのおでこをガンツが突く。
「お前の機嫌も、ご贔屓くんの成長と直結してるってか」
「まぁね」と素直に認めて、ジャンギはガンツを見上げた。
「生徒の成長こそが教官の本懐だからね。ガンツは、どうして教官にならなかったんだ?」
「そりゃあ、お誘いが来なかったからな」とガンツは肩をすくめて、校庭を見やる。
自由騎士スクールの教官は町長が直々にスカウトする決まりなのだが、今期はサフィアの賄賂のせいで滅茶苦茶な人選になったらしい。
ジャンギと同世代の引退者は、ジャックスしか勧誘されていない。
今期の人選を見る限りだと、この二人に勧誘がいったの自体が異例だったとも言える。
「もし勧誘されていたとしても、引き受けたかどうかは怪しいんだがよ」と本音を吐いたガンツは「や、お前が引き受けたと判ってりゃ〜もちろん引き受けたけどな!」と締めるのを忘れなかった。
「なんだい、それ。サフィアを笑えないじゃないか」
ジャンギには呆れられて、ガンツも頭をかく。
「知らない奴らとやるよか、知ってる奴と一緒のほうがいいじゃん?お前にゃなかったのかよ、そういうの」
ジャンギは「ないない」と笑い、保健室の方角を振り返った。
「次の世代を育てるのが先人の役目だ。だから引き受けたんだ、怪物舎の管理を。本音を言えばクラス担当のほうが良かったんだが……まぁ、それは俺が片腕なのを考慮したんだろう」
これまでに勧誘が来なかったのも、きっと同じ理由だ。
片腕で苦労しているであろうジャンギを慮って遠慮したのだ、町長は。
「ん〜?ツルピカくんの担任になりたかったってか」と下衆の勘繰りを発揮するガンツを横目に、ジャンギは「怪物舎の管理人は出来る範囲が狭いんだ。武器訓練も教えられるのはクラス担当だけだからね。やるからには完璧に育ててやりたいってのが俺の信条なのさ」と話を締める。
「ふーん。だったら休日限定で武器訓練の道場をおっ立てたら、どうだ?」
ガンツの提案に「休日は休ませてあげないと」とジャンギは意義を申し立てるが、案自体は悪くない。
これからの自由騎士は、なにがなんでも探索と退治だけを引き受けるのではなく、得意分野で働くべきだ。
引退騎士にしても新しい職場を作ることで、ごろつきをやるよりも実入りのいい場を与えられる。
「もちろん、希望者だけに決まってんだろ。休日家でゴロゴロしているよりはってんで賑わうかもしんねーぞ」
「……試合が終わったらジャックスに相談してみるか」と呟き、ジャンギは踵を返す。
「どこ行くんだ?」との問いには「試合を見てくる。そろそろ決着がついた頃だと思うんでね」と答えて。


ワーワー大歓声があがる中、舞台の上では小島が大の字で倒れており、ジャックスが勝者の名を告げる。
「小島、気絶!よって勝者、謙吾!」
勝負は一方的な展開だった。
チーム戦と同様、接近戦での迫り合いが行われるといった観客の予想を大きく裏切り、開始直後と同時に突っ込んできた謙吾の一突きで小島の体勢が大きく傾き、小島劣勢のまま舞台の端っこまで追い詰められた挙げ句、避けそこねた一撃が首筋に決まって転倒。
そこで勝負がついた。
「うそ……小島くんが腕力勝負で負けちゃったよ!?」
驚く水木の側では「ただの腕力じゃねぇ」と神坐が尤もらしく頷き、謙吾を見やる。
「あいつ、人体を理解してやがる。どこを攻撃すれば崩せるか判った上で突進しやがったんだ」
剣先で突かれたのが土手っ腹だったら、ああも簡単に崩されまい。
急所とされる箇所を強く押されたのだ。小島が如何にタフでも関係ない、人類である以上。
結界で守られているから死にはしないが、何の防御もしていなかった処をやられたんじゃ気絶する威力だ。
最初の一撃で気絶しなかったのは、さすが小島と言えなくもないが、巻き返せる技量のなさが敗北の原因である。
スクールに入学してから剣を学んだ素人では、そこまで思考が回るまい。
ましてや小島は腕力だけが取り柄の単細胞、急所を知る相手じゃ分が悪い。
水木は担架で運ばれる幼馴染の元へ走っていき、あとに残ったジョゼが神坐の解説を促した。
「人体なんて誰が教えてくれるんですか?サフィア教官は教えてくれませんでしたけれど」
「スクールじゃ習わねぇだろうなぁ」と神坐は腕を組み、じろじろと謙吾を眺め回す。
実況の紹介によると小島と同い年のはずだが、その割には大人びている。
黒の短髪、眉は太く無骨な性格を偲ばせる顔立ちだ。
小島とタメを張る巨体で、腕や足の太さを見ても十七歳の肉体ではない。
一回戦目では見た目通りのパワープレイだった。なのに、同系列相手では戦法を切り替えてきた。
リントが彼を技巧派と呼んだのは、これを指していたのか。
人体構造の知識は訓練で得られるものではない。スクール外に武術の師匠がいるのかもしれない。
「あちこちガチなやつが混ざっているよな、この学校」
ぼそっと感心する神坐へ「本気で目指す奴と、そうじゃない奴の違いじゃろ」と大五郎も同意を示し、小島の運ばれていった方角へ目をやった。
ちょうど、そちら方面から歩いてきたジャンギを見つけて「おっ?」となる。
「なんだジャンギ、今の試合を見てなかったのかよ。可愛い教え子の晴れ舞台だってのに」
呆れる神坐に風が「原田の見舞いへ行っていたのではないか?」と突っ込み、「お前は見舞いへ行かなくていいのか」とも尋ねた。
「あ〜。いや、今は水木が見舞ってんだろ。二人っきりにしてやりたいし、俺は後でいいや」
「二人っきりじゃないでしょ」と混ぜっ返したのはジョゼで、「今、小島くんも運ばれていったもの」と保健室の方角を眺める真似をした。
ここからじゃ保健室の様子は伺えない。
それでも皆の視線は自然とそちらへ向かい、大五郎もぼそっとぼやく。
「今日一日だけで幼馴染が二人ともダウンたぁ、水木も大変じゃのぅ」
「現役になったら、こんなものじゃ済まないよ」とジャンギも会話に混ざってきて、ジョゼの隣に座った。
「若いうちに挫折を味わっておくのは悪くない。次に頑張ろうって活力にもなるしね」
「なら英雄様も当然、若い頃にゃ〜挫折を目一杯味わったんだろうな?」との神坐からの冷やかしには、肩をすくめて言い返す。
「俺は逆に若い頃、挫折し損ねたんだ。だから、今でも未練たっぷりなのさ」
「その腕」と風が割り込んだ。
「治せないのか?」
「無理だったんだ」と、即答が返ってきた。
「ばっさり噛みちぎられたんだ、肩の付け根から。これだけ消失範囲が大きくなっちゃ、再生しようもない。義手を取り付けるのが精一杯だったって街の救護士に言われたよ」
「この街の医療ってなぁ、どんだけの腕前なんだ。病気ぐらいは治せるんだろ?」
神坐の追加質問にも、首を真横にジャンギは否定する。
「治療は回復魔法の領域だ。その魔法でも腕を治せなかったんじゃ、お手上げだろ」
過去のファーストエンドには、僧侶や司祭の他に医者という名の職業があった。
薬品や医療と呼ばれる技術で怪我や病気を治したという。
しかし長き歴史と戦争の余波で医者の存在は忘れ去られていき、回復魔法のみが残った。
アーシスにいる救護士や治療士も回復魔法の使い手であり、医者ではない。
「――とにかく、早めの挫折は必要だってことだ。こんなふうに引退後に未練だらけで生きたくないだろう?ジョゼさんも」
場が湿っぽくなる前に話を締めにかかるジャンギへジョゼが尋ねる。
「ジャンギさんの未練って何ですか?これだけの功績を残しても、まだ未練があるんですか」
「俺の未練は、この目で世界の全てを見られなかった点だ。こればかりは現役じゃないと叶えられないからね」
ジャンギは小さく笑い、席を立つ。
「さて、試合も終わったことだし皆は原田くん達のお見舞へ行くのかい?俺は一足先に帰らさせてもらうよ、やることが多々残っているんでね。また明日」
「あ、はい……さようなら」
後ろ姿を見送りながら、ジョゼは傍らの大五郎に言うでもなく呟いた。
「やることって何なのかしら……それも、今から?」
全日程が終わって、そろそろ日が暮れようという時間である。
これから始められるのなんて夕飯の支度や風呂炊き程度しか思いつかないし、それは下男下女の仕事であり、家主たる富豪は準備を待つぐらいだ。
「街の英雄ともなると、やることがあるんじゃろう、色々とな」
適当な相槌を打っておいて、大五郎は仲間を促した。
「原田と小島の見舞いへ行こうか、皆の衆。早くせんと三人が帰ってしまうぞ」


家へ帰っても飯を食べて寝るだけとはならず、ジャンギはジャックスとの打ち合わせや町長への打診、大通りに店を構える商人たちとの交渉を始めて、一通り終わらせた後は表へ出る。
ここ数日、夜の様子を見て回るのが日課になっていた。
夜の通りは人っ子一人いない。灯りは月の光だけで、寂しい風景だ。
講義所を何軒か建てるのであれば、講義にかかる時間を踏まえた上で、夜の治安も高めねばなるまい。
まずは、通りという通り全てに灯りをつけよう。
どれだけの費用がかかるか、灯りをつける方法も考えなければ。
各方面の人々に協力を求めているとはいえ、最後まで遣り遂げられるのかが不安になる。
ただでさえ、自分に残された時間は短い。
腕の治療を風に尋ねられた際、ジャンギの脳裏に浮かんだのは己の天命であった。
伝承では、天命を伸ばす魔法は輝ける魂が使えるとある。
しかし、今の時点じゃ原田が能力を使いこなしているとは言い難い。
使いこなせる前に自分の寿命がつきるんじゃないかとジャンギは考えた。
「どうした、ジャンギ。こんな遅くに一人で出歩くのは危険だぞ」
不意に声をかけられて、そちらを見やると、剣と盾を手にしたソウルズと目があった。
警備隊の見回りか。その割に部下を連れていないとは珍しい。
「少し考え事をしたくて、ね。夜風に当たっていたんだ」と答えるジャンギの真横にソウルズが歩いてきて、じっと見据えてくるもんだから、落ち着かない。
「顔色が優れないぞ。風に当たりすぎではないか?」
「平気だよ。連日の交渉で、少し疲れているだけさ」と言い逃れてもソウルズの疑念は振り切れず、ぐいっと抱き寄せられる。
「疲れているのであれば、なおのこと家に戻って休むべきだ」
お母さんの如く心配してくる彼に見つかったんじゃ、夜道の探索は切り上げたほうが良さそうだ。
「う、うん。そうするよ」
そっと腕から逃れて踵を返した背中に、ぶしつけな疑問が浴びせられる。
「いつ、なのだ」
「え?」
「……今のお前は生き急いでいるように、俺には感じられる。いつなのだ。お前の天命が尽きるのは」
なんでだ。
何故、いきなり天命の話を持ち出したんだ?
俺の天命が短いってのは、原田くんにしか話していないはずなのに。
ジャンギは平常心を装おうとして失敗する。
ビクリと肩を震わせたのをソウルズに見咎められ、再度尋ねられた時には観念した。
静かに息を吐くと、ソウルズをまっすぐ見つめて答える。
「一年だよ」
「何?」
「だから……あと、一年なんだ。天命三十六年。それが、俺の生きられるタイムリミットだ」
夜の風が冷たく、ビュゥッと二人を吹きつけた。
22/06/08 UP

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