絶対天使と死神の話

古の賢者編 06.全てを断ち斬る


東:ワーグチーム

自然湖へ辿り着くまでにも複数の怪物に襲われながら、それでいて負傷者は一人も出さずに到着できたのは、ひとえにファルの結界のおかげである――
と、多くの仲間は思っただろうが、本人は違った。
何度か呪文発動で失敗していたにもかかわらず、道中の攻撃を防ぎきれたのは全て風のおかげだ。
彼がファルと同じタイミングで結界を発動させて、こちらの失敗をカバーしていた。
熟練の自由騎士でも、仲間とタイミングを併せて同じ呪文を発動するなんて真似は出来ない。
やはり死神は亜種族、人間とは全く異なる生物なのだ――そう考え、ファルは背筋を凍らせる。
今は味方だから安心していられるが、いつか、こちらへ牙を剥いてこないとも限らない。
だが、原田を守るために来たようなことをジャンギが言っていたし、あの子が生きている間は謀反を起こさないのかもしれない。
自己完結で納得するファルの耳に、ささくれだったソウルズの声が突き刺さる。
「何度呼べば返事をするんだ?そこの爆発頭は。ぼやっと突っ立っていないで、テントを張るのを手伝え」
「だっ、誰が爆発頭よ!もぉ〜、何年経っても口が悪いんだから」
プリプリ怒るファルと額に青筋を浮かべたソウルズを見比べて、「ファ、ファルさんは、ずっと結界を張り続けてくださったんですから……お疲れなんですよ」とフォローを入れてくれるレーチェが優しい。
「ありがと、レーチェちゃんって良い子だわぁ〜。どこかの誰かさんとは大違い!」
レーチェの頭を撫でくりまわした後は、ファルも大人しくテント張りに加わった。
怪我こそないが、どの顔も疲れ切っている。
ソマリの白かったローブは、どろどろの茶色に染まっていたし、レーチェのローブも、裾のあたりが破れている。
ワーグは返り血や臓物を浴びて腐臭を匂わせているしで、彼だけでも先に水浴びさせてやるべきだ。
「ね、ワーグくん。先に汚れを落としてきなさいよ」
水浴びを勧めるファルへ「いや、テントを張ってから浴びます」とワーグは断ったのだが、腕をぐいっと掴まれて、無理矢理引っ張り立たされた。
見上げると仏頂面のソウルズと目があい、有無を言わさず「いくぞ」と引っぱっていかれるワーグを目で追いながら、「水浴びぐらい一人で出来るだろうに、なんでソウルズさんまで一緒に行ったんだ?」と宣うグラントには、すかさずレーチェが突っ込んだ。
「決まってんじゃん、念のための護衛でしょ」
「そうね」とソマリも頷き、手はロープを堅く結ぶのに忙しい。
グラントは、なおも興味があるのか「なぁ、ソウルズさんってワーグのこと、滅茶苦茶依怙贔屓してるよな!」と雑談を振ってきた。
「そうだね〜。同じ片手剣使いってのもあるんだろうけど、ちょっと距離チカだよね」
話題に乗ってやりつつ、レーチェは、ちらとソマリの様子を伺う。
探索中、それとなく気がついていた。
ワーグとソウルズの距離が近づくたびに、彼女がピリついていたのには。
ファルの失態を庇わずソウルズへ話を併せた時、レーチェは猛烈な違和感をソマリへ覚えた。
スクールで初めて出会った時、彼女は言っていた。
自分はファルに憧れたから回復使いを目指す、あの人を侮辱するものは何者であれ許さない――
その彼女が、ファルを侮辱するソウルズに話を併せるなんて、誰が見ても、おかしいじゃないか。
ソウルズはワーグが尊敬する相手だから、遠慮したのだろうか。
或いは、ワーグに嫌われたくないので、あえて己の意志を曲げた……?
今だって一生懸命ロープを結んでいるように見えて、どこか上の空なようでもある。
「……何?」
ふと、視線があってソマリからは怪訝に問われて、レーチェは平然と「何って何が?や、ロープ結ぶのキツそうだったら代わったげようかと思っていたけど、大丈夫そうだね」と返し、さりげなく視線をグラントへ戻す。
危ない、危ない。
ソマリは詮索を嫌う。
特に色恋沙汰関連で詮索すると、めっちゃ怒るから怖い。
と言っても、大声を出すんじゃない。人を射抜けそうな鋭い視線で圧をかけてくる。
前に一度、彼女を怒らせたことがあって以来、レーチェは肝に銘じた。
何があろうとソマリを茶化すべからず、と。
いつの間にかグラントの興味も「なーなー、レーチェは、あれぐらい尊敬できる引退騎士っているか?俺はガンツさんが、そうなんだけど!」と横道に逸れており、レーチェは「私は、やっぱミストさんかなぁ〜。ジャンギ教官と一番距離チカっぽいし」と、それにも乗ってやりながら、遠目にワーグとソウルズの様子を伺った。
延々湖のそばを歩いていった後、大きな岩の陰に入って見えなくなった。
あそこが皆に見られなくて済む脱衣ポイントか。
まぁ岩陰に入らずとも、ここからだと二人の姿は黒い豆粒、裸になったとしても判らないぐらいには距離が遠い。
なるほど、護衛同行にも納得である。
見習い一人で、あそこまで歩いていったら、戻って来るまでに怪物の手にかかって死にかねない。
あんな場所まで覚えているんだ、かなり前に引退したって聞いたけど。
レーチェは素直に感服する。
自由騎士って記憶力もよくなきゃいけないのかな、なんてボンヤリ考えながら、張り終えたテントに潜り込んで足を思いっきり伸ばした。

皆のいるテント付近から、かなり遠くまで離れた場所でワーグは服を脱ぐ。
一人では心細くても、ソウルズが一緒なら大丈夫だ。
なんて安心していたら、背後から伸びてきた手に抱きすくめられて泡を食う。
「えっ、ちょっと、ソウルズさん!?身体なら自分で洗えますからっ」
振り払おうにも「なに、遠慮するな」と片手は下にも触れてきて、ワーグの全身をゾクゾクと快感が駆け抜けた。
「だ……駄目っ、です……こ、こんな野外で……」
「ほう、野外でなければOKだと?」
背後で漏れる忍び笑いには、カァッとワーグの頬が熱くなる。
そうだ、万が一にもソマリに見られていやしないかとテントの方を振り返ろうとした顔を掴まれ、無理矢理唇を吸われた。
「んっ、むぅっ」
そのままの格好で髪の毛をワシャワシャかき回されて、怪物の血や肉片がワーグの身体を流れ落ちてゆく。
汚れは一瞬水面を汚し、すぐに散っていった。
唇が離れて「……ふぁっ」と吐息を漏らしたワーグは、ソウルズと向かい合う。
いつもの仏頂面ではなく、自信満々な笑みを浮かべた彼と。
一体どういうつもりで、こんな真似をしたのか。
いや、答えてもらわずとも薄々判っている。
遠征前に特訓を受けていた頃から、予兆はあった。
自分との距離感が、師匠と弟子にしては近すぎるのではないかといった。
ただ、それはソウルズへ憧れるあまりに自身で生み出した妄想、自惚れだとワーグは考えていた。
妄想でも自惚れでもなかった。
ずっと狙っていたのだ、こういった真似ができるチャンスを。
今だってワーグが睨んでいるというのに、ソウルズの指がワーグの後ろに潜り込んできて、少し動かされるだけでも意識が乱れてしまう。
ぎゅぅっと抱きついたワーグの頭上に、ソウルズの声が降り注ぐ。
「嫌か?」
「……嫌、だったら、とっくに突き飛ばしてます」
「正直でよろしい」
頭を撫でられたかと思うと、またキスされて、尻穴をグチュグチュにかき回されて、ワーグの思考が霧がかる。
こんなふうにされてみたいという願望は、常にあった。
ソウルズにされる妄想を脳内で展開しながら、自慰にふけった夜もあった。
何人もの女の子に咥えさせたりしたが、手で扱かれるのは、また違った感覚がある。
背中がゾクゾクするけど、嫌じゃない。
気持ちいい。自分で扱くよりも、ずっといい。
ソウルズの手の動きが激しくなるにつれ、ワーグの全身が火照ってくる。
水中だというのに、身体が燃えるように熱い。
声にならない喘ぎを漏らしながら、ソウルズの逞しい肉体へ抱きつくしかできない。
「んっ、ソウルズさん、俺、俺、もう」
ビクビクと全身を震わせるワーグに、ソウルズがニヤリと微笑み「そろそろ、いっておくか?」と尋ねた時。

「危ない!」

焔の怒鳴り声、それと同時に二人を囲むように竜巻が発生し、水中からは大きな影が飛び出した!
「ほげぇっ!?な、なんじゃありゃー!」
遠目でも巨大な影は異形の怪物だと丸わかりで、グランドが悲鳴をあげる。
異形の怪物、そう呼ぶしかない姿だ。
蛇のように細長くありながら、胴体からは手足が生えており、鋭い爪が光っている。
顎まで裂けた口の中に、びっしり並ぶのはギサギサの歯だ。噛みつかれたら大流血間違いなしであろう。
全身が緑色に光り輝き硬い表皮を見せている。
そんな奴が宙に浮いて、ソウルズとワーグの二人へ襲いかかろうとしていた。
今は風の唱えた竜巻状の魔法が守ってくれているからいいけれど、あれが消えてしまったら大ピンチだ。
「ななな、何あれ、何あれー!?ファルさん、なんとかしてぇぇっ」
パニックに陥ったレーチェにローブの襟首を引っ張られながら、ファルも必死で思考をフル回転させる。
この位置からじゃ結界が届かない。
風の魔法は、よく届いたもんだ。さすが亜種族というべきか。
怪物を攻撃するのは悪手だ。こちらを襲ってきたとして、未知の怪物がどう動くかも判らない。
どうする、どうすれば二人を無事に助け出せる?
「あわわわ、誰か、二人を助けてあげてぇぇー!」
見習いと同等のパニックに陥ったファルを見て「ええぇぇ、ファルさん……!?」とエルヴィンがドン引きした時、一陣の風が皆の頭上を飛び越えた。
ひゅん、と風切る音も聴こえた直後、ソマリは目を見張る。
目の前でピタリと動きを止めた怪物が一拍置いた後、バラバラと輪切りになって崩れ落ちていくではないか。
何が起きたのか判らない。
一時たりとも目を離した覚えはないのに、切られた瞬間が見えなかった。
さっきの風切音が攻撃の音だったとして、攻撃したのは一体誰?
素早く辺りを見渡し、再び、あっと驚く。
さっきまでいなかったはずの風の姿を、ソウルズの真後ろに見つけた。
怪物と間近な位置にいたソウルズとワーグにも、風の攻撃は目に留まらなかった。
一、二秒、怪物が動きを止めたと思った直後、バラバラになったのだから。
焔にしても同じ、風がいつ攻撃を仕掛けたのかは見えなかった。
奴は呪文を放つと、すぐに皆の頭上を飛び越してソウルズのいる処まで辿り着き、例の大鎌で一撃の元に葬り去ったことになろう。
助走なしで皆の頭上を飛び越えた跳躍もさることながら、ひとっ飛びで、あの場所へ降り立ったのも驚異だ。
改めて思う。この男、何者だ。
ジャンギには別の街から来た客人だと紹介されたが、今のは、どう考えても人間業ではない。
遠目に疑いの視線を向けられながら、風は低い声でソウルズへ囁く。
「状況を弁えろ。今は遊んでいられる状況ではない」
「助けてもらったことには礼を言おう。だが……この湖に怪物が出たのは、今日が初めてだ」
ソウルズも低く囁き返す。
「あのような怪物も、森に生息していない」
「引退して久しいのだろう?」と問う風へ首を振り、「森の生息怪物は、ここ数十年変わっていない。変わっていれば報告が必ず入るはずだ」とソウルズは言い張った。
着替えた二人と共に皆の元へ戻った風は、「すごいです!風さんっ、どうやって怪物を倒したんですか!」と興奮気味に大賛辞を浴びせてくるエルヴィンを手で制し、焔へ尋ねる。
湖で遭遇する怪物は何がいるのかといった問いに、焔は「ここは安全地帯だ。だからこそ怪物が出た瞬間、我々は虚を突かれたのだ」と答え、ここが過去に一度も怪物が出現しない場所であったと証言する。
「あの跳躍、そして一撃で未曾有の怪物を倒したのも人間業と思えぬ。お主、一体何者だ」とも尋ねられ、しばしの沈黙が場を包み込む。
ややあって、風が小さく呟く。
「……外から来た客人。それでは納得しないか」
何もない空中から大鎌を取り出し、刃先を焔の顔面へ突きつける。
直後、激しい頭痛に襲われて、焔は「ぐぁっ!?」と地面に膝をついた。
否、焔だけではない。
つい先ほど気絶から目を覚ましたマーカス以外の全員が、バタバタと地へ倒れ込む。
闇が湖周辺を包み込み、何秒、何分と大地に横たわった状態で時が過ぎてゆく。
「あ、あの……え、これ、皆どうしちゃったの……?」
きょろきょろ落ち着きなく辺りを見渡す彼の耳に、風の声が入り込む。
「間の悪い奴だ。いや、あれを見ずに済んだのは、間がよかったと言うべきか」
「え……、あ、あの、皆どうして気絶しているんですか?」とマーカスが問うも、「巨大な怪物と戦った結果、テントに戻る体力が残らなかっただけだ」と答えて風は踵を返す。
「あ、ちょっと、どこへ」
追いかけてくる質問には答えず、藪の中へ消えていく背中を、マーカスは動揺の眼差しで見送った。
どうしよう、どうしよう。
怪物がウジャウジャ出てくる森で単独行動するなんて、絶対間違っている。
けど、皆も放っておけない。気絶している間に怪物が襲ってきたら全滅だ。
それから何時間と過ぎて、木の葉を揺らす風の音でグラントが目を覚ます。
「あ……あれー?なんで俺、こんなとこで寝て」
途端「わぁぁぁ!」とマーカスに抱きつかれ、咄嗟に払い除けた。
「ぴぎぃっ」と地面に激突するマーカスを見て、先に目を覚ましていたらしいレーチェが「あ、ひどーい。グラント、マーカスに乱暴しないであげてよ」と非難してくるのには「だ、だってよ、そいつが突然抱きついてきやがるんだもん」とグラントも慌てて弁解する中、起き上がったマーカスが目を覚ましたばかりの焔へ泣きついた。
「たっ、大変です、大変なんです!風さんが一人で藪の中へ入っていっちゃって」
だが、焔ときたらポカンと呆けたのちに妙なことを言ってくるではないか。
「カゼ?誰だ、それは」
この反応にはマーカスも「え?」と呆け、その肩をポンポン叩いてきたのはファルだ。
「風さんを知っているの?情報通ねぇ〜。そうなの、彼も探索へ同行する予定だったんだけど、前日に別の用事が入っちゃって、今回は来られなかったのよ〜」
ソウルズも「今回の同行斡旋所員は、大五郎と神坐の二人だけだ。見ていなかったのか?」等と言っており、マーカスは大いに動揺する。
――何を言っているんだ?
ついさっき、数時間前まで一緒に戦ったりもした相手を、護衛の全員が忘れている。
いや、忘れているのは護衛だけではない。
ワーグなんかは心底こちらを軽蔑した目で「お前、大丈夫か?気絶していた時間が長すぎて変な夢でも見たんじゃないのか」と嘲笑ってくる。
どういうことだ。皆が一斉に気絶したのと記憶の消去には、何らかの関係があるのか。
「――鋭いな」
低い声がマーカスの耳を撫でて「え?」と振り返った瞬間、何かがシャキンと空を切る音も聴いた。



気が、した。



再び目覚めたマーカスは、自分がテントの中で寝ていたのに気づく。
「あ、あれ?」
コツンと頭を小突かれて「あれ?じゃねーよ、やっと起きやがって」と頭上にグラントの文句を聞いた。
「今日は大変だったわ。湖では未知の怪物が出てくるし、あなたは全然目を覚まさないし」
ソマリにまで嫌味を言われ、半分涙ぐみながらマーカスはテントの外に黒服の姿を見つける。
風だ。いて当然なのに何故か安堵を覚える自分がいて、自分でも不思議に思う。
「ま、いいじゃねぇか。おかげで護衛の活躍を間近に見られたんだから」
ワーグも相変わらず羨望の視線をソウルズへ向けているしで、マーカスは己の中に生まれた疑問をすり潰す。
なんだろ、今の感情は。まぁいいや、きっと気のせいだ。
「しかし、あのような怪物が出現するようでは、湖も安全地帯ではなくなったな……どうする、探索を打ち切って街へ戻るか?」
焔の発言に全員が耳をそばだてる。
「えーっ、ここで終わり!?まだ序盤っすよねぇ!」とグラントが喚き、レーチェも不満げに「まだリタイアする重傷、誰も負ってないのに戻るんですかぁ?」と文句を言う。
全ての決定権はソウルズへ委ねられ、ややあって彼は決断を下す。
「いや、中央にある気配が何なのかを調べるまでは続けよう」
「中央にある気配、ですか?」と尋ねたエルヴィンには、ファルが「森の中心部にね、ずっと動かないで立ち止まっている妙な気配があるのよねぇ。最初は怪物かと思ったんだけど、同じ場所から動かないのって変じゃない?」と質問に質問で返してきて、エルヴィンを「え、いや、こちらに聞かれましても……」と困惑させた。
「すっげー!そんな遠くの気配まで判っちまうんだ、さすが引退騎士!」
感心するグラントの横で「ブランクがあっても、気配察知って出来るんだね」とレーチェも感嘆を漏らす。
結局、今日は探索をおしまいにして野営の準備に入った。
25/07/10 UP

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