「へーっくしょい!」
辺り一帯に響き渡るクシャミをかまし、少女はズルッと鼻水をすする。
これは……花粉症でなければ風邪でもない。直感だ。
誰かが今、絶対を連呼した!
誰かとは、この世界に生きる種ではないことだけは確かだ。
ここは、平行神界。
亜空間と呼ばれる異世界の一つで、住民は雲の上で生活している。
他の世界と交わることなく存在していながら、こちらから他世界への干渉は可能であった。
平行神界の住民――自らを絶対天使と呼んだ――は、時折気まぐれに他次元の世界を訪問する。
何をしに行くのかといえば、望みを持つ人を助けるために。
善も悪も関係ない。
彼ら視点で判断して、強い望みを抱える人を、彼らの能力で助け出す。
"絶対"を誓うことで、望みを絶対のものとした。
相手が喜んでくれたら、絶対天使も嬉しくなる。至上の喜びだ。
「……確かめなきゃ」
少女は鼻紙でチーンと鼻をかむと、背中に生えた羽根を忙しなく羽ばたかせる。
向かうのは、エンデルの泉。
存在する他次元の動向を全て見渡せる便利な水場だ。
絶対天使は、ここで望みを持つ人を探して他世界へ出かけるのだ。
泉には一人の女性が佇んでおり、近づいてきた少女へ軽く会釈する。
「あら、ごきげんよう、アーステイラ」
「ごきげんよう、シノクル」と会釈し返し、さっそくアーステイラは泉を覗き込んだ。
「あらあら、そんなに急いじゃって。また直感が働いたのかしら」
シノクルはエンデルの泉を管理する絶対天使だ。
彼女が、どこかの世界へ出かけたという噂をアーステイラは聞いた覚えがない。
きっと彼女は誰かを助けるよりも、泉の管理をしていたほうが幸せなのだ。
変わり者だ。だが、こうした者も世界には必要なのだろう。
何度も他次元へ出かけて絶対達成を繰り返してきたアーステイラには、いまいち理解できないが。
誰かを助けるのは、いい。
かなえるまでの困難を解決していく工程は楽しいし、達成した時の快感は何物にも代えられない。
お金が無くなって死にかけた老人。
愛を受け入れてもらえず、誰にも信用されなくなった中年男性。
同種を殺しすぎて行き場がなくなり、死神に命を狙われる青年なんてのもいた。
罪人認定された者であろうと関係ない。
絶対天使に、その世界の理は通用しない。
"絶対"金持ちになりたい。
"絶対"永遠の愛がほしい。
"絶対"生き延びたい。
難しい望みであればあるほど、アーステイラは燃えた。
貧乏乞食には、一生かけても使いきれないお金が手に入る機構を作った。
愛に飢えた中年には、彼を一生かけて愛する理想の人工生命体を与えた。
同種殺しの青年は異世界、それも彼の住む世界とは異なる次元へ飛ばしてやった。
絶対天使は対象の望みをかなえた時点で、平行神界へと帰ってゆく。
そうしないと望みをかなえた人は、かなえた後も延々こちらを頼ってしまうからだ。
だから、その後の人生で彼らがどういう結末を迎えたのかはアーステイラも知らない。
きっと幸せに暮らしたはずだ。
泉を覗き込むと、空を映していた水面がゴボゴボと泡立ち、やがて一つの世界を映し出す。
砂地の続く乾いた景色が映されたのも一瞬で、勢いよく画面が流れてゆき、緑一色の草原地帯へ出る。
これは――学校だろうか?四角い建物が見える。
さらに視点が動き、道を歩く少年少女が映し出された。
「そうだ、帰るついでに明日の予定を立てておこうぜ。皆は、どんな依頼なら受けてみたいんだ?」
大柄な少年の問いかけに答えたのは、傍らを歩く長髪の少女だ。
「そうね。私は食材を集める依頼をやってみたいわ。原田くんは、どう?」
原田くんとは、大柄な少年の反対隣を歩く少年の名か。
彼は、しばし空を眺めて悩んだ挙句、ポツリと答えた。
「……できるだけ遠い範囲に行けるような依頼であれば、なんでもいい」
原田くんの反対隣を歩く小柄な少女が、ぷぅっと口を尖らせる。
「も〜。なんでもいいはズルイよぉ。私は薬草集めしてみたい!」
「俺は早く戦いてぇ!」と大柄な少年が叫び、長髪の少女が窘める。
「戦ったら駄目よ。教官だって逃げろと言っていたでしょう?ねぇ、原田くん。もし私だけ逃げ遅れてしまったら、あなたは助けてくれるかしら」
原田くんとやらが返事をするより先に、小柄な少女が反応した。
「大丈夫だよー!ジョゼちゃん一人置いて逃げたりしないし」
大柄な少年も同調する。
「おうよ!チームメイトは一蓮托生、絶対全員で生き残って依頼を成功させるんだッ」
髪の長い少女、ジョゼちゃんは少しスネた表情を見せて、二人を睨みつける。
「そんなのは当然よ。もしものパターンを尋ねただけじゃない。もし二人っきりで迷うようなことがあっても私は絶対に原田くん、あなたを見捨てたりしないわ」
どうあっても原田くんと話したい彼女を遮る形で、ちっこい少女とデカブツが騒ぎ立てた。
「だから二人で迷うような事態には絶対しないってばー!」
「そうそう、常に五人固まって動けば問題なしだッ」
「……ふむ、ふむ?絶対生き残りたい、絶対二人っきりにはさせない?」
判ったような、判らないような。
一蓮托生で常に固まって動くなら、二人きりになる危険は少なかろう。
気になるのは、原田くんと呼ばれた少年の反応だ。
最初に答えたっきり、あとは全く何も話していない。
デカブツの望みは、絶対全員で生き残って依頼を成功させること。
ちっこい少女の望みは、絶対ジョゼちゃんと原田くんを二人きりにさせないこと。
ジョゼちゃんの望みは、絶対原田くんを見捨てないこと。
では、原田くんは、どうなのだ。
これだけ"絶対"と強い望みを言葉に出す者が集まる中で、彼は何も望んでいないのか。
「シノクル。彼に……原田くんって子に照準を併せてもらえるかしら」
アーステイラの要求に、シノクルが小首を傾げる。
「この子が、どうかして?」
「皆、強い"絶対"があるのに、この子だけ何もないのが気になるの」
「今は特に何も望んでいないのではなくて?」
シノクルの予想にも、アーステイラは首を振った。
「話の前後から考えるに、彼らは危ない場所へ出かける予定なのよね……?なのに、仲間に対して何も思わない人がいるかしら。言葉には出していないけど、心の中に何か望みを抱えているかもしれない」
異世界の風景を映し出すだけが、泉の機能ではない。
誰か一人にピントを併せれば、心の奥を映し出すことも可能だ。
ぐぐっと視点が急接近して原田くんのドアップを映し出す。
彼の心の声が、言葉となって流れてきた。
明日の依頼が待ち遠しい。
そして、必ず成功させたい。仲間たちの為にも――
「ほらぁ、やっぱりあったのよ、必ずって言ったもん。必ずってのは絶対と同意語よね!」
「言ってはいないけれどね。えぇ、思っただけで」
シノクルのツッコミを完全無視し、アーステイラはグッと両拳を握り締める。
決めた。今回のターゲットは、この子たちだ。
幾多の絶対が同時発生する集団は初めて見たし、全員の願いをかなえるのは骨が折れそうな半面やりがいもある。
「わたし、この世界に行ってみる!」
「物好きねぇ。ま、いいけど」と独り言ちて、シノクルが泉の横にあるスイッチを弄り始める。
再びゴボゴボと泡立つ水面に、神界語で世界の情報が綴られた。
「えぇと、この世界は……エイスト13年ファーストエンド?あらあら、滅びる寸前の時代なのね」
「えっ?滅びちゃうの、この世界。うっそー!」
驚く少女を振り返り、泉の管理者は事も無げに頷いた。
「そっ。何度も滅びかけては年号を変えて復興する世界なんだけど、さすがに三回目は無理だったみたい」
「ふーん……学習能力がないのか、それとも住民の業が深すぎるのか……ま、いっか」
驚いたものの、滅び自体は案外どうでもいいのか、アーステイラは気分を切り替えて泉に身を乗り出した。
いずれ滅びる世界だとしても、問題ない。
今の望みをかなえるのが絶対天使の役目であり、喜びだ。
待ってなさい、原田くんと仲間たち。
わたしが絶対、あなた達の望みを全部かなえてあげるんだから。
泉に飛び込んだ直後、そういやファーストエンド?どこかで聞き覚えがあると彼女は思い出す。
そうだ。以前、同種殺しの青年を送ってやった世界じゃないか。
彼自身が望んだのだ。あの世界の未来に飛ばして欲しいと。
ついでに時空も弄ったから、未来は未来でも並行世界の未来になったはずだ。
いずれ滅びる予定の世界だったとすれば、並行世界に送ってあげたのは偶然のラッキーだ。
よかった。彼が滅びずに済んで。
今から行くのは滅びる予定の未来ファーストエンドだが、滅びるのは何年後ぐらいなのか。
これから助ける子供たちが寿命を終えた後であってほしいと、アーステイラは強く願った。