ジェナック&マリーナ
この世界に降り立ったジェナックとマリーナが一番最初に行ったのは、森で遭遇した狼退治であった。三十匹ぐらい倒した辺りで、ついにジェナックの体力がゼロになり、気がつけばマリーナと二人、ゲートの下でノビていた有様で、対人モードをオフにしていないのにPEやPKで襲われなかったのは、奇跡という他ない。
勿論、それらの存在を知った後も、ジェナックは対人モードをオフにしようとはしなかった。
彼曰く、戦闘は緊張感あってこその醍醐味だそうだ。
そんな彼を影ながらサポートすべく、マリーナも対人モードをオフにしないと心に決める。
オフにしてしまうのは何となく、彼の心意気に対する裏切りのような気もした。
毎日のように狼と戦い、とうとう狼ハンターマスターの称号を手に入れたジェナックは、さらなる強い敵を求めて遠出しようと言い出した。
マリーナは反対するでもなく、同行を願い出る。
二人は、いつしかモンスター狩りコンビとして、中級狩り場での有名人になっていた。
「しかしマリーナ、お前も酔狂な奴だよな」とジェナックに言われて、マリーナはどきりとする。
「どうして、そう思うの?」
「俺の戦闘につきあう必要ないだろ。お前はお前で好きに楽しめばいいじゃないか」
至って気楽な答えが返ってきた。
この世界に閉じこめられたというのに、全然苦にしていない様子だ。
そうもいかないわよ、と言い返してマリーナはジェナックを見つめる。
「この世界での戦いも楽しいけれど……一刻も早く現世に戻らないと」
ふぅっと大きく溜息をついたジェナックが、意外な一言を吐き出した。
「そう、急ぐ必要もない」
「えっ?」
「急いで帰ったところで、メイツラグ海軍とのつまらん馴れ合いが待っているだけだ。それよりは、ここで疑似戦闘を楽しんだ方がいい」
戦っていれば何でもいい男らしい事を言う。
一度は呆れたマリーナだが、疑似戦闘には死の概念がないことを思い出し、それもいいかと思い直す。
マリーナもジェナックの楽しそうな顔が見られればいいという、単純な思考の持ち主であった。
来る日も来る日も限界までモンスターを追い回していた甲斐があって、ようやく二人はレベル35になった。
「第一次転職か。マリーナ、お前はどっちにする?」
「そうねぇ」
二人のクラスはストレンジャー。
第一次転職で選べるのはモンクとカラテカだ。
モンクは回復魔法も使える格闘家のような職業で、カラテカは魔法を使えない代わり攻撃力が極端にあがるらしい。
「魔法を覚えるにしてもスキルブックが必要なのよね?」
最初は回復薬がかさみにかさみ、なんで二人とも肉弾戦なのよとマリーナの脳裏は愚痴でいっぱいになったりもしたのだが、腕をあげるうちに薬も次第に必要なくなり、今じゃ回復なしの徹夜でだって戦いぬける体力と根性がついた。
「あぁ、そうだな」
ジェナックは頷き、つけたした。
「俺はカラテカ一筋でいこうと思っている」
大方の予想通り、魔法を避けてきた。
まぁ、魔法を唱えるジェナックなんて想像できない。
「そうね、あなたには前衛を張ってもらいたいから……私がフォローに回るわ」
「モンクになるのか?」
少し驚いた調子のジェナックへ「えぇ」と頷くと、マリーナは彼を促した。
「さぁ、それじゃ行きましょ。試練の場へ」
転職するには特定フィールドへ赴き、転職クエストなるものを突破しなければいけないらしい。
ストレンジャー専用フィールドへ移動した二人を待っていたのは、他にも転職を希望するプレイヤー数人の姿であった。
皆、進行役のNPCに群がっている。
進行役のNPCは美しい中年女性だ。
名をジョゼというらしい。
「よくぞ参られた。ここは次なる高見へ登り詰める為の、試練の場である」
すかさず背後のプレイヤーが、もみっと彼女の胸を揉み、ジョゼの台詞が途中で「あふぅんっ」と色っぽく途切れる。
「おい、やめろよ。話が進まない」と注意している他のプレイヤーも顔は笑っていて、本音じゃ楽しんでいるようだ。
再びジョゼが何事もなかったかのように厳粛な顔つきに戻り、話を再開する。
「お主達には、鷹の山へ登りゴールドキマイラの爪を」
途中で「ん、あんっ」と艶っぽい声をあげ、NPCが可愛く悶える。
またしても背後のプレイヤーが会話を妨害して、ジョゼの首筋に舌を這わせるというエロ行為を仕掛けたせいだ。
外見は4、50代のおばさんに見えるのに、エロモードのスイッチが入るたびに可愛くなるのは猛烈なギャップだ。
それが楽しくてやっているんだろうが、とっとと転職したいジェナックとマリーナにとっては邪魔以外の何物でもない。
「お主達には、鷹の山へ登りゴールドキマイラの爪を取って、あ、あんっ、だめぇっ、そこは、あんっ!」
再び巻き戻った会話を妨害された時、たまらずジェナックは怒鳴り散らしていた。
「おい、いい加減にしないかッ」
怒鳴るばかりではなく、妨害プレイヤーに攻撃も仕掛けていた。
「げふっ!」
ジェナック渾身の一撃を受け、妨害していたプレイヤーが派手にぶっ飛ぶ。
「だ、駄目よジェナック」とマリーナが止めるも一足、いや二足ばかり遅かったようで、やられたほうも立ち上がり「何しやがんだ、てめぇ!」とジェナックへ掴みかかって、上や下への大乱闘。
お互い対人モードがオン状態、PKの始まりだ。
せっかくここまで無傷で到着できたというのに、つまらない喧嘩で負けてゲートへ戻されては、たまらない。
「もう、いい加減にしなさい二人とも!」
止めに入ったマリーナは、興奮した相手プレイヤーに思いっきり胸を掴まれた。
「邪魔すんな!テメーも乳揉まれてーのか、このア」
アマ、と言い終える前に、男の顔面へ拳骨が二つ飛んでくる。
「何すんのよ、この変態!!」「俺の相棒に妙な真似をするなっ!」
哀れ悪ふざけの過ぎたプレイヤーは、マリーナとジェナック双方の鉄拳を食らってゲートへ逆戻りだ。
相手をぶっ飛ばしてから、マリーナは「はっ!?」と我に返ったが、時既に遅し。
他のプレイヤー達は遠巻きに彼女を見ているし、誰も言葉を発さないしで、試練フィールドは重苦しい雰囲気に。
結果として騒ぎを大きくしてしまったマリーナは、一気に羞恥心が芽生えて、顔を真っ赤にしながら相棒を促した。
「え、えっと。こほん。ジェナック、進行がうまくいかない時は速やかにチャンネル移動しないと。こんな程度で争っていたら、何百回とPKするハメになっちゃうわ」
本当は彼が乱闘を始める前に言うべきであった。
「あいつはお前の胸を揉んだんだぞ?ゲートに戻って当然の下品野郎だ!」
ジェナックはまだ鼻息荒かったが、マリーナは有無を言わさずチャンネル移動。
移動した先は無人のフィールドでホッと溜息をつく。
そして、ジェナックに頭を下げた。
「……ありがとう、庇ってくれて」
「ん?」
「あいつがセクハラしてきた時、一緒に殴ってくれたでしょう?」
「いや、当然だろう。お前は俺のパートナーなんだからな」
輝く笑顔で受け応えられて、マリーナの頬は赤くなる。
しかしながらジェナックは、さっさとジョゼに話しかけ、マリーナのテレる様子を一部始終、全く見てくれていなかった。
山に登ってゴールドキマイラと戦って、爪をドロップさせるまでが試練であった。
この後なかなかドロップしない爪にジェナックが癇癪を起こしたりと一波乱あったのだが、なんとか二人は爪を持ち帰り、妨害するプレイヤーもいない無人チャンネルで晴れて無事に第一次転職を終えた。
「最初からチャンネル移動すりゃ良かったんだな」
物知り顔で呟くジェナックに、マリーナは、こっそり溜息をついたのだった……