7話 フィナーレの時間だよ
一番最初に出発したにもかかわらず、長田と三島の両名は、未だ墓石の元まで辿り着けていなかった。というのも……
「ふぅんっ!ぬぅんっ」
「くっ!」
三島は繰り出されるモミモミ手つきを寸前でかわす。
先ほどから、ずっと、この巨漢に襲われている。
藪の中から現れた男は三島を見るや否や「貴殿の隠されし胸板、如何なる厚みか儂が計ってくれようぞ」などと宣い、抱きつこうとしてきたのだ。
一度目の奇襲では不覚を取っても、二度目は許さない。
そうしたわけで、巨漢の手から逃れまくっていたという次第だ。
「はぁっ、はぁっ……そ、そろそろ儂にモミモミさせてやろうという気は起こらぬか?」
「起きてたまるか、この変態ッ」
別に胸を触られたところで、どうということはないのだが、男の言い方が鳥肌もので気持ち悪い。
大体何故、三島を触ろうとしてくるのか。
男の胸板が好きなら、自分の胸でも触っていればいい。
そう突っ込みたくなるほど、男は見事な筋肉質であった。
ツレの長田は、というと、こちらも先ほどからビアノなる小娘に追い回されて膠着状態にある。
こちらは絶対的な身長差の前にリーチでセクハラを防いでいるが、何しろしつこい。
追い払ったと思えば数分後には復活して、再び藪の中から奇襲をかけてくる。
恐らく両方とも、思う存分触らせてやれば、満足して帰るのだろう。
しかし、その間の不快を考えると、三島も長田も、彼らの思い通りにさせてやる気にはなれなかった。
もはや肝試しというよりは、セクハラ攻防大会である。
何度目かの突撃を、ひらりと躱して、長田は何度目かの説得をビアノへ試みた。
「ごめんな。俺は好きでもない赤の他人に体を触られるのは嫌なんだ。こういった人は俺以外にもいると思う。だから、もう、こんな事はやめるんだ」
「ふふん、そう言われると余計燃え上がるのがセクハラ根性ってものよ!」
「その根性、セクハラ以外で生かそうとは思わないのかい?」
「駄目ね。あたしからセクハラを取ったら、何も残らないわ」
「そんなことはないだろ。可愛さが残るじゃないか」
「やだぁ〜そんなミエミエのお世辞で、このあたしがなびくと思ったら大間違いなんだから。結婚を前提に、まずは心ゆくまで雄っぱいを揉ませてくださぁ〜い」
根本から会話が繋がらない。
相手は自分の主張を押し通すばかりで、こちらの意見に耳を貸そうともしない。
ストーカーにつけ狙われる人々も、こうした恐怖や絶望感を味わっているのだろうか。
言葉は通じるのに、意志が通じないというのは悲しいものだ。
ビアノの猛攻をかわす長田の背後で、藪がガサリと音を立てる。
また誰かオバケ役が来たのか?と思う暇もなく、長田は背後から、がっちり誰かにホールドされた。
「だっ、誰だ!?」と誰何すると同時に、長田は肘鉄をくれてやる。
肘鉄は背後にいる誰かの鳩尾へ容易く決まり、「おうふっ」と、くぐもった声をあげて相手は蹲る。
「うわっ……あんた、顔に似合わず武闘派なのね」
「まぁね。一応、これでも刑事だから」
本音を言うと武力で対抗したくはなかったのだが、二対一の劣勢とあっては、やむを得まい。
長田の意外な暴力行為に驚いたのか、ビアノは大きく間合いを外して警戒している。
それには構わず背後から奇襲してきた相手を見てみると、顎には無精髭を生やし、男らしい眉毛が特徴の、長田が非常によく見知った顔であった。
「たっ、高明!?高明、なんで君が俺をっ」
「お、おぅ……さっき、ここ来る途中で内木巡査に会ってよ……お前を上手く驚かしたら一万円くれてやるって言うから」
「金で動いたのか。最低な親友だな」
「三島さん……いえ、彼は、きっと軽い気持ちでやっただけだと思います」
「軽かろうが重かろうが、性犯罪は性犯罪だ。親友でも罪は認めるべきだろう」
「せっ、性犯罪って、後ろから軽く抱きついただけですぜ!?」
ちょっとハグしただけで性犯罪者にされては、たまったものではない。
痛みも忘れてガバッと立ち上がった広瀬は、視界の向こうに脇腹を押さえて蹲る巨漢を見た。
こいつも三島警部に反撃されて、ノックダウンしたクチか。
脅かすのも命がけだ、この肝試し大会は。
「軽く?俺には、がっちり両手でホールドしているように見えたが」
「そっ、それは……勢いでッ。でも、それ以上何をするつもりもありませんでした!」
「ふん。性犯罪者は皆、そう言うのだ。自己保身のために」
「い、いや、あの、三島さん。これは、彼と俺の間では、よくやっている行為でして」
うっかり攻撃してしまった手前、何を言っても友達を庇う言い訳にしか聞こえまい。
三島との押し問答が始まった頃から、ビアノがじりじりとすり足で移動しているのを、長田は横目に捉えていた。
自分と三島のどちらに襲いかかるつもりか知らないが、また避けなくてはなるまい。
「ふ、ふぅぅんっ!ぬぅ〜、まいった、まいった。さすがは見事な胸板の持ち主、機敏な動きよのぅ。いや、鍛えられておる。素晴らしく儂好みじゃのぅ、わっはっはっ!」
ぬぅっと巨漢も復活してきて、三島は眉間に縦皺を濃くして振り返る。
「まだ諦めないつもりか?やるというのならば、こちらも全力で抵抗させてもらう」
「いやいや、お待ちあれぃ。もう、揉ませろとは言わぬ。ただ浴衣の胸元をはだけてな、チラッと見せてくれさえすれば良いのじゃ。ぬふふ」
「あっ、いいわね、それ!あたしも見た〜いっ♪」
性犯罪者というのは、どうしてこう、往生際が悪いのか。
そして何故、相手が素直に言うことを聞くと思いこんでいるのか。
物事の道理が判らぬ奴には制裁が必要だと、三島は常に思っている。
故に、それを実行した。
「はッ!」
「おぼうっ!!」
三島の蹴りはピンポイントな正確さでもって巨漢の股間にクリーンヒットした。
それこそ、長田が止める暇もないスピードで。
「おぼぼぼ……」と口から泡を吹き出して崩れ落ち、股間を押さえて白目になる巨漢の側で、ビアノは油断なく身構える。
まずい。
今はまだ相手も女子だと思っているから手加減してくれるだろうが、ついていると知られたら一巻の終わりだ。
そんなビアノを睨みつけ、三島が啖呵を切る。
「俺は女子だからとて手加減はしない。そのつもりでかかってこい」
「三島さんっ!?過剰防衛は、まずいですよ!」
「過剰防衛?違うな、これは制裁だ」
「いやいやいやっ、余計マズイじゃないですか制裁は!!」
長田と広瀬が必死に止めても、完全にキレてしまった三島は止まりそうにない。
と思っていたら、ビアノが「はっ!」と威勢の良いかけ声と共に意味もなく空中三回転して、逃げ去っていった。
手を出さないのが二人いるとはいえ一応数の上では三対一だから、形勢不利と見たのか。
何にせよビアノが逃げてくれて良かったと、長田は心底ほっとした。
昏倒する巨漢はその場に置き去りにして、長田と三島は奥へ進む。
広瀬も一緒だ。
「いやぁ、先ほどの一撃は見事な蹴りでしたね。三島警部は空手でもおやりになっていたんですかぃ?」
「そんな大層なものではない。ただの自己流だ」
「そういや、高明。きみは浴衣じゃないんだね」
「ん?あぁ、俺は脅かし役に割り振られていたからな」
「その割には素顔のようだが」
「あ〜。いや、仮装も用意されてたんですがね、着る気になりませんで」
「どうして?」
「ん〜。なんつーか、如何にも仮装っちぃと逆に驚かないんじゃないかと思ってよ。だってお前、今時『うらめしや〜』って言われて驚くか?俺は驚かんぜ」
「状況にもよるよ。さっきみたいに背後から突然抱きつかれて、振り向いて幽霊メイクだったら、きっと悲鳴ぐらいは出ていたんじゃないかな」
「なんでぇ、そんなら仮装してくりゃ良かったぜ」
「友情を犠牲にしてまでの一万円を損したな」
「いっ!?いや、だから、そいつは悪かったと思って……すまんっ、厚志!!」
「いや、いいよ……うん。高明なら、別に抱きついても」
刺々しく会話に混ざってくる三島には、長田も広瀬も冷や汗で対応するしかない。
次第に口数の減る親友を横目に、長田は考えた。
この肝試し、最初から広瀬と二人でコンビを組んでいたら、もっと楽しかっただろうに。
三島も嫌いではないのだが、如何せん根が真面目すぎるのと、思い込みが激しく反論を許さない部分が苦手であった。
「そういえば」
「は、はい」
「内木が、まだ出てきていないな」
「あ……言われてみれば、そうですね」
セクハラ二連発で忘れていたが、脅かし役の本命と、まだ遭遇していない。
心臓を止めるぐらい驚かしてやると言っていたのに、どこに潜んでいるのか。
出るとすれば、やはり墓石付近だろうか?
長田が思案するうちに、前方に墓石らしき物体の影が見えてきた。
「墓石付近で出現すると想定して、だ。長田、お前なら内木がどのように出現すると予想する?」
「え……そうですね。墓石の影から立ち上がるか、或いは後ろの木につり下がるぐらいの真似はしてくるかもしれません」
「そんなアクロバティックな真似、あいつに出来るかねぇ?」
「いや、内木さんの肝試しにかける情熱は、すさまじいからね……俺達の心臓を止めると豪語していたし、それぐらいは、やりかねないよ」
「ならば、つり下がる暇もないほどの速さで墓石に近づき、即座に置いて戻る。この作戦でいくとしよう」
「えっ」
「警部、脅かされるのが怖いんですかぃ?」
「怖いのではない。不快なだけだ」
脅かしに乗ってやるのも肝試しの醍醐味だと思うのだが。
しかし三島は、こうと決めたら長田の言うことなど一ミリも聞いてくれる男ではない。
それは、ここに至るまでの道のりでも、これまでの職場でも充分すぎるほどに判っている。
「判りました。では、誰が墓石へ近づきましょうか」
「俺がいく。お前を危険に晒すわけにはいかん」
「えっ。いえ、危険って言うほどのものでは」
「同感です。厚志、お前は俺と一緒にいろ」
「い、いやいや、ホントに危険なら、三島さんが行くのもまずいんじゃ!?」
「ばか、あれは三島さんの男気だよ!全部任せておきゃ〜いいんだって」
広瀬と長田が取っ組み合う横では、三島が助走をつけて走り出す。
墓石にぐんぐん迫ってきたと同時に、それは現れた。
上空の木々が、ぎしっと重みで揺れたかと思うと、「う〜らめ〜しやぁ〜!!!」と絶叫しながら、逆さ釣りの幽霊が振り子のように、ぶぅんと揺れてくるではないか。
言うまでもない。
顔を白塗りにし、白い着物の幽霊コスプレをしているのは内木だ。
このまま走り込めば、振り子の軌道を計算するに内木と顔面から正面衝突してしまう。
速度を緩めるか、それとも速めるか。
三島の決断は早かった。
なんと彼は、走り高飛びの要領で思いっきり飛んだのである。
そのままの軌道であれば顔面同士ぶつかって双方痛い思いをする処であったのを、片方が上に飛べば、どうなるか。
「ちょっ、ひぎぇぇぇぇ!!!……おふっ!」
ぼふっと顔面から三島の股間に突っ込んだ内木は三島に抱きつかれ、彼の股間に顔を埋める形となった。
さぞや不快な思いをしたことだろう。
自業自得のアクロバットとはいえ、長田は彼女が少々気の毒になった。
華麗に地面へ着地した三島が、涼しい顔で呟く。
「やれやれ。最後まで最悪なセクハラ大会だったな」
「おえっ、ちょ、それを、あなたが言うんですか?逆セクハラしといて!」
「俺は何もしていない。人の下腹部に突っ込んできたのは君だ、内木」
「好きで突っ込んだんじゃありません!ぶつかりそうなら横に避ければいいでしょう!?なんで上に飛んだんですか!」
「まぁまぁ。いいから、内木さんも早く降りないと頭に血がのぼってしまうよ」
「まぁまぁじゃないわよ、あんたも!走るの自体を止めなさいよね!!」
「もう既に、頭に血がのぼりまくっているみてぇだがなぁ」
長田と広瀬の手により地面に降ろされた内木は、まだ何か小声でぶつぶつと詛いの言葉を吐き出していたようであるが、うっすらと白みはじめた空には全員が気づいて、そちらを見上げた。
「夜、明けてしまいましたね……」
「あぁ。肝試しも、これで終わりだ。戻るとしよう」
「よっしゃ、早く帰ってスイカを食べるとしましょうぜ。ほら、内木も」
「ったく、肝試しは帰るまでが肝試しだっていうのに……ぶつぶつ……」
ぶつぶつ呪詛を唱える内木をつれて、長田達はスタート地点へ戻っていく。
だが戻った先でスイカを食べる暇は与えられず、戻ったと同時に視界が大きく歪み――
気がつけば、長田は内木と二人で署内にいた。
六月下旬。
昼下がりの、うだるような暑さの中に……