4話 脅し脅かし大決戦
肝試しなんて小学校を卒業して以来、一度もやっていない。山田の一番古い記憶にある肝試し大会は、子供会主催のやつだ。
近所の寺の、墓地を一周してくる。
ただ、それだけなのに、とても怖かった記憶が、ぼんやり残っている。
何が怖かったのかは自分でも、よく判らない。
場の雰囲気と、墓から来るイメージか?
何故人は、墓地を見ると反射的に怖がってしまうのだろう――
「山田くん」
ぶつぶつ考えている最中にポンと肩を叩かれたもんだから、山田は飛び上がった。
「うひゃあ!」
叩いたのがアキラだと判ると、途端に口を尖らせる。
「もう、アキラくん。いきなり声をかけないでよ、びっくりするじゃないか」
「すまない。だが、足下に犬の糞が落ちているから気をつけろと言いたかったんだ」
「げぇっ!」
山田は不覚にも、全く気づかなかった。
いや、こんな真っ暗な公園で、よくアキラは夜目が利くものだ。
公園と称したが、この公園に遊具は一つもない。
一面藪だ。
その藪をかき分けて歩いていたという次第である。
腕も太股も、ばっちり蚊に食われていて、あちこちが痒い。
アキラは山田と違って、痒がっているようにも怖がっているようにも見えない。
平気な顔で、すたすたと山田の前を歩いていく。
前に出たのは、きっとまた、足下に転がる犬のウンコを山田に教えるためだろう。
「ねぇ、アキラくん」
「なんだ?」
「……オバケ役、全然出てこないね」
「あぁ、そうだな。山田くんは、オバケ役に会いたいのか?」
「うぇっ?い、いやぁ、会わないなら会わないに越したことは」
風一つ吹かず生暖かい夜だ。
出るぞ出るぞと散々脅されてスタートを切ったのに、未だ一人もオバケ役が出てこない。
一体どのタイミングで仕掛けてくるのか。
それを考えると、墓地を一周するだけの肝試し大会よりドキドキする。
ドキドキといえば、前を歩くアキラの浴衣姿にも山田の胸はときめいた。
彼は浴衣の袖を腕まくりしており、焼けた肌が眩しい。
灰色の縦縞で渋い柄なれど、アキラには似合っているように思う。
アキラは大体なにを着ても格好良く見えるのだ。イケメン効果で。
対して自分の浴衣は水風船と金魚が描かれているという、なんとも幼稚な柄で泣けてくる。
アキラは「とてもよく似合っている」と褒めてくれたが、正直この柄が似合っていると言われるのは心外だ。
山田的には、アキラが着ているのと同じ柄の浴衣を着たかったのに。
だってお揃いの浴衣なんて、いかにもカップルめいているじゃないか?
山田は、そっとアキラに追いつくと、腕を組んでみた。
途端に驚いた顔でアキラに振り向かれたので、チロリンと上目遣いでデレてみせる。
普段ならば、こんなサービス、山田も滅多にしないのであるが、何しろ今は肝試し中だ。
恋人アピールしておきたいし、怖いしで。
「アキラくん、一人で先に行っちゃわないでよ。怖いんだから、さ」
「あ、あぁ。すまない、ならば一緒に歩こう」
「あのさ……ところで、今どこらへんにいるのか判る?墓って」
「うっらめっしやぁ〜〜〜!」
いきなり、来た。
山田がしゃべっているのもおかまいなしに、そいつは背後から山田に抱きついてくる。
だが山田がギャアアと叫ぶ暇もなく、くるっと振り向きざまにアキラが鉄拳を食らわせた。
拳はチッと山田の頬をかすめ、寸分違わずオバケ役の顔面を捉えて吹っ飛ばす。
「ぽげぇっ!」
「あっ、アキラくんっ!?」
「山田くんに許可無く触れないでもらおうか!」
見ればアキラは珍しく感情露わに怒っており、眉間に深い縦皺を寄せている。
倒れた相手も見てみれば、額に三角巾をつけて白装束を着た男性であった。
顎にはびっしり無精髭を生やしている。
もちろん、顔に見覚えはない。
男は鼻血を出して昏倒している。一撃必殺だ。
「あ、アキラくん、やりすぎじゃ!?」
「山田くん、抱きつかれて不快じゃないのか?俺は不快だったぞ」
「え……もしかして、嫉妬?嫉妬なの?」
テレながら尋ねるとアキラは「あぁ」と頷き、なんと山田を、ぎゅっと抱き寄せてくるではないか。
いつもシャイで奥手な彼にしては珍しいほど積極的だ。
それだけ、いきなり抱きついてきたオバケ役が気に入らなかったのかもしれない。
「山田くん、俺から離れるな。必ず俺が守る」
「う、うん」
アキラはキリリと険しい表情で、周囲を油断なく伺っている。
警戒心バリバリなアキラの耳が、次の脅かし役の物音を聞きつけた。
「そこか!」と叫ぶや否や藪へ飛び込んでいく彼の背中を、山田は呆気にとられて見送った。
離れるなと言った本人が離れるとは。
どうも、彼の護衛方法は山田の想像を超えている。
「きゃああ!!」
「うわぁ!」
だが、すぐに藪の中からは悲鳴が聞こえ、飛び込んでいったと思ったアキラが慌てて戻ってくる。
何事かと山田が暗闇へ目をこらすと、藪から同じく飛び出てきた少女が、めちゃくちゃ怒った目を二人に向けてきた。
「ちょっと!いきなり飛び込んでこないでよ、ヘンタイ!!」
「す、すいません……次からは気をつけます」
自分は悪くなくとも、山田は平謝りしておいた。
怒髪天だった相手も山田の謝罪に気をよくしたのか、次第に落ち着きを取り戻してくる。
にしても、アキラは何に驚いたのだろう。
山田がアキラを眺めてみると、アキラは露骨に動揺した表情を浮かべ、視線を明後日に逃していた。
「えっと、ヘンタイ、って?」
「藪の中で誰かがしゃがんでいたら、状況ぐらい察してよ!もうっ」
「……?えぇと、アキラくん。アキラくんは何を見たの?」
「聞かなくていいっ!」
またまた女の子の怒りが爆発するもんだから、山田も「ひぃっ!ごめんなさい、ごめんなさいっ」と必死に謝っておいた。
女の子は「今度見たら、絶対殺すからね!」と物騒な一言を残して去っていった。
よっぽど少女にとって見られたくない現場に踏み込んでしまったようだ、アキラは。
――と、そこまで考えて、山田はピンとくる。
「そうか、野グソか!」
「……うん」
再び視線をやれば、アキラは落ち込んでいるようで、心なし返事にも元気がない。
少女が見られたくなかったように、彼だって野グソの現場なんぞ見たくもなかったに違いない。
お互いに不幸な事故であった。
アキラを慰めようと、山田は雑談を振ってみる。
「ねぇアキラくん。これが僕だったら、どうしてた?」
「……僕だったら、とは何が?」
「いや、だから僕が用を足していた現場だったとしたら」
「山田くん。外でするのは、お勧めできない。我慢できなくなった時は俺に言ってくれ。トイレのある場所まで急いで連れていく」
「いやいや、そうじゃなくて、ifだよif。僕の野グソシーンを見ちゃったらどうなのって聞いているんだ。やっぱドン引きで逃げ出しちゃう?」
「えっ、あっ……」
アキラは言葉に詰まって、山田を見た。
一体、どういう答えを期待されているのか。
なお先ほどの藪で展開されていたのは山田の予想通り、少女は大便の真っ最中であった。
てっきり脅かし役だと思って先手を打ったつもりが、申し訳ない事をしてしまった。
もし山田が同じ事をしていたとして、そこに踏み込んでしまったとしたら必死で謝り倒すしかない。
山田に嫌われる――それを考えただけで、アキラの両目には涙がにじんだ。
もう、早くも涙で景色が滲んでしまい、山田には心配される。
「あっ、ごめん。もしかしてシモネタは苦手だった?」
「い、いや……その……」
「ごめんね、しつこく聞いちゃって。ただ、僕のしてる姿に君がどう思うか知りたくてっていうか、うん、もう、この話はヤメだ!」
山田は、さくっとたられば話を終わりにして、アキラを促した。
「さ、アキラくん。残りの肝試しも楽しもう。言っとくけど、脅かし役を倒しちゃ駄目だからな?脅かされるのも醍醐味の一つなんだから」
「でも……オバケ役には会いたくないんじゃなかったのか?山田くんは」
「そりゃあね。でも会わなかったら、それはそれでつまらないだろ?」
会いたくないなら会わないほうがいいし、脅かされて不快になるぐらいだったら先手必勝で倒してしまえばいい。
そう思うのだが、山田は違うという。
難しいものだ、肝試しの醍醐味とは。
今まで一度も、この手のイベントに参加したことのないアキラは、首をひねるばかり。
しかし山田が脅かされるのを楽しみたいというのであれば、従うのが護衛の役目であろう。
藪をまっすぐ奥へ突き進んでいくと、やがて、ぽつんと一つだけ立った墓の前に出る。
あれが平清盛の墓のレプリカか。
ここに至るまで、オバケ役に出会ったのは一人だけであった。
物足りないなぁと思いつつ、山田が墓石の上に石を置いた瞬間。
それは、予期せぬタイミングで真上からビローンと垂れ下がってきた。
「んっぎゃああぁぁぁあああああっっ!!!」
「……山田くんに、不快なものを見せるんじゃないッ!」
山田の眼窩ド真ん前に垂れ下がってきたのは、下半身を丸出しにしたオッサンであった。
山田が絶叫をあげると同時に間髪入れずアキラが飛び出し、正拳を打ち込んだ。
どこにって、おっぴろげられたオッサンの股間、その中央に。
「ぎょぱぁ!」と叫んでブクブク泡を吹き、白目をむいて落ちてきたオッサンなど見もせずに、アキラは「え、ちょ、えっ」と泡食う山田を抱きかかえ、走り出す。
石は置いたのだ。もう、ここに用はない。
あとは帰るだけだ、スタート地点へ。
「ちょ、ちょっとアキラくん、攻撃しちゃ駄目だって」
「あれは、さすがに許せないだろう!人としてッ」
「ん、まぁ、たしかに酷いなとは思ったけど……アキラくん、あんなの殴っちゃ汚いよ」
「山田くんの顔にこすりつけられるぐらいだったら、俺の手が汚れたほうがマシだ!」
オッサンの股間は、ちょうど山田の顔の位置にぶら下がってきたのだから、アキラの心配は杞憂であると山田にも笑い飛ばせなかった。
ぎゅっと抱きついているうちに、スタート地点の側まで戻ってきたかして、前方に灯りが見えてくる。
辿り着く前にアキラは歩調を落とし、山田を地面へ降ろした。
「山田くん。今度、もっとまともな肝試しをしてみないか?俺が脅かし役で君を驚かせるというのは、どうだろう」
「え?つまり僕と君とで脅かし脅かされな肝試しマンツーマンをするってこと?」
「あぁ」
「う〜ん、面白いのかなぁ……?それ」
脅かし役がアキラだと判っている肝試しは、大会と呼べるのかどうか。
何となくコントになりそうなオチしか思いつかないのだが、アキラがやりたがっているなら、つきあってやるのも一興かもしれない。
山田は微笑んで、アキラに言い直した。
「うん、そうだね。驚くついでに抱きついちゃったりしようかな」
「えっ」
「だって肝試しの醍醐味の半分は、イチャイチャで出来ているんだからね?」
「そ、そうなのか」
「そうだよ、だから今度肝試しに参加する事があったら、そっちの意味でも思いっきり楽しもうぜ、アキラくん」
喜ぶアキラの手を握り、二人は、ゆっくりゴールへ歩いていった。