2.死闘

翌日。
結局一睡もしなかったソロンが部屋の中で運動していると、幼い声が戸を叩く。
「ソロン、起きてる?昨日はちゃんと眠れた?」
続いて、そっと扉を開けて入ってきたのは、全体的に正方形……というか、ぽっちゃりとした体格の少女。
ベッドの上にラーの姿を見つけるや否や「あ〜!」と叫ぶ彼女を見て、ソロンは軽く挨拶した。
「レイ、お前も生きてたのか。お互い無事で良かッたよな」
途端に少女は先ほど大声をあげたのも忘れてモジモジ両手を組み合わせると、上目遣いにソロンを見つめ返す。
「う、うん……でも、あなたは絶対死なないって思ってた。強いもの」
そこへ「ん〜、何?もう朝ァ?」とラーの声が被さり、レイはベッドへ駆け寄ると姉を非難した。
「もうっ!ラーちゃん、ずるいっ。抜け駆けしないって、あんなに約束したじゃない!!」
昨日からソロンと一緒にいて、しかも姉は素っ裸。
彼女に何が起きたかなんて一目瞭然だ。
「あー、そうだったっけ?だったらレイも来ればよかったのに」
ラーは飄々と聞き流し、ベッドから飛び降りる。
袖に腕を通しながら、ソロンを振り返った。
「ソロンは昨日、ちゃんと寝た?あたし、まだ眠くってさぁ」
「いや」
あっさり首を振り「寝てねェよ」と答えるソロンに、レイもラーも「え〜っ!?」と仰天。
「そんなんで大丈夫?あ、わかった〜。負けた時の言い訳にするつもりだろォ?」
からかうラーに「もー!ラーちゃんのせいでしょ!」と怒る妹。
二人のやりとりを眺めながら、ソロンもやり返した。
「たかが一夜二夜寝なかッたぐらいで、この俺がヘバるかよ。それよりも、試合は何時からだ?レイ」
「あっ」
やっと、ここへ何しに来たのか思い出したらしい。
レイは慌てて答える。
「えっとね……十時から。それで、わたしが呼びに来たの」
準備は出来ている?と聞かれたソロンは素直に頷く。
だが先に歩き出したレイの背後で、彼は意地悪く尋ねた。
「抜け駆けッて、ナンの話だ?」
答えなど聞かなくても判っている。
ラーがああだったのだ、恐らくはレイも、そうなのだ。
ソロンのことが好きだった、とでもいうのだろう。
果たして予想は大当たり、前を行くおデブちゃんは見るも鮮やかに頬を赤く染めた。
「あ、その……ごめんね、こんなデブっちょに言われても嫌だよね……わ、忘れてくれるかなぁ」
いじらしくも自分の体形を気にしてソロンに余計な気遣いまで見せる始末。
「デブだと思ってんなら、ダイエットしなよォ〜」
後ろで意地悪な言葉をかけるラーを遮るかのように、大きな声でソロンが応える。
「デブだろうがヤセだろうが関係ねェぜ?俺を好きな女なら、どンな奴だッて大歓迎だ」
背後を行くラーからは「おー、モテオ宣言!やるねぇ」なんて冷やかしも飛び、レイはますます赤くなった。
「ソロン……ありがとう」
「別に礼を言われるこッちゃねェだろ?で、クーもそうなのか?」
振り返ってラーに尋ねると、彼女は大きく肩を竦めた。
「らしいね〜。でもさ、別に驚く事じゃないでしょ?あの組織で、あんたを嫌ってた奴なんていなかったんだからさ」
確かに自分と仲の悪かった人など、思い出そうにもソロンにだって思い出せない。
それほど組織の人間は誰もが皆、うまくやっていた。
キーファとソロンだって親友と呼べるほど仲が良かったのだ。
なのに……
組織を出てシーフのメンバーになってから、キーファに何が起きたのだろう。
今日の試合で彼と当たった時に、是非とも聞き出さなくては。

廊下を歩き突き当たりの扉を抜けると、開けた部屋に出る。
天井からは眩しい灯りがリングを照らしつけ、一段下がった場所を埋め尽くすのは人、人、人。
用意された席を埋め尽くすほどの観客が、すでにスタンバイして試合開始を待ち望んでいた。
「夕べはお楽しみだったかな?ソロン=ジラード」
リングの上にいるのは羽仮面の男と、もう一人。
やたら乳の大きな女だ。こちらも羽仮面で顔を隠している。
「気をつけてね?」
背後でラーが、ひそひそと囁く。
「キーファの隣にいる女、あいつもあんたを狙ってるから」
「なンでだよ」
キーファはともかく、見知らぬ女にまで付け狙われる理由が判らない。
さらにラーへ尋ねようとした時「ソロン!」と反対側の扉から飛び出したティルが、抱きついてきた。
「ティ!無事だッたのか。ランスリーは一緒じゃねェのか?」
「ソロン、ランスリーが今日の賞品なの!私とあなたがタッグを組むの」
一気にまくしたてられ、ソロンはキョトンと聞き返す。
「今日の試合はタッグマッチなのか?ティ、お前それを何処で」
それに答えたのは、ティルではない。キーファの隣に立つ女であった。
「私が教えたのよ。フフ、ソロン……決勝まで上がっていらっしゃい?ティルと二人、仲良くマットに沈めてあげるわ」
「そいつはコッチのセリフだぜ」
鼻息荒くやり返すソロンの腕を引っ張り、ティルが囁く。
「ソロン、あれはフィリアよ。なんでか知らないけど、私達を恨みに思ってるみたい」
「何ィ」と呟いて、ソロンはもう一度、女を見た。
言われてみれば、あのオッパイ……見覚えがあるような、ないような?
「だから……ソロンは、フィリアとは戦わないでね?あの子とは、私が決着をつけるから」
引っ張られている腕が痛い。
ティルが力を込めて握ってくるせいだ。
緊張しているのか?
いや、そうではない。
フィリアを見つめるティルの目には、めらめらと黒い炎が燃えていた。
かつての部下上司対決というだけではない私怨めいたものを感じたが、ソロンは一応頷いてみせた。
「判ッた。だが、決勝へ上がるまでの戦いは俺に任せてくれ。ティが戦う必要はねェぜ」
「あら、タッグマッチなのよ?たまには私にも戦わせて。それと……」
グッとさらにソロンの腕を握る手に力を込めると、ティルは眉間に皺を寄せて尋ねる。
「……夕べのお楽しみって、何の話?」
イタタタタ、腕がイタタタッ。
「仲の宜しいことだ。試合を前に二人でいちゃついていられるとは、余裕だな」
羽仮面の男に突っ込まれ、ソロンは心なしか赤くなってティルの腕を振り解く。
「バカ、じゃれてる場合じゃねェだろッ」
「ごまかさないで!」
なおも怒るティルは、もうほっといて。
ソロンは羽仮面に尋ねた。
「俺の他に捕まったヤツらは、どうしたンだ?もう試合は終わッちまッたのか?」
「貴様と一緒に捕えた魔術師連中の事か?それとも、その前に捕えた魔術師達か」
羽仮面の問いに頷く。
すると男はニヤリと笑い、こう答えた。
「全員、今日の試合の前座に使う。リングの下で大人しく見ていろ」
くるりと踵を返し、羽仮面は話を締めくくった。
「試合は三回戦トーナメント形式で行う。一度でも負けたら、そこでアウトだ。決勝戦で会おう、ソロン=ジラード」

羽仮面の男女はリングを立ち去り、ソロンとティルはラーの案内でリング下の座席に移動する。
「ね。どういう意味なのかしら。全員がタッグを組んで戦うってこと?」
席に腰掛けるなり尋ねてくるティルに、ソロンは答えてやった。
「そうじゃねェだろ。最初に捕まッたヤツと後から捕まッたヤツ同士で試合を組ンだンだろうぜ」
「何それ!同士討ちじゃないっ」と驚くティルの真横では、呆れた顔のラーがポツリと呟く。
「そんなの、フツーに考えりゃ誰でも判るじゃない。頭悪いの?このオバサン」
「だ!誰がオバサンよッ。大体あなた達は何なの!?こんな組織に、その歳で関わってるなんて!」
オバサンと呼ばれてキレるティルに対し、あくまでもラーは冷めた態度で接してくる。
「その歳って、どの歳?あたしのトシも知らないくせに勝手に子供扱いしないでよね〜、オバサン」
「オバサンじゃないわよ!ティル!私にはティルって名前があるんですからねっ」
「あっそ。じゃー、今度からはこう呼ばせてもらうわ。ティルおばさん」
カッとなって怒鳴るティルに、ニカッと歯を見せて笑うラー。
ティルのほうが年上だというのに、どう見ても年下の少女相手に手玉に取られている。
「いいから落ち着けよ、二人とも。試合に集中しようぜ」
呆れて止めに入ったソロンにまで、ティルは噛みついてきた。
「そういえば、さっきも一緒にいたみたいだけど、この子、何なの?ソロンの知りあい?」
答えたのはソロンではなく、ラー。
「幼なじみだよ、オバサン」
なんとも憎々しげな口を叩く子供にムカッときて、もう一度ティルは怒鳴ろうとしたのだが……
一斉に沸いた歓声に囲まれて、彼女の言葉はかき消された。
周囲の歓声に負けないほどの大音量で場内アナウンスの声が響き渡る。
「さぁ、本日前座は前座の割にスゴイ顔ぶれの一戦となっております!それもそのはず、我等が『ファイター』に敵対する組織『メイジ』メンバー同士のファイトなのです!!」
太った大男に突き飛ばされるようにして、無理矢理リングに登らされたのはケルギ。
もう一人はロープをくぐって自分からリングにあがる。
マッチョの魔術師、タイゼンだ。
続いて反対側のコーナーへも、ローブの人物が二人歩いてくる。
一人は身軽にリングへ飛び乗り、観衆へ愛想を振りまいている。
もう一人も、静かにリングへと姿を現した。
小柄なほうはリオン、そして最後の一人はガイナであった。
「メンバー同士を戦わせるなんて馬鹿な事を考えるものね」
ティルが呟く。
「どうして?」と尋ねると、彼女は肩を竦めて答えた。
「力を併せて逃げて下さい、と言ってるようなものじゃない」
リオンとガイナが正気を保ったままならば、これほどの愚行もあるまい。
しかし、そこまで『ファイター』の連中も馬鹿ではないらしく。
リング上の四人が顔を見合わせ、手に手を取っての大脱走――とは、ならず。
「リオン!生きていたのか」
嬉しそうに駆け寄るタイゼンへ、リオンは冷ややかな視線を送った。
「誰ですか?あなたは。僕の名前を気安く呼んでいいのはガイナ様だけです。ねぇ、ガイナ様?」
「あぁ、そうとも」
頷いたガイナはリオンを抱きかかえ、彼もリオン同様冷たい目でタイゼンを見る。
「ガイナ様?リオン、お前何を言って」
狼狽えるタイゼンの横では、ケルギも頭を掻いている。
「一体どうしちゃったんスか、二人とも。第一ガイナ、あんたはリオンを嫌ってたんじゃあ」
聞きかけるも、目の前で交わされた熱いキスには思わず視線を外した。
「うぇっ」
リング下でもティルが嫌そうな顔でソロンに「な、何あの人達。男同士よね?」などと尋ねてきたのだが。
ソロンは、それを無視してラーに聞いた。
「洗脳完了ッてワケか」
「まぁね」
ラーも肩を竦める。
「そこのオバサンが思ってるほど、ファイターは馬鹿組織じゃないよ」
ざわめきやヤジが飛ぶ中、カーンという甲高い音が鳴り響く。
再び大声でアナウンスが流れた。
「さぁ、試合開始です!魔術師同士の戦い、どちらに勝利の女神は微笑むのか!?」
ゴングが鳴るや否やリオンとガイナは魔術書を捲り始め、一方のケルギとタイゼンはパニック状態。
とても戦えるような状況ではない。
そもそも、彼らの魔術書は取り上げられたままではないか。
「タ、タイゼンさん!どうしましょう」
慌てるケルギに、タイゼンだって下がり眉で答える。
「そ、そんなの俺に聞かれても知るもんか!俺の方が聞きたいよ!」
このままじゃ二人とも、一方的に丸コゲになってしまう。
ソロンはリング下で騒いだ。
「戦え!タイゼン、お前なら素手でも戦えるハズだッ!!」
彼は元々魔術師じゃない、戦士だと言っていた。
ならば魔術書がなくても彼だけは戦えるのでは?
だがソロンの声援にも、タイゼンは情けない声で応える。
「む、無理だ!俺にはリオンを殴れないっ」
「殴らなくたッて、黙らせる方法はあンだろうが!」
ソロンがイライラしながら放ったヒントは、脳筋魔術師に光明を与えたようであった。
「そ、それだぁぁっ!」
彼は叫び、呪文を唱え途中のリオンへ飛びかかってゆく。
そうはさせるかとばかりに間に割って入ってきたガイナを押し倒し、二人の男は上や下へと縺れこむ。
「よ、よし!俺もやるッス!!」
タイゼンの体当たりにケルギも奮起したのか、リオンへ突進。
だが、組み合うよりも前にリオンの呪文は完成した。
『我が稲妻よ、敵を貫け!ライイズッ!!』
手元から放たれた目映い光は狙いを過たず真っ直ぐ飛んでいき、ケルギの体に直撃する!
「ぎゃあぁぁうッ!!?」
首を絞められた鶏が如く絶叫を最後に、哀れケルギはバタリと倒れてしまう。
一方ゴロゴロ上へ下への転がりあいを続けていた二人にも、決着がついていた。
「ハッハハ!体はちゃんと鍛えておくべきだったな、ガイナ!」
やはりというか当然というか、マッチョなタイゼンが上である。
勝ち誇った顔でマウントポジションを取った彼は、渾身の力でガイナの首をぐいぐいと絞めあげる。
もはや、助けに来たとはいえない試合展開になってきた。
「ほらほら、さっさとくたばっちまえッ」
筋肉男に両腕で絞められているのだ。
ガイナの顔は見る見るうちに真紫、今にも死にそうである。
「タイゼン!気絶させろ、殺すなよッ」
本気を感じ取り、ソロンはリング下から呼びかけたのだが……
タイゼンは聞いているのかいないのか、絞める腕を緩めようとはしない。
「死ね、死ね、死ね!俺からリオンを奪いやがって、死ねぇっ!」
などと呪詛のように呟く声まで聞こえ、ソロンは焦った。
タイゼンの奴、本気でリオンを愛していたのか!
リングの片隅では、またもペラペラと魔術書を手早く捲っているリオンがいる。
タイゼンはガイナだけに気を取られている。
まずい、このままでは彼もケルギと同じ運命を辿るのは間違いない。
何とか彼の気を向けさせようと、ソロンは叫んだ。叫びまくった。
「タイゼン!リオンが、リオンがお前の愛で、正気に目覚めやがッたぞ!」
もちろん嘘だ。
目覚めるどころか、本気でタイゼンを殺そうとしている真っ最中である。
しかし、嫉妬に狂ったタイゼンを正気にさせるには充分な嘘でもあった。
「本当か!?」
キラキラと瞳を輝かせ薔薇色に頬を紅潮させると、タイゼンは勢いよくガイナをリング外へ投げ捨てた。
「あっ!」と思わずティルが叫んだのも無理はない。
放り捨てられたガイナは客席の誰かと激しくぶつかって、両者共にピクリとも動かなくなったからだ。
「ちょ、ちょっと、アイツら死んじゃってないよね?」
ラーまでもが動揺している。
それほどまでに、今のは酷い扱いだった。巻き添えになった観客も可哀想に。
「リオォォ〜〜〜ンッ、愛してるゾォ〜」
そんなことはお構いなしに再びリオンへ飛びかかると、今度こそタイゼンはギュゥッと腕の内に抱きしめた。
リオンは嫌がって「離せ!この変態」と暴れているが、脳筋マッチョの抱擁など簡単には振り解けまい。
おまけにブッチュブッチュと見境なしにキスの嵐にも見舞われて、段々ソロンは見ているのが気の毒になってきた。
誰が気の毒って、言うまでもない。リオンが、である。
やがて、目を覆いたくなるほどのラブシーンまでもがリング上で繰り広げられ――
熱き抱擁の圧迫力にリオンが気絶し、前座試合はタイゼンの勝利で幕を閉じた。

「さ……最悪ね」
未だ収まらない歓声や野次の中、ティルがうんざりした顔でポツリと漏らす。
最悪って、試合内容が?それとも、こんな試合で沸いている観客が?
そう尋ねると、ティルは眉をひそめ「どっちもよ!」と怒った。
怒りっぽい彼女を慰めるでもなく、ソロンは肩を竦めて気楽に流す。
「ま、内容はどうであれ、タイゼンが勝ったンだ。ここはヨシとしとかなきゃな」
途中経過は救出劇と呼べない内容だったが、結果良ければ全てヨシだ。
少なくともリオンは救われた。
ただ、雷撃呪文でやられたケルギは重傷。
観客とゴッチンコしたガイナも、怪我は浅くない。
「勝ったって言うの……?あれで?」
ティルは不満げであったが、ソロンに促されて立ち上がる。
そう。やっと前座も終わり、次はいよいよソロンとティルの第一試合だ。
「いけるトコまでは俺がやる。ヤバくなッたら交替すッから、体だけは温めとけよ?」
ティルへ声をかけると、ソロンは答えも聞かずに颯爽とリングへ飛び乗った。
途端に歓声がアナウンスの叫びと混ざって囂々とした耳鳴りになり、ティルは慌てて耳を押さえる。
緊張には慣れているつもりだった。
だが、この闘技場という場所の持つ異様な雰囲気には、なかなか慣れることができない。
たまには変わってよ?とお願いしたものの、自分が此処の雰囲気に慣れるまではソロンに頑張ってもらおう。
彼には内緒で、そんなことを考えたりしたティルであった……

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