南国パイレーツ

2話 対決

じりじりと真夏の太陽が照りつける中、甲板ではフッチが腕組みして待ち受けていた。
暑いのに黒い海賊服を羽織り、トレードマークの海賊帽を目深に被っている。
右手には義手ならぬ取りつけの銃が光っていた。
垂らされたロープをよじ登り、甲板に登ってきたジェナックを目に留めると、「よく来たな、ジェナック!」と、殺気立つ仲間を片手で制してから怒鳴った。
フッチの片目がジェナックからコハクに移る。
「なんだ?そいつは」
見たこともないツラがまえの青年が、長剣一つ腰に差して立っている。
警備隊の連中でないことは、格好を見れば一目瞭然だ。
揃いのパーカーを着ていない。
暗黒大将軍にジロリと睨みつけられてコハクが畏怖したかというと、それはなく、彼はやはりぼんやりした視線で甲板上のフッチを見つめ返すばかり。
無言で通すコハクの代わりに答えたのはジェナックだ。
「気にするな、ただのオマケだ。安心しろ、二人がかりでお前を襲うつもりなどない。お前の相手は俺一人で充分だからな」
言ってニヤリと微笑むジェナックに、フッチも不敵な笑みを返す。
そして、吼えた。
「たかが警備隊の隊長如きが、この俺を一度追いつめた程度で粋がるんじゃねぇぜ。貴様を倒せば海上警備隊など、烏合の衆!この海は俺達海賊のものとなる!!」
負けじとジェナックも吼え返す。
「その前に、俺を倒せると思うなよ……フッチ!」
言うが早いが飛びだした。
真夏の太陽の下で二つの肉体がぶつかりあう。
コハクはといえば、やはり黙ったまま二人の戦いを見守っている――

じりじりしているのは、真上から照りつける太陽ばかりではない。
港に残った海上警備隊の面々も手出しできない戦いに、じりじりとしていた。
副隊長のマリーナは、その中でも特に気が気ではない。
ジェナックに死なれては困るのだ。
隊長がやられたら自分が指揮を執らなければならないという悩みもあるが、そんな杞憂は彼がいなくなる恐怖に比べたら大した悩みではない。
海上警備隊の面々は、ほとんどが地元繋がりで構成されている。
誰もが隊長ジェナックを、幼い頃から知っていた。
しかし、それとは別の意味でマリーナは彼を幼い頃から知っている。
彼がどれだけ無鉄砲で自信家なのか、他の者よりも知っているつもりだ。
それと同時に彼が自分の身をあまり大事にしないことや、実は結構、傷つきやすい性格であることも知っていた。
それだけに不安は増していく。
また彼が無茶をやるんじゃないかという不安が。
以前、彼が魔砲をくらった時、マリーナはショックで寿命が縮まるかと思ったが、フッチを仕留め損じた事を悔やむジェナックを見た時には胸がキュウと痛くなったものだ。
そのジェナックが、再びフッチと対決している。
この戦いには勝たせてあげたい。
だが、また魔砲で撃たれては、たまらない。
それに、今度は魔砲で撃たれるだけじゃ済まないかもしれない……
あの時とは状況が違う。
あの時は奇襲だったから、一人で乗り込んでも、うまくいったのだ。
「コハク、何しているのよ。早く隊長を止めて、フッチを倒して……!」
未だ動く気配のない剣士の姿を遠目に見ながら、マリーナは焦れた。

甲板に、肉を打つ乾いた音が響く。
ジェナックの拳が呻りをあげて、フッチの義手を殴打する。
びりびりという衝撃が、こちらまで届いてきそうだ。
対するフッチとて負けちゃいない。
拳を受け止めがてら、急所めがけて蹴りを放ってくる。
その蹴りを真っ向から腹筋で受け止めて、ジェナックとフッチは睨みあった。
海の男と男、どちらもガタイの良い男達である。
両者共にひけを取らない戦いが続いていた。
周りの海賊も息を潜めて見守っている。
幸か不幸か親分フッチの加勢をしようと考える馬鹿は、いないようだ。
だが、油断はできない。
今はそうでも親分が不利になれば、奴らは必ず動き出す。
ぼ〜っと突っ立ってるように見えながらも、コハクは彼なりに警戒を高めていた。
ジェナックとフッチの対決自体は放っておいても平気だろう。
フッチが右手の銃を使ってこない限り、二人の実力は互角に見える。
そして一対一を申しこみ、殴り合いに応えたフッチが銃を使ってくる確率も低い。
銃を使う気なら、始めから使っている。
コハク達が甲板へ登る時に頭を狙い撃ちすれば、一発で片が付いていたはず。
それをしなかったフッチに、コハクは違和感を覚えていた。
海賊とは卑劣で強欲で傲慢な輩だ。
自分では働かず、他人が汗を流して集めた財産を横から奪ってゆく畜生である。
そして、彼らは使えるものなら何でも使う。
例え自分の親兄弟であろうとも、邪魔になるなら平気で切り捨てた。
そんな海賊を、コハクは今まで何人も見ている。
今、ジェナックと戦っているフッチは違った。
正々堂々をモットーとする海賊なのだろうか――?
いや、まさか――
しかし世界は広い。
この世の中に一人ぐらい居ても、不思議ではあるまい。
海賊の中にも正当法で戦える奴がいたことに、コハクは感動を覚えた。
この戦いは、ジェナックとフッチのプライドをかけた戦いだ。
二人の戦いに水を差してはいけない。

汗が甲板に滴り落ちる。
ことごとく攻撃をかわされ受け止められているというのに、フッチは笑っていた。
「やるなジェナック、さすがは俺の見込んだ男!」
ジェナックの勘が告げている。
フッチには、まだ何か隠しダマがある。
だが、それが何かと具体的に問われると、ジェナック自身にも判らない。
判らないが、野生の勘が彼に危険信号を発している。
この戦いが始まってから、ずっと。
フッチには恐らく街を襲うという考えはない。
これには確信がある。
街を壊滅してしまっては、港から船が出なくなるからだ。
海から商船が消えてしまうのは、海賊としても商売あがったりであろう。
それに、彼らは海賊だ。山賊や強盗ではない。
軍で警備を固めた街よりも、海上で警護もままならぬ商船を襲う方が慣れている。
海で恐怖の名声をあげる意味でも、街を襲うのは得策ではない。
フッチの拳が頬をかすり、ジェナックは思考を切り替える。
あまり考えるのは得意じゃない。
考えるのはマリーナに任せておこう。


フッチとジェナックの一騎討ちが始まってから、数十分経とうかという頃――
沖から、軽快に水面を進む小さな帆船があった。
風もないのに、その帆船は確実に前へと進んでいる。
かといって、甲板にも船底にも櫂は見えないから漕いでいるわけでもなさそうだ。
帆には髑髏に骨。
海賊特有のマークが、でかでかと描かれていた。
他の海賊船と違うのは、骸骨の頭がパイナップルになっている点だろう。

――南国パイレーツ。

彼らは自らそう名乗っていた。
この海峡では、かなり知名度をあげている海賊でもある。
残忍なのではない。強欲なわけでもない。
彼らが狙うのは決まって海賊船か軍艦、それか海上警備隊の船ばかり。
目当ては金銀財宝ではない。
彼らが求めているのは力比べのできる相手だ。
それ故に、他の海賊達からは忌み嫌われ、同時に恐れられてもいた。
力比べといっても、金銀財宝をかけての一騎討ちではないからだ。
利益の出ない戦いなど、海賊がもっとも嫌う戦いである。
かといって勝負を避ければ、この狭い海峡のこと、噂はあっという間に広まってしまう。
勝負から逃げた弱虫。
そう罵られるのは、たまったものではない。
海賊達にしてみれば、ある意味、軍隊や警備隊よりもタチが悪い。
南国パイレーツは、同業からも海軍からも嫌われている珍しい海賊団であった。
「進路南緯の方角にて暗黒の船が浮かんでます、キャプテン」
背の高い眼鏡の少年が望遠鏡を持ったまま、背後に立つ船長を振り仰ぐ。
「キャプテン、どうします?今なら奴らを狙い撃ちにできますよ」
奴らとは、もちろん暗黒海賊団のことだ。
何故か前方の海辺で停船している。
襲いかかるなら、今がチャンスだろう。
だが航海士の思惑に反して、船長はゆっくりと首を横に振った。
「フッチ、今取り込み中……ティカ、暗黒襲うマネ、しない」
「取り込み中?」と、声を上げたのは航海士だけではない。
大砲に腰掛けて、双眼鏡にかじりついていた少年も驚いている。
彼の名はマルコという。この船の砲撃手だ。
まだ年若い少年だが、砲撃と銛の腕前は大人顔負けの海賊である。
「フッチ、甲板で戦ってる。相手、きっと海上警備隊の奴……一対一の決闘、邪魔する、卑怯。ティカ、決着つくまで様子見る」
望遠鏡で見ているわけでもないのに、船長ティカは、きっぱりと言い切った。

――船長ティカ――

彼女こそが南国パイレーツのキャプテンだ。
年の頃は十代後半か、そこらだろうか。
魅力的なボディラインをビキニで隠している。
魅力的なのはボディだけじゃない、顔立ちも美しい。
人を惹きこむ青い瞳といい、ゆるやかなカーブを描く金髪も日の光に、よく映えた。
その美しい外見とは裏腹に、海賊親分との一騎討ちは彼女の担当である。
女とは思えぬほどの凄まじい怪力と、目にも止まらぬスピードで相手を翻弄するのだ。
噛みつき、ひっかき、何でもありのファイトには、野性の獣に近いものを感じさせた。
そこそこ名が上がっているはずだが、彼女は未だに無敗を誇っている。
航海士ベイルは、ティカの決定には逆らわなかった。
船長の命令は絶対であったし、この青びょうたんはティカに惚れていた。
不承不承「判りました」頷くと眼鏡がずり落ちてきて、彼は指で押し上げた。
周りをぐるりと見渡してから、皆に号令をかける。
「ここで停船する。碇を降ろし、帆を下げて様子見にかかれ!」


暗黒の船が、ゆるゆると動き始めている。
最初に気づいたのはジェナックだった。
「おい、この船は俺達をどこに招待しようってんだ!?」
尋ねながらも攻撃の手は緩めない。
フッチに向けて拳を放った。
「怯えるなよジェナック!次なるステージに移動しようってだけだ」
フッチが身を屈め、視線の先に海賊船を見つけてジェナックは、ぎょっとなる。
暗黒海賊団ばかりに気を取られていて、他の海賊の接近に気がつかなかったとは不覚。
「南国の奴らがついてきてやがる。めんどくせぇ事になりそうだぜ」
単にダレーシアへ入港するつもりなのか、或いはこちらの両者共倒れを待っているのか。
否、ダレーシアに向かうつもりなら暗黒の船を尾行する必要などないはずだ。
南国パイレーツの狙いは、ただ一つ。
暗黒海賊団との手合わせとみて間違いない。
「……なら、さっさとカタをつけないとな」
ジェナックは とうとうパーカーを脱ぎ捨てた。
息のつけぬ乱打戦に真上からの直射日光で、パーカーは汗を吸い重くなっていたのだ。

「暗黒の船が動いています!背後に、もう一隻の海賊船を確認ッ」
誰かが港で叫んだ時、横合いからさぁっと涼しい風が吹いてきた。
その風を帆に受け、暗黒海賊団の船は颯爽と海上を滑り出す。
一度走り出した船を止めるのは至難の業だ。
ましてや船の多くを修理中の海上警備隊、出来るのはジェナックの安否を祈るばかり。
「何やってるの……早く、早く倒してちょうだい!コハク!!」
共についていかなかった自分を呪いながら、マリーナは海の彼方に念を飛ばした。

暗黒の船が再び碇を降ろしたのは、辺り一面海。
水平線の彼方には街も見えない場所であった。
「観客もいない、ここでなら決着がつけられる!」
何度目かの殴り合いの後、大きく後ろに飛んで間合いを取ったフッチが笑った。
肩で息をし、体は汗でびっしょりだというのに、勝利を確信した笑みを浮かべている。
体中にまとわりつく汗をぬぐってから、ジェナックは再び間合いを詰めていく。
己の勘は未だ危険を告げていたが、そろそろ体力が限界に近づいている。
「大きく出たな!だが、俺はまだ全然やられちゃいないッ!!」
二人の足下には水たまりができている。
両者が流した汗の水たまりだ。
真上の太陽は、ますます照りを増していたし、汗の分だけ疲労も溜まっている。
それでも一時も休まず殴り合っているのだから、両者共に恐るべき体力である。
ジェナックの繰り出した拳を片手で払いのけると、またしてもフッチは後方に飛びずさった。
「威力が落ちてるぜ、ジェナック!この勝負、俺の勝ちだ」
「足下がフラフラのくせして何言ってやがる!」
フラフラなのは、お互い様だ。
ガクガク震える太股を自らの両手で殴りつけると、ジェナックはフッチめがけて走り出す。
フッチとて、いい加減体力の限界なはず。
こうなったら体当たりで寝転がして、一気にかたをつけてやる。
ここに誤算があった。
ジェナックは汗で出来た水たまりの存在を、一瞬忘れてしまったのだ。
足を取られて滑り、しまったと思った時には時遅く、フッチの銃口がこちらを向いていた。
「俺の勝ちだ、ジェナック!」
右手の銃口を突きつけられてなお、ジェナックは怯えるどころか相手を睨みつける。
「船を出したのは、これが狙いか!見損なったぞ、フッチ!!」
観客がいない。
つまり卑怯な真似をしても止める者はおろか、噂を吹聴する奴もいないということだ。
「俺は海賊だ!海賊に卑怯も見損なったもあるかァ!死ねよ、ジェナック!!」
ジェナックにとって幸運だったのは、フッチを見損なったのが彼だけではないという事だった。
焼けつくような痛みがくる代わり、ジェナックの眼窩を塞いだ者がいる。
そいつが剣を一閃した――
と確認する暇もなく、次の瞬間には恐ろしいほどの絶叫が甲板中に響き渡った。

暗黒海賊団が風の勢いに乗って動き出した時、南国パイレーツもすぐさま後を追っていた。
だいぶ遠目に引き離されてしまったが、風が止まれば、すぐにでも追いつける。
南国船の動力は帆ではない。
いや、帆を使うことも希にあるが、主体となっているのは船底に積み込まれた機械である。
レイザース国産の中古エンジンを船医ラピッツィが、どこからか引き取ってきた。
船のエンジンについては、南国パイレーツの内部でもシークレット情報である。
ティカは機械に関しては全くのド素人だし、他の面々も、さして興味を持っていない。
機械に詳しいのはラピッツィだけであり、彼女はこの秘密を世間に広めることもしなかった。
だからファーレン海軍や海上警備隊が、この船の秘密を知る訳もない。
暗黒海賊団にしたって、そうだ。
追いつくとは夢にも思っていまい。
女キャプテン・ティカには目的があった。
この勝負を見届け、そして勝者に戦いを挑もうと彼女は考えていたのである。
「勝ったほう、ティカの相手!勝った奴に勝負、しかける。そいつに勝てばティカ、この海の覇者!」
もちろん勝者にはまず、一時の休憩を与えてやるつもりだ。
体調万全な相手でなければ倒す意味がない。
ティカは宝に興味がない。
彼女の家は裕福ではないが貧乏でもなかったから、暮らしに困ってはいなかった。
海賊になった理由はただ一つ、強い奴をこの手で倒すため。
誰よりも強くなることが彼女の夢であった。
海を荒らす海賊は、力試しの相手として最適であると彼女は考えた。
ティカが海賊を狙う理由は、全て力試しの為にあるといっても過言ではない。
だから、暗黒大将軍フッチの名も知っていた。
ここで出会えたのは、天が遣わした幸運だろう。
だが残念なことに、フッチには先客がいた。
相手は海上警備隊のパーカーを着込んでいた。
恐らくは隊長クラスだろうか?
海上警備隊など一人一人はティカの足下にも及ばないが、隊長クラスとなると話は別である。
噂によれば警備隊の現隊長は肉弾戦のプロで、フッチを追いつめたこともあるという。
その二人が今、船上で戦っている。
どっちが勝っても、自分の相手として不足はない。
二人の決着がついたところで、勝者にはこう言ってやるつもりだった。
「南国パイレーツ・キャプテン、ティカ!次、挑戦者、ティカ!勝負する!!」

恐ろしいほど長く、尾を引いた絶叫が水平線の波間へと消えてゆく。
ジェナックは己の目、それから耳を疑っていた。
甲板に落ちているのはフッチの義手だ。
肩の付け根から切り落とされて、血にまみれて転がっている。
あの時、銃が火を噴いたと思った瞬間、誰かが自分の目の前に飛びだしてきた。
そこまでは肉眼で見えていたし、ちゃんと覚えている。
なにかキラリと光るものが一閃されたかと思った瞬間には、絶叫が轟いた。
目の前には血の海に倒れるフッチの姿と、黒服に身を包んだ青年の後ろ姿が見える。
「クックックッ……ご自慢の腕を切り落としちまって悪かったなァ?だがなァ、あんたの卑怯加減にコハクがお怒りなんでね。あんたにゃ手加減いらねぇなって思っちまったワケだ、悪く思うなよ」
シャープな顔を歪めて下卑た笑いを浮かべている目前の剣士こそ、先ほどまで、ぼ〜っと戦いの行く末を見守っていたコハクに他ならない。
ジェナックは彼が話すのを初めて聞いた。
だが彼の顔と口調とのギャップに驚き、口を挟めもしなかった。
コハクは剣についた血を舌で舐め取り、腹の底から絶叫をあげ続けるフッチへと剣先を向けた。
「オイオイ、腕一本ぐらいでいつまで情けねェ声 出してんだよ?どーせ前にも同じ腕を失ったんだろォ?今さら上から全部ちぎれたところで、どうってこたねェだろうが!」
無情に言い放ち、何がおかしいのか高笑いをあげている。
対するフッチは悪態をつける余裕もなく、肩口を押さえて蹲ったままだ。
傷口からは絶えず血がどくどくと流れ出していて、見ているだけでも痛々しい。
フッチがいくら悪党だとはいえ、ここまでやる必要があったのだろうか?
ジェナックの心情を察したのか、コハクが いきなり振り返った。
「おい隊長さんよ、まさかコイツに同情してんじゃねェだろうなァ?あんたコイツを倒しに来たんだろ、違うか?倒すってのは、殺すって意味だぜ。海賊退治は遊びじゃねェんだ」
悔しいが、まさしくコハクの言う通り、ジェナックはぐっと唇を噛む。
「さて……もっと痛めつけてもいいんだがな。コハクがアンタの悲鳴を嫌がってるんで、トドメを刺させて貰おうか。死ねよ」
再び剣を一振りする。
剣が鞘に収まった時には、フッチの首がころりと甲板に転がった。
それを見て驚いたのはジェナックだけではない。
ジェナックよりも仰天したのは、周りで見守っていた手下のほうだろう。
キャプテン・フッチが、暗黒大将軍として名うての大海賊が、たったの二撃で闇に葬り去られるとは。
自分達では到底適いっこないではないか……!
我を忘れて甲板から海に飛び込む海賊達を、余裕の態度でコハクは眺めている。
口元には笑みを浮かべていた。
口端をつりあげた、嫌な感じの微笑を。
「ハーッハハハハ、見ろよ隊長!あいつら逃げてくぜ、ボスの死体もそのままにしてよ。弱いってな罪だよなァ。あいつらにゃー生きてる価値なんざネェよな」
ようやく立ち上がったジェナックは、まずは転がったフッチの首を拾い上げた。
カッと見開いた瞼を、そっと閉じてやる。
倒れた胴体に腕と首を置き直してやった。
嗚呼、哀れなフッチ。
海賊として生きなければ、こんな惨めな死を迎えることもなかっただろうに。
弔ってくれるはずの仲間も逃げた今、せめて見届け人の自分が葬ってやろうじゃないか。
腕と首を胴体の元に置いた時、ジェナックは、そのようなことを考えたのかもしれない。
彼の一見には不可解な行動をコハクが、にやにや笑いながら窘める。
「海賊相手に何やってんのかねェ?手厚く葬る必要ねェだろ、そいつはあんたを銃で殺そうとしたゲス相手だぞ」
ジェナックは自分でも驚くほど押し殺した声で「黙れ」とだけ言うと、フッチの遺体を救助用のボートに積んでやり、海へと流してやった。
気が済んだところで、改めて目の前の男に目をやる。
剣士は馬鹿を見るような目つきで、ジェナックを見つめていた。
口元には、相変わらず皮肉に彩られた笑みを浮かべている。
見る人を不快にする笑みだ。
――こいつは本当に、あのコハクなんだろうか?
剣を振るうまでのコハクは、ぼ〜っとした青年だった。
顔つきこそはマァマァだが、半分夢の中で生きているような雰囲気を醸し出していた。
しかし今、目の前にいるコハクは下卑た笑みを口元に張りつかせている。
それに、やたらとおしゃべりだ。
まるっきり別人と言ってもいいぐらいに。
「……誰なんだ?お前は」
コハクは鼻で笑い飛ばしてから応えた。
「オレか?オレは、ヒスイ。コハクの第二人格ってやつだ。まッ、あんま深く考えねェほうがいいぜ。考えたところで、あんたには理解できねェだろうしナ」
コハクに輪をかけて、ヒスイという奴を俺は絶対好きになれそうにない――
と、ジェナックは思った。

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