SEVEN GOD

act3-1 お前らが悪いんだ

一日が過ぎた。
酷い一日だった。


目覚めても、ここが異世界であると認めるのは、たまらなく苦痛であった。
それでも認めないわけには、いかない。
シンの生まれ育った街クロムは、もう、この世の何処にも存在しない。
消滅したのだ、文字通り。
ユニウスクラウニ、彼らの言葉を借りて言うと、時空の歪みに圧迫されて潰れたらしい。
強すぎる力同士がぶつかった結果だという。
ならば、世界が消える原因を作ったのは、彼らユニウスクラウニではないか。
彼らさえ来なければ、世界は消滅せずに済んだのではないか。
シンは赤毛の男を脳裏に浮かべる。
彼と出会ってからだ、全てがおかしくなったのは。
彼は、唐突にシンの前へ現れた。
おかしなことを口走る男など、放っておけば良かったのだ。
あの場で関わらなければ、世界は消えなくて済んだかもしれない。
彼に関わり、海の怪物が出現して、海へ入ろうとするアッシュを止めるため、シンはやむなく怪物に戦いを挑んだ。
勝算はなかった、けれどマダムを一人残して逝くわけにいかず。
必死だった。
途中までは運が味方してくれていたけれど、ほんの弾みでタイミングを外してしまう。
食われると思った瞬間、手の中に何かが生まれた。
ひんやりとした、氷の刃。
夢中でそれを掴み、怪物の口に投げ込んだ。
氷の刃は粉々に砕け散り、氷の結晶を生み出すと、辺り一面を凍らせる。
あれも、強すぎる力の一つだったのだろうか?
能力者が力の覚醒を呼び、更なる能力者を引き寄せて、空の上に連邦軍とユニウスクラウニ。
両者の飛行船を呼び寄せた。
激しい戦いは、やがて時空に歪みを発生させ、そして世界は砕け散ってしまった。
だとしたら。
シンは、傍らで眠るアッシュへ目をやる。
やはり世界が消滅した一番最初の原因は、この男、アッシュにあるのではないか。
彼さえ、現れなければ。
彼さえシンと接触しなければ、何も起こらなかった。
絶対、そうだ。
リー=リーガルは、アッシュがシンを時空の歪みから助けたという。
シンには、それが疑わしかった。
彼らだって歪みには翻弄されていたのだ。
シンを助ける余裕があったとは、思えない。
もっというなれば、違うという確信があった。
シンを助けてくれたのは、あの男だ。
リュウと名乗った、黒眼鏡の男。
何もかも知っているようで、難しい言葉ばかりを並べ立てていた彼が、シンを助けてくれたのだ。
歪みの衝撃で世界から弾き出されたシンを、亜空間というポケットに一時収容した。
そしてシンに状況を説明し、人のいる場所まで送り届けてくれた……
シンを助けた彼の判断は、間違っていない。
暗闇に放り出されて死ぬよりは、今の状況のほうが断然いいに決まっている。
どうせ助けてくれるのなら、シンだけではなく他の人達も助けて欲しかったのだが、リュウにも助けられる数が決まっていたのだろう。
無理を言っては、いけない。
「……あ、ふぁぁ〜」
アッシュが身を起こし、大きく伸びをする。
シンが目覚めていると知るや否や、笑顔を作って身をすり寄せてきた。
「おはよぅ〜、シーンー」
さりげなく身を引いてアッシュの包囲網から逃れつつ、シンもぎこちなく挨拶を返す。
「あぁ、おはよう」
「もう、大丈夫?」とは、シンの気持ちを推し量っての質問であろう。
シンは素直に頷いた。
「あぁ……もう、大丈夫だよ」
本音を言うと、全然、大丈夫ではない。
言われた瞬間は、まるで実感が沸かなかったのに、悲しみは後からじわじわと押し寄せた。
二度と会えないのかと思うと、胸が押しつぶされそうになった。
マダムと最後に交わした会話を思い出しても、シンの心は悲しみに暗く沈む。
何故、あれしか話さなかったのか。
二度と会えないと判っていたなら、もっと話す事があっただろうに。
後悔しても、全てが遅すぎる。
彼女は死んでしまったのだ、二度と会えない場所に行ってしまった。
それでもシンは後悔した。
もう一度、マダムに会いたいと切に願った。
人は、いつかは死ぬものだ。
そうと理性では判っていても、突然の別れは辛すぎる。
マダム、両親、友達、先輩……次々と顔を思い浮かべ、昨夜は涙に泣き濡れた。
泣き疲れて、いつの間にか眠ってしまったらしい。
起きて鏡を見た時には、思わず失笑してしまうほど酷い顔になっていた。
同時にマダムの顔が脳裏に浮かんで、またも泣き出しそうになってしまったけれど、シンは、ぐっと涙を堪えて我慢した。
自分は幸せなほうかもしれない。
だって、死ななかったのだ。
世界が消滅するという人生最悪の災害に遭ったにも関わらず、生き残った。
ならば残りの人生を泣き濡れて暮らすのではなく、生き残った意味を考えるとしよう。
「……ホントに大丈夫?」
下から、じっと見上げられて、シンは我に返る。
「大丈夫だよ」
微笑んでやると、ようやくアッシュも信じる気になったのか、勢いよく立ち上がった。
「そっか!じゃあ、朝食、食べに行こ?食堂まで案内してあげる」

クラウニフリードにいるメンツだけが、ユニウスクラウニのメンバー全てではない。
にも関わらず異世界突入の後、彼らの活動が大人しくなったのには理由があった。
一つは行方不明になっていたアユラの妹、ファニーの遺体が見つかった件。
彼女は異世界突入の前に行方が判らなくなっていたのだが、ジャングルで発見されたのだ。
発見者は、地元のゲリラ。
無論、彼らも能力者である。
ファニーの遺体は、頭が丸々吹き飛んでいた。
明らかに、能力者の仕業と思われる。
誤爆というのは考えから外していいだろう。
戦えば判るはずだ、ファニーが能力者かどうかは。
その上で彼女を殺したというのは、あきらかな敵意を感じる。
能力者が能力者を殺すなど、あってはならない事態だ。
もう一つは、異世界にてクラウニフリードへ攻撃を仕掛けてきた連邦軍の小型機。
あれの中にも、能力者の気配を感じた。
まさか連邦軍は能力者を殺すために、能力者を雇ったというのであろうか。
能力のない者は、能力者を殺す。
能力者にとって能力のない人間は、己の身の安全を脅かす大敵に他ならない。
殺意や怨恨を抱く事はあれど、味方につくなど到底ありえないのだ。
例えるならば、シマウマがライオンと仲良くするようなものである。
ともかく同族の裏切りが発覚したせいで、今は全ての能力者が混乱の最中にあった。
ユニウスクラウニとて例外ではなく、各地の連携が取れないまでに陥っている。
だから総司令に対しメンバーの一人が無礼な発言を投げかけたとしても、無理なからぬ状況であった。
「あのシン=トウガという者。本当に異世界の住民なのでしょうか?俺には、どうも信じられません」
ジャッカル=クラウツ。
アッシュ=ロードやアユラ=マディッシュに次いで、戦闘能力が高いとされる優秀なメンバーである。
周囲一帯を切り裂く真空波、それがジャッカルの持つ能力だ。
背が高く整った顔つきではあるが、目つきは鋭く近寄りがたい印象を受ける。
ジャッカルの目は司令官を見ず、窓の外を眺めていた。
彼は異世界突入に、最後まで反対していた。
異世界などという訳のわからない世界に頼らずとも、今のメンバーだけで連邦軍には充分対抗できる。
そう力説したのだが、リー=リーガルは強引に突入を決めてしまった。
そのことで、彼はリーガルを恨んでもいる。
何故ならリーガルが異世界へ突入したせいで、恋人のサリーナは怪我を負ったも同然だからだ。
「DNA鑑定では、我々と変わらぬ肉体だと診断された。だから君の懸念にも同意できなくはない。しかし、彼は紛れもなく能力者だろう。その証拠に、あの白い髪を見たかね?あれでも彼はまだ、肉体年齢二十四歳前後だという。それに」
「……色弱というわけでもない」
リーガルの言葉を受け継いで、ジャッカルが呟く。
病気でも老人でもないのに、シンの髪は真っ白なのだ。
それも白髪というのではなく、純白といってもいいほどの鮮やかな白である。
アッシュの赤毛もそうなのだが、能力者の中には時折、髪の毛が変色して生まれる者がいる。
一種の奇形と言ってもいいだろう。
不思議な事に、この奇形、能力を持たない者としては生まれない。
変色で生まれる者は、必ずといっていいほど能力を持っていた。
生きていく分に不自由はないのだが、色がおかしいせいで迫害されることも多々ある。
ジャッカルもまた、髪の色がおかしい一人だった。
彼の髪は生まれつき、緑がかっていた。
普段から緑色なのではなく、ベースは金髪なのだが、日の光を受けた時だけ緑に輝く。
おかげで周りの人達は気味悪がり、幼少の頃から酷い虐めにあった。
能力が開花したのは学生時代。
エスカレートした虐めの中で発動した。
ジャッカルの周りを真空波が飛び交い、近くにいた虐めっ子達は避ける暇もなく切り刻まれた。
クラスメートを死に追いやり、両親は彼を恐れるようになり、それから後は語るまでもない。
彼は能力者狩りから襲われるようになり、ユニウスクラウニへ逃げ込んだ。
「では、彼が異世界の住民か否かは、リーガル司令も疑問視というわけですか?」
ジャッカルの問いにリーガルは首を真横に振り、戸口へ視線を走らせる。
「彼とは異世界崩壊の前にアッシュが出会っている。閉ざされた空間の中で、だ」
異世界があると判ったのは、三十年も前になろうか。
バミューダ海域から、奇妙な気配を感じる。
そういった情報が、いつの頃からか頻繁に流れ始め、リーガルは興味を持った。
やがて彼は『空間を観る能力』の持ち主アイバ=エデュと出会い、本格的に海域の調査へ乗り出す。
アイバが、海域に異世界ありと突き止めたのであった。
異世界に『閉ざされた空間』という名前をつけたのも、彼である。
空間の噂はリーガルが漏らさずとも、勝手に広まっていった。
或いは、アイバ自身が広めていたのかもしれない。
しかしアイバは空間を『観る』事は出来ても、『開く』事はできなかった。
異世界は、そこにありながら、リーガルにとって手の届かぬ場所だった。
彼が、ようやく行けるようになったのは、エリスと結婚してアッシュを拾って、さらに数年後、『瞬間移動能力』の持ち主メディカとの接触を経た頃であった。
メディカ=ラングルーは最初、自分が能力者であると自覚していなかった。
彼女の能力が発動したのはリーガルと出会い、連邦軍の兵士に襲われた時だ。
リーガルと連邦軍との戦いに、巻き込まれたのである。
無我夢中で目の前に広がる黒い穴に飛び込んだら、リーガルと共にクラウニフリードの中へ移動したという。
無論、黒い穴などリーガルには見えなかった。
メディカだけに見える、緊急回避用の移動穴なのだろう。
メディカ専用の穴は徐々に数を増し、彼女は遠くにある穴も気配だけで察知できるようになる。
バミューダ海域に大きな穴があると教えてくれたのも、当の本人だった。
彼女と共に飛び込めば、閉ざされた空間へ行けるのでは――
そう考え、今回の行動に移した。
実験は成功した。
その代わり、仲間に甚大な被害を出してしまった。
空間も、二度と入れなくなってしまった。
消滅してしまったのでは、入るどころの話ではない。
仲間と船、空間に多大な損害を出した上で、得たものといえばシン=トウガ一人だけ。
これではジャッカルが怒るのも、無理はない。
リーガルにしたって、アッシュがシンを能力者だと言い張るものだから仕方なく信じている。
息子の言い分だから仕方なく、信じ込もうとしている。
本音では信じかねているというのが、正しい。
海を凍らせたという、シンの能力。
是非とも、この目で見てみたいものだ。
「オヤジ〜、おっはよー♪」
底抜けに明るい声が入ってきて、リーガルに飛びついてくる。
「あぁ、おはよう」
疎ましげに追い払いながら、リーガルはアッシュと共に入ってきた白い髪の青年へ目をやった。
「シン君も、おはよう」
「おはようございます」
ジャッカルが振り向き、シンを見る。
目つきに剣呑なものを感じ、シンは身震いした。
どうしてか判らないけど、この男はシンに対して殺気を放ってきているように思われる。
「あのね、シンね、もう落ち着いたって。ね?シンー」
場の空気を読んでいないのか、それとも読んだ上で、あえて無視しているのか、二人の間に割って入ったアッシュが陽気にリーガル、それからシンへも話しかける。
気分を変えようと、シンもアッシュとリーガルへ視線を移して頷いた。
「あぁ。昨日はすみませんでした、取り乱してしまって……」
「いや、仕方のない話だ。私も故郷を失った時は、ひどく動揺したものだ」
能力者が迫害されているとは散々聞かされた話である。
リーガルも、そしてアッシュも本人は言わないが、恐らくは故郷を失った被害者なのだ。
そう考えると、ユニウスクラウニに対する恨みは多少和らいだ。
許せないのは連邦軍。
変わった力を持っているというだけでアッシュ達を迫害し、シンの世界まで追いかけ回した。
彼らがシンの世界で攻撃を仕掛けるから、あの世界は崩壊してしまったのだ。
そうとも。
悪いのは、全て連邦軍だ。
彼らがユニウスクラウニを追いかけてこなかったら、世界は歪まずに済んだかもしれない。
この考え方に、シンは自分で納得する。
少なくとも、目の前の赤毛青年を憎むよりは遥かに気が晴れた。
きっかけは、アッシュとの出会いが全ての始まりだった。
しかし、彼が悪いわけではない。
彼は、たまたま単独行動を取っていたに過ぎず、その時に偶然が重なった。
それだけだ。
彼の取った行動を思い返してみても、世界の崩壊に繋がるような大きな力の発動など、なかったはず。
やはり悪いのは、回避しようと思えば出来る戦いを仕掛けてきた連邦軍なのだ。
「――そうだ、君に紹介しておこう。彼はジャッカル=クラウツ、得意技は真空波だ」
リーガルに促されて、鋭い眼光を向けていた男が会釈する。
「ジャッカルはねぇ、顔は怖いけど優しいんだよ。だからシンも怖がらなくていいよ?」
なんて紹介を、アッシュにされたジャッカルは苦笑しながらシンをジッと見据えた。
先ほどよりは弱まっているものの、やはり若干の殺気を感じてシンは逃げ腰に構える。
どうしてだ。
この男に恨まれる覚えなど、ない。
「ね、ジャッカル。サリーナの腰ねぇ、あと一週間もすれば完治するんだって。良かったね!」
アッシュの一言は効果絶大で、ジャッカルの険しい表情は一瞬にして緩み、彼は顔を輝かせた。
「本当か!?」
「嘘言って、どうするんだよ〜。ホントかどうか、自分で聞きにいってみたら?」
アッシュの言葉も最後まで聞かず、ジャッカルは廊下へ飛び出していった。
リーガルが苦笑する。
「なんだ、あいつの機嫌が悪かったのはサリーナ絡みだったのか?」
「あれ?親父、気づいてなかったの?」
アッシュは拍子抜けした顔を見せたが、すぐにシンへ向き直る。
「ねぇシン、シンはこれから、どうするの?俺達と一緒に生活する?」
どうするの?と聞かれても、この世界では無一文のシンである。
ユニウスクラウニと運命を共にするしか選択肢がないように思われて、シンは迷わず頷いた。
途端にアッシュからは抱きつかれ、後ろへよろめいた。
「やったー!シン、これからは、ずっと一緒だよぉ〜。ヨロシクね、シン!」
この大袈裟な歓迎には少々驚いたものの、シンとしてもアッシュと別れて一人で暮らすのは心細いので、ヨロシクやっていきたい処だ。
「あぁ、こちらこそ」
頷くシンを横目に、リーガルが二度三度、咳払いをする。
「では、さっそくで悪いのだが、アッシュ。彼に我々の目的を説明してやってくれるか」
「オッケェ〜」
アッシュはシンの手を取り、上機嫌に歩き出す。
「シン、まずはクラウニフリードの中を案内するね!それと、皆にもシンを紹介しなくちゃ」
なかば引っ張られる形で、シンも後に続いて廊下へ出た。


目が覚めると、そこは異世界だった。
異世界という言葉すら、彼女は此処へ来て初めて知った。
異世界の地球で一夜が明け、ジェイミー=サーランサーは別の部屋へ通される。
しばらく待っていろと言われてから、ゆうに一時間が経過した後、ようやく誰かが入ってきたので彼女は顔をあげた。
入ってきたのは、二人だ。
二人とも、女性の士官である。
片方はメモパッドらしき物を抱えていた。
「貴女がジェイミー=サーランサーで、間違いないか?」
キリリとした顔つきの、背の高いほうに尋ねられ、マダムは頷き返す。
「えぇ。ジェイミー=サーランサーは、私です。あなた方は……?」
「我々は特務七神所属の者だ。ここへ来るまでの経過は説明を受けているか?」
ここ、地球連邦軍に保護されるまでの経過なら、聞き及んでいる。
目が覚めて、一番最初に出会った士官が教えてくれたのだ。
それによると、マダムのいた世界はユニウスクラウニと呼ばれる軍団のせいで消滅してしまったらしい。
彼らは、マダムの住む街クロムを侵略するために異世界から現れたのだという。
海しかないような、ちっぽけな街に、はたして侵略する要素があったのか、どうか。
マダムは首を傾げたが、真相は闇の中。
ユニウスクラウニとやらに、直接聞かねば判るまい。
ともかく連邦軍は彼らを追いかけ、捕まえようと試みた。
だが、その前に世界が崩壊を起こしてしまい、逃げられてしまったのだそうだ。
世界が壊れた件についても、士官は丁寧に説明してくれた。
強すぎる力が世界に干渉して歪みを起こしたのだとか、なんだとか。
しかし、それらの情報は一介の住民であるマダムにとって、理解を超える話であった。
故に彼女は理解できる部分だけをつなぎ合わせて、自分の置かれている状況を理解しようとした。
つまり――
能力者と呼ばれる無法者に住んでいた街を追い出され、気絶している処を連邦軍に助けられた。
連邦軍は命の恩人だ。
できることなら何でも手伝ってあげたいし、どのような扱いをされても我慢するつもりでいた。
ただ、一つだけ不満がないわけでもない。
世界が崩壊した、なくなったと聞かされた時、彼女は士官へ尋ねた。
街に住んでいた、他の人達の行方を。
特に知りたかったのはシンの行方だが、それは伏せておいた。
名前を言ったところで、彼らが別の街から来た人間なのでは、シンのことなど知り得ないからである。
士官は答えてくれなかった。
言葉を濁し、視線を明後日の方に逃がし、彼は呟いた。
「いずれ知る事になるでしょう。しかし、心を平常に保つよう心がけて下さい」と。
覚悟をしておけ。
そういう意味だというのは、判る。
それでも、ジェイミーは今すぐに真実を知りたかった。
「では貴殿に一、二項目質問する。まず」と言いかける女性士官を遮って、マダムは尋ねた。
「あの……質問の前に、こちらからも、お聞きしたい事がございます」
「質問は許されていない」
間髪入れず、背の高い方がピシャリと言い返す。
後ろでペンを動かしていた小柄な女性士官が顔をあげ、ジェイミーを見つめた。
「何を聞きたいの?」
「神崎くん!私語は慎みたまえ」
背の高いほう、神宮に咎められるが、アリスは構わず、もう一度老女へ繰り返す。
「何を聞きたいの?生存者の確認?」
生存者。
世界崩壊と同時に、死者が出た事を意味する言葉である。
全員無事に助かっているのならば、このような言い方をする必要がない。
予期していたが聞きたくもなかった言葉に、マダムの体はビクリと震える。
どうか、どうか死者の中に彼が、シンの名前が、ありませんように。
半ば祈る気持ちで、マダムは頷いた。
「世界の崩壊後、あの街の住民で生き残ったのは……私一人だったのですか?」
間をおかず、アリスが答える。
「えぇ。生存者は一名。私達が確認できたのは、貴女一人だけ」
判っていた。
そういう返事が来るであろう事は。
それでも、一番聞きたくない回答だった。


包帯を丸々取り替えられ、洗いざらしの軍服に袖を通すと、マッドは幾分すっきりした気分になった。
異世界から命からがら逃げだしてきて、まだ一日しか経っていないというのが信じられない。
もう何日も、ベッドの上で寝ているような感覚を覚えた。
つまり、それだけベッドの上で寝ているのは退屈だったというわけだ。
神矢倉もジンも神太郎も、通常勤務に戻った。
異世界は無くなってしまったが、ユニウスクラウニは未だ健在である。
彼らの動きを探るため、外へ出たと聞かされた。
もう一つの任務には、アリスと神宮が当たっている。
ジェイミー=サーランサーとの対話だ。
彼女は、あの異世界に住んでいた住民だった。
崩れ落ちる世界の中で救出されている。
誰が、どうやって彼女を救出したのか?
マッドは疑問に思ったが、誰も彼に真実を教えてくれなかった。
アリスと神宮の報告に期待だ。
ベッドから身を起こし、そろり、と床に足をつく。
少し脇にズキリとした痛みを感じたが、我慢できないという程ではない。
これなら、多少は歩き回っても平気だろう。
自分の体だ。
どれほどの傷を受けたのかぐらい、自分で把握している。
酷いのは背中と腕。
他は、それほど大怪我ではない。
少なくとも、シーナやマイと比べたら軽傷だ。
両目の見えなくなったシーナ、そして今も意識不明のマイ。
マッドは二人を見舞ってやりたいと考えた。
看護師のいない隙を見計らい、彼はこっそり病室を抜け出した。

二人のいる病棟は、すぐに判った。
道案内の板に新たなプレートが貼り付けてあり、そこに特務七神特別病棟と書かれていたのだ。
それにしても……
エレベーターを乗り継いで部屋の前につくまで、よく誰にも見つからなかったものだ。
今だって、廊下にはマッド一人しかいない。
病棟には人の気配が、全くないといってよかった。
それだけ皆、忙しいのだろう。
能力者を全て地上から消し去るまで、連邦軍の任務は終わらない。
皆が忙しい中、一人だけフラフラしているというのは気が咎めたが仕方ない。
自分は今、怪我人なのだ。
都合良く怪我人に戻りながら、マッドは二、三回、扉をノックする。
「シーナ……入るぞ、いいか?」
返事は、ない。
しかし今、誰かに見つかるわけにはいかないマッドは、返事を待たずに扉を開ける。
そして、ベッドの上で展開されている光景に、目を見張った。

マッドが来るよりも一時間ほど前に看護師が着替えを手伝ってくれて去っていった後、シーナは、これといってすることもなく、ベッドの上で横になっていたのだが、不意にノリコの顔が脳裏に浮かび、シーナは「あーッ!」と大声で叫び、そいつを掻き消した。
けれど嫌な気持ちまでは掻き消えてくれず、モヤモヤとした、やり場のない怒りが、こみ上げてくる。
なんでだろう。
なんで大尉は、あたしを助けてくれなかったの?
昨日、何度も自問自答した疑問が蘇ってくる。
あの時の状況を、鮮明に脳裏へイメージした。
窓際にいたのは、あたしとジン。
それから、アリスとノリコ?
アリスは自発的にだけど、ノリコが窓際にいたのは大尉に命じられたからだ。
大尉に言われて、運転を担当していた。
ジンと、あたしは、サボッて窓を眺めていたんだっけ。
窓なんか、眺めていなきゃよかった。
そうしたら、こんな目に遭わなくて済んだのに。
ジンも酷い怪我を負ったって聞いたけど、大丈夫かな?
アリスが怪我したって話は、聞いていない。
多分、お得意の念動斬とやらで降り注ぐガラスを片っ端から斬り砕いたんだろう。
でも、それをいうなら、ノリコだって。
ノリコだって、やろうと思えば自力でガラスを何とかできたんじゃないの?
彼女の能力、何度か見たことがある。
何も使わずに離れた相手を破壊する、とんでもない力だ。
あたしとは全然、違う。
あたしの能力は、そういう攻撃的な力じゃないから……
あの時大尉は、あたしとジン、それからノリコの誰もを助けられる位置にいた。
何もノリコだけを優先して助ける必要なんか、なかったはずだ。
ジンや、あたしだって良かったはずなのに、どうしてノリコを選んだの?
自分が運転を頼んだという、負い目だろうか。
それとも、サボッていたジンとあたしなんか助ける必要がないと判断したの……?
だんだん哀しくなってきて、シーナは考えるのをやめた。
駄目だ。
暗く落ち込んでいるなんて、ちっとも自分らしくない。
もっと前向きな、何か楽しいことを考えよう。
シーナは目を失う前に見た、大尉の体を思い浮かべる。
逞しい体だった。
それに、アソコも凄かった。
黒くて堅そうな毛がモサッと生えていて、その中に太くて黒々としたものが、ぶら下がっていた。
ちょっと触っただけでも、彼が真っ赤になって大騒ぎしたのを思い出す。
小娘にセクハラされたぐらい、軽く流せないのか。
確か三十を過ぎているはずなのに、妙に初心な男である。
微笑ましい。
「マッド……」
名前を呼び、自分の茂みに手を伸ばす。
目を失う前に見たのは、彼の逸物ばかりではない。
彼の笑顔。
いたずらっ子を叱るような、困ったような怒り顔。
それらはもう、シーナには二度と見られない。
目の見えなくなった彼女を、マッドは、どのように扱ってくれるだろうか?
役立たずとして、切り捨てるだろうか。
否。
彼はきっと、彼ならきっと、シーナを見捨てたりしない。
わざわざ、厄介者の部隊を引き受けるぐらいだ。
彼なら、シーナを部下として扱ってくれる。
彼女には確信があった。
目が潰れる前に見た、あの笑顔。
あれは優しい人間にしか、浮かべる事の出来ない笑顔だ……
「ん……んッ、あァ……マッド……」
茂みを指で擦り、掻き回す。
たった一日二日しか会っていないのに、彼を好きになっていた。
どうしてだろう。
……どうして?
そんなの、判るでしょう?
神矢倉も言っていたではないか。
能力者である自分達を、気にかけてくれた人。
初めて、人として対等に扱ってくれた人。
それが、マッドだったのだ。
指が滑りを感じる。
シーナは更に奥を擦り、シーツの上で身を悶えさせた。
彼に、愛されたい。
でも盲目になってしまった自分を、マッドは愛してくれるだろうか?
指の動きは次第に激しくなり、シーナは、あられもなく喘ぎながら、瞼の裏にマッドの裸体を思い浮かべた。

――といった光景を間近に見てしまい、マッドは、まともに硬直した。
見てはいけない、いけないと思いつつも、視線は黒々とした茂みに吸い寄せられる。
特務七神のメンバーは、全員がアジアの血を引いている。
マッドの黒髪とは違い、彼女達の髪は滑らかで艶やかであった。
男の神太郎ですら艶がある。
シーナが盛んに弄っている茂みは、陰毛が黒く濡れそぼっていた。
女性の秘部を、まともに見たのは初めてだった。
正確に言うなら最後に見たのは幼少の砌、母と風呂に入った時以来だ。
十五、六の小娘相手に固まっているなんて、我ながら情けない。
しかし彼女がマッドの名を呼びながら自慰行為に耽っているなどとは、予想外の展開である。
ノックをしたし声もかけたというのに、気づかなかったのだろうか。
話しかける訳にはいかず、さりとて動く事もできず。
マッドの硬直を解き放ったのは、シーナのあげた甲高い声であった。
「ア、あァ……ン、マッドォ、きて、きてェッ」
絶頂が近いようだ。
これは、まずい。
早く部屋を出なければ、彼女が正気に戻った時に恥をかかせてしまう。
マッドは素早く後ろ手にドアノブを回すと、音もなくスルリと廊下に滑り出た。
静かにドアを閉めるのにも成功し、肩で大きく息を吐く。
まだ、心臓が激しく高鳴っていた。
大人しく寝ているはずはないと予想してはいたが、まさか、あのような痴態に出くわすとは。
目を瞑ると、黒い茂みが、まざまざと脳内に蘇る。
しばらくは夢に見て、うなされそうだ。
マッドは首を激しく振って、邪念を外へ追い出した。
「……何をしているのですか、フライヤー大尉?」
尖った声にハッと振り返れば、そこにいたのは看護服姿の女性。
シーナを担当している、看護師であろう。
ここにいるはずのない人物を見つけ、彼女は鋭い眦をキリキリと吊り上げた。
「い、いや、これは、その」
額に汗をかいて弁解するマッドだが、弁解の余地も虚しく腕を掴まれる。
「フライヤー大尉、あなたはまだ絶対安静を言い渡されているはずです。さぁ、お戻り下さい」
腕につけた通信機で彼女がマッドの担当医へ連絡をつけるのを見ながら、マッドは力なく項垂れる。
これで当分、病室に隔離される日が続くのかと思うと、やっていられない気分だった。

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