act1-1 降下部隊
世界は、荒れた。第五次恐慌後、中国と米国との間で戦争が始まり、それをきっかけに、あちこちで暴動が起きる。
小さな部族同士の小競り合いもあれば、か弱き庶民をいたぶる暴力もあった。
軍隊を動かして、一国家を滅ぼす戦いもあった。
その結果、『世界』という常識は滅ぶ。
生き残った者達が基準となる常識を作り直し、世界は生まれ変わった。
『国家』という鎖を捨てて、『地球連邦』となったのである。
年号も西暦を改め、地球暦と称される。
人類は、一丸となって新しい一歩を踏み出す――はずであった。
形の上だけでは。
人々は鬱積していた。
世界が統合されて、戦争はなくなり平和になったはずなのに、不安が消えさらない。
それは彼らの心を脅かす、新たな存在が確認されたからだ。
人々は、その存在を『能力者』と呼んだ。
人間でありながら、人間とは異なる、異常な能力を持つ輩――
やがて異端の者を狩る『能力者狩り』が各地で起こり、地球は再び荒れ始める。
能力者狩りの名を借りた略奪は各地で起こり、そして本物の能力者狩りも死者を大量に出した。
あまりの悲惨さに、ついに重たい腰をあげて地球連邦軍が乗り出してくる。
だが、それよりも前に、恐れていた事態が起きてしまった。
狩られるがままになっていた能力者達が、反撃に転じたのだ。
力のある能力者は一箇所に集い、一つの組織を造りあげる。
彼らは自らを『ユニウスクラウニ』と名乗り、全ての人間、能力を持たぬ者に対して宣戦布告を放つ。
これまでに殺された無実の者。
殺されてしまった同志の仇を討つ。
復讐による、新たな戦争の始まりであった。
地球暦三十五年。
地球連邦軍に所属する高峰アヤは、飛行降下部隊へ任命される。
まだ新兵だ。軍人となって日が浅い。
それが入隊早々、配属異動なのだから、アヤが不安になるのも無理はなかった。
飛行降下部隊は文字通り、空から降下して相手の領土に攻め込むのを目的とした部隊である。
空中では、まともに戦闘もできない。
下から狙い撃ち、或いは空中で戦いを仕掛けられても、対抗できないのである。
ならば空から地上を爆撃すればいい、と思う輩もいるだろう。
しかし戦局を決めるのは、いつの時代になっても最終的には歩兵の功績だ。
内へ押し入らなければ、相手を追い詰めることなど出来ない。
こと、ゲリラ戦においては。
武器がいくら進歩しようとも、最終的には生身の人間での戦いが勝敗を決めていた。
降下部隊は対空砲火の来ない場所、守りの手薄な場所に降ろす。
そう聞かされていても、やはり不安であった。
パラシュート訓練をしていても、アヤの実戦経験は皆無である。
模擬戦闘で人型の模型を撃ったことはあっても、実物の人間を撃ったことがない。
アヤの住んでいた地域では、民間での銃所持が許されていなかった。
軍へ入ろうと決意したのは、その地域がユニウスクラウニに襲われたのをきっかけとする。
彼らは見境なしに戦いを仕掛けてきた。
戦える者も、そうでない者も殺された。
女も男もなかった。
アヤの両親も、アヤの目の前で殺された。惨殺された。
ユニウスクラウニとは、非能力者を皆殺しにする為、作られた組織である。
噂には聞いていたが、アヤはずっと、どこか遠い場所の話だとしか思っていなかった。
何故なら、最初に生まれた地域を離れる原因となったのが、能力者狩りだったからだ。
能力者とは狩られる対象であって、狩りを行う立場の者ではない、という認識が彼女にはあった。
それが打ち砕かれ、初めてアヤは彼らに憎しみを抱く。
第二の故郷を潰したユニウスクラウニを倒すため、軍へ入隊したのである。
恐ろしいことに、奴らの数は年々増えているという。
このまま勝手を許せば、数十年後には立場が逆転しているかもしれない。
言うまでもないが、人は異端を嫌う。
自分達とは異なる者を拒み、嫌悪する。
そもそもの発端でもある『能力者狩り』が、まさに、そうではないか。
異なる者を拒んだ結果、殺戮という手段に及んだ。
それが今は、逆転しているというだけだ。
しかし理性では判っていても、納得はできない。
誰だって死にたくない。
いや、誰かの都合で殺されたくはない。
能力者だって必死なのだろうが、こちらとて、むざむざ殺されてやる義理などないのである。
「高峰アヤ、入ります」
コンコンと扉をノックして、アヤは司令室に入った。
呼び出しを受けていたのだ。
「やぁ、早かったな」
部屋にいた男が顔をあげる。
がっしりとした長身の男であった。
肌は褐色、南米の出身と思われる。
軍服を筋肉が押し上げている。
服の下には逞しい肉体が隠されているのであろう。
「世間で働いていた頃は、五分前行動が基本でしたから」
澄まして答えるアヤに近づいてくると、男が握手を求めてきた。
「マッド=フライヤーだ。降下部隊の隊長を任されている」
隊長格というからには階級はアヤより、ずっと上に違いない。
胸元に並んだ勲章が、何よりの証だ。
差し出された手に戸惑っていると、マッドのほうから無理矢理手を握ってくる。
「あ……すみません」
思わず謝る彼女へ微笑み、マッドは軽く手を振ってみせる。
「謝る必要はない。よく言われるんだ、フレンドリーすぎる隊長だとな」
軽口に、アヤの口元も綻んだ。
すいっと間を詰めてきたマッドが、惚れ惚れと彼女を見つめる。
「あ。あの……何か?」
一歩下がると、また一歩詰められる。
アヤの顔、首筋、胸、そして腰にお尻と順に視線を這わせてから、マッドは唸った。
「う〜んっ、美しい。いや驚いた。新兵と聞かされていたが、こんな美人さんが入ってくるとはね」
値踏みされていたのか。
それにしても、いきなりのセクハラにアヤは言葉を失う。
自分の容姿には自信があった。
すらりと伸びた足はアジア地域生まれの基準を遥かに越えていたし、細くて色白でもある。
胸は大きく張っており、腰はきゅっとくびれ、尻も見事な湾曲を描いている。
眉はくっきりと黒く、唇が紅い。
やや吊り目だが、きつい印象よりは凛とした雰囲気があった。
洋服ではなく和服のほうが似合いそうな顔をしていた。
ただ、それを軍隊で褒められるのは些か場違いに思える。
それに呼び出された理由も、まだ判っていない。
マッドがアヤを知ったのは、たった今だし、少なくとも卑猥な理由ではないことだけは確かだが。
「……しかし、残念だな。君とは基地以外の場所で知りあいたかった」
いつまでも本題に触れない隊長に焦れて、アヤは少々きつい口調で切り出した。
「本日、自分が呼ばれた用事とは何でしょうか」
「あぁ」
マッドが机の上から書類を持ち上げる。
「君は降下部隊において初心者だ。相手の事を何一つ知らんだろう。そこで、軽く情報を教えておこうと思ってな。急に呼び出したりして、迷惑だったか?」
上司に、こう聞かれて、迷惑ですと答える部下がいたら、顔を見てみたいものだ。
「いえ」
短く答えるアヤの手に今し方取ったばかりの書類を乗せると、マッドは促した。
読んでみろ、ということらしい。
一枚目を捲ると、大きく引き伸ばされた顔写真が出てきた。
アヤはハッと息を呑む。
「降下地点を守っているのが、そいつだ。名をアッシュ=ロード。ユニウスクラウニの幹部――らしい。そいつの弁を信用するならば、だが」
真っ赤な髪の毛を逆立てており、口元を歪めた不敵な笑み。
まだ年若いのか、幼さの残る顔つきをしている。
ゴクリと喉を鳴らしたのを、隊長に聞かれやしなかっただろうか。
アヤは、彼の顔に見覚えがあった。
能力者狩りが現れて疎開する羽目になった、あの区域。
アヤが生まれて、しばらくの間だけ住んでいた街の、お隣さんだ。
活発で生意気で、でもアヤのことを『アヤちゃん』と呼んで慕ってくれた、一つ下の幼なじみ。
彼が。
彼が、能力者だったのか!
彼一人のせいで、アヤ達は住み慣れた街を離れる羽目になったというのか。
何年経とうと見間違えるはずもない。
だってアッシュはアヤにとって幼なじみというだけでは、なかったのだから。
「能力は発火だ。掌から自在に炎を出す。気をつけろ、奴に狙われたら一瞬にして消炭にされるぞ」
マッドの声が、遥か遠くに聞こえる。
悪夢だ。
こんなことが起こりえるなんて。
疎開した後、アッシュからは何の便りもなかった。
それでも、彼は何処かで生きていると、無事でいるとアヤは思っていた。
思い続けていたかった。
彼は無事でいた。
なのに、どうして敵として再会しなければいけないのか。
「――あぁ、それと。降下中は奴らに張りつかれるな」
マッドの声で現実に引き戻され、アヤは彼を見た。
「……張りつかれる?」
「そうだ」
彼は頷き、パラシュート降下中は身動きが取れない事を改めてアヤに説明する。
そんなの説明されなくたって知っている。
しかし、説明には続きがあった。
こちらは身動きが取れなくても、能力者は空中移動が出来るのだという。
能力者の能力というやつだ。
奴らは降下中の隊員に張りつき、襲いかかってくる。
方法も様々で、獣のように首筋に噛みついてくる者もあれば、ナイフで内臓を抉り出そうとする者まで。
「無論、そうならないよう降下場所は厳重に調査の上で行うが」
その上で注意するということは、今までに何回か部下を失っているのだろう。
「しかし何故、奴らはそのような真似をしてくるのです?降下してくる場所が割れているのなら、下から狙い撃てばいいではありませんか」
或いはパラシュートの紐を切って、自分だけ逃げ出すとか。
ヘタをすれば相打ちにもなりかねない彼らの作戦に、アヤは首を傾げる。
そんなのは知らないよ、奴らに聞いてくれ、とマッドも首を振り、話はそこで終わりとなった。
作戦開始までには、まだ時間がある。
一旦部屋に引き下がるアヤを見送りながら、マッドは書類へ目を落とす。
彼女には伝えていない注意項目が、一つあった。
アヤの年齢を考えると、とても教えられるような内容ではなく、マッドは口に出しそびれた。
降下部隊を襲う能力者は、相手を殺そうとする者ばかりではない。
相手が男なら、殺す。
しかし女の場合は――
そこまで考えて、脳裏に浮かんだ嫌な想像をマッドは振り払う。
襲わせない。
これ以上、部下を奴らの思うがままにさせて、たまるものか。
作戦開始五分前に、降下部隊の全員が招集される。
「へぇ、アヤっていうんだ。あんたもアジア地域で生まれたの?」
アヤの隣に並んだのは、アヤと同じく黒髪の女性。
「いいえ、違います。親がアジア生まれってだけで」
アヤは首を振り答えたが、途中で遮られる。
「あ、いいよ。あたしに敬語使わなくても。タメでいこうよ、同い年なんだし」
彼女は黒岩竜喜と名乗り、マッドも教えてくれなかった降下部隊の武勇伝を色々と教えてくれた。
それによると降下部隊はゲリラ戦を続けている能力者達の集落を、いくつも潰しているらしい。
フライヤーの指揮官才能は、優秀な部類。
今まで黒岩が参加した作戦で降下に失敗したのは、微々たる数しかないという。
それが、今攻略中の砦。
ユニウスクラウニが密林に構えた基地であった。
降下する地点を能力者側に読まれてしまい、奇襲を受けて空中で全滅させられた。
竜喜以外の隊員が。
失敗したのに、よく無事だったね、と驚くと、竜喜は笑った。
「あたし、逃げるのだけは得意だからさ。あ、でも、気をつけなよ?」
「え?」
「あいつらさ、男は殺すんだけど、女はその場で犯すからさ。アヤは綺麗だから真っ先に狙われると思う」
その場で、犯す?
マッドは、そんなことは説明してくれなかった。
それに、その場といっても空中じゃないか。
空中で、どうやって犯すというのだ。
だが、竜喜にそれを尋ねる前に作戦の説明が始まった。
「作戦はシンプルだ。地点Dへ降下し、Aの監視塔を占拠する。その後、速やかに各チームで分散してBとCの砦を撃破。司令塔への突撃は時期を見て合図を入れる。通信機を奪われたら何としてでも破壊しろ。以上」
本当にシンプルな説明で、不安の増したアヤは隣の竜喜を盗み見る。
何度も降下作戦に参加しているというだけあって、彼女は落ち着き払っていた。
そんな彼女でも、一度だけ失敗した作戦に参加している。
男は殺され女は犯される、と言っていたが、では彼女も犯されたのだろうか?その時に。
チーム編成を聞き終えた竜喜が、アヤへ振り向く。
「へー、あたしとアヤは同じチームかぁ。よろしくね!」
あっけらかんと笑う、その表情からは、暴行された過去など全く伺えない。
逃げるのが得意だとも言っていたし、犯されてはいないのだろう。
「あ、う、うん。こちらこそ、よろしく」
「まだ堅いなぁ〜。ま、いいか!じゃ、パラシュートつけたげるから、後ろ向いて?」
自分でできると思ったが、この先輩の好きなようにさせてやろうと思いなおし、アヤは後ろを向く。
新しい部署だ。しかも配属されたばかり。
仲の良い先輩を作っておくなら、早い方が良い。
「アハァ!アヤってば、おっきいねぇ〜」
脇の下に紐をくぐらせ、ついでにムニュッと軍服の上からアヤの胸を掴んで、竜喜が歓声をあげる。
「キャ!」
慌てて彼女から身を離し、胸元を両手で押さえてアヤは飛び退いた。
「な、なにするの!?」
「ちょっと触っただけじゃァん?ほらほら、時間ないから戻ってきて」
悪気なく微笑むと、竜喜が手招きする。
渋々アヤが戻ってくると、竜喜は手慣れた手つきでパラシュートをセットした。
「アヤってば、可愛い反応するねぇ。あたしが男だったら、ここで襲ってたよ。ウン」
「お、襲うって……」
同性だと油断していたら、とんでもないことを言い出す人だ。
アヤが驚いているうちにも、竜喜は通信機を取り出し、モニターへ地図を映し出す。
「フムフム?降下地点から監視塔までの距離は……と。ゲッ、結構歩くじゃん!こりゃあ、森林戦も覚悟しとかないといけないね」
などと呟くと、パタンと通信機を閉じた。
「大丈夫だよ。あたしが、絶対にあんたを守ってみせるからさ!」
初対面の後輩に、逃げ足の速さを自慢するぐらいだ。
実際に守ってくれるかどうかはともかく、彼女についていけば万が一失敗しても何とかなる。
輝く笑顔の竜喜を見ながら、アヤは、そう思った。