彼は僕をお得意様と見てくれているのか、よく茶葉を売りに来てくれるんだ。
時々、新作も織り交ぜて、ね。
「聞いたかい、採掘所の事件」
こんな切り出しで始まった雑談によると――
昨夜遅くに坏人が発掘所を襲撃したせいで、掘師が何人か無に還された。
衛士にも被害が出ていて、二、三人の入れ替わりがあったらしい。
坏人が強くなっているのか、衛士が弱まっているのかは判らないが、衛士と互角の戦いを見せる坏人に恐れをなした掘師の間で机器人を雇う計画が上がっていて、衛士は近い将来、消滅するのではないかと噂されている。
しかし机器人に二つの役割を与えるのは、机器人の消滅にも繋がる。
また、掘師が勝手に他人の役割を替えてしまうのも咎に当たる。
従って、これらが発動した場合には一斉消滅が起きるのではないかと、皆、恐れている……
「冗談じゃない!」と、僕は思わず叫んでいた。
「まったくだよ」とニィカフェカが相槌を打ってきて、僕らは何度も頷きあった。
まったくもって冗談じゃない。
衛士が消滅するなんて、冗談でも許さないぞ。
「掘師は掘るだけを考えてりゃいいんだ。彼らが不安になるなら、発掘所に坏人を入れないよう衛士を入口に立たせておきゃいい」
ニィカフェカは溜息まじりに呟くと、天秤から茶袋を取り出した。
「どうだい?甘口と苦口、セットでティーティーゼル。お安くしとくよ」
「苦口かぁ、あんまり捌けないんだよね。辛口は、ないの?」と僕も尋ね返して、ニィカフェカを苦笑させる。
「辛口は栽培が難しくてね……お得意さん、いつも甘口ばかりじゃお客も飽きちゃうよ。たまには苦いのも混ぜてみなって」
買ってあげたいのは山々だけど、苦いのは本当に人を選ぶから、使い所が難しいんだ。
苦いのを好むのは年寄りに多く、子供や青年は、まず飲まない。
お隣のユェンシゥンが好きなのは辛口だ。
ただ、辛口はニィカフェカが言うとおり、滅多に取れないレア茶葉だ。
茶葉の出来は茶焙師の感情に左右される。
つまりニィカフェカの機嫌は今、不安と陽気がゴチャマゼってところかな。
「あぁ、そうだ。商人が売っている珈琲因、あれと苦口を混ぜると辛口に近い味わいになるって聞いたよ」
ニィカフェカも苦口を僕に売りつけようと必死なのか、初耳な噂を持ち出してくる。
珈琲因は酸味があって、あれも人によって好みが分かれるんだよね。
けど、香辛料を茶葉に混ぜるなんて発想、僕には思いつかなかったなぁ。
誰が試してみたんだろう?辛口好きのお客を持つ薬師の誰かかな。
僕のお客は圧倒的に甘口派だ。買いに来るのは子供が多いしね。
ユェンシゥンにあげる薬も甘口なんだけど、彼が辛口党だと僕に教えてくれたのは別の人で、本人から聞いたんじゃない。
確か、ヨーヨーセンだったかな。
彼女は商人をやっていて、僕のところへも香辛料や食料を売り込みに来てくれる。
ヨーヨーセンとニィカフェカは、僕の命綱だ。
二人がいなかったら、これまた無に還っていたよ。
いや、本当に。薬師って面倒な役割だよね……家から出られないんだから。
「噂の出どころはヨーヨーセンだ。今度、彼女に聞いてごらん」とニィカフェカに促されて、今まさに彼女を思い浮かべていた僕は「うん」と素直に頷くと、本日のおすすめセットを買ってやったのだった。
ヨーヨーセンが来てくれたのは、あれから四日後で、さり気なく話題を振ってみたら、喋るわ喋るわ。
「あーそれねー、わたしも飲んでみたけど美味しかったよー!ピリッとするの、呑み口が。知り合いの衛士にも飲ませてみたら、大絶賛されたよー。衛士は辛口好きな奴が多いからねー!発案者は薬師だよ薬師、薬師のホァンカァン。知ってる?あいつね、衛士をお得意様に持つんだ。そうだよ、薬は辛口オンリーってわけー。どういうコネなんだか!」
あいにくと僕は自分以外の薬師と交流がないから、ホァンカァンの名に聞き覚えがない。
しかし、お客が衛士だけに絞られているのは珍しいな。
薬は、どんな役割の人にも満遍なく売れるから、一つに絞る意味がないんだよね。
辛口のピリッ成分は舌が痺れるから、僕はあまり好きじゃない。
甘口を卒業した大人が好むんだってさ。これも、そこのヨーヨーセンから聞いたんだけど。
「それで何?ぼうやは珈琲因に興味が出たってわけ?ウーン、でも高いよー?ぼうやに買えるかなー」
彼女は良い商品を扱っているけれど、僕を子供扱いしてくるのが玉に瑕だ。
「大丈夫だよ。最近は商売が上手くいっているし」と僕は強がって、交渉に出た。
「んじゃあ、特別価格。ジーゼルでいいよー。これねー、捌ける時はトントンでいけるんだけど、普段はあまり売れないの」
僕がお得意様という配慮でか、普段の半額でいいよと言ってくれた。
彼女には毎度感謝だ。
「知ってる?珈琲因は苦い茶葉を混ぜると美味しくなるけど、これ単品でも美味しいんだよー。昔は給仕が煎れてくれたんだけどね、今はいないから」
聞き慣れない役割に、僕は耳をそばだてる。
「給仕?」と聞き返した僕に、ヨーヨーセンは「そ。昔はいたの、そういう役割が」とだけ答えて、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「今は薬師が増えたから、差し引き売上トントンよー。だから、いいの。給仕がいなくても」
「売れるなら、お客なんて誰でもいいよね」と僕も併せて、二人で笑う。
ひとしきり二人で笑い転げた後、「けど」とヨーヨーセンが涙の浮かんだ目尻を拭って呟いた。
「辛口に興味もつってことはー、あれかー?ぼうやの好きな、お隣さん。彼にプレゼントするの?」
鋭いツッコミに、僕は思わずギクリとなる。
なんで判ったんだ。衛士は沢山いるはずなのに。
「あ、図星か。顔真っ赤だよー?ウンウン、判るよ。ユェンシゥンは衛士の精鋭、お得意さんにすればウッハウハの黒字だもんね」
しかしながら、視点は商人。僕の本心までは見抜けなかったようだ。
「どんな客でもいいのは確かだけどー。どうせ客にするなら、お金持ちなほうがいいもんね。ユェンシゥンなら合格だ、精鋭は給料いいから」
「どうして、そこまで詳しいの?」と尋ねれば、「だって、お得意さんだもの!」と彼女は得意げに答える。
「ユェンシゥンが辛口好きってのは前に教えたっけ?あいつね、酸口も好きだよー。こないだ珈琲因を原液で飲ませたら、喜んでたし。甘口以外は大体好きなんじゃないかなー。あ、ぼうやの薬は甘口だったっけ、ゴメンゴメン」
さすが顔の広い商人、顧客の好みをバッチリ把握しているんだなぁ。
ユェンシゥンは辛口が好きだけど酸味もありで甘口は嫌いなのか、メモメモ。
あれ?じゃあ、これまで僕があげてきた薬は、もしかして迷惑になっていた……?
さぁーっと血の気が引いていく僕の顔色を見て、ヨーヨーセンが気遣ってくる。
「え?あっ、もしかして薬あげちゃってた?え、えーと、甘口は苦手ってだけで嫌いじゃないと思うよー?だって、飲めるもん。嫌いなら飲まないでしょ」
彼女のせっかくの気遣いも、僕の耳を右から左へ通り抜けた。
ショックだ。
今まで嫌な顔ひとつせずに受け取ってくれて、「昨日の薬は美味かったぜ」と言ってくれていたから、ひとまず気に入られているんだとばかり思っていたのに、本当は甘みが苦手だったなんて……
僕は、なんて酷いことを彼にしてしまったんだろう。薬師失格だ。
ヨーヨーセンに何の慰めを言われても、ポタポタと流れ落ちる涙が止まらない。
「お願い、泣きやんでシェンフェン。原液が勿体ないよ……アイヤ、そうじゃなくて、泣きすぎたら無くなっちゃうよ体液」
慰めの言葉も商人視点だ。
原液が勿体ないって?
いいんだ。こんな駄目薬師の原液、いっそのこと全部無くなっちゃえばいい。
お客の好みも考えられない奴が薬師を名乗っていいわけがない。
ユェンシゥンは客じゃないけど。僕が勝手な好意を押しつけていただけだけど!
そうだよ、なんで気づかなかったんだ。彼は一度も僕の薬を買っていない。
甘口が嫌いだから、買うわけがない。そこで気づくべきだったんだ。僕のバカバカ。
「まったく、何やってんだか。おい商人、くだらん嘘をばら撒くんじゃない。迷惑な奴め」
ユェンシゥンのことばかり考えていたせいか、彼の声で幻聴まで聴こえてきた。
僕の頭を撫でているのは誰の手だ?ヨーヨーセンにしては大きいけど……
「辛口が好きだとは答えたが、甘口が苦手とは言った覚えがないぞ。勝手な解釈を吹聴するのは商人の役割じゃあるまい」
「ゴ、ゴメーン……だって甘いのは口ん中がドロドロするって言われたら、あー苦手なんだって思うじゃない?」
「ドロドロするとは言ったが、苦手とは言っていない。むしろ甘味は、あのドロドロがいいんだ」
「えー!?そこまで言わなきゃ伝わんないよー!もー、わたしが勘違いしたのは、あなたの言葉足らずが原因じゃない!」
「文脈の読めなさを俺のせいにするな。あと、薬師を泣かせた罪は重いぞ」
「ウ、ウゲゲー。役人への告げ口やめてよぉー。あなたの分だけ食料、安くするから見逃して?ネ?」
ヨーヨーセンときたら、僕をほったらかしに誰かと口論を始めちゃって、僕への謝罪はあれで終了?
というか、この口論相手の声。
どう聴いてもユェンシゥンなんだけど、彼が、この時間に僕の工房へ来るわけないよね。
だって今は見回りの真っ最中だもの。
「見ろ。お前の心ない嘘情報のせいで、全然泣き止まないじゃないか」
「えーあー……だってー、もとを辿れば、あなたが甘口も好きだって言わないからー」
「だから、俺のせいにするなと言っている。そんなに役人へ告げ口されたいのか?」
「が、ガギグゲゲ。ごめんなさい。シェンフェーン、機嫌なおそ?ほらー、衛士サンも心配してるよー?」
うぅ、どこの衛士サンだか知らないけど、二人がかりで心配されちゃっている。
そろそろ僕も泣き止みたいんだけど、涙が止まらないんだ、どうしよう。
俯いてボロボロ涙を流す僕の頬を誰かの細い指が伝い、目尻を一撫でする。
「ちょっと!原液直接舐めちゃって、ダイジョーブなのぉ!?」
「ん、美味い」
「マジ!?」
「あぁ。茶葉と混ぜる必要あるのか?ってぐらい美味いな、これは……なるほど、坏人が薬師を襲うわけだ」
「えー!?坏人が薬師と茶焙師や、わたし達を襲うのは高く売れるから、じゃなかったっけ」
「茶焙師と商人を襲うのは横取りが目的だ。だが、薬師を無に還して奴らに何の利がある?今まで、ずっと疑問だったんだ……だが、原液を舐めて確信した。奴らの狙いは薬師自体だ。正しくは薬の原液、だがな」
え?なに?
なんで坏人の話をしているんだ?この二人。
やっと涙の止まった僕は、顔をあげる。
そして眼の前にいる衛士がユェンシゥンだと知って、心底驚いた。
だって、今の時間は見回りじゃないの!?
「何、驚いてんだ。あぁ、俺が今の時間に来るのは珍しいと言いたいのか。昨夜遅くに掘師が大勢やられたのは、お前も誰かに聞かされたと思うが、そいつ絡みで注意喚起しまわっているんだ。主に薬師と茶焙師にな」
ユェンシゥンが言う側から、ヨーヨーセンが「わたしには注意喚起してくれないの?」と騒ぎ立てて、彼を嫌な顔にさせた。
「商人は戦う術を持っているじゃないか。お前らが坏人を怪しげな道具で撃退したって噂を何度も聞いたぞ」
「まぁねー」と一旦は得意げになったけれど、ヨーヨーセンは上目遣いにユェンシゥンを見上げたりして、僕の前では全く見せたことのない態度だ。
「けど、注意喚起は必要だよ。不意討ちくらったら、いくら道具があっても対処しきれないからねー」
「判った判った」と、ぞんざいに手を振って、彼女との会話を打ち切ったユェンシゥンが僕を見る。
「とにかく、衛士以外の全員に注意喚起しているんだ。夜遅くに坏人から不意討ちされないよう、戸締まりは厳重にしろ。そこの商人も今の話を聞いたんなら、けして油断するんじゃないぞ」
「あ、あの」と僕は切り出した。
今言うべきことじゃないかもしれないけど、どうしても言っておきたかったんだ。
「こ、これまで甘口、全然好きじゃないのに無理やり押しつけて、ごめんなさい……!」
「だから、甘口は嫌いじゃないんだって何度言わせるつもりだ?」
どこか苦笑交じりにユェンシゥンが僕の頭を撫でる。撫でてから、こうも付け足した。
「……あぁ、いや、お前には言ってなかったな。そこの風評被害な商人に言ったんだったか」
さっきの会話は全部、幻聴じゃなかったんだ。
ドロドロがいいんだ。トロ〜リじゃなくて。
なら、今の僕でも高級茶葉で御馳走できるんじゃないか?
いや、いやいや、いや。
高級茶葉は、やはりトロ〜リが一番美味しいんだ。そこは譲れない、例え憧れの人の好みと違っても。
なんで美味しいかを僕が知っているのかっていうと、幼い頃に一度だけ飲んだからだ。
自分が薬師だと判るよりも、ずっと前。
体調を崩した僕に、お隣のおばあさんが飲ませてくれたんだけど、それがもう、美味しいのなんのって!
だから。
最高の茶葉は、最高の煎れ方で御馳走したい。
あの時、僕が味わった感動を彼にも味わわせてあげたいんだ。
「もー、しつこーい!ベーッだ。意地悪な衛士サン、さよなら!シェンフェンは次もご贔屓、よろしくねー」
べーっと舌を出して捨て台詞を残し、ヨーヨーセンは逃げていった。
よっぽど効いたんだろうなぁ、役人への報告って脅し文句が……
薬師が減るのは街の一大事らしいからね。僕自身には、あまり実感が沸かないんだけど。
「何を買ったんだ?防犯グッズでも売りつけられたのか」とユェンシゥンに訊かれたので、僕は「じゃーん、これ!噂で聞いたんだ、茶葉と混ぜると美味しくなるって」と、買ったばかりの珈琲因を見せびらかしてみる。
「あぁ……珈琲因か。商人が流行らせようとしているっていう」
「商人が?調合を考えたのは薬師だって聞いたけど」
「商人が薬師に売り込んで、それで仕方なく調合したんだ。ホァンカァン本人に愚痴られたからな、間違いない」
本人が愚痴ったんなら、それが正解だ。
商人は茶焙師と真っ向から張り合うつもりなんだろうか、商売テリトリーを。
僕としちゃあ、薬が美味しくなるなら、どっちでもいいんだけどね。
「珈琲因と混ぜなくても充分美味いと思うぜ、お前の薬」とユェンシゥンは微笑み、僕の頭を何度も撫でる。
ただし、ぼそっと「お前が使いたいなら、混ぜてもいいが」と付け足すのも忘れなかったけれど。
遠回しに催促するぐらいなら、直接言ってくれればいいのに。
ま、いいけど。甘いのも好きだって判ったし。
「お前、酸味は平気か?」とも尋ねられたので、僕は素直に答えた。
「飲んだことがないから判らないなぁ」
「なら、今度そいつを煎れて一緒に飲もう。酸味も味わい深くて美味しいぞ、辛口や甘口と比べてマイナーだけどな」と言い残して、ユェンシゥンも出ていった。
これから、他の人へも注意喚起に行くんだろう。お仕事ご苦労さま。
彼が出ていって、すぐにコンコンと窓口を叩かれて、さぁ、僕も仕事の始まりだ。
今日は新しい味を買ったことだし、それも混ぜて売ってみようかな。
🌓
なんてこった。
商人がいる手前だから抑えめに表現したが、美味いなんてもんじゃない。
涙のひと舐めだってのに、まだ俺の中で味が燻っている。
あれを寄越せ、あれを舐めさせろと脳で猛り狂う声が聴こえる。
身体が熱い。芯が燃え上がっているかのようだ。
涙で、これだ。飢えと乾きが止まらない。
唾液を直接すすったりしたら、どうなっちまうんだ。
どうして坏人に襲われた薬師が薬を作れなくなってしまうのか、ずっと謎だったが、今なら判る。
あの味を知った俺ならば。
残さず全部、飲み干しているんだ。薬師の体液という体液を。
薬を作れなくなってしまうまで。
一度味をしめたら、連中は何度でも襲う。街から薬師が滅びる危機だ。
注意喚起は坏人の襲撃だけじゃない。
薬師の原料にふれる危険性も伝えてまわらなきゃ駄目だ。
衛士であるはずの俺でさえ、シェンフェンを飲み干したい欲に駆られている。
今夜は眠れそうもない。
嗚呼。
何故、あそこで好奇心に負けて舐めてみようと思ったりしたのか。
後悔している。
だが同時に、こうも思う。
舐めたのがシェンフェンの涙じゃなかったら、俺は、どう感じていたんだろう……?