序章
サイサンダラ歴235年――
突如、上空に出現した黒い扉は、異世界への入口であると国の研究機関が発表する。
国王の命令により、探索へは第七艦隊海軍が派遣される見通しとなった。
セルーンの空に異世界への扉が現われたのは、これが初めてではない。
その時も陸軍ないし空軍が、探索へ派遣されたものだ。
しかし、海軍の派遣は今回が初めてだ。
聞けば、異世界を覆う海の面積が、これまでに発見された世界よりも、ずっと広いという。
第七艦隊は、ただちに第九部隊を派遣すると公表し、世間は、その話題で持ちきりとなった。
「えー、出発前に諸君等へ申しつけておきたい事項がある」
第九小隊を整列させ、とくとくと注意事項を述べているのは第七艦隊所属のエウゼンデッヘ少尉。
偉そうなヒゲを生やしているので、皆、影で『王様ヒゲ』と呼んでいるのは公然の秘密だ。
というか、バレたら軍法会議ものである。上司の陰口は程々に。
「諸君等には、異世界で起きた出来事を事細かに記録して貰いたい」
「その説明ならガナー中尉からも聞いたぜ」
タメグチで言い返した兵士に、すかさず横から「カネジョー!敬語を忘れているぞ」と突っ込んだのは、眼鏡をかけた青年だ。
共に、同じ軍服に身を包んでいる。二人とも第九小隊の兵士である。
「ったく、何度も言われなくたって判るっつーの」
カネジョーと呼ばれた背の低い青年は謝る素振りなぞ一切見せず口の中で文句を続け、溜息をついた少尉は彼を叱るでもなく全員の顔を見渡した。
「だが諸君等の事だ。事細かに書けと言ったところで、うっかり忘れる可能性もある。そこで、だ。キース、例のモノを皆に見せてやってくれ」
「はい」と頷いたのは、さっきカネジョーを窘めた、長身の眼鏡青年だ。
「皆、これを見てくれ」
彼が差し出したのはノート型の小型モニターと、そこからコードで繋がるヘッドギアだ。
「何これ?」と尋ねる少女兵士へ頷くと、キースは説明した。
「これは、思っていることを文章に直してくれる機械……略して、オモブンだ」
「うわ、ネーミングセンス、わっる」なんて呟きも聞こえたが、キースは構わず説明を続ける。
ヘッドギアを己の頭に装着すると、ノート型モニターが小さく点滅した。
「ヘッドギアを装着した者の思考がノート型モニターへ記録される。例えば」
じっと見つめる皆の前で、モニターに文字が浮かび上がる。
『ナナたん、超萌え(はぁと)』
「うわ!」
「すごい、これ、今キースが考えた事!?」
「てか、萌えって何?きめぇッ」
皆の反応を見て、満足そうにキースが頷く。
「その通りだ。あとで編集も出来るから、やばい部分は消しても構わない」
「いや、編集は禁止だ」と、背後から修正を入れたのはエウゼンデッヘ少尉。
「諸君等が何を感じ、何を思ったのかも記録して欲しいからな」
全員が頷く。
「判りました」
「……では、出発は明朝六時。武運を祈る」
敬礼に敬礼を返し、一同解散となった。
少尉が去って、ホッと一息ついた後。
明日の準備をしながら、少女兵士のナナが小隊のリーダーへ尋ねる。
「ねぇ、ユン兄。記録はオモブンを使うとして、誰が記録者になるの?」
ついこの間、軍人になったばかりの彼女にとって、初めての大がかりな任務となる。
「そうだな……」
青い髪の青年ユンは、ぐるりと仲間達を見渡して考え込む。
自分がやってもいいのだが、何しろ、この小隊には自由奔放な面子が揃っている。
全てのメンバーに気を使えるほど、自分は世話好きでも何でもない。
むしろ、人付き合いは苦手なほうだ。
「あ、じゃあ、交換日記ってのは、どうかしら?」
ナイスアイディアと言わんばかりの輝く笑顔を向けてきたのは、女性兵士のセーラ。
「交換日記?」
皆の声がハモッた。
「そう、交換日記。いえ、この場合は交換日誌かしら」
「日記でも日誌でも、どっちでもいいがよ、交代で書けってのか?」
カネジョーの問いにセーラは頷き「えぇ、プライベートな部分は消してもいいわよ」と先ほどの少尉の注意などスッカラカンと忘れたのか、そんなことを言う。
「消さねェよ。さっき、王様ヒゲにも言われたばっかだしな」
却って、カネジョーのほうが真面目だ。
「じゃあ、じゃあ、誰が一番最初?」
ウキウキして尋ねてくるナナに答えたのは、セツナ女医。
この探索への同行を命じられた軍医だ。
医者としての腕もさることながら、人柄も信頼できるとユンは思っている。
「ユン、ナナちゃんが一番目っていうのは、どうかしら」
「何故だ?」
「だってナナちゃん、すごくやる気になっているんですもの。ね?ナナちゃん」
「ハイ!」
嬉々として頷く妹を見て、ユンも僅かに顎を引いた。
「……では最初はナナが書くとして、次は」
「ユン、キース、セーラ、カネジョー、レン、私の順で、どうかしら?」
テキパキと女医には順番まで決められ、特に異存のないユンは黙って頷く。
どちらがリーダーか、判ったもんじゃない。
「俺がオバサンの後かよ?」
嫌そうなカネジョーを一瞥して、「なら、俺と順番を変わるか?」と言ってきたのはキース。
そこへ「あらぁ、誰がオバサンよ。失礼なニャンコちゃんね」とセーラまでが乱入してきて、「誰がニャンコちゃんだ!ちっと背がでけぇからってバカにすんじゃねーぞ!!」などと、だんだん場は騒然としてきたが。
「皆さん、落ち着いて!どの順番で書いても同じですよ、だって交換日誌なんですから!」
レンの大声で、ひとまず一同は納得した。ただし一部の者は、渋々だったが。
ぎゅうぎゅうと大量の衣類をバッグに詰め込みながら、ナナが天井を仰ぐ。
「あー、明日の出発が楽しみぃ〜♪ユン兄、レン、異世界についたら、まずは街を探そうね!」
「そんな、旅行じゃあるまいし、お気楽な……」と呆れるレンの横では、ユンがぼそりと呟く。
「街探しの前に、大気成分の調査が先だ」
盛り下がる二人の返事にめげることなく、ナナは妄想を膨らませるのであった。
「異世界で素敵な人に出会っちゃったら、やだぁ〜、どうしよぉ〜っ」
その前に、言葉は通じるのであろうか。
いきなり怖いモンスターに襲われたら――?
考えれば考えるほど胃の辺りがキュゥッと痛くなってきたレンも、荷物にギュウギュウと大量の武器を突っ込んだ。