北海バイキング

8話 奇跡は起きるか?

幾つかの海賊船と小さな商船が海上に浮かんでいる。
やがて港に停留していた商船の一つが、ゆっくりと水面を進み始める。
まっすぐ沖に出るでもなく、挑発するかのように海賊船の前を横切って。
「海軍の囮船が動き始めましたぜ!どう料理してやりましょうか」
こちらを振り向く見張りにパーミアは頷き、通信管へ顔を寄せる。
「見えてるかい、ユーゴ!お前らが囮にノッてやんなッ。サウスとナヴァは、ゆっくり迂回しながら、岩陰に隠れているつもりの軍船を砲撃!タオは後方援護に当たれ!」
「分散するのか。こちらの守りを固めなくてよいのか?」
背後への気配に振り返りもせず、パーミアは鼻でせせら笑った。
「守りを固める?誰に言ってるつもりだい。攻めて攻めて攻めまくる、それがあたしらバイキングの戦い方さ。そんな心配をしてる余裕があるんだったら乗り込む準備でもしておきな、カスミ!」
背後の気配、すなわちカスミとコハクは無言で頷くと、船内へと姿を消した。
「あいつら、軍隊が相手でも役に立ちますかねぇ?お頭」
足音立てずに降りていった二人を、薄気味悪く見送った子分が愚痴を漏らす。
「なら役に立つよう、敵船の中にぶち込んでやればいいさ」
軍人相手に怯えて途中で裏切るようなら、軍船もろとも海の藻屑にするまでだ。
余所から流れてきた用心棒など所詮は金での繋がり、情などかけるつもりは更々無い。

パーミア海賊団の動きに合わせるかのように、もう一つの海賊団も動き始める。
こちらはゼクシィ率いるバイキング団。
甲板に仁王立ちするゼクシィは、早くも通信管に向かって唾を飛ばしていた。
「ボレノ、ヒュドラ、お前らは西のやつらを叩け!だが撃沈するなよ、威嚇だけでいいッ。ジャンプルーは俺の後方援護にあたれ!自慢の砲撃で奴らに一泡ふかせてやれよ!ミミは東、テルンは北を頼む!やばくなったら旋回しろ、無理だけはするな!」
間髪入れず、ゼクシィに負けないぐらいの大声が管を通して怒鳴り返してくる。
「無茶をするなだって!?無茶しなきゃーあんな大軍とぶつかって勝てるもんかいッ。いいか親分、俺達はあんたの部下だが、同時に勇敢な海の戦士でもある!そこんとこだけは忘れるなッ。無茶してでも沈めろって命令してくれよ!」
叫んでいるのはボレノだ。
まだ年若いが、有能な片腕でもある。
ボレノに続けとばかりにミミやジャンプルー、全員が甲板で怒鳴っていた。
「あたし達はメイツラグの英雄だ!英雄の名に恥じない戦いを見せるんだ!!」
「英雄の名を汚した逆賊に天罰を!」
それぞれの船が、波を蹴散らし勇ましく突き進んでゆく。
バイキング達が守り通してきた、英雄としての誇り。
その誇りをかけた戦いが今、始まった。

伝令が入った後も、ファーレン海軍のカミュ少尉は待機の命令を解かずにいた。
目の前のレーダーには、幾つもの点が瞬いている。
海岸沿いで四方を囲むように瞬いている青い点は、メイツラグ海軍の船だ。
一応漁船に偽装しているとのことだが、海賊達には、もう見破られているようだ。
その四つの光に向かって、赤い点が―これは海賊船だが―ゆっくりと近づいていく。
動きとしては中央の海を目指して走っている青い光を包囲しているようにも見えるが、彼らの最終目的が四つの光にあることは、こうしてレーダーを見ていれば一目瞭然だ。
もちろん、中央の海を目指して走っている囮船も赤い光に追われている。
囮に食いついたフリをして、待ち伏せを逆に奇襲しようという作戦のつもりだろう。
今更ながらメイツラグ軍の所持する船の装備を思い出し、カミュは心底憐れんだ。
メイツラグ海軍の船には、レーダーがついていなかったのである。
レーダーさえあれば、敵の動きに惑わされるなど万に一つもありえないというのに。
ふと、軍法会議で怒鳴っていた軍人の顔が脳裏に浮かぶ。
グラーニン卿は自分が奇襲されたら、どんな顔をするだろうか。
あの老人は、この作戦に相当な自信を持っていた。
海賊如きに見破られたと知れば、顔を真っ赤にして悔しがるに違いない。
床板をドンドンと踏みつけるぐらいは、やりそうだ。
その様子が目に浮かび、カミュはクスリと忍び笑いを漏らした。
漏らしてから、さっさと妄想を払いのけ、再びレーダーに視線を落とした。
海賊達の赤い光を、さらに港から出発したばかりの黄色い光が追いかけている。
黄色はゼクシィ海賊団だ。
彼らは味方となる海賊であり、一部の船にはカミュの配下も乗り込んでいる。
――ジェナックは海賊達と、うまくやっていけているかな?
この作戦で心配があるとすれば、海賊と部下との間で摩擦が生じることである。
レイザースやファーレン、ダレーシアの海では、海賊と海軍は敵対関係にあった。
メイツラグの軍人と海賊が、どのような関係にあるのかはカミュの知るところではない。
だが討伐命令が出るぐらいだから、あまり良い関係にあったとは言えないのではないか?
少なくとも軍会議で見た限りでは、貴族と海賊との関係は悪そうだ。
いや、貴族は間違いなく海賊を疎んじている。
国に英雄は二人もいらないのだ。
国の英雄に相応しいのは国王だけ。
貴族なら、そう考えるだろう。当然だ。
いずこの国でも貴族と民衆との、いざこざは耐えないものだ。
たとえ海賊を滅ぼしても、この国の内乱は収まらない。
そこまで考えた時、「やれやれ」とカミュの口からは溜息がこぼれた。

カミュのそうした心配とは裏腹に、こちらはゼクシィ率いる船の中。
船内を歩き回っていたジェナックは、すっかり満足していた。
この船には計器と呼べる物が一切積み込まれていない。
分厚い船底では、幾人もの船員が櫂を握って漕いでいるという。
こんなクラシックな船、ファーレンやダレーシアでも今時見かけない。
「動いているというのが、まず凄いわね」
全木造仕立ての船を見て、不機嫌一辺倒のマリーナでさえ思わず呟いたぐらいだ。
何しろ基本中の基本であるレーダーすらないのだから、ある意味感動ものである。
そのマリーナだが、今はジェナックと行動を共にしていない。
彼女は航海術と砲撃の腕前を買われ、船長と一緒に甲板へ上がっている。
彼女が砲撃しているところなど、ジェナックは数回しか見た覚えがない。
だが聞くところによると、マリーナを、そう彼らに紹介したのはカミュだという。
カミュはジェナックのことを白兵戦で使える奴、としか紹介しなかったらしい。
それで今、ジェナックは一人で船内をぶらついているというわけだ。
船長のゼクシィからは、出番が来るまでは自由にしていていいと言われている。
甲板では艦隊戦の真っ最中、弾込めだの旋回だので大わらわになっているはずだ。
今も船内に張り巡らされた通信管からは、ひっきりなしにゼクシィの怒号が聞こえている。
ぶらぶらしているのにも飽きてきたジェナックは、こっそり甲板へと上がっていった。
上がったからといって何か手伝えるとは思えないが、戦況だけは把握しておきたい。
なにしろ通信管から聞こえてくるのはゼクシィの怒鳴り声だけで、一体何がどうなっているのかなど、さっぱり判りようもなかったのである。

「行ったぞ、次は11時の方角に撃てェい!」
大声で命令するだけなんて、船長は気楽でいいわ。
マリーナは心の中で悪態をつきつつ砲弾を抱え上げ、エイッと大砲の中に押し込んだ。
さっきから弾詰めばかりをやらされていて、腰が痛くなってきている。
腰を気にした瞬間、横合いからの高波で彼女は頭から濡れ鼠になってしまった。
気を抜くと、フラリと足元から崩れ落ちてしまいそうになる。
気弱になっている自分に悪態をつき、マリーナは導火線に火をつけた。
それにしても、ひどい酷い船の揺れ具合だ。
吐き気と目眩に襲われ、マリーナは何度も甲板に尻餅をつきそうになった。
それでも何とか縁につかまって尻餅を回避したのは、軍人の意地に他ならない。
南国の軍人はひ弱だな、などと海賊どもに馬鹿にされるのだけは避けたかった。
「来るぞ、衝撃に備えろォォォ!!!」
ゼクシィの叫びが聞こえるや否や、耳を劈くドーンという大音量。
続いて波の揺れなど比較にもならない横揺れの衝撃が、船全体を包み込む。
思わず漏れそうになる悲鳴を、マリーナは歯を食いしばって漏らすまいと耐えた。
縁を掴む手が白く、かじかんでいる。
「おい五番砲撃手!弾が飛んでいかねぇぞ、どうした!?」
五番が自分のことだと思い当たり、マリーナは慌てて手元の大砲に目をやる。
導火線の火は消えていた。
先ほどの高波を被った時に消えてしまったのだろう。
――こんな旧型を使っているから!
怒鳴り出したい気持ちを無理矢理抑え、かじかむ手で再び火をつけようとする。
なかなかつかない。
当たり前だ、導火線も水を被ったのだから火がつくわけもない。
「何やってんだ、てめぇは素人か?軍人ッ」
間髪入れずゼクシィの怒号が飛んできた。
「そいつはもう、しけってて使えねぇんだ!次の弾を込めやがれ!!」
「判ってるわよ!」
怒りにまかせて火打ち石を甲板に叩きつけ、マリーナは新たな砲弾を抱え上げる。
そこへ狙いすましたような高波が襲いかかり、手の中の砲弾を駄目にしてしまう。
ずぶ濡れになった彼女は、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。
彼女は神を呪い、こんな船に無理矢理乗せた彼女の上官を罵り、最終的には怒鳴るだけで何もしない船長へと怒りの矛先を向けた。
「船長!」
濡れて使い物にならなくなった砲弾を甲板に叩き落とし、キッと見上げる。
船の上部で舵を握るゼクシィは視線を前に向けたまま、マリーナの声に応えた。
「キャプテン、または親分と呼べ!」
「じゃあキャプテン!」
金切り声でマリーナが怒鳴りかえす。
「砲撃するつもりなら船を止めて!動き回られたんじゃ狙いもつけられないわ!!」
だが返ってきたのは、負けず劣らず大きな声での「バカヤロウ!」といった罵倒であった。
「同じとこに止まってたんじゃあ狙い撃ちされっだろうが!動きながらで撃てないようじゃ、南国の軍人も大した腕前じゃねぇな!?」
大したことがない。
そう言われたマリーナはカッと頭に血がのぼる。
次の瞬間には、ゼクシィの元へ駆け上がっていた。
軍人が持ち場を離れるなど、普段のマリーナなら絶対に有り得ない行動である。
だが、海賊なんかに――
海の悪党なんかに侮辱されたことが、彼女から冷静な判断を奪ってしまった。
「マリーナ!」
誰かが下で叫んだが、その時にはマリーナの平手打ちがゼクシィの頬を捉えていた。
だがそこは、さすがに海の英雄。
ビンタされたぐらいで怯むゼクシィではない。
「痛ェな!何しやがる、このアマァ!!」
握り拳で殴り飛ばされ、マリーナは階段を転げ落ちる。
甲板に叩きつけられる寸前、誰かが彼女を受け止めてくれなかったら、足を捻挫ぐらいはしていただろう。
「混乱してんじゃねぇぞ、軍人!敵は俺じゃねぇ、あっちだあっち!」
転げ落ちて腰の抜けたマリーナを、他の海賊は憐れむでもなく嘲笑っている。
間違いない。
間違いなく海賊達は軍人を嫌っている。
マリーナは、ようやく悟った。
だから、この仕打ちだったのだ。
女であるマリーナに力仕事をやらせたのも、軍人が憎いから。
始めから軍隊と協力する気など、向こうにはなかったのだ。
勝手に乗り込んできた軍人を馬鹿にするために、こき使っていただけだ。
すべてが馬鹿馬鹿しくなった。
同時に悔しくもなり、目元に涙がにじんでくる。
上からの命令とはいえ、乗り込むからには極力協力しようと思っていたのに。
必死に協力しているつもりだったのは、自分だけだったのか。
これじゃ自分が、あまりにも惨めだ。
まるっきり道化ではないか……
不意に、背後から声をかけられた。
「腐るな、マリーナ。船長に八つ当たりしたって仕方ないだろ。奴らのやり方が気に入らないんなら、俺達は俺達なりのやり方で戦えばいいさ」
抱きかかえられた格好のまま見上げると、不敵な笑みのジェナックと目が合う。
転げ落ちたマリーナを受け止めたのは、やはりというか当然のように彼であった。


この戦いは、逆賊側が優勢か。
レーダーを眺めながら、カミュはそう思った。
連携も統制も海賊のほうが上だ。
海軍の動きには、もたつきがある。
如何せん、軍隊がこれでは民衆に示しもつくまい。
メイツラグへ到着後、カミュがまず調べたのは海賊についてであった。
どの軍勢が、一番力を持っているのか?
逆賊と化した仲間に対する感情は?
彼らとは、協力しているのか敵対しているのか。
そういったことを、村人や町民から聞き込み調査した。
結果、判ったのはメイツラグの海で力を持っているという二大勢力の存在と、バイキングの中でも逆賊を討とうとする者と協力する者がいるという事であった。
軍会議の後、二大勢力の一つと接触した。
カミュが接触を試みたゼクシィ海賊団は、打倒側にあたるバイキングである。
団のリーダーであるゼクシィから、さらに詳しい事情を聞いてみたところ、逆賊パーミアの目的は国家転覆だという。
重税が引き金となり、貴族王族との摩擦が酷くなり、ついには革命まで発展したのか。
パーミアの行動は完全な失敗であったとカミュは考える。
王族にとってすれば、バイキングから逆賊が出たのは、むしろ好機と捉えたであろう。
海賊が国に仇なす蛮族となりさがった時点で、海賊全てを滅ぼす口実ができたのだから。
無論、他国への略奪行為なんてものは、絶対に許される行為ではない。
カミュが知る常識内でも、もちろんレイザース政府から見ても海賊は犯罪者だ。
だがメイツラグの場合、その犯罪者を作った張本人は、他ならぬ国王なのである。
民衆を犯罪者に仕立てておいて、用が済んだら斬り捨てる。
酷い話だ。
国王なら、まず最初に国民の事を優先して考えるべきではないのか。
そういった事情をメイツラグ海軍及び国王は、こちらに隠していた。

――気に入らないな。

そこまで考えて、カミュは己の思考を打ち切る。
レーダーには新たな動きが出ていた。
黄色い点と赤い点が接触し、じわじわと動きを止める。
さらには青い点と赤い点も接触し、こちらも動きを止めている。
白兵戦が始まったのだ。
今頃、どの船の上でも大立ち回りが展開されているはず。
どことも接触していない船も何艘か残っている。
それらは少し離れたところで停船し、様子を伺っているように見えた。
カミュは通信機のスイッチを入れると、落ち着いた声で号令を下す。
「総員に告ぐ。これより自艦は味方艦の援護、及び潜入隊員二名の回収にあたる。各自、武器の整備を怠るな。進路は4時の方角、途中メイツラグ軍に助力を申し込まれたら魔砲を発射。だが、海軍への援護は威嚇射撃に留めろ。弾も一発以上は使うな。遠目に撃ってくる船は全て無視しろ。旧型の大砲など、この鑑には通用しない。我々の目的は海賊の全壊滅ではなくボス格の始末にある。以上」
ずっと静観を決め込んでいたファーレンの軍艦が、緩やかに動き始めた。

逆賊船の甲板は、既に地獄絵図と化していた。
雄叫びをあげて突進してくるシマシマ服の延髄へマリーナの手刀が見事に決まり、男は悲鳴を上げる暇もなく崩れ落ちる。
こちらも息を整えている暇などない。
次の敵が迫ってきていたからだ。
「船をつけるぞ!」
そういったのはゼクシィだったか、或いは向こうの船に乗っていた海賊だったか。
まるで氷山に体当たりしたかのような激しい衝撃が双方の船を襲い、船と船との間に板が渡されたと確認する間もなく、両者入り乱れての白兵戦が始まった。
いつの間に用意していたのか、甲板にいた海賊は手に思い思いの武器を抱えている。
「よーし、やっと出番がきたか!」
そう言ったジェナックの瞳も、子供のように輝いている。
「なんでもかんでも倒さないでね?狙いはボス一人だから、忘れないで!」
無鉄砲に飛び出していきかねない彼にストップをかけると、マリーナは懐から銃を取り出した。
出発前、カミュから受け取っていた【魔銃】だ。
魔砲のミニチュア版とも呼べる代物で、銃弾の代わりに専用の魔弾を詰めて撃つ。
魔砲のような派手さはないものの、魔砲よりも一撃必殺の殺傷力は高い。
弾は全部で十二発入っている。
予備弾も併せれば全部で二十四発ある。
これだけあれば余裕で仕留められるはずだ。
ただし、ボスの部下が邪魔してこなければ。
だがボスだって、部屋一杯に部下を詰め込んで待ち受けるぐらいはしているだろう。
現に、甲板にはボスらしき大物の風格をまとった人物など一人も見あたらないではないか。
これがダレーシアの海賊なら、ボス自ら甲板で待ち受けているところなのだが……
「ジェナック、援護をお願い!無駄弾は使いたくないの」
二十四発は全てボスに撃ち込みたい。
ここで失敗したら、カミュに合わせる顔がない。
海賊に侮辱されても我慢してきた意味もなくなる。
「雑魚は任せておけ!」
心得た、とばかりにジェナックが走り出す。
本当なら彼もボスと戦いたいのであろうに、先陣切って敵の真っ直中に突っ込んでいく。
ジェナックも少しは大人になったものだ、とマリーナは妙な処で感心した。
狙いは彼らの守る階段の下、その奥にあるボスの部屋。
ゼクシィの船の間取りが、そうであったのだ。
なら、この船も似たようなつくりだろう。
先に階段へ向かったジェナックは、階段側に溜まっていた雑魚どもに捕まっていた。
お得意の腕力で無理矢理どかしていこうという腹だったのだが、そこは敵も然る者、白兵戦には慣れている歴戦の海賊であり、馬鹿力で叩かれても怯むことなく立ち塞がる。
数の分だけジェナックが不利だ。
数人にのし掛かられ胸に刃を突き立てられようという時、鋭い雷鳴がマストを貫通した。
「どきなさい、どかないと撃つわよ!」
ジェナックを押さえつけていた連中や、甲板で斬り合っていた者達もハッとなる。
「なんだ、今のは!今の落雷は あいつがやったのか!?」
立つ位置、声をかけたタイミングからすれば、マストをやったのは彼女の仕業か。
だが、落雷なら縦方向にマストを直撃するはずだ。
横に貫通する雷など聞いたこともない。
それに人間が、どうやって落雷を自由自在に操れるというのか――?
マリーナの手に収まっている物体を見て、一同に動揺が走る。
見たこともない形の武器。
同時にマリーナが海賊ではないという証明にもなった。
緊張が甲板を支配した、その直後。
「おもしろいッ!その武器は魔銃……貴様、レイザースのハンターでござるなッ!?」
突如、真上から女の声が降り注ぐ。
「!?」
銃を構え直すマリーナの目の前に、何かが飛び降りてくる。
慌てて飛びずさり、彼女は降り立ってきた人物を注意深く観察した。
まず目に入るのは見事な黒髪。
つやのある長髪をポニーテールに縛っている。
一見するとメイツラグ人のようだが、瞳の色は違う。
メイツラグ人のような琥珀色ではない。
黒ずんだ茶色をしていた。
黒い装束に身を包んだ、年の頃は十五かそこらだろうか。
外見だけでいうなら、まだ少女といってもよい。
顔に似合わぬハスキーな声をしていた。
背中には丈の短い刀を背負っている。
刀というよりはナイフといったほうが正しいか?
「拙者は一天刀 香澄と申す。大陸のハンターよ、貴殿も名乗りをあげよ」
聞いたことのないイントネーションで少女がしゃべる。
「おあいにく様。私はハンターじゃないの、軍人よ!!」
マリーナが更に間合いを取って銃を構えるのと同時に、階段側から獣の唸り声が聞こえてくる。
かと思うと、海賊達が下から突き上げられた格好で吹っ飛んだ。
「ふぅぅぅ〜。まったく、数にまかせて乗っかりやがって」
海賊達の下から、むっくりと身を起こした者がいる。
色黒の肌の巨漢。
獣の声だと思ったのは、ジェナックの唸り声だったようだ。
のし掛かっていた海賊を残らず吹っ飛ばすと、立ち上がりコキコキと肩を鳴らす。
直後、背後から襲いかかる狂刃を、顔色も変えずに軽いステップでかわしきった。
「へぇ……気配を消してたつもりだったのにな。少しは腕を上げたか?」
場にそぐわぬ口笛を吹いて階段下から姿を現したのは、手に抜き身の長剣をぶらさげた、スマートな体格に沿ってピッタリとした黒服を身につけている黒髪の剣士。
振り向かなくても彼が、どのような顔をしているかなど、ジェナックにはお見通しだ。
恐らくは邪悪な笑みを浮かべているに違いない。
彼の嫌いな、あの笑みを。
「コハク……いや、戦ってる時はヒスイだったか?捕まったとは聞いていたが、まさかお前が逆賊側につくとは意外だったな」
正面には、黒服の少女と睨みあうマリーナが見える。
背後のコハクを無視して少女に飛びかかるのは、あまりにも無謀な行動だ。
少しでも気を抜けば、やられる。
コハクの強さはジェナックも承知している。
だがコハクの相手をしていたら、少女と対峙しているマリーナがピンチになってしまう。
魔銃が一撃必殺の殺傷力を持つとはいえ、少女の実力も判らないのだ。
それに、彼女は重要な使命を帯びている。
魔銃を使って、この船のボスを仕留める大事な使命が。
無駄弾を使うわけにはいかないと、マリーナも言っていたではないか。
コハクを無視するか、女を無視するか?
「そいつは、こっちの台詞だぜ。海軍のアンタが何で海賊とつるんでやがるんだ?」
じりじりと背後の殺気が間合いを縮めてくる。
もはや一刻の猶予もならなかった。
「決まっているだろう、任務だからだ!」
言うが早いか飛び出した。
前に向かって。
「何!?」と怒鳴ったのはコハクか――いや、ジェナック自身だったかもしれない。
何故なら彼が飛び出した瞬間を狙ったかの如く、船が激しい横揺れに見舞われたからだ。
――誰だ、こんな時に!
海賊船の真横に大きな船の影が見えた。
ジェナックに確認できたのは、そこまでで、そこから先は降り下ろされる刃をギリギリのタイミングでかわすのが精一杯だった。
「チィッ」
利き足を軸にコハクが、いやヒスイが体を回転させながら横薙ぎに追う。
凶刃は寸でのところで鼻先をかすめ、ジェナックは甲板を転がった。
かわしたと思ったのに、鼻の上には、うっすらと一筋の線が浮かび、血が滲んでくる。
あと一歩遅かったら顔を両断されていたかもしれないと思うと、背筋がぞっとした。
脳裏に、かのキャプテンフッチの哀れな最期が浮かんでは消える。
キャプテンフッチ――
ジェナックが海上警備隊として働いていた頃、散々手を焼かせてくれた海賊の一人で、大規模な団を率いる強敵でもあった。
そのフッチの首を、ヒスイはいとも容易く切断した。
力任せにぶった切るのではない。
鋭利な刃物で切り落とす。
その剣先は目で捉えることも叶わない速度で振り下ろされる。
ヒスイの剣は、そういう剣だ。
背後からの刃も先ほどの斬りをかわしたのも、全てはジェナックに宿る野生の勘のおかげだ。
戦いは果てしなくジェナックにとって不利な方向にあった。
コハクとジェナックの戦いが始まった時、マリーナもボーッとしていたわけではない。
彼女はコハクがジェナックに斬りかかるのと同時に、行動を起こしていた。
メイツラグの軍艦がぶつかってきて、黒服の女や海賊に隙が出来たのだ。
この隙を利用しない馬鹿はいない。
女に背を向けジェナック達の横を駆け抜ける瞬間、誰かが軍艦から飛び降りるのを横目に捉えた。
そこからは階段を駆け下りてしまったので、マリーナにも確認することはできなかったが。

「なんという無茶をなさるのです!ダイナー大尉、戻って下さい!大尉ィィー!!」
ぶつかってきた軍艦の甲板では、下に向かって叫ぶ男の姿があった。
リズ=ダイナーの副官、ゲイツ=バルセクツだ。
彼の上官リズは、彼が止めるのにも耳を貸さず海賊船へと飛び降りたのである。
ムチャクチャだ。
とても軍人の取るべき行動とは思えない。
命じられるままに船を海賊船にぶつけた操舵手も、どうかしていると思わざるを得ない。
船をぶつけて乗り込むなど、軍艦のとる戦法ではない。
これでは、まるで海賊だ。
しかも彼女は剣を腰に差していた。
ということは、直接乗り込んで親分を退治するつもりなのか。
ボス同士、一対一の戦い。
古来よりバイキング達は、そうした決闘スタイルを取っていた。
リズの名前を叫びながら、同時に、わくわくしている自分にも気づきゲイツは動揺する。
バカバカ、一体何を浮かれているのだ俺は。
リズが死んだら、一連の責任は誰に向かうと思っている?
当然、彼女の暴走を止められなかった自分に矛先が向かうだろう。
それはまずい、大いにマズイ。
俺はまだ、こんなところで躓くわけにはいかんのだ。
輝かしい出世街道が、こんなつまらん海賊退治で潰されてしまう。
叫ぶことをやめたゲイツは決心の面持ちで頷き、自室から手頃な武器を探そうと慌てふためき走っていった。

自鑑から海賊船まで落下にして数メートル。
高さをものともせずに舞い降りたリズを、海賊達が見逃してなどくれるはずもない。
呆気にとられたのも数秒のことで、リズは、あっという間に囲まれた。
「数に任せて、たくさんいるわね……でも腕の方は大したことがないみたい」
殺気が膨れあがる。
リズはお構いなしに腰の剣を抜いた。
「今日は容赦してあげないわよ。私に斬りかかったことを後悔しなさい!」
彼女が言い終わるのも待たないで、一斉に周囲の殺気が襲いかかってくる。
無数の刃が上から、下から、真横から、ありとあらゆる角度から彼女の体を斬り裂いた――
と、甲板にいた誰もが思ったはずだ。
だが。
無数の刃が切り裂いたのは、なにもない空だけであった。
数秒の間を置いてから、彼女を囲んでいた男達が揃ってバタバタと倒れ込む。
斬ったスピードを殺さぬまま、走る一人の背中に斬りつけて、リズはくるりと反転する。
すぐさま、背後からの一撃を剣で弾いた。
リズの動きには一塵の無駄もない。
「ほぅ……これほどの手練れが海軍にいようとは。お主、何者でござる?」
リズに斬りつけ、刃を弾かれたのは黒服の少女であった。
うかうかとマリーナを逃してしまい、すぐさま追いかけようとしていたところ、真横を突風が走り抜ける。
その正体が自分と大して年の違わぬ女であると気づいたのは、追いつき斬りかかって、刃を弾かれた直後であった。
真っ直ぐな瞳。
女は意志の強そうな目を、カスミに向けている。
強いのは意思だけではない。
コハクでさえ受けきれなかったカスミの一刀を、この女は弾いたのだ。剣で。
まことに世界は広い。
武者修行として海を渡ってきた甲斐が、ここにもあった。
「面白い……我が一天刀流の名において、お主を刀の錆にしてくれよう」
言うが早いか背中に剣を背負いなおし、素早く印を組む。
それを黙ってみているリズではない。
何をやろうとしているのかは判らないが、何かをやられてから対処したのでは遅いのだ。
こと、相手が傭兵だと判っている場合には。
傭兵時代の勘が彼女を突き動かし、印を組んだ指めがけて剣を振り下ろす。
斬った――!
そう思った瞬間、カスミの体は、ぐにゃりと大気に流れて消えた。
捉えたはずの剣が叩いたのは大きな丸太だ。
丸太が剣に突き刺さっている。
「え……」
「危ないッ、リズ!!」
不意の事態にぼんやりするリズ、その彼女に横から誰かがタックルし、吹っ飛ばす。
受け身を取り損ない、リズは甲板で嫌というほど腕や足を擦りむいた。
慌てて立ち上がると、鬼の形相で叫んでいるカスミが視界に入る。
「チィッ!何故邪魔をする、コハク!!」
今までリズのたっていた場所は見るも無惨、ザクザクに切り裂かれて穴が開いていた。
避けるのが少しでも遅れれば、リズの体は甲板と同じように切り裂かれていただろう。
いや、それよりも。
目の前に立つ、抜き身の剣を構えている黒髪の青年。
すらりとした体格や、握りしめている剣の柄には見覚えがあった。
「コハク?コハク、なの?」
リズの記憶にあるコハクは、眠たげな瞳の少年であったようにも思う。
いつもボ〜ッとしていて、何を考えているのかサッパリ判らない子であった。
リズに背を向け剣を構えた青年は、勇ましくも精悍な横顔を見せている。
眉をつり上げ、必死の覚悟でリズを守ろうとする戦士の顔だ。
コハクは後ろも振り返らず、微かに頷いた。
「リズ……貴女は、俺が守る」
カスミがコハクの裏切りに驚いたように、ジェナックも驚いていた。
もっと驚いたのは、船から飛び降りてきた奴の名前にだ。
リズという名には聞き覚えがあった。
リズ=ダイナー。
メイツラグ海軍に所属する大尉の名が、確かそんな名前だったような気がする。
座り込む女の顔を見て二度たまげた。
あの女の顔には、はっきりと見覚えがある。
首都の酒場で暴れていた女ではないか。
エール三杯で酔っぱらう可愛い処もありながら、大の男相手に大立ち回りを繰り広げた少女。
そして今しがた軍艦から飛び降りてきた少女、その名はリズ。
メイツラグ海軍に所属する大尉の名前もリズ……まさか、まさかとは思うが?
ジェナックは頭が混乱してきた。
リズを守る位置に立つ、コハクの顔には邪悪な笑みなど浮かんでいない。
剣を握っている時は、ヒスイという人物になっている。
それは前に彼自身から聞かされた話だ。
だが、今のコハクは違う。
受け応える声も言葉もコハクのものであった。
そのコハクが叫んだ。
「ジェナック!」
視線はカスミに向けたまま、顎で後ろを示す。
「ジェナック?」
リズがこちらを向く。
彼女が何か言うよりも早く、コハクの声が被さる。
「リズを安全な場所に、頼む。カスミは……俺が倒す」
ワンテンポ置いて、ジェナックとカスミの声が重なった。
「……ハッ、何を言い出すかと思えば!」
「バカヤロウ!」
カスミは鼻で笑い、ジェナックは怒声を返す。
「むざむざ捕虜になっていたお前に、そいつが倒せるのか!?」
それをいったら、コハクの動きについていけないジェナックにもカスミを倒せないことになる。
リズも立ち上がり、体勢を整え直すとコハクの決意を真っ向から否定した。
油断したところを救ってくれた事には感謝する。
しかし、ここで守られていたのでは、何の為に単身乗り込んできたのかが判らなくなる。
「コハク!ここは私達に任せ、貴方は船内へ急ぎなさい!!一人船内へ降りた味方が居たはずよ、その人を追いかけて!」
そうだ、そうだった。
リズの言葉にジェナックはハッとなる。
マリーナを護衛してやるのが使命だったのに、自分は一体何をやっているのだ。
コハクなんかと戦っている場合じゃなかった。
船内にも当然、敵は待ち受けているはずだ。
弾を全弾撃ち尽くしてないと良いのだが。
しかしジェナックですら忘れていたことを、リズはちゃんと覚えていた。
彼女がマリーナの姿を目にしたのは、ほんの一瞬であったかもしれないというのに。
瞬時に体が動くだけではない。
頭の回転も、かなり早い。すごい女だ。
「……ジェナック、マリーナを追え。俺は……リズと共に戦う!」
コハクは視線をひたとカスミに向けたまま、なんとジェナックに命令してきた。
どうあってもリベンジしたいらしい、黒衣の女に。剣士の意地だろうか。
「判っている!」
今はそれよりもマリーナだ。
返事をするのも、もどかしく、ジェナックはドタバタと階段を降りていった。

いよいよ空は薄曇り、遠方からは、ごろごろと唸りながら雷雲が近づいてきている。
ファナは一人、奥まったゼクシィ専用の個室に隠れていた。
いや、隠されていた。
一緒に戦うと言ったのだが、ゼクシィが許さなかった。
ファナを船室に押し込め、さっさと甲板に上がっていってしまったのである。
仕方なく彼女は船室に閉じこもり、ずっと聞き耳を立てていた。
頭上からは絶え間なく、どたどたと走り回る足音や悲鳴、怒号が聞こえてくる。
その中には父や気の良い仲間達、幼なじみも混じっているのかと思うと気が気でない。
どうか早く、戦いが終わって欲しかった。
海賊が世間から、どう思われているかは知っている。
しかし世間では悪党と呼ばれていたって、彼らにだって死んだら涙を流す家族がいるのだ。
それに――それに、この戦いでは父は悪党ではない。
ゼクシィ父さんはメイツラグに仇なす逆賊を倒す為に戦っている。
絶対に死なないで欲しい。
きつく両手を結び、ファナは天に祈った。

一方、こちらはファーレン海軍。
飛び交う砲弾は全てかわし、苦戦するメイツラグ各船を適度に援護しながら。
「前方にゼクシィ海賊団の船が見えてきました」
肉眼で確認できる位置で船を停め、カミュは甲板から身を乗り出した。
思ったよりも甲板で戦う人影は少ない。
だがゼクシィの船の甲板にゼクシィ本人の姿を見て、彼は安堵の溜息を漏らす。
少なくとも攻め込まれてはいない。
ゼクシィがまだ生きていて、且つ甲板で指示を出しているということは、彼らの有利を物語っている。
ジェナックとマリーナの姿は双眼鏡でも確認できない。
恐らくは内部へ潜入した後だ。
気になるのは、海賊船に横から体当たりする形で停まっている軍艦だ。
マストにはメイツラグの旗と赤い旗が、はためいている。
確かリズ=ダイナー大尉の駆る船であったはずだ。
故障したのか動く気配は微塵もない。
海賊船よりは甲板の位置が高いから乗り込まれる心配はないが、何故動こうとしないのか。
カミュは通信機を手に取り――思い直して、部下の一人にメガホンを持ってこさせた。
メイツラグの船には、通信機など積まれていないことを思い出したのである。


ぽつりぽつりとサズラズリ号の甲板を濡らし始めた雨が、次第に強くなる。
雨脚の早さから、数時間もすれば前後も見えない土砂降りになるだろうと予測できた。
「コハク、さっさと、こいつを倒して二人を追いかけましょう!」
黒装束の女と睨み合いを続けたまま、リズは緊張の面持ちで愛弟子に呼びかける。
対峙するカスミも油断無く小刀を握りしめ、小馬鹿にした顔でやり返す。
「拙者を倒す?それも、さっさと?二人とも拙者に押されていたのを、お忘れか」
リズは挑発に乗らず、じりじりと真横へ移動する。
「一対一ではね。でも二人でかかれば、どうかしら。形勢逆転するのではなくて?」
コハクとは垂直の位置、これなら右方向と真正面から同時に斬りかかれる。
丸太でかわされたとしても、二度目は通用しない。通用させない。
先ほどの丸太。
あれは恐らく斬られる瞬間、上に逃げたのだ。
敵が丸太の出現に驚いている間に、上から斬りかかる。
そういう技なのだろう。
消えたのではない。
本当に消えたのなら、コハクが横合いから助けられる訳がない。
「あなたの技は見破ったわ。一度目は通じても、二度目は通じない」
二人がかりで斬りかかるのには、そうした理由もあった。
一人相手に二人がかりで斬りかかるというのは、昔のリズなら躊躇もあっただろう。
傭兵であった頃のリズならば。
今のリズは軍人だ。
軍人はプライドを捨てても任務を完了させる義務がある。
不敵に微笑むリズを見て、それでもカスミは余裕を崩さない。
「口では如何様にも言えるものでござる。拙者の技、破るなら実力で見せて貰おう」
リズはコハクに目配せを送り、先に地を蹴った。
「やぁっ!」
「無駄な事をッ」
斬ったと思った瞬間、カスミの姿が残像を残して、かき消える。
真後ろへ現れた気配に応じたのはリズではない、一呼吸置いて斬りかかったコハクだ。
この会心の一撃も「くッ」とカスミは寸前で身を退いてかわし、再び残像と共に姿を消す。
「コハク、後ろ!」
叫ぶより早くリズが空を突き刺した。
ガツッと鈍い音がして、剣先に丸太が現れる。
その時だ、コハクが真上に飛び上がったのは。
事前に申し合わせていたわけではない。
リズが技を見破ったように、コハクも技を見破っていたのだ。
しかし――
「かかったな!」
声は、コハクの真後ろからした。
コハクが振り返ると、勝ち誇るカスミの顔と小刀が目の前に迫っていた。

――かわせない――!

だがカスミの顔が、一瞬にして驚愕の表情へと切り替わる。
着地を失敗し無様に床へ転がった彼女は信じられない、といった顔で己の胸元を見た。
胸には深々と剣が突き刺さっている。
「言ったでしょ。あなたの技は見破ったって」
リズの投げた剣が、カスミの体を貫いたのだ。
カスミの口は何度か声にならぬ声を発し、やがて彼女は前倒しに倒れ込む。
忍者香澄の、あっけない最後であった。
「……ふぅ」
敵が完全に動かなくなったと確認してから、ようやくリズは額の汗を拭う。
背中も顔も握った両手も汗と雨で、びっしょりと濡れていた。
「リズ……本当に、見破っていたのか?」
いきなり背後から声をかけられ「ヒィ!」と、らしからぬ悲鳴を上げた後、胸をなで下ろしながらリズは微笑んだ。
「あ、コハク……驚かさないでくれる?」
そして、パタパタと手を振る。
「そんなわけないでしょ。ハッタリよ、ハッタリ」
実を言うとリズもコハクと同じように、カスミは上に飛んだと思っていた。
だがコハクの剣が空を斬る音を聞き、読みが外れたと知った。
となると――
今までのパターンからいって、カスミは大概死角から斬りつけてきている。
なら次にカスミが現れるのは、空を飛んで無防備になったコハクの死角、つまり背後か着地地点に現れるはずだが、地上にはリズがいるから現れまい。
空は空でもコハクの背後か。
そう当たりをつけて、剣を投げつけたのである。
ほとんどヤマ勘であった。当たったのは奇跡に近い。
「こいつも場数を踏んだ傭兵だったようだけど、私達には勝てなかったみたいね」
私"達"と勝利者の中にコハクを含んだのは、密かに囮にした事への罪悪感だった。
コハクは気づいているのかいないのか、いや恐らくは気づいていないのだろうが、敬愛する師匠を惚れ惚れと見つめ、祝福の言葉を贈る。
「……さすがだな。この勝利は……リズ一人の手柄だ」
剣を鞘に戻し、階段へと歩き出す。
降り際、ぼそぼそ呟く。
「………俺は………役に立てなかった。腕をあげたつもりだったが………」
「コハク、急ぎましょう。下に降りていった人達が心配だわ」
リズは彼を追い越して、さっさと階段を降りていってしまい、コハクの独り言は聞き返されることなく闇に滅された。

ジェナックが駆けつけた時には既に、階下の有様は壮絶なものと化していた。
舟板のあちこちには魔銃で撃ったとおぼしき穴が開いており、海水が入ってきている。
今はまだ小さな穴だから沈むこともない。
だが、これが多くなってくると話は別だ。
船に穴を開けるな、なんて基本を海兵のマリーナが忘れているとは思いたくない。
しかし目の前にある惨状は、まぎれもない事実なのである。
マリーナは相当逆上している。
船乗りの常識を忘れるほどに。
何故だ。
相手が海賊だからか――?
ざっと目で穴の数を数えた。
全部で十四箇所の穴が開いている。
ここを通るまでに魔弾を十四発も無駄撃ちしたのか。
ジェナックは舌打ちを漏らした。
穴の数と同じ数の海賊が、船底に横たわっている。
どいつもこいつもピクピクと手足を奮わせ、身動きすらとれないようだ。
感電して動けない海賊など後回しにして、ジェナックは奥へ急ぐ。
走り出して、まもなく奥の扉へと到着した。
扉はピッタリ塞がっていたが、ジェナックは力任せに蹴り飛ばす。
蹴り飛ばすと同時に転がり込んで、友の名を呼んだ。
「マリーナ!!」

「ジェ……ジェナッ……ク……」

弱々しい声。
今にも泣き出しそうな声が部屋の隅から聞こえ、反射的にジェナックは、そちらを見た。
瞬間、彼の背中をゾクリと何かが走り抜けた。
寒気?
悲しみ?
それら全ての感情を通り越した怒りであったかもしれない。
部屋の壁には両手首を縄で縛られ、天井から吊されたマリーナの姿があった。
無論、ただ吊されていたわけではない。
あらゆるところを刀で切り刻まれ、無数の赤い筋がマリーナの体を蹂躙している。
顔も強かに殴られたのか、ぼこぼこに腫れあがっていた。
さすがに女海賊が相手ということもあり、性的暴行は受けていないようだが……
ジェナックは床に転がっていた魔銃を拾い上げ、パーミアの顔に狙いを定めた。
「何故、ここまでした?」
物言いは静かだが、声には押し殺した怒りが含まれている。
感情に任せ怒鳴り散らすのが得意な彼とは考えられないほど、別人だ。
「そいつに弾は入ってないよ。全弾使い切らせたからねぇ」
肩を竦めてみせるパーミアに、ジェナックは、もう一度ゆっくりと尋ねた。
「何故ここまでやったかと聞いている。彼女を無力化させるなら、手足を縛るだけでも良かったはずだ」
パーミアが鼻で笑った。
何故そんなことを聞くのか、とでも言いたげに首を振る。
「馬鹿だねぇ、これだから軍人ってのは……いいかい?こいつは、あたしの船に乗り込んできた敵なんだよ。敵を生かしておいて何になる?無力化させたって邪魔なだけさね。吊したのは殺す為、ついでにあたしに刃向かった事を後悔させる為さ」
「後悔させる?吊して、じわじわと弱らせようというのか」
訝しむジェナックに、的を射たりと女海賊は頷いた。
「そうだよ、そのとおり。あんたら軍人には残忍に見えるかもしれないが、古来より、あたし達バイキングは、こうして捕虜を始末してきたんだ。そして国の奴らも、それを推奨してきた!」
さすが国家ぐるみで略奪を推奨してきただけの事はある。
「そいつは海賊でも商船の捕虜でもない。軍人だ。この国は軍人も捕まえたら、なぶり殺しにしていいという法があるのか?」
なおも食い下がると、噛みつかんばかりの勢いでパーミアが怒鳴ってくる。
「なんか勘違いしてるんじゃないかねぇ、軍人さん。こいつは、あたしの船に許可無く上がり込んだうえに船を破壊しようとした。その、いまいましい武器でね!だからお仕置きをしてやった、それだけの話さ」
それに――と舟床に唾を吐き、彼女はこうも言った。
「軍人なんざ所詮は国家の犬だろうが。今、あたし達の敵は国家にすがる貴族どもなんだ。当然、軍人もあたし達の敵だ。自分に刃向かってくる敵をなぶり殺しにして、なにが」
悪いんだい?
そう言おうとしたパーミアの顔面に魔銃が投げつけられ、彼女は一瞬言葉を失った。
続いて腹に重い一撃を加えられ、よろけたところに脇腹への膝蹴りが二発入る。
「ゲ……ゲホッ!」
脇腹を押さえ、憎しみに彩られた瞳で、パーミアはジェナックを睨みつけた。
油断した。
南国の田舎からやってきた軍人如きに、このパーミア様が!
「そいつを聞いて安心したぜ。俺の敵も今は貴様だ。貴様の言い分が通るなら、俺が貴様を八つ裂きにしたとしても文句は出まい」
パーミアに負けず劣らず残忍な笑みを浮かべると、ジェナックは身構えた。


一時は劣勢であったメイツラグ海軍も、ファーレンの最新鑑が加わるや否や形勢逆転する。
ファーレンの魔砲が海賊船を次々と沈めていく様は、壮観とも言えた。
ジェナックとマリーナの帰りを待つ予定であったカミュが一路攻撃へ転じたのは、海賊船に横付けしていた軍艦に乗っていたゲイツと話してからだ。
ゲイツ曰く、船にはメイツラグの海兵も乗り込んでいるという。
乗り込んでいった海兵の名前は、リズ=ダイナー。
海軍大尉でもあり、傭兵上がりという珍しい経歴を持つ女性である。
剣を振るわせたらメイツラグでは右に出る者なしと謳われた剣士らしい。
歓迎式や軍会議で会った時のリズを思い出し、カミュは首を傾げた。
確かにあの時は、彼女の存在に違和感を覚えたものだった。
しかし、それはあの場に若い女性がいることへの違和感であり、彼女が優秀な戦士だとは思ってもみなかったのであるが……
ともかく、地元民であるゲイツが太鼓判を押しているのだ。
それも熱心に。
信じてやらないわけにはいくまい、今後の予定も兼ねて。
カミュは部下に命じ、次々と逆賊の船を沈めていく。
とうとうリズ達が乗り込んでいる船以外、全てを海の藻屑へと変えてしまった。
始めから前線にファーレン鑑が出ていれば良かった、と思うぐらい呆気なく戦いは終わった。
水面に漂う海賊船の残骸を眺めながら、カミュは思う。
――少し、圧倒的すぎたかな?
これでは却って、メイツラグ海軍に警戒心を持たせてしまったかもしれない。
そんなことが頭をよぎったりもしたけれど、もう終わったことだとカミュは自分を慰めた。


互いの拳が、指が、容赦なく相手の急所を狙い、互いに顔面を殴られ、びちゃびちゃと血が床に飛ぶ。
パーミアとジェナックの戦いは、戦いとスマートに呼べる代物ではなくなっていた。
血に飢えた野獣二匹の争いである。
二人は全く同じタイプのファイターであった。
小手先の技もスピードも必要としない、馬鹿力で敵を粉砕するタイプの脳筋だ。
しかし男のジェナックはともかく女であるはずのパーミアのどこに、怪力が隠されているのか。
殴り合いながらも、密かにジェナックは舌を巻いていた。
ゼクシィの話によればパーミアは齢六十歳、いい加減婆さんと呼んでもおかしくない年齢のはず。
その婆さんが自分と互角に殴り合っているのである、一歩も退かずに。
ふんっと鼻血を飛ばした婆さんが、再び殴りかかってくるのを顔面一歩手前で受け止める。
ずっしりと重い拳だ。
さすがに現役海賊だと、ほざくだけのことはある。
こんな拳で殴られ続けては、マリーナがボロ雑巾となってしまったのにも納得できる。
いや、拳以前にマリーナとパーミアでは体格が違いすぎる。
婆さんは成人男性であるジェナックと同じぐらいの筋肉、そして上背があった。
ジェナックが本気でマリーナを殴りつけるようなものだ。
バケモノめ。
口の中で悪態をつきながら、ジェナックは婆さんの肩を掴もうと手を伸ばす。
肩ごと掴んで関節を外そうとしていうのだから、彼も人のことは言えたもんじゃない。
伸ばした腕を婆さんが掴み、ぐるんっと捻る前にジェナックは腕を引っ込めた。
代わりにお留守になっていた足元へローキックを放つが、びくともしない。
「ちッ」
岩を蹴ったが如く堅い衝撃が返ってきただけだ。
スピードで翻弄するコハクのような相手は苦手だが、自分と同じというのもやりにくい。
こうなったら、徹底的に潰し合いといくか――
小賢しい戦法など必要ない。
殴って殴って、向こうが倒れるまで殴り続けてやる。
再び彼の顔に残忍な笑顔が浮かんだ時、横合いから疾風が二つ駆け込んできた。
「ちょっと、なんて顔してるの?恋人に合わせる顔とはいえないわね」
軽口で飛び込んできたのはリズ、仏頂面のまま彼女の後に連れ添って入ってきたのはコハクだ。
「………助太刀する………」
剣を構えている以上、本来ならヒスイの出番だろうに、コハクはコハクのままだ。
リズの前ではヒスイという人格を表に出したくないらしい。
「恋人?誰のことだ」
尋ねるジェナックに指でマリーナを示すと、リズはパーミアを睨みつけた。
「それはともかく。あなたも年貢の納め時ね、パーミア」
またもジェナックが口を挟む。
「知りあいか?」
「知りあいってほどじゃないわ」
私はね、と呟いてリズはコハクを見た。
コハクの表情に変化はない。
一応、パーミアとは同郷のはずだが平然としている。
この様子なら大丈夫、戦いの最中でコハクが躊躇することもないだろう。
「ただ、メイツラグでは有名な海賊団だから。パーミア海賊団と言えば」
「……泣く子も黙る海の英雄、海の蛮族!」
ペッと赤いものを床に吐き出し、パーミアが鼻血を腕でぬぐい取る。
「それが名も無き傭兵の小僧っ子と海軍に討ち取られるたぁ……確かに、年貢の納め時といっても過言じゃないねぇ」
随分と殊勝なことを言う。
意外性に驚きながら、リズは軽口を叩いた。
「観念してくれるのかしら?なら、大人しく連行されてちょうだい」
「生意気吼えるんじゃないよッ、この小娘が!誰にくち訊いてるつもりなんだい!?」
殊勝だと思ったのは、こちらの勘違いだったようだ。
六十越えてなお現役の女海賊は指をバキボキ鳴らしながら、近づいてくる。
ジェナックに殴られて顔が変形している分、余計に恐いものを感じる。
「大人しく捕まる気なんて無いんだ!お前達、前歯の一本や二本は覚悟するんだね。二度と立ち上がれないぐらいボッコボコにしてやるよッ」
得もしれぬ迫力に気圧されて、コハクとリズは知らず後ずさった。
逆に、ずずいと前に出た者もいる。
ジェナックだ。
「面白い、やれるもんならやってみろ。お前程度のスピードじゃあ、こいつら二人に為す術もなく、なます切りにされるのがオチだろうがな」
もちろんコハクとリズの二人に任せっぱなしにするつもりなど、更々ない。
どうしても、パーミアの顔が変形するまで殴ってやらなければ気が済まない。
とっくに変形しまくっているようにも見えるが、これ以上に殴ってやりたい。
そうしないとマリーナが、ボコボコにされた彼女が気の毒だ。
ちらっと部屋の隅に視線を飛ばし、ジェナックはリズに頷いてみせた。
意思が通じたのか、リズも頷き返す。
「こいやぁ!」
パーミアの気合いが引き金となり、最後の戦いが始まった。

――といっても後から考えるに、これは一方的な殺戮だったのかもしれない。
リズがマリーナの元へ走るや否や、コハクが、いきなりヒスイへとチェンジしたからだ。
絶対リズは見ていなかったはずだ。
マリーナを吊している綱を切るのに集中していた彼女には、見えるはずもなかった。
コハクが残忍な笑顔を浮かべ、パーミアの頭を一刀両断の元に唐竹割りするところなど。
彼女が振り向いた時には、死体はジェナックの蹴りによって壁ごと海へ放り出されていた。
だから、全てが終わった後でもリズは知らない。
パーミアが誰の手で、どうやって死んだのかを。

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