北海バイキング

7話 大立ち回り

メイツラグ首都海岸沿いは、物々しい雰囲気に包まれていた。
メイツラグ海軍の船は勿論のこと、レイザース配属ファーレン軍の艦も停船している。
甲板では、既に準備を整えた雑兵達がカミュ少尉の帰りを待ちつつ雑談に華を咲かせていた。
「こう……ぐるっと海賊を取り囲む形で動くんだってさ」
雑兵の一人がモップで簡素な図を書いた。
円の中に点。
点が海賊を意味するのだとすれば、まわりを囲む線はメイツラグ海軍か。
「まるで投網漁ね」
呟くマリーナに、説明していた雑兵が不器用なウィンクを送る。
「魚を網にかけるよりは簡単さ。向こうは魚よりも血が頭に登りやすいだろうから」
「そう簡単に囲ませてもらえるのか?相手は海賊だぞ、魚よりは頭が回る」
ジェナックは首を傾げるが、雑兵はチッチッチと指を振ってみせた。
「その為に俺達が援護に回るんだろーが。奴らをちょこまか立ち回らせない為にも、魔砲で何発か威嚇してやりゃーいい」
「俺達が囮になるのか?」
「違う違う、俺達は援護だよ。前に出るのは数の多いメイツラグ海軍だけ」
それを聞いた途端、ジェナックは萎えてしまった。
囮になるなら、彼の好きな白兵戦も含まれたかもしれないのに。
「皆を集めてくれ。今回の作戦を説明する」
戻ってきたカミュに命じられ、一人が大声で召集をかけている間、覇気の抜けたジェナックにマリーナが話しかける。
「どうしたの?やる気のなさそうな顔しちゃって。艦隊戦は苦手?」
ジェナックは「まぁな」とだけ答えると、肩を竦めてみせた。
「そう……でも、そんなことも言ってられないわね。これは実戦なんだから」
彼の本音が判っているのかいないのか、マリーナは彼を子供のように窘めた。
全員が集合したところで、カミュが今回の作戦を皆に伝える。
「逆賊の奴らに奇襲をかける。まず、メイツラグの偵察艦が奴らを、このポイントまで誘導する」
白板に貼り付けた海図には、幾つかの赤丸が記されていた。
カミュの指が、そのうちの一点、岸辺から遠く離れた海のど真ん中を示す。
「偵察艦で海賊が誘き出せますでありましょうか?」
「もちろん偵察艦は偽装する。メイツラグの旗を立てた商船に」
すかさず飛んできた質問を少尉は手で制し、軽く説明を加えてから先を続けた。
「誘導ぐらいは彼らにだって上手くやれるだろう。一応彼らも海軍なんだからな」
カミュの言い方には、幾分皮肉が籠もっていた。
あちこちから笑いがあがる。
数日の滞在で、皆にも判ってしまったのだ。
この国の海軍は弱いということが。
「このポイント――仮にAポイントとでもしようか、ここにはメイツラグ海軍が陣をはっている。しかし、これもまた囮だ。Aポイントをぐるり囲む位置にB――は北。Cは南、Dは東、そしてEが西。それぞれ五隻ずつの艦隊が潜むことになっている。海賊達がポイントに到着し、囮部隊と戦闘を開始してから五分後に総攻撃を始める。もちろん、その前におかしいと感じて逃げ出す者も出てくるだろう。我々ファーレン軍は、偵察艦が通ってきた道を塞ぐ役を仰せつかった。逃げ道は完全に塞ぐ。逃げ出そうとする者、向かってくる者は全て魔砲で沈めよとのことだ。これは、メイツラグ海軍及び国王の指示である。従って今回使う魔砲は、火炎弾のみとする」
先ほどの嘲笑とは異なったざわめきが、雑兵間を駆け抜ける。
「本気で全滅させるつもりか」
「虐殺になりかねないんじゃないか?」
そんな小声が聞こえてくる。
カミュは少し眉をひそめたが、こう締めくくった。
「メイツラグは今回の作戦で、海賊全てを滅すると決断した。助勢を申し出た我々としては、その案に手を貸す他あるまい」
「しかし」と、雑兵の一人が手を挙げる。
「海賊海賊っていうけど、ここの海賊には良い奴もいるんでしょう?街の連中から聞きました。今暴れているのは、ほんの一部に過ぎないんだと」
カミュがそれについて答えるよりも早く、別の声がキッパリと遮った。
「海賊は海賊よ。一部を許していたら全てがつけあがるわ。英雄だのと持ち上げられているから、増長して今回の事件が起きたんじゃない。悪い根は全て断っておくのがベストよ。メイツラグもそう考えたのではなくて?」
マリーナだ。
腕を組み露骨に嫌悪の表情を浮かべて、質問した雑兵を睨んでいる。
驚いたのはカミュだけではなく、ジェナックも驚いて彼女を見つめた。
そこにいるのは、いつもの陽気なマリーナではない。
海賊に憎悪を燃やす女がいた。
質問した雑兵は彼女に射竦められると、すっかり萎縮してしまう。
周囲を見渡した後、他に質問なしとみてカミュが解散を命じる。
雑兵は一斉に散らばった。

火炎弾を次々と甲板に運び出す作業の中、別班に分かれたマリーナを見つけて、ジェナックは彼女の元へ駆け寄った。
「さっきは、すごい剣幕だったな。全滅させたいほど憎いか?海賊が」
間髪入れず答えが返ってくる。
「憎いわ」
マリーナは彼のほうを見ておらず、砲筒へ弾を詰め込む作業を黙々と続けていた。
「あなたは海賊に襲われたことがないから、その怖さを知らないのよ」
なるほど、確かにジェナックは海賊に襲われたことなど一度もない。
戦いを挑むことは何度かあったが、彼にとって海賊は憎むべき敵ではなかった。
どちらかというと、ライバルだ。
力自慢を競い合う為の。
マリーナは昔、乗っていた船が海賊に襲われる被害に遭っている。
その時のトラウマが、海賊への憎悪に繋がっているのだろう。
彼女には全ての海賊が悪であり、倒さねばならない敵なのである。
「メイツラグの海賊が、ダレーシアの海賊と同じタイプとは限らないんじゃないか?」
いまいち心情が理解できずに尋ねると、マリーナは作業の手を休めて応えた。
「同じよ。海賊なんて、みんな同じ。人の貯めた財宝を横から奪い取るしか脳のない、働く気のないクズどもよ」
淡々とした物言いが、かえって怖いものを滲ませている。
「そうかもな」
一応は同意しておいてから、しかしジェナックは尚も反論した。
「だが、この国は略奪で成り上がってきたんだろう?そのクズどものおかげで。今さら用済みになったからってんで、全滅させようってのは国民をナメてる――」
「ジェナック!」
バン!と縁を強く叩く音に、周囲で作業していた者全てがハッと振り向いた。
「あなた、どっちの味方なの!?海賊に味方するつもりなの、海兵のくせにッ!」
憤りを通り越した怒りの色で見つめられて、ジェナックはガラにもなく焦りを感じる。
彼女から、こんな目で睨まれたのは初めてであった。
「い……いや。別に味方するってわけじゃないが……海賊なら何でもかんでも倒して構わないってな風には、考えたくないんだ」
しどろもどろになって答えるジェナックに、マリーナが詰め寄る。
「海軍の本懐は海賊の殲滅。その意向に従えないんだったら、今すぐ船を降りなさい!」
激しい剣幕に、今や殆どの雑兵が二人の喧嘩に注目している。
騒ぎを聞きつけて、カミュも走ってきた。
「何をやっている!喧嘩しろと命じた覚えはないぞ、作業に戻れ!」
動きを止めていた雑兵が慌てて持ち場に戻る中、カミュは二人の間に入り込んだ。
「今は準備完了することに専念しろ。これは演習じゃない、実戦なんだ」
「判ってる。しかし、マリーナが」
「最初に言い出してきたのはジェナックです!」
まぁまぁ、と宥めるように両者の肩に手をかけ、引き離す。
「お互い主張したい事もあるだろうけど、今は議論をする時じゃない。作戦に集中するんだ。海賊退治が終わった後に、ゆっくり喧嘩の続きをやるといいさ」
穏やかに諭しながら、カミュはズキズキと痛み出してきた頭を押さえて考えた。
こいつらは砲撃隊から外した方がよさそうだ。


今は逆賊扱いを受けている彼らも馬鹿ではない。
海軍が海域に集合していることなど、パーミア達は、とっくの昔に気づいていた。
気づいていながら行動を起こさなかったのは、もちろん考えあってのことである。
罠に嵌めようという海軍を、逆に罠へ嵌めてやるつもりであった。
「敵の動きは?」
パーミアの問いに、双眼鏡片手に海を眺めていた手下の一人が答える。
「ラウンゼン海峡を入口に、東西南北にそれぞれ五艘ずつ潜んでいるようです。一応偽装していますが、恐ろしく素人手口だ。目のいい海女なら、すぐ船だと判りまさぁ」
「ふふん、そりゃそうだろう。所詮は出来合いの海軍がやることだからねぇ」
満足げに鼻で笑い飛ばし、パーミアは奥の部屋へと続く扉を見た。
「問題は援軍に来たレイザースの軍艦だが……ご丁寧に向こうの策に乗って、艦隊戦にうってでる必要などないね。乗り込んじまえば、こっちのもんさ。あいつらには、たっぷりと働いてもらうよ」
すっかり悪役が板についた笑みを顔に浮かべている。
まるで昔から、そうであったような風格さえ身につけていた。
パーミア達は、すっかり国家への略奪行為が気に入っていた。
何故、いままで思いつかなかったのだろうか。
他国へ攻め入るよりも簡単に、金銀財宝を奪える相手が身近にいたことを。
この国の貴族どもから奪えるだけの財産を奪い取ったら、やることがあった。
国を立て直すのだ、一から。
くそくらえな貴族など一人もいない、人類平等な国家を作る。
国を作り直せば、その時こそバイキング達は真の英雄になれるだろう……

――夢想家だな。
国家建設の夢を聞かされた時、カスミは一刀両断に、その思想を斬り捨てた。
海賊が国を作るなど、考えてみるまでもない。
初めから、うまくいかないと判っている。
しかし、なんだかんだ言ったところで、パーミアは今のところカスミにとっては依頼主。
無下に笑い飛ばすわけにもいかない。
少なくとも、表立っては。
この国ではカスミは余所者だ。
パーミアがクーデターを起こそうがどうしようが、自分には関係のない話である。
金さえ貰えればいい。
金と――あとは、仲間か。
横に視線を走らせれば、無表情に突っ立っている剣士の姿がある。
名前は確か、コハクといった。
無名の剣士だが、手元で育てれば必ずバケるはずだ。
そんな素質を秘めている。
こいつと二人でコンビを組むのも悪くない。
彼を手に入れたのは、修行を兼ねて仕事を受けに来た一番の収穫であった。
捕らえてから数週間、カスミは彼を虐めて虐めて虐め抜いてきた。
抵抗する気も、逃げ出す気もなくなるほどの拷問を加えてきた。
別に虐めるのが趣味というわけではない。
立派なシノビとなるための修行だ。
もっとも、コハクは最初から逃げる気も抵抗する気も見せていなかったのだが……
次は海軍との決着をつける戦いだとパーミアは言っていた。
無論、真っ向から海軍とドンパチやるつもりなど、彼女たちにはないとカスミは見ている。
船に乗り込んでの白兵戦が主体となろう。
こちらにとっては望むところ、白兵戦はカスミが最も得意とする戦法だ。
せいぜい楽しませてもらおう。
そして金を受け取ったら、さっさと立ち去るか。
国家設立でも何でも好きにすればいい。
カスミには関係のない話だ。
所詮は金の繋がり、そこに情など存在しない。


決戦を控えた、前日の夜。
ジェナックとマリーナは、カミュの私室へ呼び出されていた。
てっきり昼間の喧嘩に対する処罰かと思っていってみると、カミュは思いのほか真剣な表情で二人に打ち明けてきた。
「昼間はメイツラグの作戦を皆に話したけどね……僕個人の意見をいえば、逆賊がそこまで間抜けだとは思えないんだ」
それにはジェナックも同感なのか、強く頷きかえした。
「たぶん海軍待ち伏せの件は国民のくちを通じて、向こうにも広まってると思う。とすれば、彼らのとる策も大体予想がつく」
「ポイントでの待ち伏せ、誘導に乗らない、闇に乗じての夜襲……」
思いつく策をマリーナが上げていく。
その言葉尻をカミュが受け継いだ。
「或いは偽装している軍艦に乗り込み、内部から切り崩していく、とかね」
「白兵戦か!」
ジェナックの瞳が輝くのを見て、カミュとマリーナの双方から溜息が漏れる。
「喜んでる場合じゃないだろ。レイザース海軍の弱点は君も知ってるだろうに」
レイザースの船には必ずといっていいほど、魔砲が備え付けられている。
一発で船団を切り崩せるほどの威力を持つ強烈な砲弾だ。
だが、それ故にレイザース海軍は魔砲に頼りすぎてもいた。
レイザースの海兵は、白兵戦に弱い。
これは海賊達との攻防において、幾度も証明されている事実だ。
「本国のレイザース海軍は弱いだろうさ。だが、ファーレンは違う。荒ぶる海の男達で構成された軍隊だ。本国のひ弱な奴らと一緒にするな」
自信満々に答えるジェナックを見て、カミュは駄目だこりゃあと首を振る。
残念ながらカミュの見立てでも、荒ぶる海の男はジェナック一人に絞られていた。
今のファーレン海軍は、ファーレンの民で構成されているわけではない。
ファーレンは現在レイザースの支配下にあり、兵の殆どが本国から送られてきた者ばかり。
つまり、ジェナックのいう『本国のひ弱な奴ら』が全体の八割以上を占めている。
ダレーシア島で特訓を積んだから色黒になっているものの、外面で中身を判断してはいけない。
いくら肌の色が黒くなろうとも、白兵戦をすれば必ず劣勢に追い込まれる。
中身が外見に伴っていない。
悲しいが、指揮しているカミュには、それが痛いほど判っていた。
だが、全く望みがないわけではない。
先ほども言ったが、ジェナックは、彼だけは真の荒ぶる海の男だとカミュは信じている。
北風が吹きつける海の上でも、半袖で平気な顔をしていた。
彼が生まれ育った町で残した数々の武勇伝なら、カミュも聞き及んでいた。
肉弾戦において、彼ほど有能な働きをしてくれそうなファーレン軍人は他にいないだろう。
そんなジェナックをサポートできるのは、彼の友人であるマリーナしかいない。
二人を呼んだ理由は、これから話す作戦にあった。
「知っての通り、レイザース海兵の多くは白兵戦に弱い。従って、君たちは二人だけで白兵戦に挑んでもらう。まずは地元の海賊船に乗り込んでくれ。この服を着て」
ぽん、と手渡したのは横縞模様の半袖シャツ。
海賊のトレードマークとも言えるお馴染みの服だ。
「な……!」
絶句するマリーナを横目に、カミュは尚も話を続ける。
「こちらに協力してくれる海賊のボスはゼクシィ=ホッスル。彼には前もって協力を頼んである。この作戦が始まる前から、逆賊討伐について彼と接触してきたからね」
なんと根回しのよいことか。
さすが戦闘だけで昇進してきたのではないと豪語するだけはある。
「お前、ここの海軍が海賊を殲滅することを、最初から予期していたというのか?」
ジェナックが問えば、カミュは事も無げに頷いた。
「まぁね。海賊退治に力を貸せって言うくらいだから全滅させる気だろうとは思ってたよ」
「その海賊の手を借りるって、どういうつもりなんですか!?」
汚らわしいものでも触れたかのように海賊服を放り投げて、マリーナが叫ぶ。
「昔から言うじゃないか。使えるものは親でも使えってね」
何か言いたげなジェナックに目線を送ると、髪をかき上げてカミュは言った。
「あぁ、もちろんこれはフェアなやり方じゃない。アンフェアだ。しかしね、ジェナック。海賊相手にフェアもアンフェアも ないんだよ。こちらが どうやろうと、向こうは最初から常にアンフェアなんだから。それに方法がどうであれ、作戦ってのは成功しなきゃ意味がないんだ。そして成功しない海軍に未来もない。君たちの使命は海賊に成りすまし、彼らが橋を繋げると同時に、一緒に敵船へ乗り込み敵の総大将を倒す。雑魚は無視していい、海賊達がやってくれる。どうだい、簡単だろ?」
簡単に言ってくれるが、味方の海賊とやらは一体どこまで信用できるというのか。
敵の戦力は如何ほどなのか?
たった二人で海賊全員を相手にするのだ。
相手の戦力が判らないのは、大いに困る。
マリーナが抗議すると、次に手渡されたのは奇妙な形の銃器であった。
先端に幅の広い筒がついている。
銃創も大きく、丸い穴が開いていた。
「これは?」
「見るのは初めてかな?魔銃だよ、弾丸の代わりに魔弾を詰める」
魔銃は魔砲と同様、魔術をこめた弾を詰めて撃つ。
携帯用の魔砲と言ってもいい。
魔術の種類によっては一撃必殺の威力を持つ。
レイザースのハンターが好んで所持する武器の一つだ。
「詰めてある魔術は雷撃だ。心臓に向けて撃てば、一発でジ・エンドだよ」
自らの胸を指でつつき、カミュは悪戯っぽく笑ってみせるが、笑い事で済まされるような話題ではない。
「殺すのか?捕らえるんじゃなく」
白兵戦は好きだ。
だが、殺すのは好きじゃない。
ジェナックは口にこそ出さなかったが、顔が、そう訴えていた。
一方のマリーナだが、こちらは無言で銃をいじくっている。
銃創を調べてみたり、弾を詰めてみたり、トリガーを調べてみた後、彼女は言った。
「この武器……私には使いこなせそうにありません。慣れない武器での乱戦は、味方にも被害がでます。非常に危険です」
海賊が当たって死ぬのは別に構わない。
しかし下手に撃って、ジェナックに流れ弾が当たったらと思うと気が気ではない。
かつて魔砲の直撃を食らって復活してきた彼だが、魔銃は魔砲とは違うのだ。
もし、魔銃の弾がジェナックの心臓を貫通したら――
考えただけで、マリーナは目の前が真っ暗になった。
だがカミュは二人の言い分を全く無視し、無理矢理話を締めくくる。
「マリーナ、嘘をつくのはよくないな。君は射撃が得意だっただろ?それとジェナック、海賊退治ってのは君の好きな喧嘩とは違う。退治イコール全滅、すなわち殺すってことさ。さぁ、判ったら解散して持ち場に行くんだ。二人とも、返事は?」
結局のところは二人とも悲しいかな、海軍に雇われの身である。
どんなに不満があろうと、最後はイエスと首を縦に振るしかない。


――次の日。
からりと空は晴れ渡り、海も波一つなく穏やかな気配を見せている。
快晴な天気とは裏腹に、リズの心には黒雲が渦巻いている。
それもそのはず、今日は海賊を罠に嵌める大作戦敢行の日であった。
正直にいうと、リズは海賊全てを海の藻屑に変えるのは気が進まない。
海賊の中には良い人もいるし、優しい人も多い。
メイツラグで育った彼女には、それが充分すぎるほど判っている。
だが、それを説いてみせたところで貴族を納得させることはできない。
彼女は背後の気配に尋ねた。
「情報は町中に行き渡ったか?」
「ご心配なく。海賊どもの動きが活発になって参りました。奴ら、偽の策を掴まされたとも知らずに分散してくるでしょう」
リズは部下のゲイツに命じて、海軍が動き出したという噂を街中に流していた。
無論、軍を裏切るつもりなど彼女にはない。
これも策の一つだ。
海軍が相手となれば、海賊も策を用す必要があろう。
ゲイツが流した噂は出所不明の与太話だが、それでも無視することはできまい。
噂話を裏付けるかのように、海岸線に待機させている軍艦が四つ、五つ。
一応偽装させているが、素人目にも船だと判るようにしてある。
あれを見た海賊のボスが取る手段は二つ。
一つは船に乗り込んで、白兵戦で中から蹴散らす方法。
もう一つは包囲網から逃れる為、分散して各個叩いていく方法だ。
どちらを取られてもよい。
敵には分散してもらわないと困る。
リズの取る真の策は、囮による包囲網ではない。
海賊団を分散させ、空いた陣へレイザース鑑を突っ込ませる。
一気に親玉を叩かせるつもりであった。
レイザースの少尉殿には勿論の事、我が同胞にも教えていない作戦である。
彼らにも囮の一つになってもらわねばならないからだ。
誇りだけは高い彼らは、きっと嫌がるだろう。囮になることを。
真面目に戦わない者も出てくるかもしれない。
事前に教えるわけにはいかなかった。

防波堤には、幾つもの海賊船が停船していた。
風になびくのは、角兜を被ったガイコツの絵。
言わずと知れた海賊船のトレードマークだ。
あらかた積み荷作業も済んだのか、防波堤には、まばらな人影しかない。
ジェナック達を出迎えたのは、山のように大柄な男と少女の二人であった。
「ふん、あんたらが俺達に協力する海兵か。そっちの兄さんはともかく、こっちの姉ちゃんは随分と細っこいな」
無愛想に出迎えられ、負けず劣らず無愛想に口を結んだマリーナに代わり答えたのはジェナック。
「柔よく剛を制すって言ってな、こいつはスピードで相手を翻弄するタイプなんだ。ナメてかかってると文字通り痛い目を見るぜ」
「ほぅ。それじゃ、あんたは差詰め剛よく柔を制すってところか」
大男は目を細め、ジェナックを頭から爪先まで観察してから納得したように頷いた。
「もう!父さん、馬鹿なこと言ってないで早く船に乗ろうよ」
焦れたように少女が叫ぶと、先に船の中へと駆け込んでいってしまった。
「おい、こら!ファナ、せめて挨拶ぐらいはだなッ……たく、行っちまった」
少女の背中を呆れ顔で見送ってから、大男は改めて名乗りをあげる。
「挨拶が遅れたな、俺の名はゼクシィ=ホッスル。遠い昔は大海賊として、この海域を荒らし回ったもんだがね」
遠い昔と本人は言うが、無駄のない筋肉には張りもある。
まだまだ現役で通用しそうだ。
「さっきのガキは俺の娘で、ファナってんだ。ちょっとワケありでな、礼を欠いた態度を取っちまったが気にせんでくれ」
「訳あり?協力者を無視してまで急ぐワケって何なのかしら」
むっつり黙り込んでいたマリーナが、刺々しく口を開いた。
下から睨みつけられ、ゼクシィはポリポリと指で頬を掻きながら答える。
「あいつの好きな奴が海賊に攫われちまってな。そいつも助けようって腹なのさ」
海賊に攫われた恋人を助ける為に、少女の身でありながら海賊船に乗り込んだ。
美談である。
それも、これ以上はないというほどのヒロイック・サーガだ。
不愉快を忘れ、マリーナはさらに尋ねた。
とうに眉間の皺は消えている。
「その人の名前は?いえ、特徴は?」
「あ、あァ。名前はコハク。黒い服に抜き身の剣をぶら下げて……」
「コハク!?」
マリーナとジェナック、双方の声が重なった。

朝方は晴れ渡っていた空が、次第に曇りへと差しかかる頃――
メイツラグ海軍は軍会議で決められたとおり、海を囲む形で包囲網を組んでいた。
海賊を中央へ誘き出す為の囮役船もスタンバイ完了、後は作戦開始の合図を待つばかり。
壁に掛けられていた剣を手に取ると、リズは溜息を一つついた。
白銀で作られた剣は、日に当てると銀色の輝きを見せる。
これは傭兵時代、彼女が愛用してきた大事な剣だ。
海軍に入ってからは、使う機会もなくなっていたが……
剣を腰に差し颯爽と個室を出ると、さっそく部下のゲイツが駆け寄ってくる。
「味方の配置は全て完了しました。しかしレイザース軍が、こちらの要求通り動いてくれますでしょうかね?」
「動くさ。我々に取り入るつもりなら、それぐらいはしてもらわないと困る」
いざとなったら、鉱山の権利証をちらつかせてでも動かしてみせる。
「では、やはりレイザースはメイツラグを占領するために?」
「それ以外に考えられるか?貧乏小国に力入れする理由が」
何故メイツラグ如き小国の内輪もめに、レイザースが協力を承諾したのか?
力を貸す代わりに奴らが求めてくるのは鉱山の使用許可、その延長線にあるのはメイツラグの無力化、そして占領だろう。
船を造る材料さえ押さえてしまえば、海賊や海軍を黙らせることなど簡単だ。
メイツラグには海軍以外の軍がない。
戦力と呼べるのは海賊と海軍だけである。
北の海に浮かぶ小島に、大規模な軍も武器も必要なかった。
海からの侵略者に備えて船を用意していればよい。
陸地で内乱が起きるとは、貴族も王族も考えていないのだ。
少し考えれば子供でも、この結論に達するだろう。
だが、リズは思う。
今は海賊の反乱だけで済んでいるが、重税が長引けば陸でも内乱が起こるはずだ。

――誰かが、この国を変えていかねば。

変えていかねば、近い将来メイツラグは自ら滅亡の道を辿る。
国を変えてくれるというのなら、レイザースに占領されるのも悪くない。
「囮部隊より伝令、各部隊は攻撃準備を開始せよとの事でありますッ」
駆け寄ってきた兵に頷き返すと、リズは真っ直ぐ前を見据えて号令を下した。
「よし、総員戦闘態勢に入れ!砲撃台を十時の方角に合わせよ!」
皆に伝えるべく兵が走っていき、リズに目配せされゲイツも自分の配置へと走っていった。
作戦中はリズの船も、役目を果たさなければならない。
レイザース軍を突っ込ませる、その為の囮としての砲撃役を。
だが――
部下のゲイツにも教えていない、もう一つの策がリズの脳裏にはある。
腰に差した剣に手をやり、またも溜息をついた後、しっかりした足取りで彼女はデッキへと上がっていった。

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