HAND x HAND GLORY's


それでも、人は

自分には、ずっと生きる価値がないのだと思っていた。
幼少の頃より、たった一人の兄者には嫌われ、蔑まれ、遊んでもらった記憶がない。
いつも顔の事でからかわれ、罵られ、人前に出てはいけないとまで言われた。
ハンサムや男前様というのは、人に嫌われる顔構えなのだと。
兄者だけに忌み嫌われるなら、まだ我慢も出来たのだが、兄者の友人までもが俺の虐めに加わった時。
本当に生きるのが辛かった。
カンサーでニンジャを見たのは、ちょうどその頃だった。
アカデミーの課外授業で、カンサーへ行ったのだ。
覆面をかぶり、超人的な動きをするニンジャを見て、俺は彼らに憧れた。
あれなら人前で顔を見せずとも、誰かの為に役に立てる。そう思った。
小遣いなど貰えるほど裕福な家庭ではなかったから、もう着なくなった古着を売って金を貯めた。
再びカンサーまで出向き、黒装束を買い求め、身にまとった時の感動は今でも覚えている。
これでやっと顔を出さずにいられる。
これで、やっと兄者も一緒に遊んでくれるのでは。
そんな期待を胸に帰宅してみたが、兄者の態度は変わらず――いや、それでも前よりは話をしてくれるようになった。
それで充分だった。

七歳の頃、彼女と出会った。
街一番の資産家の一人娘で、名をアリシア=ネイトレット。
ふわふわした柔らかそうな栗色の髪の毛と、妖精のように無邪気に笑う愛らしい顔。
クレイダムクレイゾンに住む少年の誰もが、彼女に魅了されていただろう。
けして贔屓目で言っているのではない。アリシアは、あの頃いた少女達の中では、ずば抜けて可愛かった。
俺と兄者も一目で彼女に惚れてしまった。
兄者がアリシアを好きになった事には気づいていた。気づいていたが、しかし退く気はなかった。
否、選ぶのはアリシアだ。彼女が兄者を選ぶというのなら、その時こそ身を退けばいい。
兄者は毎日積極果敢にアリシアを誘い、彼女は二人っきりでは嫌だと言い、いつも兄者の側にいた俺も誘ってくれた。
しばらくは三人で遊んでいたが、そのうち兄者のいない時でもアリシアは俺を誘ってくれるようになった。
何故いつも覆面をつけているのかと聞かれたので、俺は正直に理由を話した。
俺のような生き物は、顔を晒して生きていてはいけないのだと。
アリシアは、それはおかしい、何人たりとも誰かが誰かを貶めることは許されないと憤り、覆面を外すよう俺を促してきた。
俺は拒んだ。しかし、彼女は諦めなかった。
何度目かの説得を受け渋々外した俺を見て、アリシアは一瞬言葉を忘れたかのように立ちつくす。
あぁ。
やはり、俺の顔は人前に晒してはいけないのだ。
見せるんじゃなかった。これでもう、彼女にも嫌われてしまった。
後悔に項垂れる俺の肩を掴み、アリシアは、あなたはもっと自分に自信を持つべきだと言った。
顔を上げてみると、そこには彼女の笑顔があった。
彼女は微笑んでいた。満面の笑みだ。相当嬉しいことがあった時だけに見せる、魅惑の笑顔だ。
俺は、ますます彼女に惚れて、彼女も俺と二人っきりの時間を、たくさん作るようになって。
やがて俺達は、正式に恋人としてつきあい始めるようになった。
お互いに十五歳を迎えた頃だった。

交際するようになってから、俺はアリシアが見た目通りの少女ではないと知る。
思っていたより、ずっと辛口で毒舌で何でもハッキリ言う、キッパリサッパリした少女であった。
それでも、俺といる時は優しい。辛口も毒舌も身を潜め、替わりに人懐こさが表に出てくる。
時折、手作りの菓子や弁当を持ってくることもあった。
家に何人ものメイドがいるような彼女が、だ。俺に喜んで欲しくて作ったのだという。
憎まれ口を叩く事もあるけれど、本音は甘えん坊で優しい少女なのだ。
毒舌が飛び出すのは、兄者が一緒にいる時だ。
何故かアリシアは兄者に対して、やたら辛辣で素っ気ない。面と向かって罵倒する場面も何度か見ている。
だが、そこまではっきり嫌われているにも関わらず、兄者は執拗に彼女を追い求めた。
諦めきれなかったのだろう。アリシアは資産家の一人娘だし、街一番の器量よしだ。
ましてや嫌っている弟に取られたとあったのでは、内心の腹立ちも相当なものだったに違いない。
それが表に露見したのが、あの事件だ。

冒険へ行こうと言い出したアリシアが悪いのでも、気絶した彼女を襲った兄者が悪いのでもない。
一番悪いのは、アリシアを守りきれなかった俺だ。

同行していながら、彼女を守れなかった。
彼女は一言も口をきかず、兄者も俺や彼女に謝る素振りを見せず、俺達は消沈して家路についた。
ボロボロの娘を見たアリシアの両親は、すぐさま医者を呼び、俺達は門前払いを食らわされる。
帰り際、兄者が俺に言った。
お前が悪いんだからな、と。その通りだ。
もし、芋虫ではなく兄者の言うとおり野犬を選んでいたら。
もし、二人を先に行かせるのではなく自分が先行していれば。
だが人生に「もし」はない。起こってしまった後で後悔しても遅いのだ。
俺のせいで、アリシアには一生償っても償いきれない恐怖と傷を与えてしまった。
どのつら下げて彼女に会えようか。
それに……
あの時、彼女の側には兄者がいた。
裸のアリシアを抱きかかえて半裸になった兄者を見た衝撃は、一生忘れられない記憶だ。
冒険から帰って、二日後にはクレイダムクレイゾンを出た。
アリシアに別れの挨拶を言わず、兄者や親にも何も言わずに。
誰とも顔を併せたくなかった。
なにしろ逃げ出すのだ。負い目を感じて、生まれ故郷から。
こんな惨めな旅立ち、誰かに見送られるほうが恥ずかしかろう。

十七の小僧が故郷を出て独り立ちするには、手に職をつけるしかない。
幸い、俺はアカデミーを卒業していたからスクールに通える資格があった。
一人でも稼げる職というと、傭兵、或いはハンターが適職だろう。
だが、傭兵には抵抗があった。噂によると、傭兵は金で人殺しをも請け負うという話だ。
従ってハンター育成所を選び、三年修練を積んだのち、無事に卒業。
ハンターの資格を取った俺は、その足で船着き場へ向かう。
旅費は存分にあった。生活費や学費を払うにも、アルバイトは必要だった。
船で向かう先は亜人の島だ。
何故、亜人の島へ向かおうとしていたのか?
金はあっても、実力が不足していた。
このままでは、ギルドを設立したとしても、仕事が入ってこない。
弱いハンターなど、雇う意味もない。
強くならなければ。
一人で稼げる程度に。
ギルドマスターが強ければ、ギルドに人も集まるはずだ。
当時の俺は、そう考え、修行の場を亜人の島に定めた。
あの島にはドラゴンがいる。地上最強の生き物だ。あれを相手に修行すれば、強くなれる。
もし途中で命を落としたとしても、構わない。
所詮、その程度の命だったというだけだ。
亜人の島への出入りはレイザースの法律で禁じられている。
だが、探せば密入国する船など幾らでも見つかった。
その一つに潜り込み、島へ渡った。


それからは、日夜問わず一日中ドラゴンと戦い続けた。
何を食べたか何日寝たか、それすらも記憶にない。
覚えているのはドラゴンのブレスと爪、尻尾の威力の凄さぐらいだ。
気がつくと、砂浜に血まみれで転がっていた。
側にいた老人が俺の顔を覗き込み、破顔する。
「おぉ、やっと気づきおったか。良かった、良かった」
呆然としているように見えたのか、こうも続ける。
「これに懲りたら、無茶な修行は止めるんじゃ。あんな戦い方をしておったら、いつ死んでもおかしくないぞ」
そうだ。俺は、ドラゴンに破れたのだ。
巨大な爪で引き裂かれ、地面に墜落した。
全身の骨が粉々になるんじゃないかという墜落の衝撃よりも、頭からつま先まで一文字に裂かれた傷のほうが酷く痛んだ。
声が出ない。
これじゃ救助も呼べない。
起き上がれず、体が動かない。指一本すら動かせなかった。
傷口からは血が絶えず吹き出し、どくどくと外へ流れ出ていく。
このまま死ぬんじゃないかと思った。
でも、それでいいと思った。
このまま死んでもいいと思った。
そして、そのまま意識を失ったのだ。
今、気づいたが、血まみれなのは服だけで、傷は全部ふさがっている。
体の前半分を盛大に引き裂かれたはずだが、顔を手で触っても何ともない。手に血もつかない。
動けないほど激しかった体中の痛みも、どこかへ消えていた。
この老人が治したのか?
何者だ。そして何故、俺を助けた。
「お前さんの事は皆から聞いているよ。海の向こうから来た死にたがりだってな。亜人を相手に修行するの自体は、悪いアイディアじゃない。だがな、一気に強くなろうとしても無理なこと。強さってのは、徐々に積み重ねていくもんじゃ」
老人の言葉を聞き流し、俺は尋ねた。
「何故……」
「ん?」
「何故、助けた……?」
老人はにこりと微笑み、俺を見た。
「死にかけている者がいたら、助けるのは当然じゃろう?」
放っておいて、よかったのに。
お節介な老人だ。
「お前さんに何があって、何故生き急いでいるのかは知らぬ。だが、死んではならんよ」
黙りこくる俺を見、老人は、そんなことを言った。
俺が死んだら悲しむ者がいる、とでも繋げるんだとしたら、あまりにも白々しい説教だ。
俺には、誰もいない。
死んだら悲しんでくれる人も、愛してくれる家族も、恋人も。何も。
修行なんて嘘だ。
ここへは、死にに来た。
ドラゴンを相手に修行していれば、いつかは命を落とす。
何故、相手に亜人を選んだか?
彼らならモンスターと同じで、人間を殺しても心が痛まないのではないか。そう考えたからだ。
「お前さんを殺してしもうたら、きっと彼らも悲しむじゃろうしな」
ぽつりと呟く老人の言葉に、俺は身を起こす。
「亜人が?」
「そうじゃ。亜人だって人と同じ、物を考え心を持つ異種族よ」
ドラゴンは何度も戦いを挑んでくる俺を、最初は疎ましく思っていたらしい。
だが何度倒されても諦めない俺へ次第に興味を持ち、今じゃ島中が俺の話題で持ちきりになっている――と、聞かされた。
嘘だ。
亜人が何故、人間に興味を持つ?
奴らは人間に興味がないから、この島へ引きこもって暮らしているのではなかったか。
「亜人は人間に興味津々じゃよ、いつの世でもな。ただ、レイザース政府が人間を亜人の島へ近づけまいとして、いろんな噂を流しておるのだ。危険だからのぅ。その気がなくても、亜人が変身すれば人間を傷つけてしまう。……寂しいもんじゃよ、仲良くしたいのに仲良く出来ないってのは」
本当か嘘かは話してみれば判る、とも言われた。
亜人に人間の言葉が通じるかどうかなんて、考えたこともなかった。
老人はドンゴロと名乗り、俺の名を尋ねてくる。
だが俺は、驚いてしまって名乗るどころじゃなくなっていた。
ドンゴロだって?
ドンゴロといえば伝説の最強呪術師にして、唯一の賢者様じゃないか。
レイザースで彼を知らない奴は一人もいない。そんな有名人が何故、亜人の島なんかにいるんだ。
俺が答えないのを見て、答えられない理由があるのだと賢者は判断したようだった。
しばらく一緒に暮らそうと誘われて、俺は素直に頷いていた。

ドンゴロ様と一緒に過ごした時間は貴重なものになった。
亜人とも仲良くなり、自分で言うのもなんだが、ここへ来たばかりの頃と比べると、かなり強くなったのではないかと思う。
なにせ全く勝てなかった亜人が相手でも、一、二度は勝てるようになったのだから。
レイザース軍が束になっても叶わない、グラビトン砲でも吹っ飛ばない相手に大したものだと皆に褒められた。
まぐれ、或いは手加減された勝負だったとしても、俺に自信を与えるには充分すぎる功績であった。
勿論、慢心するつもりはない。島を離れても修行は怠らない、と皆へ誓った。
確かな手応えを感じるようになり、クラウツハーケンへ行く決心もついた。
クラウツハーケンはハンターの街だ。ハンターギルドが所狭しと密集している地帯でもある。
ハンターギルドを作る。クレイダムクレイゾンを去った後に持った夢だ。
ソロのハンターになっても良かったのだが、どうせならギルドを設立して、仲間を増やしたい。
仲間を増やせば、きっとそこが自分の居場所になるのではないか。そんな淡い期待もあった。
何をハントするのかも、大体決めてある。
狩るのではない。
守るのだ。
虐げられる者達や、絶滅を危惧された生き物を、この手で守ってやりたい。
別れの日、皆に行き先と目的を告げると、ドンゴロ様が問い返してきた。
「ハンターになるんだったら、仕事ネームを決めねばのぅ。なんと名乗るつもりじゃ?」
賢者曰く、傭兵やハンターは本名ではなく仕事用の偽名を使う者が多いそうだ。
俺は逡巡し、ややあって答える。
「斬……というのは、どうだろう」
見送りに来た連中は何度もザン?と繰り返し呼んで、いいね、斬、格好いいんじゃないの?と無邪気に喜ぶ。
賢者も「お前さんに似合った名前じゃな、よしよし」と顔を綻ばせ、何度も頷くと。
不意に真面目に戻って、俺の両手を握った。
「斬、よいか。これから先に何が起ころうと、亜人の島の住民と儂は、お前の味方じゃ。味方であり、友でもある。忘れるでないぞ。困った時は、ここへ来よ。必ず、お前の力となろう」
「ありがとうございます」
本心から俺は応え、深々と頭を下げた。
嬉しかった。
友達だと思ってくれたのが。
俺のような人間でも生きていていいのだと、思わせてくれたのが。
絶望していた、あの頃の俺に生きろと言ってくれたのが――
俺は彼らと別れ、クラウツハーケンへ向かう。船はなくとも、足はある。
「アル、頼むぞ。人里離れた場所で降ろしてくれれば、それでいい」
「任せよ」と厳粛に頷くドラゴンの背に乗り、一路レイザースを目指した。


End.
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