HAND x HAND GLORY's


冒険者になろう!

「お前、いっとくけどアレだぜ?俺が突然お前らについていくって言い出したのは、けして、お袋に働けって、どやされたからじゃあねぇんだぞ。我らが女神のアリシア様が、どーっしても、お外で働きたいっつーからだなァ」
「いい、もう判った兄者。その話を聞くのは五度目だ。とにかく興信所に行ってみよう」

――とある昼下がり。
クレイダムクレイゾンの赤い町並みを、だらだらと歩いていく男の二人組がいる。
といっても、ダラダラ歩いているのは後方の髭面だけで、前を行く黒づくめの足取りは早い。
平日昼間だというのに、髭面は多分に飲酒しているようで顔が真っ赤だ。
片手に酒瓶をぶらさげて、ゆったりした足取りで弟の後をついていく。
髭面の名前はダン。クレイダムクレイゾンで唯一、働き口を持っていない成人男性である。
いつも覇気のない、濁った目をしている。
さらには無精髭が駄目男っぷりに拍車をかけているのだが、本人は全く気にしていない。
前を行く黒づくめのほうは、まさに黒づくめとしか形容しようのない格好をしていた。
このクソ暑い夏の最中、長袖長ズボンの黒装束を着込み、口元は黒い覆面で覆っている。
不意に前を行く男が足を止めた。興信所の前で、手を振る女性を見つけたからだ。
「ギィー!こっちよ〜っ」
言いながら走り寄ってきた女性は、黒づくめの両手を取るとブンブン上下に振り回す。
「約束通り来てくれたのね。嬉しいわ」
「当然だろう、君の頼みとあっては」
苦笑しながらギィは、そっと両手を解きほどくが、今度は腕を取られてしまう。
「アリシア、俺も来てやったぜ」とダンが恩着せがましくアピールするも、アリシアの返事はない。
彼女はギィと一緒に、興信所へ入っていったところであった。
「ねぇ、ギィ。最初の一歩は、どんな依頼にしようかしら。あなたは、どんな依頼を受けてみたい?あら、このモンスター退治って依頼、面白そうねぇ。これにしましょう?」
どんな依頼がいい?と聞いた側からモンスター退治を希望する彼女には、ギィもダンも苦笑するしかない。
しかし外で働こう!と二人を誘ったのは他ならぬアリシアなのだし、ギィもダンも反対する気にはならなかった。

クレイマー兄弟とアリシア=ネイトレットは、つきあいの長い幼馴染みだ。
近所に住む女子の中でアリシアはダントツに可愛くて、ダンもギィも一目でコロリと惚れてしまった。
柔らかな栗色の髪の毛は日の光を受けて輝いたし、ふわふわと笑う姿は、まるで御伽噺に出てくる妖精のようで。
この子は俺が守ってやらなければ、そんな気持ちにさせる少女であった。
知り合った翌日から、ダンは猛烈にアタックを開始した。
だが彼女が選んだのは弟のギィのほうで、思春期を迎える頃には、二人とも恋人としてつきあうようになっていた。
十七歳の誕生日を迎えた日、唐突にアリシアが外で働きたいと言い出した。
クレイダムクレイゾンでは十五歳から外働きが許されているから、十七歳の仕事デビューは遅い方かもしれない。
ともかく外デビューを楽しみにするアリシアを見て、心配になった兄弟も一緒についていこうと決心した――
という次第である。

興信所では、まず冒険者になる為の申請をしろと言われ、三人は申請用紙を渡された。
真面目に書き込むアリシアの隣で、ギィも必須項目を埋める作業に没頭する。
ぐびっ、と酒瓶を煽りながらダンが弟に話を振ってきた。
「しかしよぉ、ギィ。なんで冒険者なんだ?イマドキ冒険者なんか流行んねーだろ。どうせなら三人でギルドおっ立てて、クライアントを募集しようぜ?」
ちらりと兄の申請用紙を一瞥するも、全くの白紙だ。ギィは小さく嘆息し、兄を諫めた。
「無名の我々がギルドを建てたとして、客が捕まえられると思うか……?まずは冒険者となり、知名度をあげる。ギルド設立は、その後だ。将来、アリシアが安定した収入を得られるよう、我々も計画的に行動するべきだ」
「チッ、堅ェなぁ、お前はよぅ」
残った酒を全部飲み干すと、ダンも渋々用紙を埋める作業に入った。
「人生なんて、パァーっと楽しんでパァーっと散ったもん勝ちだぜ。そうは思わねぇか?アリシアも」
輝く笑顔を浮かべて、アリシアが即答する。
「全然思わないわ」
微笑んだまま、つけたした。
「あ、でもダン、あなたはいいのよ?いつでも好きな時に散って」
黒笑顔に固まるダン、を放置して、ギィとアリシアは受付に用紙を渡すと、待合室で腰掛けた。
「申請が受領されれば、晴れて私達も冒険者になれるのね。楽しみだわ」
「あぁ。冒険者としての仕事が軌道に乗ったら、ギルドも建てることにしよう」
「ふふっ、ギィったら気が早いのね。まだ冒険者にもなっていないのに」
なんてラブラブ会話を繰り広げている二人の元へ、固まっていたはずのダンがやってくる。
「おぅ、お二人さん。受領番号札は取ってねぇようだから、俺が取ってきてやったぜ」
「番号札も何も、俺達しか申請待ちはいないだろう」と言い返しつつも、ギィは札を受け取った。
番号は三番。アリシアが二番で、ダンは一番だ。
さりげに自分を一番目にしているとは、さすが兄者。抜け目ない。
アリシアが椅子の一番端に座っているもんだから、仕方なく弟の隣に座ったダンも先ほどの話に加わる。
「で、だ。アリシア、どんぐらい稼いだら軌道に乗ったと判断するんでェ?」
「いやだわ、ダンったら。お金のことしか頭にないのね、あなたは」
くすくすと微笑み、アリシアは窓の向こうへ視線をやった。
「私が外で働きたいと思ったのは、新しい世界を自分の目で見てみたいと思ったからよ。お金が欲しいんじゃないわ」
クレイダムクレイゾンで一番の資産家、そこの一人娘がいうと、やけに説得力のある言葉だ。
箱庭育ちのアリシアの知る世界といえば、クレイダムクレイゾンの中だけ。
一人歩きも許されない。出歩く時は、いつも従者か家族が従った。
だから、彼女は外で働きたいと熱望した。
恋人のギィが同行すると申し出たからこそ、その夢は実現したようなものだった。
「ダン=クレイマーさぁん、冒険許可証の発行が完了しましたぁ」
受付が騒いでいる。
勢いよく立ち上がったダンは「うぉっとぉ」と立ちくらみを起こし、しゃがみ込む。
昼間から酒なんぞをかっくらっているから、気分でも悪くなったんだろう。
「……大丈夫か?兄者。俺が取ってこようか」
「平気だ、イイカッコしようとすんじゃねーよ」
気遣う弟をはねのけ、颯爽と受付へ歩いていった。
「代わりに取りに行くだけが、なんでイイカッコになるんだ……」
兄の背中をジト目で追いかけるギィに、アリシアが微笑む。
「気にしない方がいいわ。私は年中、彼のやることなすこと全てを気にしていないけど」
逐一、弟の恋人にアピールをかます兄も兄だが。
その兄を、これでもかというぐらい丸無視するアリシアも、アリシアだ。
あまりフォローになっていない、どちらかというと黒いものを感じる発言に、ギィは軽く固まったのであった……

「おぅ、何固まってやがんだ?次、お前だとよ」
「――え?アリシアではないのか?」
「私はもう貰ってきたわ。だから、次はあなたの番」

軽く固まっている間に、アリシアの許可証受け取りも終わっていたようだ。
二、三度、ゆるく頭をふって立ち上がると、ギィも受付へ向かう。
受付はギィの顔を一瞥し、書類へ目を落とした後、にこやかに確認した。
「ギィ=クレイマーさんで、お間違いありませんね?」
「はい」
「では覆面を取って、カメラの前で微笑んでもらえますか?」
「何ッ……!?」
驚くギィに、受付もポカンとなって彼を見た。
「いや、何?って、写真ですよ、写真。こちらの枠に本人確認用の写真を貼りますので」
受付の指さす部分には、写真貼りつけと書かれた枠が印刷されている。
ギィは額に皺を寄せて、受付へ尋ね返した。
「……覆面をつけたままでは駄目か?」
「駄目です」
受付の返事は、にべもない。まぁ、しかし、この場合は当然だろう。
本人の確認として貼る写真なのに、覆面をしていたら誰だか判るものも判らない。
「むぅ……」
冒険者になるのに写真撮影必須とは、知らなかった。
事前に知っていたら、アリシアの就職先は何か別の職業を選んでいたのに。
渋るギィを怪しんでか、受付が彼の目を、じぃっと覗き込んでくる。
「どうしました?覆面を取ると、何かマズイことでも?」
待合室の椅子に、だらしなく腰掛けた兄が大声で野次ってきた。
「おーい、観念して覆面を外しな!このままじゃオマエ、指名手配犯かと疑われっちまうぞ」
言った側からギリギリとアリシアに腕をつねられて、ダンは飛び上がる。
「痛ェッ!」
「うふふふ〜、ダ〜ン〜。誰が指名手配犯だっていうの?まずは、鏡でもご覧になったらいかがかしら。極悪指名手配犯が映っていましてよ」
「ひ、ひでぇなぁ、アリシア!誰が指名手配だってんだよ。俺は、間違われそうになってる弟をフォローしただけだっての!」
ギャースカ騒ぐ外野を背に、ギィはしばし無言で考え込んでいたのだが。渋々承諾した。
「……致し方ない。取るから、素早く写真をお願いする」
「ハァ。では、こちらの暗室へどうぞ」
暗室へ通され、椅子に腰掛けさせられる。
すっかり断頭台の上にあがった気分のギィは、覆面を手早く外した。
外出時、ギィは覆面を手放したことがない。
もはや覆面は、外出時の必須アイテムといっても過言ではなく。
これを外して素顔で会える相手といえば、アリシア一人ぐらいしかいなかった。
暗室で待ち構えた写真家が、カメラを前に話しかけてくる。
「はい、撮りますよ〜。笑って笑って〜……笑って下さいよ〜っ」
むすっとしたままギィが答える。
「素早く撮ってくれと言ったはずだが?」
「ですから、素早く撮るには被写体の協力も必要ですよ」と、写真家も譲らない。
「あんた、男前なんだから笑ってくんなきゃ」
写真家の一言に、ギィの眉毛が跳ね上がる。
「俺は断じて男前などではない」
「いいえ、男前です。男前って言われんのが嫌でしたらイケメンって言い直しますけど」
「……イケメンでもないッ」
「イケメンですよ!俺が保障します、きっと受付の子も断言しますよイケメンだって」
「違う!俺は絶対にイケメンでも男前でもないッ」
「違くないッ!! あんた自分で自分の顔、鏡で見たことないんですか!?」
どっちも譲らず、ギャーギャー無駄に張り合った後。
ようやく無駄な時間を過ごしたと気づいた写真家が、先に折れてきた。
「……まぁ、イケメンでもブサメンでも、どっちにしても笑顔じゃないと写真は撮れないんです。さっきのオッサンもお嬢さんも、ニッコリ笑ってくれたんですよ?あんたも笑って下さい」
楽しくもないのに、笑えと言われても。
ギィは、そう思ったのだが、これ以上素顔を晒しているほうが我慢ならない。
仕方なく引きつった笑顔を浮かべて、ようやく写真から解放されたのであった。

「おい、何だよ、このぎこちない笑顔は。お前なぁ、笑顔ってなぁ、もっとこう……自然体だろ、自然体!見ろや、この俺様のスゥマァ〜イルを!輝く笑顔ってな、こういうのを言うんだぜ!なっ、アリシア」
自分の許可証と弟の許可証を見比べて、ダンが一人で騒いでいる。
アリシアはというと、相変わらずダンの戯言などオールスルーして、依頼書を眺めていた。
「ねぇギィ、この……ブラックドゴン、って何かしら?ブラックドラゴンなら知っているんだけど」
覆面をつけ直したギィは不機嫌全開で立っていたが、恋人の問いに視線だけ依頼書へ向ける。
「さぁな。単なる誤字ではないのか」
言うだけ言うと、さっさとソッポを向いてしまった。
「……ねぇ、どうしたの?さっきから、ずっと不機嫌ね」
再び問われ、アリシアのほうを向こうともせず、ギィは逆に尋ね返す。
「なぁ、アリシア……」
「なに?」
「……俺は、やはり第三者が見てもイケメンなのか?」
第三者が聞いたらブン殴りたくなるような事を尋ねる彼に、アリシアは即答した。
「イケメンよ」
「……そうか……」
ぼそりと呟き、ギィが項垂れて興信所を出て行くもんだから、アリシアは慌てて後を追いかける。
追いかけがてら一緒に追ってきたダンに、こっそり尋ねた。
「ねぇ、どうしてギィはヘコんでいるの?イケメンって呼ばれると、何かマズイ事でもあるのかしら」
「さーな?」
兄のダンでも判らないのか、彼は腕を組みながら、天井を見上げる。
「昔、あいつのことをイケメン様オトコマエ様って言って、からかって虐めてやったことはあるけどよ。友達と一緒に。でも昔の話だし、こいつぁ関係ねーよな?」
だが、天井からアリシアへ視線を戻して、ダンは腰が抜けるほど仰天した。
アリシアが、いつもは天使のように麗しい彼女が、怒りの形相で立っているではないか。
「……そう……ギィがイケメンって呼ばれるのを嫌うのは、ダン、あなたのせいだったのね」
「い、いやっ、昔の話だぜ?ガキの頃の話!もう十七歳だし、あいつだって忘れて……ウギャー!!!

その日、大通りで起きた惨劇については多くを語るまい。
ともあれ、ギィとアリシアとダンの三人は、冒険者としての第一歩を飾るべく。
最初に目をつけた依頼、簡単なモンスター退治へ赴くことにしたのだった。

アリシアとギィ、ついでにダンの初仕事は、簡単なモンスター退治になった。
とはいえ民間人では退治できないので興信所に持ち込まれたのだから、簡単といって侮っていると酷い目に遭う。
「ギィよぉ〜、どうせなら隣の野犬退治のほうが楽だったんじゃねぇか?」
ギルドの窓口でもらってきたモンスターの特徴が書かれた紙を眺めながら、ダンがさっそく愚痴を言い始めた。
今回彼らが挑戦する怪物は、アオミドロという名前の大きな芋虫だ。
冒険者になりたての新米が挑戦する相手としては、ちょうどいい強さの部類だろう。
「駄目だ。一対一なら負けることもあるまいが、野犬は群れを成す習性がある。だが、芋虫が徒党を組むという話は聞いたことがない。よって、野犬退治よりは楽だと踏んだ」
前を行く黒づくめは、あっさり兄の意見に首をふり、その隣を歩くアリシアも同意した。
「そうよね、それに犬は動きが早いけど、芋虫は鈍くさいって書いてあるじゃない。私達はいいけれど、ダン、あなたは鈍くさいから犬の攻撃を避けられないんじゃなくて?」
「ケッ。せっかく酔っぱらいの極意ってもんを見せてやろうと思ったのによぉー」
頼りない足取りながらも、ダンは悪態をつく。手には、いつものように酒瓶をぶら下げて。
弟のギィが振り返った。
「酔っぱらいの極意も結構だが、兄者は手ぶらで洞窟に入るつもりなのか?」
目の前に見えている門をくぐれば、草原が広がり、森を入った奥に目的地の洞窟がある。
ここへ辿り着くまでに、ギィは武具屋で短剣を購入していた。
アリシアが持っているのは、家から持ってきたという伝家の宝刀……らしい。
飾りは豪華だが果たして切れ味は、というと不安なものがあったが、まぁ、芋虫ぐらいなら切れるであろう。
「あぁ?手ぶらじゃねぇだろ、手ぶらじゃ」
昼間から酒臭い息をまき散らし、ダンが答える。酒瓶をブンブンと振り回した。
「いざとなったら、こいつでがつんといっとくから、お前は無駄な心配をするんじゃねぇよ」
まさか酒瓶一つでモンスターと戦うつもりか?不安が増して仕方ない。
だが心配するギィをよそに三人は黙々と草原を抜け、森を越えて、洞窟へと到着した。

兄が足手まといになるんじゃないかと心配していたギィであったが、その心配は杞憂であった。
ダンどころかアリシアまでもが足を引っ張る中、アオミドロはギィ一人の手で倒せるほどの弱さだったのだ。
ただ、問題が一つあるとすれば、それは数。
ギィの予想通り、確かに芋虫は群れを成さなかった。その代わり、分裂して襲いかかってきた。
アオミドロの吐く唾液は酸性で、よけきれなかったアリシアが足に火傷を負ってしまう。
伝家の宝刀は、抜かれるまでもなく持ち主が戦闘不能状態になってしまった。
意外なことに、兄のダンは驚くほど身軽な動きで、芋虫の唾液を避けまくっていた。
ただし戦力になっているかといえば、全くの無能っぷりで。よけるのだけが取り柄といってもいい。
全ての芋虫と、ギィが一人で戦うかたちとなっていた。
いくらアオミドロが弱いといっても、二人も足手まといを抱えている身である。
また酸を避け損なって、アリシアが酷い火傷を負っても困る。
「兄者、一旦退こう」とギィは提案を申し出たのだが、ダンには一蹴された。
「バッカヤロ〜、せっかく奥まで潜り込んできたんだぜ?このままボスを倒してクリアしちまおーぜ」
ボスってなんだ、ボスって。この依頼の目的は、洞窟にいる全てのアオミドロを退治する事では?
酒瓶で、ぶっちゃぶっちゃと芋虫を叩いているが、アオミドロに効いている様子はない。
洞窟は広く、あと何匹残っているのかも定かではない。
「ならば、せめて袋小路を背に戦える場所を探そう」
後ろから襲われる心配のない場所でなら、ギィも二人を庇って戦える。多少の余裕も生まれてくる。
「お、おぅ!じゃ、奥へ行くんだな?奥へっ!」
にじり寄ってくるアオミドロを短剣で牽制しながら、ギィはダンとアリシアの二人を先に進ませる。
それが後悔を生む原因になろうとは、この時は思いもよらなかった。


どれぐらいの間、気絶していたのか。
「……ってぇ〜……」
思いっきりぶつけた後頭部をさすりながら、ダンが身を起こす。
深い亀裂の谷間に落ちたようで、辺りは真っ暗だ。
ギィに急かされて、アリシアと二人、洞窟の奥に向かって走り出した直後。
突然、足下の地面が崩れて、二人は一気に奈落の底へ真っ逆さまに墜落した。
怪我が後頭部のタンコブ一つで済んだのは、本当に奇跡である。
くわえてアリシアが未だ気絶中というのも、ダンにとっては幸運の一つだった。
「アリシア……怪我は火傷だけ、か?」
手足の外傷を調べてみる。芋虫にふっかけられた時の火傷ぐらいだ、目立って酷い怪我なのは。
ぴらりとスカートも捲って確かめてみたが、そちらも異常なし。
それにしても、彼女は見事なまでに気を失っている。
ダンがスカートを捲って、さらにパンツの上から揉みほぐしても、全く起きる気配がないんだから。
「ちっきしょ〜……こんなナイスバディと毎日ヤッてんのか、あの野郎は」
調子に乗ってブラウスのボタンを全部外してみたが、やっぱりアリシアの目覚める気配はない。
胸は上下に波打っているから、死んでいるってことはないと思う。
何か夢でも見ているのか、ダンが彼女の胸を揉むたびにアリシアの唇からは小さな吐息が漏れた。
彼女の肢体を眺めているうちに、次第にギィが憎らしくなってきた。
血の繋がった兄弟でありながら、ダンは昔からギィのことが嫌いであった。
ダンよりギィのほうがモテるというのも理由の一つだが、最も大きな理由はデキの違いにある。
父親に似て死んだ魚のように濁った目をしたダンに対し、ギィは明らかに死んだ母親の遺伝子を引き継いでいた。
凛とした瞳は強い輝きを帯びていたし、弟は加えて頭もよく、トップの成績でアカデミーを卒業している。
おまけに性格も真面目で、そこがまた女心を鷲づかみし、挙げ句の果てにダンからアリシアまでもを奪い取った。
兄が彼女を好きなことなど、あいつだって判っていたはずだ。
それなのに一緒にアリシアを好きになり、彼女の心を奪っていってしまった。
ギィなんて死ねばいいのに、と何度呪ったか判らない。
それでもアリシアが冒険に出ると騒ぐまでは、上手くやってきたつもりだった。
アリシアのことも諦めたつもりでいた。
弟の手垢がついた女なんぞに未練などない。
そう思っていた、はずだったのだが――
「ん……ん、ギィ……」
アリシアの柔らかな唇から弟の名前が漏れた時、ダンの理性は何処かにはじけ飛んでしまった。
元々理性なんてもんを、彼は持っていなかったのかもしれないが。
倒れたアリシアに、がばっと抱きつくと、夢中で彼女の唇を貪った。
歯と歯の間に無理矢理舌をねじ込ませ、片手は忙しなくパンツの中をかき回す。
「アッ、アリシア、アリシアァッ!」
指先に滑りを感じ、ダンの興奮も激しくなる。
荒々しく下着をはぎ取ると、自身も下を脱ぎ捨て、夢中で下腹部をアリシアの股間に擦り付けた。
「ふっ、んっ」
息苦しさに、アリシアが目を覚ます。
目覚めて彼女が最初に視界へ捉えたのは、肌色の塊だった。
ピントが近すぎて一瞬、何を見たのか判らなかった。
だが下半身に感じる熱い体温で、はっきりと意識が戻ってくる。
――犯されている、何者かに!
ギィではない事だけは確かだ。
彼は、こんなふうに荒々しくアリシアを求めたりしない。
「んっ、むぅっ!」
必死になって、両手で相手を押しのけようと藻掻く。
自由な膝で、相手の股ぐらを押し上げた。
暴れた甲斐あってか「ぐぉうっ!」と、くぐもった声が聞こえたかと思えば、その拍子に唇と唇が離れる。
続いて涎が、アリシアの胸元にポタリと落ちてきた。
「っふぅ〜。アリシア、嫌がんなよ」
聞き慣れた濁声、むわっと吐きかけられた酒臭い息。
誰が自分に襲いかかっていたのかを知り、アリシアは非難の眼で相手を睨みつけた。
「ダン……!何をするの、人が気絶している間に」
「何をする?男と女が裸になったら、ヤることなんざ一つだろうが!」
「ふざけないで!ギィに言いつけるわよっ」
強気に言い返すアリシアだが、股を大開にされ、途中で非難が悲鳴に変わった。
「言いつける?言いたきゃ言えよ、ギィには誰とでも寝るヤリマンだって思われるだけだろうがな!」
血走った目で叫び返すと、ダンは一気に腰を突きいれる。
まだ濡れていない場所に突っ込まれ、さらにグイグイと奥までねじ込まれて。
アリシアの口からは、ひゅぅっと言葉にならない息が漏れるばかりで抵抗もままならない。
ダンの声が、どこか遠くから聞こえる。
「どうせ初めてじゃねぇんだろ!?あいつとヤりまくってんだろ!?だったらギャーギャー言わねーで、俺にもヤらせろってんだ!」
ギィは、絶対に手荒な真似をしない。
アリシアが痛くないよう、細心の注意を払って愛してくれる。
ダンのは、ギィのとは比較にもならない。
アリシアが泣こうが喚こうが、己の欲望を満たす為だけに腰を振っている。
「おぅ、俺の子を孕んでくれよ、アリシア。そんで俺と結婚しようぜ!」
勝手なことを。
痛みと悔しさで、アリシアの目には涙がにじむ。
ダン如きを振り払えないのも、癪だった。
「ちきしょう、ギィの野郎、俺より先に女に目覚めやがって、あのエロガキがぁっ」
たかが三つしか違わない弟を子供呼ばわりしながら、ダンの勢いは激しさを増してゆく。
そのギィは、何処で何をしているのか。
亀裂に落ちた二人を助けるべく、必死で降りる場所を捜し回っているのかもしれない。
「あっ、あっ、アリシア、いくぜ、受け止めろよ、俺の愛をッ!」
ダンが何か叫んでいたが、アリシアの耳を右から左へ通り抜けた。
下半身に広がる熱い何かを感じながら、アリシアは、ぼんやりと考えた。

ああ、嫌だ。
なんで、こんな目に遭わなきゃいけないの?
こんなことになるんだったら、冒険に行こうなんて、言い出すんじゃなかった……


アオミドロを全滅させ、さらに亀裂の底へ降りる道を見つけたギィが駆けつけた時。
そこには、裸のアリシアを抱きしめる裸の兄がいた。
至福の表情を浮かべるダンを見た瞬間、ギィは二人に何が起きたのかを悟ってしまった。

ギルドに任務成功の報告をいれた後、ほどなくしてギィは街から姿を消す。
アリシアは心配したが、ダンも彼の母親も、さして心配はしなかった。
ダンは厄介払いが出来たと内心喜んでいたし、今の母親は後妻という事もあって、自分と血のつながりのない子供の心配など、してやる優しさを持ち合わせていなかった。
やがて一年が過ぎ、アリシアは一人の赤子を身籠もる。
生まれた赤ん坊がダンに似て濁った瞳の持ち主だった事が原因で、彼女はダンと結婚した。
いや、させられた。
彼女はギィを想い、最後まで抵抗したのだが、子持ちの未婚は世間体が悪い。
そう両親に諭され、泣く泣く結婚を決めたのである。


――時は流れ、ジロが十歳になった、ある日のこと。
「はぁ?叔父さん?叔父さんってことは、オヤジの弟ってこと?そんな人、いたんだ」
「いたんだよ。そいつがな、何を思ったか突然手紙を寄こしてやがった」
昼間から酒浸りの父親が言うことにゃ。
叔父さんはギルドを持っていて、ただいまメンバー絶賛募集中!らしい。
手紙は、兄の子供をメンバーに迎え入れたいという、お誘いであった。
「働けば金がもらえる。悪い話じゃねぇだろ?」
「ふーん」
気乗りしない様子の息子へ、ダンが付け足した。
「どうせなら、ついでにエルニーとスージも連れて行けよ。あいつはガキが好きだからな、俺よかぁ大事にしてくれるぜ、多分な」
ダンが熱心に勧めるのには、理由があった。
一つは、ジロが邪魔になってきたこと。
元々子供は、あまり好きではない。彼が好きなのは、アリシアだけだ。
子を孕めと言ったのも、彼女を我が物とせんが為。
アリシアを手に入れた今、子供なんて邪魔なだけだった。
もう一つは、ずばり金。つまりはジロを働かせ、上前を撥ねようという魂胆だ。
「優しいって、どんな風に?」
「例えば毎月の小遣いをくれたり、どっかへ遊びに連れていってくれたり……だな。そんぐらいは、してくれるだろうぜ。なんたって、あいつは優しい奴だからよ」
初めは気乗りしなかったジロも、親父の話を聞くうち、心が動かされてきた。
どうせ家にいたって満足に小遣いも貰えない毎日だ。
早くから働きに出て、遊べる金を貰うというのは悪くない。
「んーじゃあ、スージとエルニー誘って行ってみるよ。なんてトコ?」
「クラウツハーケンだ。一応、そこの入口までは送ってやるよ」
「そうじゃなくて、なんてギルド?名前がわかんなきゃ、向こうで迷子になっちゃうだろ」
「あー」
手紙を読み返し、ダンが答える。
「HAND x HAND GLORY'sってんだ。ご大層な名前だが、ま、動物なんかを捕獲すんのが主な仕事らしいぜ?」
「へー、捕獲。じゃあ、戦ったりしないの?」
「しねぇしねぇ、荒事があるんだったら、お前を行かせようなんざ思うかよ」
いくら可愛くなくても自分の子だ。
我が子の実力が、どの程度かぐらいは判っている。
ジロはアオミドロ一匹が相手でもボロボロに負けて帰ってきそうなほど、喧嘩の腕はカラキシだった。
ジロは、金の卵を産む鶏になってくれるかもしれないのだ。荒事で失うわけにはいかない。
アリシアの実家からの援助を受けられない今、息子だけが金づるなのだから。
彼女は勘当された身といってもよかった。
全ては、ダンの仕組んだ出来ちゃった婚のせいで。
「行くなら早く行こうぜ。俺、スージとエルニー呼んでくる!」
言うが早いかジロは表に飛び出してゆき、残ったダンはニンマリとほくそ笑む。
ジロの世話は、ギィに任せておけば安心だ。ついでに教育費も払って貰えれば、一石二鳥。
アリシアだってジロの行く先がギィの元だと判れば、文句を言うまい。
近所の友達を引き連れて戻ってきた我が子に、ダンは声をかける。
「よぅし、じゃー行くかガキども!ちっと長い滞在になるかもしんねーが、そこんとこは後で俺がごまかしといてやるよ」
「よろしくおねがいしまーす、ダンおじさん!」
スージが愛想笑いで、ぺこりと頭をさげる。次いでエルニーも会釈し、微笑んだ。
「ダンおじさま、うちの母に、よろしく言っといて下さいませね」
「おぅ、任せとけって。お前らの両親が納得するような理由を、とくと語っといてやるぜ」
口八丁舌八丁は、ダンの十八番だ。
近所の中年どもを騙くらかすなど、赤子の手を捻るよりも簡単な話。
「よぉーし、そんじゃ行くとするか!」
ダンを筆頭に、三人も「レェーッツ、クラウツハーケン!」勢いよく号令をかけ出発する。
ハンター達の集う街、クラウツハーケンへ――


End.
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