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act11.樹海

先発部隊の樹海調査は難航していた。
「アルペテウス、ジョイ、ケルガ。前へ」
第二小隊の隊長アルタスに命じられ、三名が前に出る。
「障壁がある。破れ」
目の前に広がるのは、無限の森。
木の他には何もなく。
――いや、そう見えるのはレジェンダーぐらいなものであろう。
魔力を関知できる者ならば、感じ取れるはずだ。
目の前に強力な壁が、魔力で作られし壁が存在するのを。
「御意」とアルペテウスが頷く間、横に立ったケルガの体が金色の魔力に包まれる。
「はあぁぁぁッ!!」
「……破壊します」
ジョイの差し出した両手にも魔力が込められ、三人は最大の魔力をもって障壁を破壊した。
息の乱れる三人、その間をぬって前へ出ると、アルタスは顔色一つ変えず命じる。
「全軍前進」
功績者を追い抜いて、部下達は前進する。
三人もまた、息が整い次第前進する。
今日は、あと何回障壁を破壊しなければならないのか。
いつかは力尽き、その時は別の者が前にたつ。
それが第二小隊の戦い方であった。

願わくば――そう、願わくば、何も出てこないで欲しい。
第七階級魔族、本日の名前はイユの願いは、だがしかし、あっさりと破られる。
第一小隊は、強力な敵と対峙していた。
障壁ではない。
形ある生き物だ、強力な魔力を持つ。無論、レジェンダーでもない。
背中に白い羽根を持つ神族で、名をコトリというらしい。
女であった。
神族の女が、何故、このような森に一人で?
決まっている。こいつも石を探しに来たのだ。レジェンダーから噂を聞いて。
出会った瞬間、両者は互いを敵と確認しあい、先に打って出たのはコトリだった。
既に数人の手下はやられ、草の上で事切れている。
相当の手練れだ、この女。
「……第三級、か。まさか同じ階級の魔族に会おうとは」
クォードを見据えて女が呟く。それは、こちらの台詞だ。
まさか、この広い惑星で同じ階級の神族に会うとは思ってもみなかった。
クォードの体にも緊張が走る。
コトリが彼よりも上の階級ではなかったのは、不幸中の幸いであった。
上なら今頃、彼の体は形もなく消滅している。
同じ階級だからこそ勝負は五分五分、勝機も充分残されていた。
「てめぇは生まれもった性別を呪うことになるだろうぜ」
クォードは不敵に笑い、傍らの部下に命ずる。
「時間を稼げ。俺の壁になりさえすればいい」
魅了の力を使うのだな、と彼らは悟った。
あれを使うには、少々の時間を必要とするのだ。
念じ、魔力を高め――階級が同じならば、ことさらこれは必要で――
視線に集めた魔力を相手の目に解放する。
見つめ合い、愛を錯覚させる。
一度かかってしまえば、なかなか抜け出すことは出来ない。
それが魅了の恐ろしい点だ。
コトリが魅了されれば、それ以上、無駄な命を散らすこともなく完全に戦いは終わる。
「ガフ、ノイトイ、デュランゾ。てめぇらが壁になれ」
名指しを受け、三人の顔が卑屈に歪む。
彼らはクォードを尊敬などしていない。
しかし第一小隊の面々に拒否は許されておらず、隊長が死ねと命じれば死ぬしかない。
三名は渋々従った。
第一小隊へ入った時点で、こうなる定めだったのだと己を呪いながら。


森の奥――
魔族の先発部隊が暴れているよりも、ずっと奥にはレジェンダー達の村があった。
村といっても、もはや村の外観を留めておらず、深い緑に囲まれ森の一部と化している。
その、森の一番奥に。

それは佇んでいた。
静かに、光を放ちながら。

照らされているのではない。なのに光っている。
自ら、光を放っているのである。
不思議な石であった。
レジェンダーは、この石を『生命の石』と呼んでいた。
石を守るために数十名を此処へ配置した。
それが、この村であったのだが、今は廃墟となり柱を数本残して人々は消えてしまった。
ここへ住んでいた者達は、どこへ行ってしまったのか?
その謎は、森だけが知っている――


幾つもの障壁、幾つもの結界を乗り越えながら、アルタスは、これが正しい道であると認識する。
この奥には何かがある――
それもレジェンダーにとっては、かなり重要な何かが。
捕らえて吐かせた村長。
あの男の言い方には真実が込められていて、咄嗟の思いつきで話したようには見えなかった。

キリガ樹海には、いにしえの時代から生きる賢者がいる――
賢者は森の奥深くに住み、お前達を追い出す案をお考えだ。
賢者達の村には切り札がある。
お前達の小賢しい暴力など、通用するものか。

最後まで、村長はアルタス達を呪いながら死んだ。
だが、それも当然で。
村長のくちを割る、それだけの理由で、アルタスは部下に命じて片っ端から村長の愛しい存在を消したのだ。
村人達。愛する娘。その夫。最愛の孫まで失った時、村長は逆上する。
しかし所詮は非力なレジェンダー、魔族の敵ではなく、打ち倒されて息も絶え絶えになり、殺せとわめく村長を更に痛めつけて。
ようやく欲しかった、石の情報を得たのであった。
「第一小隊と連絡を取ろう。――クォード、聞こえるか?」
使い魔を呼び寄せ肩へ乗せると、アルタスはクォードへと呼びかける。
しかし返事をしたのは彼ではなく、彼の部下・通称名無しであった。
「第一小隊は只今交戦中!火急でなければ通信を終了するでありますッ」
口元に指を寄せ、アルタスは考える仕草を見せた。
「ふむ……割と火急の用件なんだがね。彼も忙しいのか?」
「魔力を集中しているんであります!相手に魅了を、うわぁっ!!」
悲鳴が聞こえ、続いて爆音。
なにかの攻撃でも受けたのか、名無しの罵声も遠くで聞こえた。
それにしても、クォードが攻撃を受けている?
攻撃されるということは、相手は神族か。レジェンダーではあるまい。
まさかレジェンダーごときに遅れを取るような彼ではなかろう。
アルタスは神経を巡らせ、気配を感知しようとしたが――
駄目だ。
この森には数個の気配が感じられ、正しい位置を割り出せない。
気配の主は何だろう?
やはり、神族なのか?それとも何か別の――
アルタスの思案は一旦打ち切られ、彼は素早く部下に命じた。
散開しろ、と。
第二小隊が散らばると同時に、新たな障害が彼の前に現れる。
今度の障害は手強そうだ。
身動きせぬ障壁や結界ではなく、生きとし生けるもの――
白い羽根の生き物だったのだから!

神界よりボルドに降り立ったアスペルは、樹海の中で迷っていた。
アミュを探しに来たはずの彼が、何故ここに迷い込んでいるのか?
彼は、ここに仲間の気配を感じたのだ。
だが、ふらふらと、入り込んだのが運の尽き。
彼は迷子になって一人で彷徨っていたのだが、不意に気配を感じ立ちすくむ。
この気配。
仲間ではない。
仲間は、このような邪悪な気配など持たない。
では、何か?
レジェンダー?
違う。レジェンダーは魔力など発散していない。
まだ一度も会っていないが、彼は知識の上で知っていた。
敵は複数。
多くは雑魚だ。だが、一つだけ大きな魔力を持つ者がいる。
こいつが隊長か。
階級は、第三階級。
アスペルからすれば遥かに低く楽勝の相手とも思えたが、アスペルは森の中での戦闘に嫌悪を示す。
神族は自然を好む者が多い。アスペルとて、例外ではない。
悩んでいるうちに向こうは、どんどん近づいてきて、両者は対峙した。

先に動いたのは、アスペルのほう。
なんと彼は敵を前にしながら逃亡を謀り、あっけにとられる第二小隊を残し、低空飛行で飛び去っていった。
「なんだ……?戦う気、なしということか?」
知らず額に浮いていた汗をぬぐい、アルタスは呟く。
ふと、周囲の気配に、ただならぬ違和感を覚えた。
振り返り、アルタスの顔が引きつる。
驚愕?
いや、恐怖で――
何分ほど、そうしていたのだろう。
我に返った彼の耳に、使い魔の声が届く。
「アルタス、返事しやがれ。火急の用って何なんだ?」
声の主はクォードだ。とすると、向こうの戦いに決着がついたのか。


魔族の打ち出す光線とコトリの結界がそれを弾いた結果、周囲の木々はなぎ倒され、ここだけ台風が来た後のようになった。
だが魔族のほとんどが自然には無関心で、クォードも魔族らしく無惨な姿となった森には目もくれず。
すっかり魅了され、とろんとした目つきのコトリへ近づいた。
なぎ倒されたのは木々だけじゃない。
周囲の緑は、血にまみれている。
第一小隊の精鋭達が流した血であった。
部下の多くがコトリに倒されて、森へ入る前よりも数が減っていた。
もはや半数以下といってもよい。
大損害だ。
一度、体勢を立て直す為にも戻った方がいいかもしれない。
だが、その前に、やることがある。神族の始末だ。
「俺の声が聞こえるか?」
クォードが話しかけるとコトリは素直に頷き、焦点の合わぬ目でクォードを見上げて僅かにはにかむ。
コトリの理性が、そうしているのではない。
魅了をかけられた時点で理性は失われ、今こうして動いているのは魅了に囚われた操り人形だ。
理性なき肉体は、赤子と同じと言ってもよい。
「服を脱げ」と命じられれば、素直に従ってしまう。
真っ白なローブが、ふわりと音もなく地に着いた。
憎むべき相手だというのに、部下からは歓声があがる。
傷一つない白い肌。
柔らかそうな、二つの膨らみ。
尻の張りも良い。
真っ黒なレジェンダーとは異なり、神族は皆、色白で容姿端麗。
顔が整っていれば、体もしなやかでいながら弾力がある。
その点だけは、神族を褒めてやってもいいと魔族は思っていた。
「足を広げろ」
命じるクォードの声は淡々としていて、周りの部下ほど興奮してもいない。
するわけがない。
相手は敵、神族なのだ。
これが魔族の女なら、彼も少しは興奮したかもしれないが。
コトリの股は大きく開かれ、部下達がゴクリと喉を鳴らす。
淡い色に染められた果実がパックリと口を開け、皆の視線を一身に浴びて恥じらっているかのようにも見えた。
誰かが叫ぶ。
「隊長ばっかりズルイ、ズルイ!」
「残りカスぐらいは、てめぇらにくれてやる」
口元に意地の悪い笑みを浮かべてクォードは答えると、何の予備動作もなくコトリの体に腰を落とした。


「声に張りがあるね。相手は女だったのか?」
アルタスがからかうと、使い魔は顔を歪めた。
使い魔の向こう側にいるクォードが眉をひそめているのだろう。
「馬鹿言ってんじゃねぇ。大損害が出たんだぞ」
「で、君は相手から魔力を吸い取って元気いっぱい、と」
否定するでも肯定するでもなく、クォードはアルタスの冗談を無視して話を先に進める。
「俺たちは一度撤退する。悪く思うなよ」
「撤退する?どうやって。君、帰り道は判るのかね」
「――え?」
意外なことを聞かれ、クォードは慌てて振り返り、絶句した。
道がない。
今まで通ってきたはずの、道が。
彼らが通ってきた道は木々に覆い隠されて、コトリがなぎ倒したはずの木々すらも既に復活していた。
ありえない速度で木が生えてゆくのを目にし、クォードは使い魔に掴みかかった。
「アルタスッ!てめぇ、これを知ってて俺を誘ったのか!?」
「森が化け物であると?まさか。知っていたなら誘わない。僕も此処へ入ろうなどとは、思わない。入ってから知ったのだ」
彼の言葉には淀みがなく、却ってクォードにとっては疑わしいものとさせたのだが。
事実アルタスも森の驚異を目の当たりにして怯えており、逃げ出したいのは彼も同じであった。
部下達の為にも、これ以上の犠牲が出る前に帰った方がいい。
だが、どうやって戻る?
帰り道は閉ざされた。
森は、彼らを逃がす気などないようだ。
先ほど出会った神族も、恐らくは迷っていたのだろう。
だから戦いよりも帰り道を探す方を選んだ。そうに違いない。
アルタスは空を見上げる。
空もまた、樹で覆われていて何も見えず、薄暗さが心細さを倍増させる。
――飛んで逃げることも叶わない、か。
いざとなれば森を切り払い、焼き尽くしながら逃げ出すという手もある。
木々が回復するよりも早く、その場を立ち去れば、逃げ切ることが出来るかもしれない。
逃げる算段が考えつくと、不思議と恐怖も収まってゆく。
「とにかく。僕達は奥へ行ってみるよ。奥に何があるのか、それを確かめてから森を脱出する」
「脱出する?手だてはあるのか」
「破壊すればいい。再生よりも早く、移動すれば大丈夫だ」
「……まぁ、どのみち帰るにしても、そうするしかねぇか」
クォードも覚悟を決めたようで、奥への探索につきあうと言ってくれた。
部下にも申し訳ないが、もう少しつきあってもらうとしよう。
アルタスは再び部下達に前進を命じた。


「肌寒いでありますねぇ」
先頭を歩くイユが小さく呟き、クォードも空を見上げた。
何も見えない。
視界を覆うのは、大樹の枝ばかり。
森にせせら笑われていると感じて、つまらない思いから、クォードは前方を行くイユのお尻をけっ飛ばす。
「あいた!何をするのでありますか、指揮官殿!?」
「うるせぇ、黙って歩け!」
なんで怒るんだろう。
イユは痛む尻をさすりながら、再び歩き出す。
樹海へ来てからというものの、おもしろくないのはイユも同じだ。
特に、あの神族。あの女が倒された時も。
消耗した力を回復するとクォードは言っていたけれど、何となく納得いかなくて。
魔力を回復するなら、誰が相手でも良かったはずだ。
そう、自分だって。
「全員止まれ!散開しろ、前方に変な気配がありやがるッ」
不意にクォードが叫び、皆が一斉に散らばった。
イユは初動が遅れてしまい、彼女がオロオロしている間に、気配の主が姿を現す。
そいつを見た途端、イユはすっかり腰が抜けてしまいクォードの足下にかじりつく。
「ヒィ!ま、また神族……!!」
森陰から現れたのは、白い羽根の男。
羽根は白いが肌は黒かった。
黒い肌の神族など見たこともなく、部下達の間に動揺が走る。
まったく、次から次へと。今日は厄日か?
すがりついたイユを蹴っ飛ばし、クォードは掌に魔力を集める。
すると前方から待ったがかかり、澄んだ目と不審に駆られる目がかち合う。
待ったをかけたのは前方に立つ神族らしき男で、彼は淡々と述べた。
「待て!……神族とは、何だ?私は神族ではない」
「へっ、何ぬかしてやがる」
クォードは怒りで唾を吐き、目の前の男を睨んで怒鳴りつける。
「背中に、大層な羽根を背負ってるくせによ!」
「これか?これは羽根ではない」
白い羽根を指さし男は言うと、自らの腕で羽根を掴み、むしり取る。
地にバサリと投げ出されたそれを見て、魔族の誰もが息を飲む。
羽根に見えた白いものは羽根ではなく、二枚の白い板。
それが羽根に見えたものの正体であった。
「何だ、こりゃ?」
皆が次々に騒ぐのを、男が手で制す。
「魔力反射板。我らが作り出したアクセサリーの一種だ。それよりも、お前達。この星に生きる者ではあるまい。何者か?」
何者か?
それは、こちらが聞きたい。
レジェンダーのように色黒で、しかし背中に神族のような白い羽根を持つ男。
羽根はアクセサリーだという。
ならば、この男はレジェンダーなのか?
しかし事前に感じた気配。あれはレジェンダーの物ではなかった。
か細く弱々しい気配であれば、クォードは緊張しなかった。
威風堂々とした気配。
目の前の男が、まさにそれで、男は再び口を開く。
「私は古代レジェンダーの末裔。お前らの正体を知る権利がある」
「古代レジェンダー?何だ、そりゃ」
「尋ねているのは、こちらが先だ。答えよ」
クォードの質問を遮り、男がじろりと睨む。
別に隠す必要もない。クォードが答えるより先に、部下の一人が答えた。
「しらねぇなら教えてやろう。俺たちは魔族だ!」
「魔族……天を割り、この星に降り立った悪夢の者達か。ならば、ここから先へは進ませぬ」
やる気か――!
皆が殺気立ち、クォードは掌に込めた魔力を解放した。
魔力は一筋の光となり一直線に男を狙うが、男に当たる直前それはかき消え、男の姿も樹木の中へと溶け消えた。
「何ッ!?」
木擦れの中、男の声だけが響く。
どこにいるのか、気配を探っても位置がつかめないまま。


――加護なき貴様らは、この先戻ることも進むことも叶わぬ――


やがて風がやみ、男の声も聞こえなくなり、皆の顔から緊張が解けた後。
クォードは使い魔に話しかけた。
「あー……アルタス、聞こえるか?」
「感度良好だ。君から話しかけてくるとは、また何かあったのか?」
軽口を遮り、油断のない目つきで周囲を探りながらクォードが言う。
「妙な奴に出会った。古代レジェンダーの末裔だそうだ」
「ふむ?」
「俺たちが魔族と知った途端、態度を変えて敵対してきやがった」
「神族、或いはレジェンダーと答えたら、どうなっていただろうね」
たらればの話をしたところで、何になるというのか。
クォードの沈黙に、アルタスも気まずくなったか話題を変える。
「こちらは正解の道に入った予感がするよ」
先ほど伝え損ねた火急の用件を、この時になってようやく話す。
たちまちクォードは憤慨して使い魔の首を絞め、哀れ使い魔はギィギィと情けない悲鳴を上げた。
「何だって!?そいつを早くいえってんだ!」
「すまない。色々起こりすぎて、言うのを忘れていたんだ」
二組の魔族小隊は連絡を取り合い、一本の大きな樹木の前で合流する。

「この先だ。奇妙な存在を感じたのは」
アルタスが指さす方向は、やはり樹木に閉ざされており何も見えない。
しかし精神を集中すれば、不思議な気配が漂っていた。
レジェンダーでも神族でも魔族でもない。
暖かで、それでいて冷たく突き放すような気配だ。
「ここが森の最終地点、でしょうか?」
第二小隊の副官ペテルギウスが呟き、長い髪をかきあげ耳を澄ますが、そよとも風は吹かず、木擦れの音すら聞こえない。
小動物さえも森から姿を消しているようで、生命の息吹は全くと言ってもよいほど失われていた。
「この奥に眠るもの、そいつを拝みに行ってみるか」
クォードが一歩前に出、アルタスも後に続く。
「そうだな、此処まで来たんだ。見てから帰るのも遅くあるまい」
部隊全体が一歩、歩き出した瞬間だった。
地表から、何者かが勢いよく飛び出してきたのは――!
長く、しなるものが魔族の腕を切り裂き、頭を割って胴を薙ぐ。
ビシッと頬を打たれたクォードは咄嗟にそれを掴み、何が自分を襲ったのか自らの目で確認した。
枝だ。
大樹から伸びてきた枝が、彼の頬を打ったのだ。
樹木の枝が、根が、意志を持つ生き物の如く襲いかかってくる。
打たれた頬は血が垂れ、ひりひりと痛む。
腹立たしい。
木々が、これほど鬱陶しくなったのは生まれて初めてだ。
それともこれらは木々達の意志ではなく、先ほどの古代レジェンダーが木を操っているのだろうか。
そのほうが自然に感じる。少なくとも、植物が敵意を持つよりは。
「出てきやがれ!卑怯者がァッ!!」
クォードは枝を掴んだまま空いた片手で魔弾を放ち、光の線は根っこに捕まれて振り回されていたイユを解放する。
彼女を乱暴に、自由の身へと救出した。
「クォード、皆にも命じろ!木々を片っ端から破壊するんだ!!」
第二小隊は枝や根を攻撃するよりも本体破壊に切り替えたようで、手の空いた者は樹木に向けて魔弾を撃っている。
しかし敵も然るもの、撃った側から回復してゆく。
穴の空いた場所が、みるみるうちに塞がり、再び枝を振り回す。
誰かの体が捕まれたと思う暇もなく勢いよく地面に叩きつけられ、たちまち周囲の地面が血の海となる。
クォードの足下にも何かが降ってきて、彼は本能で避けた。
べしゃり、と目前で潰れた体。
勢いで目玉が飛び出て、うつろな眼球が、こちらを見つめる。
部下の一人だった。
力自慢だけが取り柄の、どうしようもない奴で、力しか自慢がないのに自慢の力が木に負けているようでは。
本当にどうしようもない。
死体から目を離し、クォードは不意に気づいた。
荒れ狂う樹木。
樹木の暴れる姿には細い隙間があり、そこから光が漏れている。
「アルタス!」
クォードの呼ぶ声を、どう受け取ったか、アルタスが前方に飛び出した。
「一点集中しろ!僕の攻撃に併せるんだ!!」
生き残った仲間達に命じ、光の漏れる隙間へと魔弾を放ち、光と光がふれあった瞬間――木という木が全て四散した!
もうもう、と煙の立ちこめる中。
魔族達は一歩、また一歩と恐る恐る近づき、光の向こうに何か巨大な存在を見つけて震え上がった。

彼らが最初に目にしたのは大きな塊。
暗闇に慣れてくるまで、月明かりに照らされた岩だと思った。
だが彼らはすぐに、それが間違いであると気づく。
月など出ていない。
岩は、自ら光を放っているのだと。
「美しい……なんと美しい、岩なんだ………」
恐る恐る、アルタスが岩に触れた。
すべすべとして、ひんやりと冷たく、それでいながら暖かさも感じて彼は首を捻る。
「これが、奇跡の石……なのか?」
遠目に見ていたクォードも近寄り岩に触れるが、同じく暖かさを感じて慌てて手を引っ込める。
「わからない。だが、ただの岩ではなかろう」
なんとかして持ち帰れないか。
アルタスは考えたが、岩は地面にしっかりと突き刺さっており、どう頑張ったところで抜くことも叶うまい。
それに――
ひどくセンチメンタルで馬鹿馬鹿しい考え方だが、岩は、ここにあるべきだと思う。
動かしてはいけない。
そうも思いクォードへ話すと、案の定、笑われた。
「奇跡の石を見つけた時も同じ事を言い出すんじゃねぇだろうな?」
意地悪な目で見つめられ、アルタスは赤面する。
「誓って、それはない。僕は先発隊の隊長だ、その言葉は侮辱だぞ」
それにしても。
この岩は、何なんだろう。
木々が襲いかかってまで守ろうとしていたのだ。
熱を放つだけが特徴の岩とも思えない。
「生命の息吹を、感じます」
不意に近くからペテルギウスの声を聞いて目をやると、彼女は岩に抱きついて耳を澄ませているようであった。
「心音が聞こえます。アルタス様も聞いてみては?」
「心音?」
おかしなことを言う。
岩に心臓など、あるわけがないじゃないか。
半信半疑で岩に耳をつけ、クォードもアルタスも仰天する。
トクン、トクン、と一定の響きが岩の中から聞こえてくるのだ。
ペティが心音と例えたのも、あながち間違いではない。
岩がトクンと囁くたびに、暖かさも深まってゆくように思えた。
気持ち悪さにクォードは身を剥がし、アルタスは一層岩にすり寄った。

暖かい。
この感覚は、お母さん?
そうだ、お母さんだ。
まだ幼い頃、お母さんに抱かれて、彼女の心音を聞いた。
あぁ。
もう。
ずっと、このままで。
このままで居たい。
お母さん。


「アルタス!!」
頬に一撃ビンタを食らい、彼は飛び上がる。
岩から引きはがされ、アルタスは噎び泣いた。
「いやだ、お母さん!」
「何がお母さんだ、しっかりしやがれ!」
二度三度、頬に強烈なビンタが飛び、アルタスの両目にも星が飛び交い、ようやく彼は正気に返る。
目の前にはクォードがいた。
アルタスの肩を引っ掴み、必死の形相でガクガク揺さぶっている。
「これ以上人数が減ったら、帰れるもんも帰れなくなるだろうが!」
アルタスを心配しているというよりは、帰り道を心配しているようだ。
それでも、彼は嬉しかった。クォードが自分を正気へ戻してくれたのが。
あのまま岩と抱き合っていたら、この世界に戻ってこられなくなっていた。
彼は、そう直感して身震いする。
「クォード、すまない。もう大丈夫だ」
真っ赤に腫れた両頬を押さえて立ち上がると、岩を見上げて小さく呟く。
「この岩は危険だ。そう報告しよう。だが同時に、しっかり調べておく必要もある」
「森にまた入ろうってのか?今は帰り道を確保するべきだろ」
「それは心配ない。この分なら、安心して帰れるさ」
森は今、不思議なほど静まりかえっていて、あれほど荒れ狂っていた樹木達も襲ってくる気配がない。
不気味な静寂に包まれていた。静かすぎて、却って部下達を怯えさせている。
「ここから出たら、また襲ってくるかもしんねぇぜ?」
クォードも不安なのか、しきりと空を見上げている。
幾多の命を残酷に狩ってきた彼でも、意志のない相手との戦いは苦手らしい。
彼の視線を受けても、樹木は沈黙したままだった。
「大丈夫。襲ってきたとしても、所詮は木だ。僕らの敵じゃない」
アルタスの返事は気楽なものだ。
今この森でリラックスしている者を挙げるとすれば、それは彼とクォードの副官であるイユぐらいだった。
「……妙ですわ。いつもはもっと、気むずかしい方ですのに」
ペテルギウスがクォードの側に、そっと寄り添う。
「まるで、あの岩がアルタス様の気性を塗り替えてしまったかのよう」
「そうか?元々、あんな奴だったような気もするけどな」
とは言ったものの、クォードもアルタスの異変に気づいていた。
気楽すぎる。
イユが気楽なのは、いつものことだから、もう放っておくとして。
学者肌のアルタスが深く考えもせずに「大丈夫」等と言うとは、彼らしくもない。
あの岩に触れてからだ。
彼が、おかしくなったのは。
あの岩には、何かがある。しかし、一体なにが?
もう一度、岩の側に立つ。
クォードは再度、岩に触れてみた。
直後。一瞬にして、彼の脳裏に広がる光景があった。

背中に白い羽根をはやした、男が二人。
どこともしれぬ荒野で、彼女は襲われる。
逃げて、クォード!
悲痛な叫びをあげて。
彼が最後に見たのは光の筋が二つ、彼女の体を貫く場面。
断末魔をあげる暇もなく、彼女は消えてしまった。
遺体すら、彼の手元に残さずに。
手を伸ばす彼の耳元で、誰かが囁いた。


あたしと もう一度 会いたいと思わない?

懐かしい声。
その声は確かに昔、聞いた声。
もう何年も聞いていなかった、愛しい彼女の――


ハッと気づくと、クォードはアルタスの腕に抱かれていた。
「ッ!何してやがんだ、てめぇは!!!」
我に返ったクォードは、真っ先にアルタスの鳩尾へ必殺の肘鉄を食らわした。
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