EXORCIST AGE

act17.学院  大特訓

その日の夜。
ティーガはVOLTに呼び出され、彼の住まいまで足を運ぶ。
帰り際、そっと彼に耳打ちされたのだ。
GENには内緒で俺の家まで来てくれ――と。
GENと同じく、VOLTも天都では”教師”という仮の職業についている。
彼もまた、桜蘭学院側が用意してくれた借家に住んでいた。
「電話じゃ話せない話って何?それにGENさんにも教えちゃ駄目だなんて、どういうことなんスか?」
ドアが開いて開口一番、質問攻めのティーガを軽く無視し、VOLTもマイペースに促した。
「まずはあがれ。珈琲を飲みながら話してやろう」
「あーい」と元気よく返事して、ティーガはVOLTの家に上がり込んだ。
必要な家具だけが揃っている。
そんな印象を受けるぐらい、すっきりとした部屋だ。
黒い絨毯に灰色の壁紙。この配色は局長の好みに併せたものだろうか。
「それで、話って何?」
局長の煎れてくれた珈琲を一口すすってティーガが切り出せば、VOLTも珈琲を一口含んでから話し出す。
「話というのは他でもない。デヴィットとGENの因縁だ」
「因縁?」
「ウム。厳密には、アーシュラとの因縁だがな……」
「アーシュラっていうと」と、天井を見上げてティーガが呟く。
「確か史上最悪の悪魔だったよね。デヴィット=ボーンの遣い魔で」
それには無言で頷き、VOLTは言った。
「GENが引き抜きで我が社に来たのは知っているな?」
「うん。確か……えっと……」
SHIMIZUかBASILが前に、そんな噂話をしていたように思う。
なかなか思い出せないティーガを補足するかのように、局長が付け足した。
「EX・ZENEXTだ」
「あー、そう!それっ」
ぽんと手を打ち、ティーガが破顔する。
「そこからヘッドハンティングされたんですよね?もう、その時にはGENさんはベテランだったって、BASILさんが言っていましたよ!」
VOLTは「そうだ」と頷き、珈琲をすする。
「といってもベテランに毛の生えたような存在だったのだがな、当時は」
なにやら含む言い方に、ついついティーガもムッとなり語気を荒げる。
「引き抜いといてサゲなくたっていいじゃないスか。GENさんが強かったから引き抜いたんじゃないんですか?」
今度の答えには、少々間が空いた。
ややあって「……いや」と首を真横に振ると、局長がじっと見つめてくる。
つられてティーガもジィッと彼を見つめながら、さらに質問を重ねた。
「強く、なかったんですか?」
「強いことは強かった。しかし、彼の強さには一種の危うさがあった」
「危うさ?」
首を傾げるティーガへ「そうだ」と頷き局長が続ける。
「一種の自暴自棄とでも呼べばいいのか……自分など、どうなってもいい。己の命を惜しまぬような、危険な戦い方ばかりしていた。入社したての頃のZENONと同じように」
「えっ!?」
入社したて時のZENONの件も気になるが、それよりも気になるのは当時のGENだ。
自暴自棄だって?
いつも笑顔を絶やさず穏和でノンビリした雰囲気のある、あのGENさんが?
脳裏に浮かぶ彼は、およそ自暴自棄とは、かけ離れたイメージばかりだ。
驚くティーガの対面で、VOLTが淡々と話を続ける。
「奴は、目の前で姉を失っている。殺したのは悪魔だ」
「――!」
「アーシュラが、GENの姉の命を奪った。奴の姉もまた、エクソシストであったからな」
「エクソ、シスト……」
「仕事を請け負った姉を心配して、GENは彼女を尾行した。そして運悪く悪魔に見つかり、姉はGENの身代わりとなって命を落とした。優秀なエクソシストであったのだが、な」
じゃあGENさんがエクソシストになったのは、お姉さんの仇を討つため?
そう尋ねると、VOLTは首を振った。
「それは判らん。だが、ティーガ。よく覚えておけ。自らエクソシストになろうなんて思う奴は、どいつも心に傷を負う者ばかりだ。無論、中には高収入や正義感につられて志願する酔狂な輩もいるにはいるが……だが大抵は悪魔に親しい者――家族、友人、恋人を奪われた奴らだ。俺やバニラも心に傷を持っている」
「社長……も?」
「恐らく、な。伊達や酔狂でエクソシストの会社を運営しようなどと思う輩は、いない」
知らなかった。
あのGENさんが、復讐からエクソシストの道を選んだなんて。
目の前で家族を殺される恐怖。
家族と同居した記憶のないティーガには判る由もなかったが、悲しみは伝わってくる。
倭月がもし、悪魔に殺されたらと思うと。胸の辺りがギュッと締め付けられる。
これを過去のGENも味わったのだ。きっと、何十倍もの心の痛みとして。
「GENの素質を惜しんだ社長がEX・ZENEXTと取引をした。表向きは引き抜きという形で、彼を我が社で保護する事になったのだ」
「俺の教育係にしたのは……何で?」
ティーガの問いへ僅かな笑みを浮かべると。
VOLTは、曖昧に答えをはぐらかす。
「さぁて……それは社長に直接聞いてくれ。或いは、GEN本人に聞いてみてもいいだろう」
「えー!ケチッ、教えて下さいよォ。ここまで話したんだから、全部話してくれたっていいじゃないですか〜!」
あとはティーガがブゥブゥ文句を言おうと、局長は笑って取り合ってくれなかった。

翌日からは対アーシュラの猛特訓が始まった。
それこそ学校へ行く暇もない。
いつものように朝食をかっこんでいる途中で玄関のチャイムが鳴らされ誰かと思って出てみれば、黒スーツにグラサンの局長とGENが迎えに来た。
変装する気ゼロな局長と違い、天都では髪をねかせているGENだったのだが。
今日の彼は、いつも会社でしているように白いバンダナを巻き髪の毛を逆立てていた。
服だってスーツじゃない。
ランニングタイプの迷彩シャツにズボンと、完全に会社スタイル仕様だ。
「あれっ、今日は長谷部センセーじゃないんだ」
からかうティーガへ、GENは微笑んだ。
「本気で特訓するんだ。こっちも気合いをいれなきゃな」
「エッヘヘヘ。気合いタップリだね、GENさんも。やっぱ、いつものほうが格好いい!」
「こいつぅ、からかうなよ」
不意にゴホンと咳払いされて、GENもティーガも振り返る。
はしゃぐ二人に水を差したVOLTは双方の顔を交互にジロリと睨みつけ、場所移動を促した。
「行くぞ。一時でも時間が惜しい。敵は待ってくれんのだからな」
「は、はいッ!」
「は〜い」
局長の運転するミニバンで片道三時間。
途中で居眠りしてしまったティーガは、GENに揺り起こされる。
「ふえ……?ここ、どこ?」
ぐるりと見渡してみたが一面樹木が広がっていて、ティーガには全く見覚えのない景色だ。
「雑木林だ。天都国営事務局の管理下にあるが、実質上は管理放棄されて久しい」
説明したのはVOLTで、早くもバンのトランクから荷物をごそごそ引っ張り出している。
何を持ってきたのかと思えば、巨大な鏡と謎のマット。
マットは日の光を浴びて、まぶしく輝いた。
「鏡?」と首を傾げるティーガへGENが言う。
「ティーガ、拳に霊気を集めて殴るだけがエクソシストの攻撃じゃない。ベテランともなれば、霊気を拳銃の弾みたいに飛ばしたり、金属や鏡に当てて反射させることも可能になる」
「へぇ〜。便利っすね!」
相づちを打ったものの、すぐにティーガは首をひねる。
「けど飛ばすって言っても、どうやって?」
「イメージするんだ。霊気の塊をね。心の中で塊を描き、それを徐々に大きくする。飛ばす時も一緒だ。相手に向かって飛んでいく様子を脳裏でえがく」
GENには、そう言われたが、いまいち感覚が掴めない。
準備し終わった局長が口を挟んできた。
「いきなりやれと言われても、お前には無理だろう。そういう手段もあるのだと朧気に覚えておけ」
「はーい」と返事しながら、ティーガは局長が用意したものを見やる。
大きな鏡が立っていて、足下にはキラキラ光るマットが敷かれている。
……何、これ?
困惑顔のティーガが局長を振り返ると、彼が言った。
「ティーガ、マットの中央に立て。今から俺とGENでありったけの霊気弾をぶち込む。お前は、それを全部避けるのだ」
「えぇっ!?」と叫んだのはティーガだけではない、GENも同時にだ。
「ティーガにぶち込むですって?冗談はやめて下さいよ、そんな真似をしたら」
「ウム、避けられなければ大怪我するだろうな。だが、当たらなければ大丈夫だ」
「いや、当たらなければって……」
ちらりと鏡を見やって、GENは絶句する。
局長のやろうとしている事は概ね予測がついた。
直線で飛んでくる霊気弾を避けるだけなら簡単だ。
だから鏡やマットに跳弾させて、あらゆる角度からの攻撃に反応できるよう特訓させるつもりだろう。
一歩間違えば大怪我必至の荒行である。
「だったら、最初は鏡とマットなしでやりましょう。徐々に慣らしていったほうが」
GENの妥協案は、ぴしゃりとVOLTに遮られる。
「時間がない。最初から全力でいくぞ。一つも当たらず、完璧に避けられるまで特訓を続ける」
「局長!!」
なおも言いつのるGENを手で制したのは、当のティーガだった。
「大丈夫だよ、GENさん」
「大丈夫って、何が!?」
「最初から全力でかからないと駄目なぐらい実力に差があるんでしょ?俺と、アーシュラって悪魔には」
「その通りだ」
重々しく頷く局長に、ティーガも口の端を歪めて笑う。
「だったら急いで強くならなきゃ。GENさん、局長、手加減はナシだよ。全力で俺を強くしてよね」
ティーガの全身から熱気が立ち上っているように見える。
やる気になっているのは、誰の目にも明らかだった。
初めての強敵を前に、闘志が漲っている。
多くの新人エクソシストが名前を聞いただけでも震え上がるアーシュラを相手に、ここまで臆しないとは天晴れだ。
さすがは研究所育ち、巫女の血のなせる業か。
「ティ、ティーガ……」と、これにはGENのほうが気圧されて後ずさる背中を、VOLTに押さえられる。
「本人はやる気満々だ。これに応えてやらねば教育係とはいえん。嫌なら別の者と替わってもらうか?」
ちらりと後ろを見、もう一度ティーガのほうへ向き直ると。
「いいえ。俺が……俺がやります。俺は、こいつの先輩ですから」
降ろされたくない一心で、ついそう答えてしまったが、すぐにGENは後悔する羽目になる。

銀色マットの中央に立った後輩を見て、互いに頷きあうと。
GENとVOLTの両名は、どちらともなく霊気を溜め始める。
やがてティーガの耳にも、小さな振動が届いてくる。
注意して耳を傾けていないと、うっかり聞き逃すほどの小さな音だ。
音は次第に大きくなり、GEN、そしてVOLTの周りには幾つもの光のゆらめきが出現する。
「す……すげぇ」
ポツリと呟き、ティーガは額を拭う。
自分でも気づかないうちに汗をかいていた。
先輩二名を取り囲んだ光の弾は今や拳ほどの大きさで丸く固まり、宙に浮かんでいる。
あれが霊気弾と呼ばれるモノか。
ふぅぅ……と静かに息を吐き、GENが顔をあげた。

それが合図だった。

「――わぁっ!」
頬をかすめて飛んできた何かにビクッとなったティーガに、続けて二個、三個と光の弾が襲い来る。
「ちょっ、まっ、待ってぇぇっ!?」
髪の毛を数本引きちぎって飛んでいった、と思った光の弾が鏡に当たって跳ね返る。
「ひゃあ!」っとばかりにスレスレでそいつを避けるティーガだが、すかさず逆方向、死角の隅から飛んできた光の弾には反応しきれず「あうっ!」と悲鳴をあげてマットの上に転がった。
腹が焼けるように熱い、いや、痛い。
普通に拳で殴られるよりも、ずっしりとくる痛みだ。
腹を押さえてうずくまっている間にも、四方八方から飛び交う霊気弾がティーガの全身を叩きつける。
なかなか立ち上がれないティーガへ、GENが慌てて駆け寄ろうとする。
駄目だ、やっぱり無理だったのだ、ティーガには。まだ、この特訓は早すぎた。
「ティーガ!」
だが間髪入れずにVOLTが怒鳴った。
「GENッ、邪魔だ、どいてろ!!」
「し、しかしっ!」
「言ったはずだ、こいつを完璧に避けられるまで特訓を続けるとな!」
「でもっ、ティーガは立ち上がってもいないんですよ!?」
飛んでくる光の弾を光の弾で打ち消すと、GENも可愛い後輩を守るために霊気の弾を生み出すが。
「げ、GENさん……いいから、俺、まだやれるから……!」
足下で声がして、ティーガがゆっくり身を起こす。
ふらふらだ。
しっかり体に効いているのか、最初に撃たれた腹を押さえたままだ。
霊気弾は本来、対悪魔用の手段として編み出された、いわばエクソシストの必殺技だ。
実体のない攻撃でありながらダメージは打撃に近く、一発でも受ければ体がバラバラになるほどの衝撃を受ける。
霊気の攻撃が効くのは悪魔だけじゃない。
人間とて、当たれば無事では済まない。
慣れればGENが先ほど見せたように、霊気の弾を霊気でかき消す芸当もできよう。
でも、今のティーガにそれをやれと言ったところで出来るわけがない。
「ティーガ、無理するのと頑張るのは別物だぞ?ここは一旦休んで」
引き下がろうとしないGENを「平気だってば!」と、やや乱暴に突き放すと、ティーガは大きく息を吸って吐き出した。
「よっし!」
パンパンと両手で頬を叩くと、気合い一新。GENの前へ一歩踏み出る。
「ティーガ……」
「GENさん、俺はね」
振り返りもせずにティーガが呟く。
「本気なんだ。本気でGENさんや倭月、それと桜蘭学院を守りたいと思っている。だからGENさんも、俺の本気を受け止めて欲しいんだ。俺が何度倒れても信じて欲しい。俺は絶対強くなるから」
今までにないほど強気の発言だ。
今までのティーガなら、すぐGENに頼るような面があったのに。
「ティ、ティーガ……?」
これまでと違う後輩の気迫にビビるGENへ、局長が再度声をかける。
「言ったはずだ、後輩のやる気に答えられないようなら他の者と交代しろと。今からでも遅くはない。他の者を呼ぶか?」
……降りる?
ここで?
冗談じゃない。
俺が目を離したりしたら、ティーガが本当に大怪我を負ってしまうかもしれないじゃないか。
アーシュラと戦う前に病院送りにされたんじゃ、何の為の特訓か。
「俺は、降りませんよ」
GENは怒りの形相でVOLTを睨みつけると、彼の横に戻って霊気の弾を再び放出する。
「俺だって、本気なんだ。本気に……ならなきゃ、いけないんだ」
GENの決心をどう受け取ったのか「そうか」とだけ頷くと。
VOLTは特訓を再開させた。

act17.組織  パートナー契約

自分の机へ乱暴に荷物を放り投げ、ZENONは大きく息を吐いた。
任務の途中で外されるなんざぁ、新人時代以来の屈辱だ。
怪我が理由だとバニラは言うが、この程度の怪我など、怪我のうちに入らないと彼は思っている。
もっと酷い怪我を負う任務だって経験しているのだ。
その時は、ちゃんと悪魔をブッ倒して任務を完了させた。
部署を見渡すと、こちらの様子を伺っているMAUIと目が合う。
「……なんだよ?」
人相悪く問いただすと、向こうは「な、なんでもないよ」と口の中で呟いて、そそくさと逃げていった。
ベテランが出払っている今、退治部署に残っているのなんて万年ルーキーな連中だけだろう。
その代表格サクラも、今は席を外している。
MAUIも先ほど出ていってしまったから、閑散とした部署に残っているのなんて自分一人ぐらいである。
そう気づいた途端、彼は無性に泣きたくなった。
ZENONと同じくリタイア組のSHIMIZUは社に戻れと命じられた後、会社へは寄らずに病院へ直行した。
やられた箇所が頭とあっては、後遺症を心配しているのかもしれない。
包帯を巻いた両腕を投げ出して、がっくり机にうつぶせていると、頭上に影が差した。
「お疲れ様、ZENON」
機械を通したような、合成音声。
こんな声を発するのは、我が社では一人しかいない。
「……社長。そいつぁ皮肉ですかィ?」
がばっと顔をあげてZENONがぼやくと、フードの人物は涼しい声で受け流した。
「猫娘とやりあって生きて戻ってこられたんだ。嘆くに値しないだろ?君は成長している」
「途中で降ろされちまったんじゃ、失敗と同じですよ」
ふてくされて机に脚を投げ出す行儀の悪いZENONを、社長はどう思ったのか僅かに苦笑する。
「全く……負けず嫌いだね、君は。だが、その闘志こそが我が社に必要なものなんだ。君を採用して良かったよ」
「何が言いたいんですかぃ。俺ァ、これでも傷心中なんですぜ、はっきり判りやすく」
部下の文句を遮り、社長が言った。
「君が任務を途中で降ろされたのは、君を補佐するパートナーが不在だったからだ。パートナーさえいれば、君が猫娘に負わされた怪我だって今の状態よりは浅かったんじゃないか?」
途端に椅子を蹴り倒し、勢いよくZENONが立ち上がる。
一歩ひるんだ社長を相手に、ZENONは両肩を掴んでガクガクと揺さぶった。
「んじゃあ、是非!バニラさんを俺のパートナーにッ」
だが社長も然る者、この程度の勢いに負けているようでは、とても会社のトップなど務まらない。
「それは無理だ」
あっさり言い放つ社長へ「どうしてですかい!?」と、くってかかるZENONへは、にっこりと口元を緩めた。
「これ以上、ここで話すのもなんだ。続きが聞きたければ、社長室へおいで」
ちらっと社長の視線の先を伺うと、のこのこ戻ってきたMAUIが見えた。
単に昼飯を食ってきたのか、他の連中と一緒に。
サクラの姿もある。依頼で席を外していたんじゃなかったのか。
場所を変えようと社長が言いたくなるのも判る。
あいつらは何が起きても何を聞いても、キャピキャピ騒ぎたがるお祭り野郎どもだから。
一人納得すると、ZENONは大人しくついていった。

社長室には西日が差し込んでいたが、その割には涼しい。
冷房が、ほどよく効いているおかげか。
「それで?俺のパートナーにバニラさんがなれない理由ってのを」
入るや否や、勢い込んで尋ねるZENONへ席を勧めると。
社長は自分の椅子へ腰掛けた。
「無理と言ったのには理由が二つある」
ZENONの着席を確認してから、社長が切り出す。
「一つは、バニラが新パートナーを希望していない点。そして、もう一つは私が君のパートナーになるという点」
やや間をおいて、ZENONは素っ頓狂な声をあげた。
「……ハイィ?」
そうしたリアクションも予想範囲内だったのか、社長は涼しい声で続けた。
「悪い話ではないと思うんだけどね。私と君なら、ゾラとバニラのコンビだって簡単に越えられるはずだよ」
「んな……んなこと言いますがねぇ」とZENONだって譲らず、反論する。
「現役離れて何年目なんですかい?社長は」
「離れてなど、いないさ」
心外だとでもいいたげに、社長の声も大きくなる。
「私は、ずっと現役だよ。会社の運営を始めた最初の一年だけは、休職せざるを得なかったけどね」
その証拠に、と立ち上がり、社長が静かに息を吐く。
同時に、二重三重にと体の輪郭が揺らぎだす。
エクソシストにしか見ることの出来ない、霊気の放出だ。
ボッ、ボッ、と微かな炎の燃える音がして、幾つもの光の弾が社長の周りに浮かび上がる。
その数たるや、バニラが見せた霊気弾を遙かに上回る多さではないか。
「いっ――!?」
背もたれいっぱいに怯むZENONを満足げに見やると、社長は霊気を解放した。
「わかったかい?私だって、まだまだ皆には負けちゃいないさ」
なら、なんで社長などやっているのだろう?
現役なら、現場で一緒に戦えばいいのに。
そう思ったZENONだが、口に出したのは、まるっきり違う言葉だった。
「社長が現役なのは判りましたよ。でも、俺ァ姿形の判らねェ奴と組む気にはなりません」
「でも、君は私の姿形が判らなくてもTHE・EMPERORに入社希望したじゃないか」
間髪入れず突っ込まれ、ますます形勢を危うくしながら、なおもZENONは反発を試みる。
「し、しかし社長は性別も判らねぇじゃありませんか。うちの社訓じゃ」
「そう」と言葉尻を受け継いで、社長がZENONの目の前に立つ。
「社訓じゃ、男性社員と女性社員のタッグじゃないとパートナーとして認めない。私の考えたルールだね」
「んなら――」
言いかける側から両手で頬を挟まれ、ぎょっとしたZENONは、さらに背中を背もたれにめり込ませる。
「私は女性だよ。疑うなら、証拠も見せよう」
するり、とローブが床に落ちた。
中から現れたのは、銀髪を肩までの長さに揃えた小柄な少女。
いや少女にしか見えないが、実年齢は恐らくZENONよりも上だろう。
切れ長の瞳は、赤い光沢を放っている。整った美しさが社長にはあった。
「コードネームはERASE。呼びにくかったら、社長のままでも構わないよ」
透き通っていて、尚かつ聞く者を従わせる声だ。
人工音声ではない。これが社長、いやERASEの本当の声か。
「い、いえ……いや……呼びにくかぁ、ありませんが……」
ZENONも、いつの間にか立ち上がっていた。
上から下までジロジロとERASEを無遠慮に眺め回し、ごくりと唾を飲む。
予想外だ。小柄だから少年、或いは小男なのかと予想していたのだが。
声だって事故か何かで喉を潰して、人工音声の使用を余儀なくされたのだと思っていた。
夏でも常備の怪しげなローブは、全身に渡る怪我や痣を隠すための衣類だとばかり。
なんだ、普通に話せるんじゃないか。
しかも綺麗な声じゃないか。
そして、普通に美人じゃないか。
何故年中暑苦しげなローブを着込み、人のものならぬ機械音声で話していたんだ?
「このローブはね」
ZENONの疑問へ答えるかのように、社長が話を再開する。
「霊力を抑えるために着ているんだ。これを着ていないと、霊力が溢れだして悪魔を呼び寄せてしまうんだよ」
「えっ?」
慌てて周囲を見渡す部下の肩を、軽く叩いて落ち着かせると。
ERASEは微笑んだ。
「大丈夫。この部屋は対魔力装置が働いているからね。ここには悪魔も近づけない」
彼女は語り始めた。
「私は生まれつき霊力が高くてね。いや……高すぎてね、幼い頃から悪魔に狙われていた。父も母も悪魔に殺されたよ。私の霊力を狙う悪魔どもに、ね。私は奴らと戦いながら、大きくなったら絶対に、自分と同じような人間を集めて悪魔を全部退治してやろうと誓ったんだ。私のように不幸な人間を、これ以上生み出さない為にも」
「それが……THE・EMPERORってわけですかィ?」
「そう」
ZENONの問いに頷くと、ERASEは真っ向から彼を見つめた。
「集めるためには、手段など選んでいられなかった。高給をぶらさげたら私の思惑通り、霊力の高い人間が集まったよ。いや、それだけじゃない。私の作った会社を見て、他の霊能者も真似するようになったんだ。悪魔を退治する会社が増えれば増えるほど、悪魔がこの世から消えていくんだ。これほど嬉しいことはない」
瞳を輝かせて熱弁を垂れるERASEは、まだまだ想い出話を続けたいようであったが。
ZENONが大変言いにくそうに割って入る。
「それで……そのぅ、最初の話に戻るんですがね?俺とパートナーになりたいってのは、どうしてですかィ」
社長は我に返り、振り向いた。
「あぁ、それは勿論、決まっている。君を私が気に入ったからだよ。そうだな……有り体に言えば、好きなんだ。君のことが」
今度の間は、さっきよりも、さらに長くて。
ぽかんと大口あけたまま硬直するZENONの頬を、再び両手で挟み込むと。ERASEは彼に口づけた。
「――ッ!!」
おかげでZENONの硬直も解け、椅子をひっくり返してテーブルを蹴り倒した彼は部屋の隅っこまで退散する。
「なっ、な、何しやがるんですか!?せ、セクハラだ!こいつぁセクハラですぜ、ERASE社長ッ!!」
散々バニラを社内で追いかけ回してきた男の台詞とも思えない。
ZENONときたら顔は真っ赤、額には汗の玉が浮かんでいる。
全力でテレているのだけは間違いない。
「君は、私が嫌いなの?」
ERASEが囁く。ほんの少し眉尻をさげて、悲しそうに。
「い、いやぁ……嫌いじゃ、ありませんが……」
「じゃあ、好き?」
「そ、その……」
「どっち?」
壁際まで追い詰められ、渋々ZENONは白状した。
「すっ、好きじゃなかったら、尊敬してなかったら、俺ァ、この会社をとっくに辞めていましたよ!」
正体に驚いたのは本当だが、社長のことは嫌いじゃない。
入社面接を受けたのはTHE・EMPERORだけじゃない、他に二、三社掛け持ちしていた。
それでも内定を貰った他の二社を蹴ってまでTHE・EMPERORに入社したのは、一つは最大手という会社の実績。
もう一つは、ミステリアスな社長に興味があった。
性別不明、正体不明。でも実力は底知れない。
そんな噂が流れていた。
社長の正体を暴こうと企むうち、いつしか仕事を回してくれる社長の気前に惚れ、尊敬するようになっていた。
社長には随分贔屓にしてもらっていたように思う。
あれもこれもそれも、全ては社長の愛情による依怙贔屓だったのだろうか?
ZENONの気持ちを察したのか、ERASEは自分の椅子へ腰掛けなおして、こう言った。
「君へ得意先の仕事をまわしていたのは、贔屓による優遇じゃない。君へ回した依頼は、未熟な者では命を落とすレベルのものばかりだからね。君は強くなった。入社時よりも、ずっと強くなった。私は君を信頼しているんだよ、ベテランエクソシストとして」
愛情ではなく、あくまでも実力を買ってくれていたというのなら、褒められるのは悪い気がしない。
断る理由も特にない。
バニラを愛していたんじゃないのか?と問われれば、恐らくノーだとZENONは自己判断する。
彼女の性格は好きだ。強さにも憧れている。
パートナーになりたかったのも、彼女が社内で実力ナンバーワンの大ベテランだったから。
だが、一人の女性として愛しているのか――
そう言われると、違うような気がする。
ましてや、自分を好きだという女性を無下に扱う事など、できない。
ERASEは本心から、好きだと言ってくれたのだ。仕事でも信頼していると。
ZENONの決心は固まった。
「返事は今でなくても構わない。君が落ち着いた時にでも」
社長の気遣いを遮り、ZENONが頷く。
「いえ。パートナー契約、お願いします。俺のパートナーになって下さい」
「そう。契約完了、だね」
社長は、優雅に微笑んだ。