EXORCIST AGE

act11.学院  海水浴旅行(2)

先にお食事を済ませてしまいましょうという三年生の誘いを断り、拓と一年生の三人は窓の景色を眺めている。
倭月と友達三人は並んで座り、拓は一人、窓際の席に腰掛けていた。
窓の外を、恐るべきスピードで木々が流れてゆく。
しかしながら「うひゃあ〜、早い〜、すごい〜!」と、さっきから一人ではしゃいでいるのは拓一人だけ。
殆どの者が修学旅行やバカンスで、何度も列車の旅を経験している。
経験していないのなんて、これまで学校に通った事のない拓ぐらいなものであった。
はしゃぐ彼を横目に見ながら倭月の友人、佐奈が「あと何時間で到着する予定?」と尋ねるのへは、「三時間ぐらいで到着するんだって」と、同じく友人の一人である智都が答えた。
「ひゃ〜!三時間かぁ」
うんざり、とでも言いたげに両手をあげてバンザイする佐奈に倭月が苦笑する。
「三時間もあるんだから、ゆっくりおしゃべりできるよね」
「ポジティブだねぇ、わっつんは……ところで」
不意に佐奈が声のトーンを落としてきたので、倭月もつられてヒソヒソ声に。
「何?」
「わっつんのおにーさま、列車旅行は初めてなの?」
「う、うん……そうみたい」と、それには倭月も苦笑い。
そこへ車両のドアが開き、大きなワゴンが顔を出す。
続いて野太い声が「お飲み物は如何ですかぁ?」と一緒に入ってきた。
「え、珍しー。男の添乗員さんだぁ……」
言いかけて、佐奈の言葉が途中で止まる。
何気なく彼女の視線を追いかけた倭月と智都も、言葉をなくしてポカーンとしてしまう。
だって、ワゴンを押してきた人物ときたら。
びっしりスネ毛の生えた大根足を晒し、スカートを履いたオッサンだったのだ。
女子三人の固まった視線を浴びながら、そいつは堂々とワゴンを押して拓の真横で立ち止まる。
「お飲み物は如何ですかぁ?お食事もありますよぉ〜」
野太い声に話しかけられても、拓が気づいた様子はない。
相変わらず窓にべったり顔をつけて、流れる景色や空模様に歓喜の叫びをあげている。
「お飲み物……いらないんですかぁ、そうですかぁ」
にこやかに話しかけながら、男の手がワゴンへゆっくり伸びてゆく。
その手が、ワゴンの中に隠された何かを掴んだ時。
別の角度から添乗員に向けて、話しかけてきた者があった。
「あ、添乗員さん、すみませ〜ん。なんか電車酔いしちゃったみたいで、酔い止めの薬ってあります?」
倭月達の後方に腰掛けていた、ミズノこと仮の名前は琴川 千鶴。
彼女の隣は空いている。
先ほどまで長谷部が腰掛けていたのだが、今は三年生と食事を取りに行ったまま。

――人としての生命力が異常に弱く感じる――

三年生の一人、大守 悦子から拓が感じ取った異質の気配。
そいつを確かめる為、長谷部は彼らに同行した。
悪魔かもしれない人物が、このメンバーの中にいないとは限らないのだ。
敵は必ず桜蘭学院の内部にいる。
そうでなければ、社長がこの仕事を請け負うはずもない。
ともあれ琴川の一言で、女子三人の硬直が解ける。
「えっ、琴川さん電車酔いしちゃったの?大丈夫ですか〜?」
さっそく智都が気遣い、琴川は曖昧に笑ってみせる。
「う〜ん、あんまり大丈夫じゃないみたい。とりあえず、お薬飲んで様子を見てみるつもりよ」
ワゴンを押して添乗員が彼女に近づいていく。
「お薬ですか?少々お待ち下さァい」
その後ろ姿を見送りながら、佐奈がそっと倭月に囁いた。
「ね、あれってやっぱオカマかなぁ?」
「だ、駄目だよ、指さしたりしちゃあ」
ヒソヒソと囁く二人の声に、拓も興味を持ったかして振り向いた。
と、同時に「危ないッ!」と叫んで立ち上がるもんだから、倭月も佐奈も驚いた。
いや、驚いたのは琴川やオカマ添乗員も同じで。
突進してくる拓を避けられず、ワゴンは派手に転倒し、お茶やら弁当やらが散乱する。
「な、何しているの、お兄ちゃん!?」
あがる倭月の非難も余所に、拓は琴川を守る位置で身構えた。
「てっ、てめぇっ、何しやが――」
突き飛ばされて思いっきり転んでしまった添乗員はカッと頭に血が上るも、すぐさま自分の立場を思い出す。
「何しやがるんですかぁ!?お客様ッ」
一応演技に戻ったが、どうもイマイチ戻りきれていない。
口紅を塗ったくった唇オバケに睨まれて、それでも一歩も怯まず拓は言い返した。
「だ、黙れ!お前、そのワゴン……ワゴンの中身ッ、その気配!」
「ちょ、ちょっとタックン、どうしたの?」
背後から拓の腕を掴んだ琴川も、あっとなる。
彼の腕、総毛立っているじゃないか。
さらには拓の見つめる先を見て、琴川は二度驚いた。
ブッ散らかされた弁当箱、その中から、ひょいっと先の尖った黒い尻尾が飛び出して、ぷりっと黒いお尻が見えたかと思うと、続いて二枚の黒い羽根も、お目見えする。
間違いない。
見えない者には全く見えないが、ある霊波を持つ者には見えてしまう不思議な生き物――
悪魔が、弁当の中から出てこようとしている。
しまった。まさか一般人のいる場所で、奴らが仕掛けてこようとは。
小さいからと侮るなかれ。
たとえ弁当箱サイズの悪魔といえど、一般人なら大人を一人倒せるだけの殺傷力を持っている。
もし飛びかかられたら、女子高生など呆気なくやられてしまうだろう。
拓の肩を掴んだまま、琴川は倭月達には聞こえぬほどの小声で囁きかける。
「ティーガ、倭月ちゃん達をお願い……ここは私が何とかする」
振り返らず、視線は悪魔を睨みつけたまま、拓が小声で囁き返してきた。
「駄目ッスよ。ミズノさん、ソロで悪魔と戦った事なんてないんでしょ?俺が食い止めます、ですからミズノさんは倭月達を」
そんなことを言ったって、拓だってソロで悪魔と戦った事がないのでは?
どちらかが囮となって、そのすきに片方が倭月達を逃がすか。
それとも拓と二人で、悪魔へ一気に襲いかかるか?
悩む琴川を救ったのは、場違いなほど嫌味に響き渡った竹隈の一言だった。
「おやおや、津山くんには困ったものだねぇ。大人しく席で座って待つことも出来ないときた」
気障ったらしく、ふわさっと髪をかき上げ、これ見よがしに大きな溜息をついてみせる。
変な高校生の出現で、オカマ添乗員にも一瞬の隙が出来た。
すかさず長谷部が一歩前に出て「しょうがないなぁ、興奮したのか?」などと、おちゃらけて見せながら。
散乱した弁当箱、悪魔の挟まった分も一緒に掴みあげると手近なゴミ袋へ一気にねじり込んだ。
その際ぶちゅっと嫌な音を耳にしたのは、エクソシストの三人ぐらいなもので。
他の皆にしてみれば、長谷部先生が力を込めて生ゴミを袋に突っ込んだようにしか見えまい。
何事もなかったかのように長谷部は笑い「手を洗ってくるよ」と言い残して、トイレのある車両へと消えていった。
さて、残された偽添乗員のほうは穏やかでいられない。
ぐるり高校生で四方を囲まれており、すっかり逃げ場を失った。
さらには、彼の天敵エクソシストの姿も二人混ざっている。
二対一、悪魔の協力なくしては逃げることさえ難しい。
「なんだ、この気味の悪い添乗員は」
ジロジロと品定めする竹隈を「いけませんわ、竹隈くん。気味が悪いなどと申しては」と一応、千早が咎めるも。
彼をフォローするかのように千早の取り巻きの一人、塚本 京が口添えする。
「でも千早様、私達がチェックしたスタッフの中に、このような不気味な殿方はおりませんでしてよ」
「そうだとも」
竹隈も頷き、拓達にも判るように話し始める。
それによれば旅行に関わる全てのスタッフを、前もって竹隈らが厳選しておいたらしい。
なにしろ護之宮家のお嬢様が、ご同行するのだ。何か粗相があっては面目ない。
「護之宮さんだけではありませんわ。千早様にも何かがあったら困りますもの」
すました京が、付け加える。
「つまり……あなた達の知らないスタッフが混ざっていた、ということは」
琴川の視線が、ぴたりと偽添乗員に止まる。誰もが一斉に叫んでいた。
「ストーカーだ!」
「もしかして、痴漢!?」
「週刊誌の記者さんかな?」
「そういうことね」
何がそういうことなのかは判らないが吉野 文恵が納得したように頷き、ポケットから携帯電話を取り出した。
「警察へ連絡しておくわ」
「警察を?じゃあ、旅行は中止ですか?」
口を尖らせて佐奈が尋ねてくるのへは、首を真横に振る。
「あら、どうして?旅行は続けるわ、勿論。不審者は次の駅で放り出せば済むことよ」
そうですよね、と促されて千早は頷いた。
「えぇ、皆で楽しみにしていた旅行ですものね。予定通り海へ向かいましょう」
かくして、一件落着。
偽添乗員は両手足をビニールテープでぐるぐる巻きに縛られて、最後尾の座席に座らせられる。
ややあって本物の添乗員も、ゴミを捨てに行った長谷部の手で無事に救出された。

戻ってきたGENが腰掛けるのを待ってから、ミズノが小声で尋ねてくる。
「悪魔は?」
「始末したよ。きっちり握りつぶしたはずなのに、まだ息があった。驚くべき生命力だよな」
同じく小声で答えてから、ちらりと前の席に座るティーガを一瞥する。
「ティーガが真っ先に気づいたんだって?」
「えぇ」
ミズノは頷き、先ほどの状況を脳裏へ思い浮かべた。
「あの子、最初は窓ばかり見ていたのに、倭月ちゃん達の異変に気づいた途端、飛びかかっていったの」
「で、君は全く気づかなかったのか?弁当箱に隠れていた悪魔の存在に」
GENにジト目で睨まれて、ミズノは必死に言い訳する。
「だ、だって。電車酔いしちゃって気持ちが悪かったんですもの」
「電車酔い〜?」
あの時、偽添乗員へ話しかけたのは、けして相手の正体に気づいていたわけではなく。
電車酔いは演技でも何でもなく、本当だった。
「ったく、しっかりしてくれよ先輩エクソシスト。ティーガと違って初乗りじゃないだろ?電車は」
ますますGENの目は白けたものとなり、ミズノは穴があったら入りたい気分で一杯に。
まぁ、電車酔いしていたとはいえミズノが気づかなかった気配にティーガは気づいたのだ。
あとで褒めてやらねばなるまい。
今は千早と仲良く並んでおしゃべりしている。邪魔をするのは可哀想か、千早が。
通路を挟んだ隣側には、一年生の仲良し三人組が座っている。
時折、倭月がチラチラと拓を盗み見ているのは、けしてGENの生み出した妄想ではなかろう。
ティーガも罪作りな奴だ。どうせなら、兄妹仲良く並んで座ってやればいいのに。
チラリと腕に嵌めた時計を見て、GENは小さく溜息をつく。
「あと二時間強、か……ひたすら暇かと思っていたけど、こうなってくると油断がならないな」
えぇ、と頷いたミズノが思い出したように尋ねた。
「そういえば、あなたのほうは、どうだったの?」
「あぁ、大守 悦子?確かにティーガの言うとおり、微弱だが妙な気配を感じるね……しかし」
「しかし?」とミズノに促され、GENは腕を組んだ。
「悪魔と断定するには、まだ材料が足りないな。もう少し様子を見よう」
悪魔に取り憑かれた場合、一気に体調を崩し、何年も床についた病人と同じ状態になるはずだ。
体力が衰え歩行も、ままならなくなる。海水浴旅行なんて、以ての外だ。
取り憑かれているにしては、悦子は健康体過ぎる。やつれた様子も伺えない。
だが、そうすると彼女から感じる妙な気配は何だというのか?
病魔に犯されている、それも考えた。
しかし先も言ったように、悦子は健康そのものなのだ。
ぽっちゃりというより太り気味で、ぷっくりした頬がツヤツヤしている。
さっきだって食事の時、大盛りご飯を二杯もおかわりしていた。
そもそも何かの病気を患っているとすれば、旅行するなど彼女の主治医が許さないだろう。
「そうね」とミズノは頷き、後方座席を一瞥した。
「次の駅で、あの変態を降ろしたら警察は何か言ってくるかしら?」
「変態じゃない。デヴィットの仲間ってことも考えられる」
悪魔を仕掛けてきた以上、あの女装男は悪魔の手先と考えるのが当然だろう。
だが人目のつく場所で悪魔を使うなど、デヴィットだったら絶対にするまい。
デヴィットとは別件の悪魔遣いかもしれない。ミズノの意見にGENも頷いた。
「いずれにせよ、警察経由で一旦本社へ連絡を入れておこう」
もはや、敵は学院の中だけじゃない。
貸し切り列車に現われた、つまり初めから女装男は拓を狙っていたと思われる。
何故、どこでどうして拓が学院の依頼に関わっている情報が漏れたのか?
それらも含めて、社長と連絡を取る必要があった。
考え込むGENの真横で、大きなワゴンが立ち止まる。
「ん?」と顔をあげた彼の眼に飛び込んできたのは、先ほど救出した本物の添乗員。
「先ほどは、本当にどうもありがとうございました」
深々とお辞儀する彼女へ、GENも照れて頭を下げる。
「い、いや、当然のことをしたまでだよ」
何度もお礼を言われた挙げ句サービスで弁当を受け取ったGENを、ミズノがジト目で睨みつけてきた。
「一体、彼女とナニをしていたの?」
「ナニって……助けたんだよ、彼女を。悪魔を捨てに行った時、彼女が下着姿で縛られているのを見つけてさ」
「下着姿ぁ?いやらしいわねぇ」
フンッと鼻息荒く吐き捨てるミズノに、ついついGENの声も裏返る。
「い、いやらしくなんかないよ!」
「どうせGENの事だから、マジマジ眺めていたんでしょ?いやらしいっ」
とんだ濡れ衣だ。GENは慌てて付け足した。
「すぐに服を貸してあげたよ。お、俺のだからサイズは大きいかもしんないけど」
「あぁ、それで?それで彼女、制服じゃなかったのね」
一旦は納得しかかったミズノにホッとしたのもつかの間で、すぐに彼女は意地悪な目線を寄こしてくる。
「でも、よく着せてあげる服を都合良く持っていたこと。あなた、いつも替えの服を持ち歩いているの?」
あぁそれは、とGENは首を振り。
「荷物を分けて隠してあるんだ。トイレと、食堂と運転席近くのボックスの三箇所に」
「隠して?どうして」
ミズノの冷たい視線にもめげず、続けて補足した。
「一箇所にまとめていたんじゃ何かが起きた時、対処しきれないだろ?荷物は常に、分けて置いておく。こんなの依頼を受ける際の常識だよ」
どことなく得意げな彼へ「フーン」と、なおも冷たい視線を向けた後。
ミズノは、もう興味なしとばかりに窓の方を向いてしまい、会話が不自然に途切れてしまった。
どことなく気まずさの漂う席を立ち、GENは呟く。
「……さて、と。俺はティーガと少し話してくるけど、君はどうする?」
こちらを振り向きもせず、ミズノが応える。
「いってらっしゃい」
彼女が何でむくれているのか、理由が判らずGENは首を捻ったのだが。
こっそり肩をすくめると、ティーガのいる席へと移動していった。

act11.組織  悪魔の遣い

その日、ZENONは珍しく社長室に呼び出されていた。
といっても、ヘマをやったわけではない。
彼が呼び出しを受けたのには、ちゃんとした理由があった。

「共同作戦……ですかィ?そいつぁ、また、随分と大がかりな話ですなァ」
社長から聞かされたのは、THE・EMPERORとEX・ZENEXTによる合同捜査の件だった。
エクソシスト同士、それもライバル社同士が合同で何かを行うことなど、普段は皆無に等しい。
敵の数がそれほど多くない点や金勘定の問題を考えても、合同でおこなうメリットが見あたらないからだ。
「敵が団体様で来るって可能性もある。なら、こちらも総動員する必要があるだろうよ」と、答えたのはバニラ。
彼女の他にもBASILやDREADなど、ベテラン社員の姿があった。
社長に呼び出されて集まった顔ぶれだ。
「デヴィット=ボーンは単独ではない。奴が来国した同時刻、親しく話す人物が目撃されている」
社長の一言に、誰もが耳をそばだてる。
「証拠は?」と尋ねるZENONへ、社長が答えた。
「空港にいた多数の目撃証人だ」
だが、とも続ける。
「天都に奴の知りあいがいるとは考えにくい」
「そうですね……民間人にしろ悪魔遣いにしろ、Common EVILと何らかの関係がある人物でしょう」
ウンウンと判ったような顔をしてBASILが頷き、その人物の背格好を尋ねると。
スクリーンが降りてきて部屋が暗くなり、簡素なイラストが映し出された。
「なんだ、こりゃ……ボウズ?」
口々に騒ぐのを手で制し、社長が淡々と説明する。
「背丈はデヴィットの頭二つ分高く、頭を剃髪しており、黒の法衣。瞳は青く、首にはホラ貝をぶらさげている。彼がデヴィットの隣を歩きながら木魚を鳴らしている処を、多くの民間人が目撃したそうだ」
それだけ特徴のある人物が歩いていれば、誰の目をも引くだろう。
デヴィットが目撃されるのも、無理はない。
「天都の住民に化けたつもり……でしょうか?」
首を傾げるBASILへ微笑むと、社長は逆に問い返す。
「それよりも、この目立つ人物とデヴィットが組んで何をするつもりなのか。そちらのほうが気がかりだと思わないか?」
「まぁ、確かに……」
「そこで」と皆の顔を見渡し、社長が部屋の明りを灯す。
「合同で調べようという話にまとまった。分担としては西部を我が社、東部をEX・ZENEXTが調査する」
「合同調査するのは、EX・ZENEXTとだけなのかYO?」
尋ねるDREADにも頷き、社長は自分の席に腰掛けた。
「今の時点では、な。事と次第によっては、他社の協力を仰ぐことにもなりそうだが」
「社長はデヴィット=ボーンの狙いが天都攪乱以外にもあると、お考えなのですね?」
再びの問いにも「あると考えた方が無難だろう」と答え、社長は部下の顔を見つめる。
「君達には今から西部へ向かってもらう。我が社の精鋭が向かうんだ、いい結果を期待しているぞ」
「了解です」
ビシッと敬礼したのはBASILだけで。
後はめいめいに「任せろYO!」だの「判った」だのと、社長相手にしては失礼極まりない答えを返した。
彼らの無礼も、ここの社長にとっては慣れた返事だ。
元より敬意を示せという社訓もないのだし。
「よし、では行ってくれ」
解散の号令を背にベテラン社員達は、各々の部署へと戻っていった。

自分の席に戻ってきたZENONは、机の上に散らかった携帯洗面具やタオルを無造作に鞄へ突っ込んだ。
今回は、いつもの仕事とは違う。
遠出の出張だ。それも、バニラと一緒の。
考えてみれば入社してから一度も、彼女と一緒に泊りがけの仕事をした覚えがない。
荷物をまとめているうちに、知らずフンフンフン♪などと鼻歌を漏らしてしまい、傍らのMAUIには妙な顔をされた。
「ど、どうしたんですか?ZENONの奴……」
ヒソヒソと尋ねてくるMAUIに、BASILもヒソヒソと答えた。
「出張だよ、長期の出張。俺もだけど、うちのベテランだけで西部へ行ってくるんだ」
「いつですかぁ?」と、サクラまでもが混ざってくるのへは「今からさ」と答え、BASILも荷物整理を始める。
といっても、持っていくものは大抵決まっている。
携帯用の電話と洗面具、あとは現金ぐらいなものだ。
衣類は現地で調達すればいい。かかった費用は会社の経費で落とせるようになっていた。
「おいZENON、バニラさんの前だからってイイトコ見せようなんて思うなよっ!」
さっそくMAUIがチョッカイをかけて、ZENONにギロリと睨まれている。
あいつ、ZENONを嫌っているくせに何でいつも余計な一言をかけるんだろう?
止めようかと思ったが、面倒になってきたのでBASILは無視することに決めた。
それより、気になるのはデヴィットの足取りだ。
目撃者の証言によれば、デヴィットと托鉢坊主は大天都ホテルの前で別れたらしい。
托鉢坊主は、その後、駅でも目撃されているが、別れて以降のデヴィット目撃情報は出ていない。
彼は何処へ消えたのか――大天都ホテルに宿泊しているのか?
悪魔退治の仕事が、ひっきりなしに入る今、会社を開けるのも心配だった。
だが、社長には社長の考えがあるんだろう。なら、自分は社長を信じて動くだけだ。
「用意できたかい?」
不意にポンと肩を叩かれて振り向くと、バニラと目があった。
「地下にバンを回してあるそうだ。全員で駅へ向かうよ」
「判りました」
「ZENONにも伝えておきな。あたしは先に行っている」
言うだけ言うと、さっさとバニラは踵を返す。
去りゆく背中へ「えっ、バニラさんが伝えれば……」と言いかけ、BASILは考え直す。
バニラが自分で言わなかった理由、なんとなく判ってしまったので。
だってZENONのやつときたら――
「うわっ!なんなんですかぁ〜?ZENON先輩、そのビラッビラのネグリジェ!」
サクラの悲鳴に、満面の笑みを浮かべたZENONが答える。
手に持っているのは悪趣味といってもいいぐらい、趣味の悪いフリルのついた紫のネグリジェだ。
「ヘッヘッヘッ、いいだろォ〜。これこそは俺がバニラすぁんにプレゼントしようと日夜用意しておいたLOVE寝間着だッ!」
もし此処にミズノやGENがいたら、ここぞとばかりに彼を馬鹿にしまくったであろう。
二人とも、いなくて良かった。
「お〜い、ZENON。一応、今回の出張はハネムーンじゃなくて仕事だぞ、シ・ゴ・ト」
念のため釘を刺しておいてから、BASILはバニラの伝言をつたえた。
「下にライトバン回してあるそうだから、荷物をまとめたら地下駐車場に集合な」
「うるせぇ!わかってんだよ、そんなこたぁ。テメェに言われるまでもなくッ」
途端に不機嫌全開になったZENONの罵倒を背に、荷物を担いだBASILも先に地下へ向かう。


THE・EMPERORの連中が黒真境西、EX・ZENEXTが東部へ出発した頃――
噂の人物デヴィット=ボーンも、都内のホテルでのんびりしていたわけではない。
「ご機嫌は如何かい?アーシュラ」
暗く地の底から響くような声が、部屋の隅から聞こえる。
『上々だ。久方ぶりだな、デヴィット』
アーシュラ、それが声の主の名前らしい。
「しばらく食料補給が途絶えて悪かったね。今日からまた食料入手のアテがついたんで、君の協力が必要になったよ。ただ僕は昼間、君と一緒にいられない。九月になったら別件での仕事も入ってくるしね。僕が留守の間、君は君で単独行動を取るといい。万が一、何者かに邪魔されたらラングリットを呼び出すんだ」
片眉をあげ、いかにも心外だと言いたげな表情でアーシュラが呟いた。
『ラングリットも来ているのか』
その様子には、デヴィットも苦笑してフォローに回る。
「そう嫌がるなよ。確かに彼は少々変わり者だけど実力はあると思うよ、それなりにね」
『他の者は、いないのか』
ラングリットと自分の他に天都へ来る予定の人物は、あと一人。
「うーん、今、他の人を呼びつけるのは勘弁してほしいな」
『何故だ?何かを調べているのか』
「調べているってんじゃないんだけど……まぁ、調べているようなものかな」
歯切れの悪いデヴィットの答えに、苛立ったアーシュラが噛みつく。
眉間に露骨な皺を寄せ、彼に詰め寄った。
『隠すな、デヴィット。我と貴様の仲ではないか!』
「ん、まぁ……隠しても仕方ないか。そうだな、探しているんだよ。巫女の血を引いているって噂の女性を、ね。生きているかどうかも判らないんだけど」
ふむ、と呻って悪魔アーシュラは、しばらく天井を仰いでいたが一言だけ尋ねる。
『その者の名は?』
間髪入れず、悪魔の遣いが答えた。
「津山 祀。本名かどうかも判らないんだけどね」