Devil Master Limited

パーシェルの愉快な毎日 - 1.初めてのおつかいニャ!

その"もの"には、名前がなかった。
存在はしているものの、彼らには呼び寄せる名前がついていなかった。
彼らは、いずれ、もっと大きな存在――
別の悪魔に吸収され、体の一部となる使命を持っていた。
だからこそ彼らが人間に召喚されて一体の悪魔になるのは、とても珍しい事態だった。

悪魔遣いには、二種類のタイプがある。
一つは幼い頃に洗礼を受けて、長い年月を悪魔と共に過ごしてきた者。
もう一つがラングリット=アルマーのように、使役会社に入社してから洗礼を受ける者だ。
Common Evilへの入社が決まった翌日、ラングリットは洗礼を受けに悪魔遣いの黒ミサへ参加した。
一般人には何もかもが珍しい場所であった。
黒ミサの行われる会場は教会と似ていたが、教会ではない。
祭壇の上に飾られているのは山羊の頭だ。
そいつに烏の血が、かかっている。
黒いローブを着た男の前で誓いの言葉を言わされると、次はいよいよ遣い魔との契約に入る。
魔界から悪魔を呼び出し、取引するのだ。
やたら細長い階段を下りていった先に召喚部屋はあった。
中では何本もの蝋燭の炎が揺らめいている。
部屋の狭さと蝋の燃える匂いの息苦しさに、ラングリットは己のネクタイを緩めた。
目の前にあるのは八枚のカードが並べられたテーブル。
これより悪魔遣いの儀式を執り行う。
自分の引いたカードが、自分の使役する悪魔を決める。
先輩悪魔遣い達が見守る中、ラングリットは緊張の面持ちで一枚のカードを裏返した。
「ラングリット=アルマーが引きし悪魔は、名も無きバァルの使者」
カードを見た初老の悪魔遣いが朗々と名前を読み上げる。
途端に、ざわざわと他の悪魔遣い達がざわめいて。
ラングリットは落ち着かなくなり、彼らに尋ねた。
「名も無きバァルの使者?どんな悪魔なんです、一体それは」
尋ねられた先輩諸氏は視線を上向き加減に外しながら、気まずげに答える。
「うむ、まぁ……使者と言えば格好はいいが、言ってみれば部品だな」
「部品?」
「そうだ」と別の悪魔遣いも頷き、だがラングリットを落胆させまいと明るい表情で付け加えた。
「見方によっては非常にレアな悪魔を引き当てたとも言えるぞ!なにしろ、自分で遣い魔に名前をつけられるのだからな」
「名前って?」
まだ把握しきれていない顔でラングリットが聞き返す。
「名も無きバァルの使者ってのが、こいつの名前なんじゃないんですか?」
年上の悪魔遣いは首を真横に振った。
「それは便宜上つけられた名前であって正式名称じゃない。彼らには名前がないのだ。生まれ落ちた時から、バァルの首の一部になると定められた存在なのだから」
「首の一部?」
ラングリットは、ぞっとした。
これから行われる召喚の儀式で魔法陣の中央に生首が現れたら、どうしよう。
彼の心の内を見透かしたか、初老の悪魔遣いが優しく声をかけてきた。
「案ずるな、部品と言っても悪魔は悪魔だ。ちゃんと頭も胴体もついておる」
「……ホッとしました」
正直な反応に老悪魔遣いは目を細め、詠唱に入る。
悪魔を呼び出す呪文だ。
声が幾重にも重なり次第に大きくなって最後の一言を唱え終えた時、魔法陣の中央に小さな影が現れる。
くっきりした三日月の瞳が蝋燭の光を反射する。
黒くて艶やかな毛並みと細くて長い尻尾を持つフォルムを見た瞬間、ラングリットの口からは歓喜が飛び出していた。
彼は、大の猫好きだったのだ――


パーシェルには名前がなかったニャ。
パーシェルって名前をつけてくれたのは、ラングリット様なのニャ。
だからパーシェル、ラングリット様のために頑張るって決めたのニャ!
パーシェルは遣い魔ってことになっていて、ラングリット様と依頼を片付けて、お魚もらうのニャ。
あっ、違った……
依頼を片付けて、お金をもらって、お魚買うのニャ。ほくほくニャ。
パーシェルが呼び出された日、ラングリット様は大喜びだったニャ。
「なんて可愛らしいニャンコなんだ!」って言われたから、パーシェル思わず反発しちゃったけど……
でも、そんなこと言われたの、実は初めてだったのニャ。てれるニャ。
そうなのニャ、パーシェルは猫じゃないのニャ。
れっきとした悪魔なのニャ。
あのまま魔界で大きくなっていたら、バァルってやつの首になる予定だったらしいニャ。
どうやってなるかって?
バァルに食べられると、パーシェルがニョキニョキ脇から生えて首になるニャ。
でもパーシェル、そんなの、もうどうでもいいニャ。
ラングリット様のおそばにいれば、お魚食べ放題ニャ!
お魚、美味しいニャ。大好きニャ。
もちろんラングリット様の次ぐらいに、ニャ。
今日もね、パーシェル、ラングリット様に頼まれちゃったのニャ。
頼れる相棒なのニャ。
えっと、えっと……あれ?何するんだったっけ。
忘れちゃったニャ……
歩いていれば、そのうち思い出すかもしれないのニャ。


「……遅い!一体何をやっているんだ、お前の遣い魔は」
何度目かの愚痴を吐いて、サンジェはラングリットを睨みつける。
二人はホテルのロビーでパーシェルの帰りを待っているのだが、灰皿は煙草の吸い殻で一杯になっていた。
「イライラするのをやめろよ」と、ラングリットは意にも介さず。
「イライラするから煙草の摂取量も多くなり、貧乏揺すりが始まって彼女には嫌がられるんだ」
「メリッサの件は、今は関係ない!お前の遣い魔が遅くて苛ついているんだよ、俺はッ」
サンジェが激しく机を叩くと、灰皿の灰が舞い上がる。
そいつを疎ましそうに手で払い避けながら、ラングリットも言い返した。
「猫道を探すのに手間取っているだけだ、何も心配はいらない」
はずだ、多分。
パーシェルには猫道を使って、依頼の品を探し当てろと命じてある。
失せ物探しの依頼であった。
依頼主の大切にする水晶玉が盗まれた。
そんなものを盗んで、どうするのか。
金目当ての犯行だとしたら、とっくに換金されているのでは?
と思ったのだが、サンジェに誘われたラングリットは承諾した。
デビューしたての悪魔遣いには、いい仕事が回ってこない。
いつも、彼の財布は木枯らしが吹きまくっていた。
つまりは貧乏まっしぐらだ。
この際、受けられる依頼は何でもこなしたい。
そう思っての初コンビ結成だったのだが……早くも初失敗に終わりそうである。
パーシェルの帰りが遅い。どこまで行ったんだ?
それはラングリットが一番知りたかった。
人間界では悪魔に人間の姿でいるよう命じるのが、悪魔遣いの原則である。
ラングリットも周囲に習い、普段はパーシェルを黒猫ではなく少女の姿に擬態させている。
まさか、あまりの可愛さに、悪魔さらいならぬ人さらいに遭ってしまったのか?
――三時間経っても、音沙汰なく。
心配でたまらなくなったラングリットは、とうとうサンジェに捜索を持ちかけた。
何のって、もちろんパーシェルの捜索だ。


フニャー!フギャー!ニャゴー!
……あ、ラングリット様なのニャ。
えっ?そこで何をやっているかって?
野良猫が猫の分際でパーシェルに喧嘩を売ってきたから、買ってやったのニャ。
パーシェル、一歩も退かなかったのニャ。すごいニャ?
エヘヘ、ラングリット様のお手々、暖かいニャ。
ナデナデ大好きニャ。
ずっとこうしていたいのニャ〜。


「全く、どこまで行ったのかと思えば近所で猫と喧嘩かよ、おめでてーな」
呆れるサンジェに、ラングリットも苦笑する。
彼の遣い魔は、ホテルを出て数分と経たないうちに見つかった。
なんと塀の上で毛を逆立てる野良猫と睨み合い、威嚇しあっていたのである。
依頼の品は?勿論、パーシェルは持っておらず。
結局サンジェと二人であちこち足を棒にしまくって聞き込みに走り、苦労の末に、どぶ川から掬い上げて持ち主に届けた。
「大した猫道だったよな」と嫌味まで言われてしまったが、反論の言葉もない。
パーシェルは猫道さえ嗅ぎつければ、優秀な悪魔なのだ。
ただ、問題はパーシェルの頭が、とっても悪いこと。
頼んでいたお使いを忘れて、どこかへ寄り道したまま戻ってこないなど日常茶飯事だ。
ツケは全てラングリットに回ってきて、二度手間の一人苦労なんて依頼も、ざらではない。
それでも彼は、悪魔遣いを引退しようとは思わなかった。
悪魔遣いをやめて余所へ行く当てなどないし、それよりも何よりも、苦労と手間を併せても、おつりが来るほどパーシェルが可愛くて仕方がなかったのだ。
パーシェルはラングリットに、とてもよく懐いている。
ラングリット様、ラングリット様と自分を慕ってくる悪魔を、どうして切れようものか。
それに、よく言うではないか。馬鹿な子ほど可愛い、と。
こいつは俺が一人前に育ててやる。
いつか一緒に、トップの座を守り抜くまでに成長したい。
そんな野望を胸に秘め、毎日アホの子を猫かわいがりするラングリットであった。