エイペンジェストの優雅な日々 - 4.嗚呼、麗しのご主人様
テロリストのアジトが何者かの襲撃を受けて、エイペンジェストは瓶ごと二階へ移動させられた。
「おい、持ってきたぞ!これッ」
手渡しに別の男へ受け渡り、エイペンジェストは室内を見渡した。
見かけた顔、見知らぬ顔の中に我が主も混じっている。
幸い、誰かに暴行を受けた様子もない。
ご主人様の無事な姿に、ひとまず遣い魔は安堵した。
一階が酷く騒がしい。
壁の崩れる音や、悲鳴、怒号。血と埃の匂いも漂ってくる。
「くそ……なんだってんだ、一体」
エイペンジェストを、ここまで持ってきた男が悪態をつく。
「捕まえたはずの奴が逃げたと思ったら、今度は破壊神の襲撃だって!?」
破壊神とは穏やかな通り名ではない。
男達は、すっかり落ち着きをなくして青ざめている。
「俺達、殺されちまうのかなぁ」
ぼやく面々を見ながら、エイペンジェストは呆れて肩をすくめる。
今まで散々誰かを殺してきたテロリストが、自分の命の心配か。
せいぜい、命乞いでもするといい。破壊神とやらに。
やがて二階に見覚えのある金属鎧と赤毛頭が登ってきたかと思うと、ようやく瓶の外へ解放されたエイペンジェストを待っていたのは、残念ながら赤毛野郎の抹殺命令ではなく。
「エイペン、判っているわね?攻撃目標は――床よ!」
室内を雷が暴れ回り、足下の床が一斉に抜ける。
哀れ雑魚どもは床と一緒に落ちていき、赤毛野郎も一緒くた――とはいかず、金属鎧の悪魔に抱きかかえられて難を逃れた。
雑魚の末路を最後まで見送ることなく、エイペンジェストは我が主を見た。
腕の中に抱えたバルロッサはエイペンジェストを褒めるでもなく、賞賛の言葉をエイジに浴びせている。
「エイジ、素晴らしいわ!いつの間に魅了の呪縛を解いてしまったの?」
「自力で解いたわけじゃない」
エイジは素っ気なく答え、バルロッサを見つめ返す。
「それよりも、あなた方には余計な手間をかけさせてしまった。すまない」
「嫌ぁね、あなた方だなんて他人行儀。バルロって呼んでちょうだい」
下では破壊音が鳴り響いているというのに、我がマスターときたら場違いに頬を薔薇色に染めあげている。
エイジはバルロッサから視線を外し、足下を見た。
「ベルベイの情報を収集する為、やむなく特攻をかけた。今、下ではアーシュラが暴れている」
我が主は聞いているのかいないのか、いや、耳を貸す気すらもないようで、潤んだ瞳でエイジへ「そう、それよりもエイジ、お帰りなさい。あなたが正気に戻ってくれて嬉しいわ」とばかりに、すぼめた唇を突き出すのをエイペンが遮った。
『バルロッサ様、今は戦闘中です。我々もアーシュラに加勢すべきでは?』
途端に不機嫌な舌打ちをして、バルロッサが答える。
「加勢?必要ないでしょ。雑魚の相手なんて、あいつ一人で充分よ」
「そうだな」とエイジまでもが同意し、階下を見下ろした。
「良い具合に粉塵が舞い散っている。これなら影食いも本来の能力を発揮できまい」
「粉塵?」とバルロッサも下を見下ろし、手で口元を覆う真似をした。
「やぁだ!酷い粉埃ね。これじゃ何も見えやしない。エイペン、あなた、床板を吹き飛ばしすぎたんじゃない?」
「そうじゃない」
エイジがかぶりを振り、彼女の間違いを正す。
「アーシュラにやらせたんだ。粉塵を舞い上がらせれば影を出来なくなるからな」
「あぁ」と何かバルロッサが言いかけるのへ、ランスロットが言葉を重ねてくる。
『さすがエイジ様、お見事な作戦でございます!レトフェルスが影を食おうにも、影がなくては無理ですね』
エイジを抱えていなければ、両手で拍手喝采でもしかねない勢いだ。
いっそ拍手喝采で落としてしまえばいいものを。
表面上は涼しげに、だが内面ではエイジへの詛いの言葉を吐き続けるエイペンの腕の中でバルロッサが言った。
「それじゃ私達は、ここで待機しておく?」
「そうだな。万が一の同士討ちを避ける為にも、ここで待とう」
「……ねぇ、エイジ」と、バルロッサがモゾモゾと身じろぎする。
少しでもエイジの近くへ近づこうと懸命なようだが、そうは問屋が卸さない。
ぐっと抱きかかえる力を強めて、エイペンジェストは主を諫める。
『バルロッサ様、あまり動かぬよう。落としてしまいます』
「なんですって?落としたら、ただじゃおかないわよエイペンッ」
キッと己が遣い魔を睨みつける彼女を見て、これ見よがしに鋼鉄の鎧が笑い飛ばす。
『おぉ、怖い。エイジ様、エイジ様は私を、あ〜んな風に叱ったりしませんよね。ねっ?』
「当然だ」
ランスロットへ頷き、エイジもバルロッサを見やる。
「バルロッサ、エイペンジェストは先ほど見事な働きをした。俺よりも、まずは彼を褒めてやるべきではないのか」
「あら、私達は言葉をかわさなくても以心伝心で分かり合えているのよ。逐一ゼロから百まで言葉で言わなきゃ判らない愚鈍な遣い魔とは違って」
我が主がエイジに刺々しいとは、珍しい。
いや、トゲトゲの向かう先はエイジではなく、ランスロットか。
エイジは、しばし沈黙し、ややあってから静かに応じた。
「たとえ言葉なくして連携が取れていたとしても、声をかけることで、より絆は深まる。通じていたと思っていたものが案外通じていなかったのも確認できる。俺は、それを身をもって実感した」
「えっ?それって、どういう」
しかしエイジはバルロッサに答えを与えず、ランスロットを促した。
「戦闘が終わったようだ。いこう」
足下の粉塵が晴れていく。
アーシュラとテロリスト達との戦いに、決着がついたのだ。
――そして。
長き任務が終わり、リビングで寛いでいたバルロッサが不意にポツリと呟いた。
「あれって結局、どういう意味だったのかしら」
『あれ、とは?』
エイペンが話を促すと、我がマスターは紅茶を一口飲み、続ける。
「ほら、前の依頼でエイジが言っていたじゃない?俺は身をもって実感した、って。あれって、遣い魔と会話しないことでデメリットが発生していた――って意味よね。エイジって完璧にランスロットを使役しているように見えるんだけど、実は、そうじゃなかったのかしら。あれだけ息のあったコンビでも、意志のすれ違いが起きていた……?」
『あぁ』
エイペンは顔を綻ばせる。
ようやく我が主は気づいてくれたのだ。
遣い魔とのコミュニケーションの重要さに。
『そうでしょう、恐らくは。どれだけ優秀な悪魔遣いと悪魔でも、言葉が通じる以上は』
だが主の推理は、まだ終わっていなかった。
エイペンジェストの〆の言葉を遮るように勢いよくソファから立ち上がると、握り拳をぎゅっと固めて叫んだ。
「四六時中ベッタリくっついている遣い魔でも、意思の疎通が完璧ではない!ということは、私にだってチャンスがあるってことよね。そうよ、言葉は大事。良いこと言うわ、さすがエイジ。はっきり言葉で伝えなきゃ伝わるものも伝わらない!そうと決まれば、則行動よ!!」
『バ、バルロッサ様、一体何を思いついたのです?』
颯爽と扉へ向かい、バルロッサが振り向いた。
「決まっているでしょう。今からエイジに会って、愛の告白をしてくるのよ!」
『今からですか?もう、夜の十一時を回っておりますが』
「善は急げ、よ!」
『しかし、もう終電も』
「タクシーを捕まえるに決まっているでしょッ。エイペン、あんたはお留守番ッ!」
追いかけるも鼻先で勢いよく扉を閉められ、慌ててエイペンジェストも夜の街へ飛び出した。
――やれやれ。
あれだけの大仕事を終えても、我が主は己の遣い魔の優秀さと重要性には全く気づかないままなのか。
しかも相変わらず、あの赤毛に夢中だ。
いつか主の目の前で赤毛野郎の化けの皮を引っぺがし、且つ自分が一番主の事を考えているのだと証明できれば。
前を走るバルロッサに追いつくと、エイペンジェストは彼女を抱き上げた。
『宜しいでしょう。では全速力でエイジの家に向かいます』
ひとまず彼女の欲望を遂げさせる手伝いをしてやりながら、エイペンジェストも己の野望を心の内で燃え上がらせるのであった……