Devil Master Limited

2-5.知名度

視界の開けた場所で立ち止まり、デヴィットは頭をかく。
「……ありゃ。なんだ、こりゃ?」
目の前に広がるのは港、船着き場だ。
遠目には灯台も見える。
しかし砂漠で港もあったもんじゃない。
海があるでもなし、水が一滴もない場所に作る意味が判らない。
船着き場ではないとしたら、何かの足場だろうか。
デヴィットは足場に登って背伸びをしてみたが、見晴らしが良いとも言えない高さで首をひねる。
「おかしな街だね、ここは」
正方形に区切られた住居、仕掛けで動く壁、そして交通の便がよくないのに工場地帯を持ち、あげくに謎の船着き場だ。
こんな不便な街は見たことがない。
住民も住みづらいのではなかろうか?
遠くに砂をかき分ける音を聞いた気がして、デヴィットは咄嗟に建物の影へ隠れた。
音は、どんどん近づいている。
目をこらしてみると、砂の中を何かが掘り進んでいるようだ。
やがて、ばらばらっと近くの建物から人影が飛び出してくると、砂の中を進む何かへ声をかけた。
「おーいっ!こっちだ」
色あせた袖無しのシャツにターバン。
どいつも日に焼けた肌をしている。地元の住民だろうか。
砂の中から、ざばっと姿を現したものを見て、デヴィットは声にこそ出さなかったが、あっとなった。
黒い、ぬるりとした巨大な生き物。
胴体からは手足が生えている。そいつが大口をあけて笑った。
『がぁっはっはっ、待たせたかよ!喜べ、今回は新鮮な野菜がたっぷりだぞ』
人ならざる者――悪魔が発する、特有の話し方だ。
常人には感じ取れない、低い周波数が混ざっている。
「待っていない、時間通りだ」
悪魔の背中に積まれた荷物を、男達が次々と足場へ降ろしていく。
誰かが赤い果実を手に取り、叫んだ。
「すげぇ、マンゴーだ!半年ぶりじゃないか!?」
『パイナップルも仕入れたぞ』と、悪魔。
男達と悪魔の間に、ぎこちなさはない。
恐らくは昔から、こうした遣り取りをしているのだろう。
物資の流通は、この悪魔が担っているらしい。
砂漠のど真ん中で生活できるのは、こうしたわけか。
「すごいな、高かったんじゃないか?」と男の一人が労えば、悪魔は尖った歯を見せて笑った。
『ばっはっは!気を遣わんでえぇとよ。安値で大量に仕入れるルートを見つけたんじゃ』
悪魔は単体で来たのか、ざっと辺りを見渡しても悪魔遣いらしき者が見あたらない。
「ありがとう、ラインラン。お前がいなかったら俺達もうとっくに全滅していた」
ぽんぽんと背中を叩かれ、悪魔が微笑む。
『困った時はお互い様よぅ』
――だが。
「やばい!連中だッ」
物陰で見張りでもしていた誰かが不意に怒鳴り、男達が一斉にハッとなる。
「ラインラン、早く出ろ!」
『連中ってぇと例のテロリストか!?』
殺気立つ黒い奴の背中を押して、ターバンの男達が口々に叫んだ。
「いいから、早く砂の中へ!俺達は見つかっても平気だ、でも、お前はやばい!!」
『なら、お前らも一緒に――』と言いかける黒いのを遮って、男達は拒絶する。
「駄目だ!俺達まで逃げたら残った皆に被害が及ぶ。いいから、早く出ろ!」
荷物を担いで早くもその場を離れる者、ばらばらと皆が逃げ出す中、悪魔も身を翻して砂の中へと消えていく。
間髪入れずに走ってきた人影が「おぉい!そこで何をやっている!!」と尋ねてくるのへは、わざとらしく口笛を吹きながら残った奴らが対応した。
「や、何もしてませんぜ?天気がいいから雑談していただけでさぁ」
「本当か?お前ら何か企んでいるんじゃあ……」
じろりと睨みつけられても、褐色にターバンの男達は動ぜず答えた。
「企んだりなんざしませんよ、あなた方と争ったって痛い目見るって判ってますし」
走ってきたのは二人ばかりだが、やけにターバン達の腰が低い。
デヴィットは、すぐにぴんと来た。
こいつらはテロリストだ。
ターバンの連中と比べて、はっきりと高い霊力を感じる。
なにより、格好が砂漠で暮らすファッションではない。
洗練されたデザインのシャツに、足が細く見えるパンツ。
自分と同じ都会のセンスだ。
足下だって運動靴や革靴で、地元民と思わしきターバンの連中はサンダルを履いている。
「それより、ここへはどうして?」と逆に住民に尋ねられ、悪魔遣いの一人が仏頂面で答える。
「どうしてって、道が開いていたから不思議に思って来てみただけだ。てっきり、お前らがよからぬ事でも企んでいると思ってなぁ」
「道が?」と住民達も顔を見合わせ不思議そうにしていたがデヴィットは、そっと足音を立てずに、その場を離れた。
やれやれ。
僕が動かしたせいで、住民の皆様にあらぬ疑いがかかってしまったとはね。申し訳ないことをした。
ともあれ、紫と青はハズレだった。
じゃあ、残りは一つしかない。
赤ルートを急ぐとしよう。
でも、今は無理だ。
見回りが完全に立ち去ってから、動かないと。
けして油断をしていたわけじゃない。
だが、彼は迂闊にも気づかなかった。
立ち去る背中を、誰かが気配を忍ばせ追いかけていた事に。


一方、遣い魔を囮にして追っ手を撒いたラングリットは。
どこをどう走ったのか、工場地帯へ足を踏み入れていた。
あちこち突き出た煙突が、もうもうと灰色の煙を吐き出している。
空気が澱んでいる。
じっと立っているだけで、気分の悪くなりそうな場所だ。
おまけに、じめじめと蒸し暑い。
肌にまとわりつく暑さだ。
住宅街を歩いている時は、からっとした暑さだったのに。
ここも住宅街と同じだ。一定間隔に細い道で区切られている。
建っているのが住宅ではなく工場というだけの違いだ。
ぼそぼそと話す声をラングリットの耳が聞きつけ、声のした方向へ意識を集中する。
声は小さく悪魔の名を呼び、悪魔がそれに応えて何か囁く。
ラングリットは、声の主へ話しかけていた。
「カゲロウ、そこにいるのか?」
びくりと緊張する気配。
ややあって、警戒を解いたのか後輩が答える。
「あぁ、誰かと思ったらラング先輩でしたか……よかった、こちらへどうぞ」
そっと近づいて、驚いた。
カゲロウとパーミリオンが立っている。
足下には五人の男達が横たわっていた。
どいつもこいつも驚愕の表情を浮かべ、仰向けで気絶している。
「どうしたんだ?こりゃあ。お前らが倒したのか」
小声で尋ねると、こくりとカゲロウが頷く。
「緊急事態だったもので、仕方なく」
恐らくは自分と同じように襲撃に遭ったのだ。
命の危険を感じたから、悪魔を呼び出したに違いない。
にしても、パーミリオンはパーシェルと同じく探索用の悪魔だと思っていた。
五人もの悪魔遣いをやっつけるとは侮れない。
ふと気づいて、ラングリットは周囲を見渡した。
彼が何に気づいたのかを察したか、カゲロウが口添えする。
「使役悪魔は居ませんでしたよ」
「いなかった?」
「えぇ。温存しているのか、別行動でも取らせているのか。とにかく彼らは呼び出そうともしませんでした」
だから勝てたのだという。
いくらパーミリオンが非力でも相手が人間なら、ひけは取らない。
「ふぅむ……悪魔と別行動、ね」
何のメリットがあるのだろうと首を傾げていると、カゲロウがまた話しかけてきた。
「こちらはハズレでしたね。残るは二つか……どっちだと思います?大通りへのルート」
途端にラングが「ハァッ!いかん、そういやパーシェルがっ」と大声で叫ぶもんだから、カゲロウは彼に飛びかかって口元を塞いだ。
「やめてくださいよ、まだ誰がどこに潜んでいるかも判らないのに」
小声で窘められ「す、すまん」と謝りながらも、ラングリットは気もそぞろだ。
別れたままのパーシェルが、何度心の中で念じても姿を現さないのだから。
捕まった――と考えるのが妥当だろう。
テロリストの連中に。
だとしたら、いつまでもこんな場所に留まっている場合ではない。
パーシェルを救出しに行かなければ。
だが、どこにいる?
大通りへは、どうやって行ったのか。
それが思い出せない。
あと二つ、と先ほどカゲロウは言っていた。
ここまでの道のりも忘れてしまったラングと違い、ちゃんと道を覚えているようである。
「カゲロウ」と彼の名を呼びかけて、ラングは気づいた。
大声を出したにも関わらず、通りには人の気配が自分達ぐらいしかない。
工場は稼働している。
なのに様子を見に出てくる者が一人もいないのは不自然だ。
「お前、この工場の中は見てみたのか?」
カゲロウに尋ねると、彼は首を真横に振った。
「いえ。迂闊に覗いて見つかったら、元も子もありませんし……」
工場で働いているのは何者だ。
普通に考えれば、この街の住民だろう。
建物には窓がない。覗くなら、扉を開くしかない。
そこまでして危険を冒して、様子を見る意味はあるだろうか?
迷ったのも、ほんの数秒で。
ラングリットは好奇心を振り切り、己の遣い魔救出へ頭を切り換えた。
「行こう」
「はい」とカゲロウも素直に頷きラングの後を歩きながら、そっと誰に言うでもなく呟いた。
「この工場……何を作っているんでしょうね」
これも普通に考えれば、どこかの会社の下請け工場だろう。
あとでモバイル検索してみたら、何か判るかもしれない。

「……ところで」と先に話を切り出してきたのは、ラングリットで。
赤いスイッチを踏んで道を切り替えたカゲロウが応じた。
「何でしょう?」
「お前とベルベイは面識があるんだったよな?彼女を保護するという名目で近づけたりは、しないのか」
ラングリットの浅知恵に「あー……」と呆れてカゲロウは数秒固まっていたが、すぐに「無理だと思いますよ」と返事をよこしてきた。
「ベルベイだけなら信じてくれるでしょうけど、アリューも一緒にいるんじゃね」
「お前の推測だと、アリューがベルベイを唆したってんだが」
開いては閉じる壁を眺めながら、ラングが言葉を紡ぐ。
「どうして、そう思う?脱走が彼女の意志じゃないと、どうして断言できるんだ」
「どうしてって、考えるまでもないじゃないですか」
涼しい顔でカゲロウは頷き、持論を披露する。
「ベルベイは悪魔遣いになりたかったんだ。そして一流とはいえないまでも、そこそこの企業に就職した。それなりに仕事が入り、収入も得られる。順調な人生です。突然投げ出す理由がありません」
「会社でイジメにあっていた可能性は?」
幼馴染みでベルベイの気性や性格を知っていたとしても、カゲロウは彼女を百パーセント理解しているわけじゃない。
おまけに就職先も違うとあっては、彼の知らない場所でベルベイに何が起きたかなんて到底把握できまい。
ラングリットのツッコミに「ですから」と頭の悪い幼児を言い含めるが如く、カゲロウが言う。
「アリューとパーミリオンは意思疎通、テレパシーが使えると言ったでしょう?僕達は頻繁に連絡を取り合っていたんです。その中でベルベイが会社を辞めたいと愚痴ったことは、一度もなかった」
「言えなかっただけかもしれんぜ?」とラングリットも言い返し、口をつぐむ。
そうとも、カゲロウの話を信じるなら、ベルベイの側には片時とも離れずアリューがいたはずだ。
狡猾で残忍な悪魔が常に見張っているんじゃ、彼女だって迂闊に本音を話せなかったかもしれない。
否、二人が連絡を取り合うには悪魔が必要不可欠だ。
アリューのいない場所で、彼女の本音を聞いてみたいとラングリットは思った。
ベルベイについて判っているのは、カゲロウ視点で見た彼女の像だけだ。
本当の彼女が見えてこない。
「前に兄弟分って言っていたな。アリューにも潜水能力ってなぁ、あるのか?」
「いいえ」と短く答え、カゲロウが視線を下に落とす。
「潜水より、もっとタチの悪い能力です。洗脳と、潜伏」
「潜伏?」と首を傾げるラングリットへ振り向くと、カゲロウは厳しい表情で頷いた。
「ほら、時限発動ってあるでしょう?せこい悪魔遣いが、よく使う戦法で」
体の弱った人間や、霊力の低い人間に悪魔を取り憑かせる作戦だ。
取り憑かせた悪魔が対象を操るタイミングに時間のズレが生じるので、時限発動ないし時限爆弾と呼ばれている。
デヴィットの得意な戦法でもある。
せこい悪魔遣いか。確かに、そうかもしれない。
ニヤニヤと思い出し笑いするラングをどう思ったかは知らないが、カゲロウは話を続けた。
「アリューの能力も、それと似たようなものです。奴は他の悪魔に取り憑いて、相手の動きを封じてしまうんだ」
「ほぉ」
「洗脳は人間に効く。そして潜伏は遣い魔にも可能。どうです、僕の言う奴の恐ろしさが、お分りになってきましたか?」
野良悪魔のみならず、他人の使役する悪魔にまで乗り移れるとなると強敵だ。
ラングリットは、そこまで考えて再び「あっ!」と大声を出して、カゲロウの肝を冷やさせた。
「ちょっと、やめて下さいよ。どこで誰が聞き耳を――」
だがラングは全然聞いちゃおらず、「パーシェルが危ねぇ!」と叫ぶや否や、走り出す。
慌ててカゲロウも後を追いかけながら尋ねた。
「えっ?パーシェルって、あなたの遣い魔でしたよね。彼女が一体?」
後も振り返らずにラングリットが答える。
「捕まってるかもしんねーんだ!もしアリューにパーシェルが取り憑かれたとしたら大変じゃねぇか」
カゲロウは仰天した。
「捕まっているですって!?一体どうして」
だが。
どうしてと尋ねておきながら、カゲロウには薄々判るような気がした。
多分あの迷路みたいな住宅地を抜ける時に、この脳筋先輩は悪魔を呼び出したに違いない。
『猫道』は迷路を抜けるに、もっとも適した能力である。
もし、呼び出した時にテロリスト達と遭遇したら当然戦闘になる。
パーシェルが強い悪魔ではない、というのはカゲロウも知っている。
実際に戦っている処を見たわけではないが、データを見た限りでは低い戦闘値に思えた。
ラングリットを逃がすため、囮になった可能性もある。
捕まったかどうかを、ご主人様が知らないというのは、途中で別行動を取ったからだ。
「一緒に戦ってあげなきゃ、駄目じゃないですか」
ポツリと呟く後輩に「判っていたんだが、敵の数が多すぎてな」と言い訳すると、ラングリットは顔を曇らせる。
適当な処で逃げていてくれればいいのだが、ああ見えて己の遣い魔は好戦的な性格だ。
逃げるタイミングを見失った可能性のほうが、遥かに高い。
「アリューに潜伏されて動きを封じられた悪魔は、どうやって解放すりゃいいんだ?」
一応尋ねてみると、カゲロウはいともあっさり「あぁ、それなら大丈夫」と答えてよこす。
「アリューよりも強い悪魔をぶつければ。僕達の仲間でいうとアーシュラが適任ですかね。ただし、アリューも当然反撃してくるでしょうから油断は禁物です」
アーシュラか。
ラングリットはアーシュラを、いまいち信用しきれていない。
デヴィットの遣い魔というのもあるが、任務における奴の戦い方も気にくわない。
あんな乱暴者に戦わせたら、勢い余ってパーシェルまで殺しかねない。
奴に頼むぐらいなら、エイペンジェストのほうがマシだろう。
バルロッサと連絡が取れたならば、だが。


二階へ登りかけたバルロッサの足を止めさせたのは、勢いよく飛び込んできた青年の一声であった。
「た、大変だ!」と泡食って駆け込んできた彼に、テロリスト達が一斉に反応する。
「どうした!?」
「み、見たんだ」
手渡されたコップの水を一気に煽って、青年が答える。
「来たんだよ!ついに、刺客がッ」
穏やかならぬ言葉にバルロッサも広間へ戻ってくると、皆と一緒に話を聞く。
「刺客って?軍隊でも派遣された、なんて言うんじゃないでしょうね」
誰かの軽口に「どこの軍隊が来るってんだ」と呆れ顔で中年男性が突っ込む。
それらにおっかぶせるようにして、駆け込んできた青年が言った。
「悪魔遣いだよ、しかも、すげーやべぇのが来ちゃった」
「だから、なんなのよ?勿体ぶらずに早く言いなさいって」と彼を急かしたのはラダマータだ。
ただならぬ騒ぎに、彼女も広間へ戻ってきたらしい。
青年は叫んだ。
「エイジだよ、エイジ=ストロンだ!」
途端に広間が、ざわっとどよめく。
「エイジだって?鋼鉄のランスロットも一緒か」と仲間に尋ねられ、青年は首を真横に振ったものの、「でも、エイジには違いなかったのね?」と念を押してくるラダマータには勢いよく頷いた。
「どこで見かけたんだ」
と、これは階段のほうから聞こえる声にバルロッサが振り向くと、TVで多々見かけた風貌の男性が歩いてくる処であった。
ハムダッド=イェルム。通称・影食い。
報道やバラエティ番組で見た時は派手な格好をしていたが、今こうして立っている彼は実に地味な服装で、頭には薄汚れたバンダナを巻き、白い袖無しのシャツを着て、下はくたびれたジーンズ。
遠目に見たらハムダッドだとは気づかないかもしれない。
「あ、ここです、あの、K−5番地で」
K−5番地がどこだか判らずバルロッサは首を傾げたが、判らなかったのは彼女ぐらいなもので。
広間に集まった人々の口からは、あそこか、廃屋に隠れていたのか、といった呟きが漏れた。
ハムダッドも目を細め「奴ほどの大物が、コソコソ嗅ぎ回るか……」と悪態をついた。
「依頼で来たとしたら厄介な戦いになるわね」と顔を曇らせ少女が言うのへは、長髪の男が安請け合いした。
「大丈夫だ!いくら鋼鉄のランスロットといえど、これだけの人数が相手なら!!」
即座に「甘いわね、相手は、あのランスロットよ?」とラダマータが水を差し、腕を組む。
「あ、あの、そんなに強いんですか?ランスロットって。ラダマータさんやハムダッドさんなら楽勝だと思いますけど」
バルロッサは不思議に思って、彼女に尋ねた。
エイジは確かに優秀な悪魔遣いだし、ランスロットも社内業績ナンバーワンを誇る遣い魔だ。
だが、TV出演依頼が来るほどの大物でもない。
言ってみれば、業界で多少有名なルーキーといった処だろう。
そいつをラダマータやハムダッドといった超のつく有名人までもが恐れるのは、いまいちピンと来ないのだ。
半分お世辞の質問に気をよくしたのか笑顔を浮かべ、しかし口調はきつい調子でラダマータが答える。
「あなた、まさか知らないって言うんじゃないでしょうね?あなただって悪魔遣いでしょうに。鋼鉄のランスロットは強敵よ。アーシュラなんて目じゃないぐらいにね。真っ向から戦ったら、あれに勝てる悪魔なんていないんじゃないかしら」
「そ、そこまで!?」
空間を切り裂く能力が、そこまで他社の悪魔遣いから高い評価を受けているとは知らなかった。
初めて見た時はバルロッサも驚いたが、あれをどう使って攻撃するのかまでは聞いていなかったので。
「奴は空間を切り裂く。これが、どういうことか判るか?」とハムダッドに問われ、バルロッサは困惑する。
答えの出ない彼女に渋い表情を向けて、ハムダッドは続けた。
「どんな攻撃だろうと空間を切り裂かれて無効化されるという事よ。攻撃の届かぬ場所に逃げられたら手も足も出ぬし、我らの居る空間を切り裂かれでもしたら異空間に放り込まれる危険もある」
「えぇ、ただし」と言葉を継いで、ラダマータがニヤリと微笑む。
「遣い魔と真っ向から戦えば――の話だけどね」
悪魔がどんなに最強の能力を持っていたとしても、悪魔遣いまで無敵とは限らない。
「あ、じゃあ」と言いかけるバルロッサへ頷き、ラダマータが話を締める。
「私の遣い魔なら、エイジを倒せるわ。淫夢の能力でね。でも、ランスロットが何も手出ししてこないとは到底思えない。だから強敵なのよ」
「じゃあ、例えばハムダッドさんが囮になって、ラダマータさんが隙を見て仕掛ければ……?」
「当然、勝機もあがるわね。ハムダッドが途中でやられたりしなければ、だけど」
ラダマータの挑発に、苦笑を浮かべたハムダッドが言い返す。
「そいつは、お前にだって言える事だ。エイジが鋼の精神力だったら淫夢なんぞ効かんだろう」
噂は聞いている。
しかし相手の実力は戦ってみるまで判らない。
だから恐れもするし、警戒もする。
それは、こちらとて同じ事。
エイジをラダマータと戦わせるのは危険だ。
彼は淫夢の存在すら知らなかった。
精神攻撃を使う悪魔と戦った記憶が一度もないのだ。
もしエイジが、ここへ単身乗り込んでくるような事があれば、自分が盾になってでも彼を守らなければいけない。
ヨコシマで汚らわしい攻撃から、彼を守れるのは自分しかいないとバルロッサは考える。
仲間内で唯一の紅一点である自分なら、女悪魔の仕掛けてくる淫らな夢にも耐えられるだろう……


買い出しを終えて空き家に戻って来たエイジは、自分の浅はかさを悔いていた。
何が浅はかかというと、道案内をジェイムズに頼んでしまった件だ。
彼が四六時中見つめてくるもんだから、仲間と電話で連絡も取れない。大失態だ。
先ほどまでポケットの中でブルブル震えていた携帯は、今はうんともすんとも言わない。
着信を見ることもできない。ジェイムズに監視されていては。
見つめるのをやめろと言えば「美しいから見ていたい」と答え、電話を折り返してかけたいと言えば「君を一人にするのは危険だ」とついてくる。
悪気がないだけに、厄介な相手だ。
エイジは小さく溜息をつくと、食材を鍋に入れて、コンロにかける。
空き家だというのに、ガスは止められていなかった。
「かわいいねぇ」
ぼそりとジェイムズが呟いたが、エイジは聞こえなかったフリをした。
長期滞在になるかもしれないと彼には言ったが、本当に長期滞在する気はない。
しかし、このままジェイムズにまとわりつかれていたのでは調査どころの話ではない。
なにをするにも注視されている。
用足しに行こうとした時でさえ、彼は同行しようとした。
どうしたものか。
いっそ、正体を明かして別れるか。
少し考え、すぐさま思考の行き止まりにぶち当たり、エイジは緩く首を振る。
駄目だ。
もし悪魔遣いだとバラしたら、エイジの目的もジェイムズにはバレるだろう。
君を一人でテロリストの元へ行かせない、などと言ってついてきかねないのだ。この男は。
ジェイムズは何故かエイジをやたら気に入っており、口を開けば愛の言葉を囁いてくる。
惚れているんだよ、などと臆面もない言葉を吐いて、エイジをドン引きさせたりもした。
なんとかして穏便且つ後腐れなくバッサリと、彼と別れる方法はないものか。
「おっと、お鍋が焦げてしまうよ」
横合いからジェイムズに声をかけられ、ハッと我に返ったエイジはコンロの火を落とす。
今日の夕飯は、これだ。レトルトのカレー。
二人で皿に分けあい、具のないカレー汁を啜る。
しばらく無言で食していたが、やがてジェイムズがエイジに話しかけてきた。
「寝床は君が使っていいよ。寝床といっても毛布を敷いただけだけどね。それでも床で寝るよりは落ち着くだろ?俺は床で寝るから、気にしないでくれ」
エイジはかぶりを振り、申し出を丁寧に辞退する。
「いや、寝床はあなたが使うといい。あなたに迷惑は、かけられない」
「迷惑だなんて、とんでもない!どうしてもというのなら寝床は二人で使おうか」
何故か目を輝かせて鼻息を荒くするジェイムズへ、再度エイジは引きつった笑顔で断りを入れる。
「いや、それも結構だ。二人で寝られるほどのサイズじゃ」
ないだろう、と言い終える前に、ハッとなって口をつぐむ。
傍らのジェイムズも押し黙り、目で頷いた。
――気配が近づいてくる。足音もだ。
一人じゃない、四、五人いる。
住宅街で遭遇したテロリストが探しにきたのか。
このままだと一方的に見つかって、戦いになってしまうかもしれない。
雑魚が何人来ようとランスロットの敵ではないが、雑魚でない奴が混ざっていたら、まずい展開になる。
それに戦いになったら、ジェイムズを巻き込んでしまう。
「俺が外に出る」と小声で伝えるエイジへ首を振り、ジェイムズが手を取ってくる。
掌に文字を書かれ、その文字を読み取ったエイジは仰天した。
ジェイムズは『自分が出る』と指で書き、立ち上がろうとしたからだ。
馬鹿な、彼が一人で行って何とする?
相手は恐らく、ただの人間ではあるまい。
思ったよりも早く彼との別れが近づいてきそうだ。
エイジはジェイムズの腕を掴み、目で囁いた。
ここを動くんじゃない、と。
そして、ゆっくりと音も立てずに戸口へ向かう。
居場所を突き止められる前に、隙を見て一気に逃げるしかない。
切り札は最後の最後まで取っておく。
ランスロットを呼ぶのは、この場面ではない。