1-1.業績ナンバーワン
この世界、どれだけ強い悪魔を引き当てるかで、その後の一生が決まると言っても過言ではない。
そういう意味では、自分は運が良かったのだとデヴィットは思っている。
デヴィット=ボーン。職業は悪魔遣い。
悪魔を使役して、世のため人のため、困っている人達を救う役目を担っている。
……な〜んて言えば格好いいのだが。
実際のところ、デヴィットは生活と趣味の両立を兼ねて、悪魔遣いをやっているのだった。
悪魔遣いになろうと思ったのは、なんてことはない。
ヨンダルニアで最も必要とされている職業が、悪魔遣いだったのだ。
使命や正義心ではない。需要がある、すなわちそれ、儲かる。
大学を卒業したてのデヴィットは一も二もなく即飛びつき、悪魔遣いの洗礼を受けた。
悪魔遣いになったこと、親には話していない。
デヴィットの両親は教会を営んでいるのだが、教会は悪魔の存在を忌むべきものと考えている。
たとえ善意で使役していようと、悪魔は悪魔。消え去るべき存在なのだ。
ばかげている、とデヴィットは思う。
軍隊や警備隊では勝てない相手、悪魔に対抗するために悪魔を使って何が悪い。
大体、教会がお祈りしたぐらいで悪魔が倒れるなら、悪魔遣いなんて職業は作られなかった。
綺麗事では、誰も救われない。
誰かが、汚れ役を請け負わなければいけない。
趣味と生活の両立とはいえ、やはりデヴィットも悪魔遣いの端くれ。
多少の正義感は持ち合わせているのであった。
とはいえ正義だけでも食っていけないのが、世の常である。
会社にくる依頼を全て引き受けていたんじゃ、ノイローゼか過労で倒れるのは目に見えている。
それに、悪魔によって得手不得手もある。
デヴィットの遣い魔アーシュラは戦闘を得意とし、交渉を苦手とした。
デヴィット自身は戦闘が得意ではない――単に、運動不足で――のだが、遣い魔の不得手な依頼で貧乏くじを引くのも馬鹿馬鹿しい。
従って引き受ける依頼は圧倒的に退治ばかりとなり、いつしか社内でも退治専門扱いを受けるようになっていた。
退治といえばデヴィット、とばかりに最優先で退治の依頼が回ってくる。
名指しでくる依頼もあったから、それなりに知名度があがってきているらしい。
誇らしかった。
神への祈りのたびに悪魔遣いを罵っていた両親へ、ざまぁみろと言ってやりたい。
牧師や神父が、どれだけ嫌がろうと、悪魔は世のため人のために必要な存在だ。
だが、悪魔が倒すのも、また悪魔。
悪魔は人に必要な存在でありながら、人に疎まれる存在でもある。
退治で張り切るのはいいが、ハメを外してはいけない。
重々自分に言い聞かせながら、時としてご主人様らしくアーシュラを制止し、上手くやってきた。
――それが、エイジがCommon Evilへ入社してくる前までのデヴィットの栄光。
つまりは、過去の話である。
「この世界は実力重視。って、そういや昔、誰かが偉そうに言ってたっけなぁ?」
就業時間になり、皆が帰宅を始める中。
ラングリット=アルマーは同僚ケイツの軽口に頷き、相づちをうつ。
「あぁ、全くだ。実力を鼻にかけて努力を怠った結果が、今のザマってもんよ」
先ほどまで、今期の全社員業績リストを作成していた。これも仕事のうちだ。
悪魔遣い自身の能力にも左右されるが、トップを走るのは強い悪魔を持つ者が多い。
強い悪魔を持つ者は同業者にとって憧れと羨望であり、同時に妬み嫉みの対象にもなる。
エイジが入社してくるまでのデヴィットが、まさにそういった存在であった。
入社したての頃は控えめにしていた彼も経験を積むうちに増長して、やがてアーシュラの強さを鼻にかけるようになった。
仕事を掴むチャンスを得るにあたり、強い悪魔は必要だ。
その悪魔を引き当てた運も、悪魔遣いの実力の一つ。
つまりアーシュラを使役する自分は、真の実力者である。
……といったふうに。
確かにアーシュラは強い。
社内で右に出る悪魔がいないほど、凶暴で好戦的だ。
特殊な能力は、これといってないのだが、粘り強く諦めを知らない。
肉弾戦だけなら、最強といってもいい。
強い悪魔には、難しい依頼が殺到する。
実績でトップを誇るデヴィットが、慢心するのも致し方ない。
その立場が一変したのは、エイジ=ストロンが入社してからだ。
いや、今でも肉弾戦に特化するなら、アーシュラが社内ナンバーワン悪魔なのは間違いない。
しかしエイジの遣い魔ランスロットは、特殊な能力所持悪魔であった。
空間を切り裂き、全ての者を遮断する。
これまでに見つかった悪魔の特殊能力の中では、トップクラスに位置する。
奴が有害な悪魔でなかったのは、人類にとって幸運としか言いようがない。
それだけではない。
エイジは、入社一年目から遣い魔を完璧に使いこなしていた。
悪魔の使役には激しい精神力の浪費を伴う。
途中で疲労に負けて命令をとばせず、遣い魔を暴走させる者も多い。
何をかくそうラングリットも、そして業績ナンバーワンだったデヴィットでさえ、暴走させた回数は一度や二度ではない。
悪魔と完全に心が通い合っていれば、悪魔遣いが疲労していようとサボッていようと問題はない。
悪魔は悪魔遣いの心情を考え、その上で判断して、攻撃していいのかどうかを見定める。
だが殆どは、そうでない者が大半で。
強い言葉、或いは霊力で無理矢理、遣い魔を従わせているのが現状であった。
だから新米悪魔遣いが暴走させず犠牲も出さず、任務を完璧に終えたとあっては、有名にならないほうがおかしいというもの。
エイジは、たちまち顧客の心を掴み、名指しの依頼が殺到する。
あっという間に業績も、そして社長の贔屓さえも奪われて、デヴィットはトップの座を転がり落ちた。
「アーシュラはデヴィット如きに使役できる悪魔じゃねぇんだ。あいつは元々札に入っていなかったって噂もあるぐらいだし」
ふん、と鼻で笑ってケイツが荷物を乱暴に鞄へ放り込む。
使役される悪魔は、悪魔遣い御用達の占い師が占いで弾きだしたものを札の絵に収める。
選べる悪魔は最初から決まっているのだ。選ぶ権利が悪魔遣いにある、というだけで。
アーシュラは占いで選ばれていなかったんじゃないか、という噂は何年も前から密かに囁かれていた。
全てにおいて自己中心的だし、人間への反抗意識が酷すぎる。
もしご主人様がボンクラ悪魔遣いだったとしても、あるじとなった以上は従うのが遣い魔の宿命である。
アーシュラは契約の掟を、まるっきり無視した。
暴走が十八番、しかもデヴィットがそれを止める気配もなく。
結果的に依頼は達成しているものの、敵味方双方の被害は甚大。
もちろん戦っているアーシュラも無傷では済まず、相手によっては酷い怪我を負って帰ってくる事もあった。
「もしデヴィットの遣い魔がランスロットだったなら、どうなっていたんだろうな?」
ラングリットの疑問に、ケイツが肩をすくめる。
「デヴィットに使役されるランスロットか?想像もつかねぇが、恐らく三日と経たずに逃げ出すだろうよ」
アーシュラが扱いづらい悪魔であるのと同時に、デヴィットの使役も乱雑だ。
いくら好戦的な悪魔といえど遣い魔が死ぬ寸前まで敵に突っ込ませるなんて、どうかしている。
危険を感じたら止めてやるのが、ご主人様の役目じゃないか。
畑の案山子じゃあるまいし、ぼーっと見ているだけなら悪魔遣いなんて要らないのである。
時として庇い、労り、慈しむ。悪魔は道具じゃない、心のある生き物だ。
エイジは、それをよく判っている。
もっとも、ランスロットが危機に陥る相手など、そうそういてもらっても困るのだが。
「エイジってさー、浮いた話が一つもないよね」
夜の八時を回った飲み屋にて。
Common Evilの女子社員が奥の座敷を占領して、女子会を開いていた。
「浮いた話どころか、女が絡む依頼は一個もやってねーんだっつの、アイツ」
酒臭いゲップを吐き出し、社員の一人が力強くコップを机に叩きつける。
「やだぁメラン、大丈夫?あんたベロベロじゃん」
心配する同僚の手を鬱陶しそうに払いのけ、メランは隣のバルロッサに相づちを求めた。
「かぁーいそうなDV被害の女性とか、ヤクザのサラ金地獄で困ってる婆さんを助けないで、なぁーにが業績ナンバーワンだってーのよ!なぁっ?」
「あら、女性問題を引き受けるために、私達女性社員がいるんじゃない」
さらりとかわし、バルロッサ=ルベロも酒に口をつけた。
この店のお酒は甘口でおいしいのだけど、飲み過ぎると明日に響いてくるから要注意だ。
「ずいぶん絡むねぇ、メラン。何かあった?」
苦笑で尋ねる同僚のレイアへは、据わった目を向けてメランが愚痴る。
「あたしさ、こないだ苦手な依頼が回って来ちゃってさ。どーしても無理!ってんで、エイジに助っ人頼んだのよ。したらさぁー、アイツ断りやがんの!ナニサマ?トップだからって、お高くとまってんじゃねーわよッ」
「苦手って、どんなの?」
嬉々として聞き出そうとするレイア、べらべらと語り始めるメランを横目に、バルロッサは溜息をついた。
今はこんな調子で批判しまくっているが、シラフに戻れば、メランにとってエイジは大切な同僚になる。
悪魔遣いは原則一人で依頼を引き受けるのだが、自分だけでは手に負えないと判断した時、他の悪魔遣いと手を組むこともある。
業績ナンバーワン且つ特異な能力を持つ遣い魔のいるエイジは、うってつけのパートナーだ。
依頼主だけではなく、社内でも彼は人気者であった。
大人しく真面目で品性があり、実家は金持ち、遣い魔も強いとなれば、仲良くなっておくのが正解だろう。
トップの座を奪われたデヴィットだって、エイジには必要以上にベタベタと馴れ馴れしくしている有様だ。
無論、影では妬み嫉みを渦巻かせている男性社員がいることも、バルロッサは知っている。
所詮は低次元の嫉妬だ。相手にするのも馬鹿馬鹿しい。
「えぇー、うっそぉ!エイジって、そーなの!?そういう人なの?」
レイアの奇声で我に返り、女子会へ意識を戻してみると。
バルロッサを除いた五人の社員は、キャッキャとエイジの噂話で盛りあがっている。
「何が、そうなの?」
いつの間にメランの愚痴は終わったんだろうと思いながら、バルロッサも参加してみると。
「エイジって身の回りの世話を、遣い魔に全部お任せしているんですって!」
「はぁ?」と気の抜けた声をあげてから、一拍おいてバルロッサは聞き返す。
「ランスロットに?あの鎧甲冑に洗濯や掃除ができるっていうの?」
あんな鉄の塊に家事をやらせるぐらいなら、自分の遣い魔エイペンジェストにやらせたほうが、よっぽどマシだ。
エイペンジェストは短気で、すぐキレるけど、バルロッサの命令に背いたことは一度もない。
言えば、きっと家事だって、お手の物でやってくれるはずだ。
まぁ、遣い魔は小間使いではないので、やってもらおうなどとは思わないが。
というか、そんな利用方法、バルロッサには全く思いつかなかった。
遣い魔は、あくまでも仕事上での相棒。それだけである。
「そうよ、全部。お風呂も一緒に入っているって、もっぱらの噂なんですって。ねぇメラン、そうなんでしょ?」
噂の出所は、先ほどまで愚痴っていたメランか。
「そぉよー」と酔いつぶれた顔で呟き、彼女が皆を見渡した。
「あいつらが、サンジェとかベータが言ってたんだから。サウナに誘ったら、家で入るからいいって断られたって。一人で入っても寂しいだろって突っ込んだら、一人じゃない、ランスロットも一緒だから寂しくないんだって」
サンジェ、ベータというのはCommon Evilの男性社員だ。
同僚がエイジから直接聞き出したのであれば、この話は信用してもいいだろう。
「ランスロットねぇー……あの鎧の中身って、どうなってんのかしらね?」
ポツリと呟いたバルロッサの疑問に、たちまち皆が食いついて。
「イケメンだって、前にギジェが言ってたわよ」
「え〜?あたしが聞いたのと違う!誰が言ってたんだったかな、すんごい美女が入っていたって!」
酒の席は蜂の巣を突いたが如く、大騒ぎとなった。
時刻は夜九時を回っている。
定時は六時で会社が終わるから、約四時間、街の中をぶらついていたことになる。
「……ふぅ。ただいま」
軽く溜息をつくと、エイジは自宅マンションの扉を開く。
と、同時に鎧甲冑が飛び出してきて、彼を抱きかかえた。
『エイジ様ぁぁッ、おかえりなさいませ!どうしたんですか、遅すぎるじゃありませんか!先ほどまで、警察に捜索願いを出そうかどうしようかと悩んでおりました!!』
ちょっと帰りが遅かっただけで、そんな大袈裟な。
しかしエイジの言い訳には耳も貸さず、ランスロットは嬉々としてご主人様を居間へ運び込む。
ソファへ座らせると、すぐにもシャツを脱がせにかかった。
『さぁ、まずは食事の前に一日の汗と疲れを洗い落としてしまいましょう。エイジ様、バンザーイして下さい』
その手を、やんわり払いのけると、エイジはゴホンと咳払いをしてランスロットを見上げた。
「しばらく駅前のアパートで一人暮らしを始めるつもりなんだが、お前はどう思う?」
『な』と一文字吐き出したっきり硬直する鎧甲冑には構わず、エイジは話を続ける。
「遣い魔と同棲しているのは、誰の目から見てもおかしいと言われた……社長に、だ。他の奴らが言うなら無視してもいいんだが、社長に言われたとあっては直さなくてはいけないだろう」
それで、今の時間になるまで部屋探しをしていたのだという。
「他の奴らの遣い魔は普段どこにいるのかと尋ねたんだ。そうしたら、普段は魔界で待機するのが普通なんだそうだ。任務の際に呼び出して、オフになったら魔界へ戻す。それが一般的だと言われたよ」
Common Evilに入社して三年が経つ。三年目にして、初めて知った悪魔遣いの『常識』であった。
それまで、私生活を誰にも話さなかったのも原因の一つだろう。
皆、知っていて当然だからエイジには教えなかったのだ。
この間、初めて会社の先輩からサウナに誘われた。
大人しいが人づきあいの悪い奴とでも思われていたのか、酒の席にも誘われる事など滅多になかった自分が……だ。
もちろん、嬉しくはあった。
しかし、同時に脳裏を横切ったのはランスロットの姿だった。
もし、つきあいに応じてしまったら、最低でも二、三時間は拘束される。
行き先はサウナだけとは限るまい、酒場や遊技場へ連れ回される可能性だってある。
自分が一晩、いや、終電近くまで帰らないとなったら、こいつは心配するだろう。
今日だって四時間ばかり寄り道していただけで、この有様だ。
『わ、私は……』
硬直していたランスロットが、ぶるぶると震える。
ぎゅっと握り拳を作っているもんだから、殴られるんじゃないかとエイジは危惧したが、それは杞憂というもので。
『嫌でございます!エイジ様と離れて暮らすなんて、到底耐えられませんッ』
床に尻をつくと、わんわん泣き出してしまった。
エイジだって、別れずに済むなら別れたくなどない。
ランスロットの作った飯が食べられなくなるのも、帰宅後の『おかえりなさい』が聞けなくなるのも嫌だった。
それから就寝前の『おやすみなさい』、出勤前の『いってらっしゃい』が聞けなくなるのも勘弁だ。
ランスロットがエイジにベッタリなように、エイジもまた、ランスロットにベッタリな生活を送っていた。
それが当たり前になっていたのだ。この二人の間では。
悪魔遣いの契約を結んでから、ランスロットとエイジは、ずっと一緒に暮らしてきた。
その間ランスロットは、エイジの身の回りを甲斐甲斐しく世話してくれた。
エイジにとってランスロットは遣い魔以上、いや、母親以上の存在になっている。
「そういうと思った」
肩をすくめて立ち上がると、エイジは鎧甲冑のてっぺんを優しく撫でてやる。
「判った。社長を説得してみせる。それでも駄目だというのなら、転職も考えよう」
『えっ!?し、しかし悪魔遣い以外の職業に就くとなると』
どのみち一緒にいられなくなってしまう。ランスロットの不安が伝わったのか、エイジはニッコリと微笑んだ。
「やめないさ、悪魔遣い自体は。会社を変えるだけだ」
Common Evilでなくとも、悪魔遣いを雇っている会社は沢山ある。
今の会社は居心地の良い環境だが、何の思い入れも持っていない。
それにランスロットさえいれば、どこへ転職しても仕事は入ってくる。
エイジには、その確信があった。
『そ、そうですか……そうですよね!では話もまとまったことですし、お風呂へ入りましょう』
途端に元気になったランスロットに脱がされるまま、どうやって機嫌を損ねることなく社長を説得するか。
エイジの思考は、そこへ飛んでいった。