Dagoo

ダ・グー

3.生きる者のさだめ

ヴォルフの自宅はトランシルヴァニアより遠く離れて海を隔てた向こう側、トルコにあった。
長い帰路を経て自宅へ戻ってきた二人が、まず最初にしたのは家の改装であった。
しばらく放置していたせいか庭は草ぼうぼう、屋根は雨漏りがするなど、とても住めたものではなかったからだ。
「先輩は、ずっと一人で住んでいたの?お嫁さんは、いないの」
物怖じしない相棒の問いに、ヴォルフも苦笑いで頷く。
「まぁな」
ずっと独身だ。嫁を貰うツテもあるにはあったが、全て断ってきた。
トレジャーハンティングという己の生業を考えたら、とても結婚する気になど、なれない。
嫁を一人残して長期家を留守にするなんて、この気の優しい大男には出来なかったのだ。
「そう……でも、これからは俺が一緒だね。俺がお嫁さんの代わりになってあげる」
可愛いことを言いながら、ダグーが雑草をむしり始める。
ぶちぶち上の葉っぱだけを取る彼へ、ヴォルフは助言した。
「おっと、雑草を引っこ抜く時は根っこごと引っこ抜かないと駄目だ。また生えてきちまうぞ」
「そうなの?雑草って強いんだね」
今度はぶちっと根本から引っこ抜き、どうだというようにダグーがヴォルフを見上げた。
ヴォルフは即座に少年の頭を撫でてやった。
「その調子だ」
えへへ、とはにかむダグーは愛らしい。
子供に興味のないヴォルフでも、育児に目覚めてしまいそうだ。
いや、一緒に住むと決めた以上、子供に興味がないと言っていられない。
独身生活のおかげで家事は一応出来るものの、これからは子供の好む料理も覚えねばなるまい。
可愛がるだけではなく、躾けも教えてやらねばならなかった。
それより何より本業のトレジャーハンティングについても、教えることが山とある。
教えなければならない項目の多さに、ヴォルフは多少の眩暈を覚えた。
「いたっ」と小さな悲鳴が聞こえ、自分の考えに没頭していたヴォルフは我に返る。
ダグーが指を口に含んで、顔を歪ませていた。
「どうした?指でも切ったか」
「うん……血が出ちゃった」と、ダグー。
「見せてみろ」と促し、見せられた指を見てヴォルフは首を傾げる。
切り傷など、どこにもないではないか。
仕方なく「どこを切ったんだ?」と尋ねてみれば、ダグーも下がり眉で答えた。
「この指だよ。さっきまで血が出ていたの。でも、もう治っちゃったみたい」
馬鹿な。
いくらなんでも治るのが早すぎる。
気を引く為に、わざと痛がるフリをしたのか?と考えてみたが、先ほどの悲鳴が演技だったとも思えない。
ダグーは本気で痛がっていた。今は自分の指を眺めて、ヴォルフ同様首を傾げている。
「草で切った傷って、すぐに治るんだね。練習で怪我した時は、もっと時間がかかったのに」
のほほんと喜ぶダグーを手元へ抱き寄せると、ヴォルフは小声で彼に尋ねた。
まるで、誰にも聞かれまいとするかのように。
「今までにも、似たような事はあったのか?その、受けた傷が一日で治るような」
声を潜める先輩を、ダグーは不思議そうに見つめていたが「うん」と素直に頷いた。
「あのね、俺が前にトレーニングをしていたことは言ったよね?あの時も、よく骨を折ったり体中傷だらけになったんだけど、大体一日で治ったかな」
人狼の中にも、怪我の治りが早い者はいる。
しかし骨折や切り傷が一日で治るのは、いかな人狼といえども有り得ない。
アーティウルフと言っていたが、ダグーは施設で人体改造を施された可能性があるのではないか。
「シヅはね、俺の怪我を治すこともできたんだ」
自分の怪我の治りだけでも驚異的なのに、他人の怪我まで治すとなると、もはや御伽噺、ファンタジーの世界だ。
年端のいかない子供の弁を、どこまで信じるか。
しかしダグーがヴォルフへ嘘をつくメリットなど、どこにもないのである。
「俺は出来ないけど……でも、もしかしたら出来るようになるかもしれないから先輩が怪我した時は言ってね、俺が舐めてあげる」
そう締めくくり、ダグーが邪気のない目でヴォルフへ微笑んだ。
申し出はありがたいが、気持ちだけ受け取っておくとしよう。
人前でベロンベロン犬のように舐め回されては、たまったものではない。
「傷の治りだけど、今みたいに数秒で治ったのは初めてだよ。草で切った傷って浅いんだねぇ」
ニコニコするダグーを強く抱きしめ、ヴォルフは彼の耳元で囁いた。
「この事は、あまり俺以外には話すんじゃないぞ」
「どうして?」
腕の中できょとんとする少年に、再度念を押す。
「どうしても、だ。人は奇異なものを恐れる。化け物扱いされたくはないだろ?」
「バケモノ……」
ダグーが小さく呟き、ぎゅっと抱きついてくる。
「先輩は、俺のこと……バケモノだと思ったの?違うよ、俺。バケモノじゃないよ」
「馬鹿」
苦笑し、ヴォルフはダグーの頭を少し乱暴になで回してやった。
「言っただろ、俺はお前と同じ人狼だと。俺がお前を奇異に感じちまったら、俺は俺自身をも否定しちまう事になる」
ただ、普通の人間には人狼やダグーほどの治癒能力が備わっていない。
知られれば、普通の奴らにはバケモノ扱いを受けるかもしれない。
だから秘密にしておくんだと諭すヴォルフに、ダグーは再度頷いた。
「うん、わかった。じゃあ、これは俺と先輩だけのヒミツだね」
「あぁ。それと、もう一つ」
「なに?」と顔を上げたダグーの鼻を、ちょんと突くと、ヴォルフはダグーへ微笑んだ。
「人前で狼へ変身するのも厳禁だ。先も言ったが、人ってやつぁ自分と異なる奴を見ると畏怖する。……怖がるんだ、人間ってなぁ恐がりな生き物だからな」
「でも俺、噛みついたりしないよ。怖くないよ!」
憤然と怒るダグーへは、こうも言い含める。
「人狼以外の人間は狼に変身できないし、この辺りはそうでもないが、一部じゃ狼を狩る地方もある。判るだろ?俺は、お前を殺されたくないんだ」
「殺……される……死ぬの?」
怯えた目がヴォルフを見上げる。
ヴォルフが頷くと、ダグーはしゅんと項垂れてしまう。
「判った……じゃあ、狼になるのは先輩と二人っきりの時だけにするね」
あまりの落ち込みように、顎に手をやりヴォルフは思案する。
二人っきりの時だけなら大丈夫、か?
――いや、やはり駄目だ。
たとえ家の中にいたとしても、どこに誰の目が光っているか知れたものではない。
もし誰かに見られたら、迫害されるのは火を見るよりも明らかだ。
「俺と一緒の時でも誰かに見られる危険がある」
「えー」と明らかに不服そうなダグーの両肩へ手を置いて自分と向き合わせると、ヴォルフはダグーの目を覗き込み、にっかと歯を見せて微笑んだ。
「大丈夫だ。最初は不便に思うかもしれんが、案外変身せずとも生きていけるもんだぞ?もし、お前の身に危険が迫ったとしても心配するこたぁない。俺が狼男になって守ってやるからな」
「でも、それだと先輩がバケモノって呼ばれちゃうんじゃないの?」
ダグーの杞憂を、ヴォルフは鼻息で笑い飛ばす。
「変身するのは、相当せっぱ詰まった時の奥の手だ。なぁに、見た者が残っていなけりゃバケモノ扱いされる奴も出てきまいよ」
よく考えると恐ろしい発言だったのだが、ダグーは深く考えもせず先輩を尊敬の眼差しで見つめ返す。
さっき抱きついた時、先輩のゴツゴツして大きくて暖かく、逞しい肉体を感じた。
きっと先輩なら、ダグー一人ぐらい易々と守ってくれるに違いない。
「判った。じゃあ、変身しないようにするね」
とは言うものの、幼い少年のことだ。
ふとした弾みで、うっかり変身してしまう可能性だってある。
ヴォルフは再び考え込んだのちに、ダグーへ一つ提案を持ちかける。
「ダグー、今からお前に暗示をかけてやろう。狼に変身しなくなる、おまじないだ」
「おまじない?」
「そうだ。お前は今から俺の言葉を頭の中で反芻しろ。っと、反芻ってのは繰り返しだ。俺の言うことを、そっくり真似するんだぞ。いいな?」
「うん」
「よし。じゃあ、まずは目を閉じて――」
素直に目を閉じ、ドキドキしながら待つダグーの耳に、ヴォルフの声が届いてくる。
「自分はもう、狼ではない」
じぶんは もう おおかみではない
「自分は人間だ」
じぶんは にんげんだ
「人間は狼に変身できない」
にんげんは おおかみに ・・・・


何度も同じ言葉を脳内で反芻する。そうして、何時間が過ぎただろうか。
「もう目を開けていいぞ」と言われて、ダグーはパッチリ目を開く。
「よし、じゃあ狼になってみるか?」
えっとなってダグーはヴォルフを見上げる。
さっき狼に変身するなと言ったばかりなのは、先輩ではないか。
「試しだ、試し。おまじないが効いたかどうかの」
先輩には笑われて、ダグーは四つんばいになって狼に変身しようとしたのだが。
「あ、あれっ?」
今まで自分は、どうやって狼に変身していたのか。それが、全く思い出せない。
それまで考えたこともなかった自分に今、気づく。
狼に変身するのはダグーにとって当たり前の行為で、わざわざ考えなくても出来ていた。
それがもう、出来なくなっている。恐るべし、おまじない。
「俺……普通になっちゃった?」
ぺたんと尻をついて呆然とするダグーの頭上に、ヴォルフの笑いが降ってくる。
「普通でいいんだ。普通じゃないと、人間社会じゃ生きていけないからな」
「でも、先輩は変身できるんでしょ?先輩は人間社会で生きているじゃないか」
口を尖らせるダグーの頭に手を置くと、ヴォルフはぐりぐりと乱暴に撫でた。
「お前、俺が何年人狼をやっていると思っているんだ?」
「知らないよ、そんなの」
言われてみれば、ヴォルフは幾つなのだろう。
改めて考えて、ダグーは自分の年齢も知らない自分に、これまた今頃になって気づいたのだった。
「暗示なんぞなくとも狼への変身を自制できる。それぐらいの年月は生きているんだ」
どこか得意げなヴォルフを見上げながら、「俺にも、いつか自制できるかな?」とダグーは尋ねたのだが。
「お前は狼に変身しなくていいんだ。俺が側にいる以上」
ヴォルフは、かぶりを振り、ダグーを優しく抱き寄せた。


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