Dagoo2 -Fenrir's Daughter-

ダ・グー2 -フェンリルの娘-

20.袋の鼠

廊下は歩けど歩けど灰色の壁が続いている。
ぴったり密着して隣を歩く黒服の警備員曰く、廊下が灰色の壁で統一されているのは視覚を誤魔化す為らしい。
広いと錯覚を起こさせて、ここからは逃げられないんだと認識させる。
ダグーが幼少時に住んでいた場所は一面真っ白な建物であった。
あれも、そうだったのだろうか。広いと認識させて外に逃がさない為の策だったのか。
「それでも走り回ったら、いつかは外に出られるんじゃ?」と尋ねるダグーに男は「その前に俺達がとっ捕まえるさ」と笑った。
警備員はフィリップと名乗り、ダグーを生贄の監禁部屋へ導く。
先ほどダグー本人に頼まれた。自室へ行く途中、ここの案内をしてほしいと。
潤んだ瞳で上目遣いに小首を傾げてダメ?と可愛らしくおねだりされて断れる奴がいたら、そいつは猛者か外道だ。
実際にダグーがそのような態度を取ったかどうかはさておき、彼の目には、そう映ったのだ。
今すぐ押し倒したい本能と、駄目だ、そんなことをしては嫌われてしまうと制する理性とが脳内で激しい殴り合いを繰り広げ、最終的には理性が勝利した。
何故生贄の部屋に行きたいのかを考える知能は働かない。
一刻も早くダグーを希望の部屋へ案内して、ありがとうと喜ばれたい。それしか頭にない。
侵入者情報は前もってリークされていたが、どうしてもダグーと重なり合わない。
生贄は人ならざる者ばかりだし、彼らを救いに人間が乗り込んでくるとも思えない。
大体やましい侵入者だったら、素直に名前を教えたりするだろうか。
フィリップが名乗ったのはダグーに名前を教えてもらった後だ。
愛する人が名を教えてくれたのだから、こちらが名乗らないのは失礼であろう。
ダグー、ダグーか。珍しいけれど、悪い名ではない。
ファミリーネームはないと言っていた。孤児なのかもしれない。
これまで生活苦で辛い目に遭ったこともあったんだろうが、俺と出会ったからには、もう安心だ。
必ず幸せにしてやるから安心しろよ、ベイビーちゃん。
暑苦しい眼差しを向けてくる男に肩を抱き寄せられながら、ダグーはどのタイミングで彼と別れるべきかを考えていた。
生贄の部屋に案内してくれというのは、苦し紛れで言ってみただけだ。
まさか本当に案内してくれるとは思ってもみなかった。
自分の魅了能力は自分が思う以上に効き目絶大で、一度かかってしまうと完全言いなりになってしまうようだ。
つくづく、アイリーンには感謝せねばなるまい。おかげで大勢の人生を狂わせずに済んだ。
話を戻してフィリップの身のふりを考えるのであれば、部屋に辿り着く手前で別れるのが穏便だ。
問題は、はたして彼が気持ちよく別れてくれるかどうかだが……
灰色の壁ばかりだというのに、フィリップは一度も迷わずに進んでいく。
不思議がるダグーへは、一定間隔で目印があるのだと教えてくれた。
天井の照明が所々違う色になっていて、なるほど、あれが曲がり角のサインか。
何度も何度も角を曲がって、次第にダグーの脳内地図が渦巻きを描き始めてきた辺りで、フィリップが立ち止まる。
「この向こうに生贄の部屋がある。入るには証明カードが必要だ」
警備員は全員カードを所持しているはずだ。
彼のカードを奪って入るか、それとも一緒に入ってとお願いするべきか。
だとしたら、断然後者だ。後者以外ありえない。
秒の早さで決断すると、ダグーは下がり眉で頼み込んだ。
「中の様子……見せてもらえませんか?」
「いいとも」
あっさり頷き、フィリップがカードを入口の機械に差し込む。
エラーを吐き出すことなく扉は難なく開いて、二人を招き入れた。
何でも試しに言ってみるもんだ。
生贄の監禁場所は、ちょっとした生活空間になっていた。
手前にあるのは六人掛けのダイニング、奥に見えるのはキッチンだ。
キズナの話を聞いた限りだと、年間何十人もの人数が送り込まれているように感じたのだが、ここにいるのは六人だけでダグーは拍子抜けする。
それとも、今いる六人以外は生贄として捧げられてしまった後なのだろうか?
「あれー!?ダグーなのだ!ダグーも禊名を貰ったのか?」
素っ頓狂な声にダグーがハッとなる暇さえ与えてくれず、小さな影がピョンッとソファーを飛び降りて近づいてきた。
見間違えようもない。
「ランカ!?」
銀色の髪の毛をツインテールに縛り、猫目な瞳が此方を見上げている。
今のランカに洗脳された様子は微塵も伺えない。
「え、なに、新しいイケニエが来たの?」と薄笑いを浮かべて寄ってきたのは見知らぬ顔で、ダグーに触る直前、ランカにベシッと手を叩かれる。
「馴れ馴れしく触っちゃ駄目なのだ!ダグーはランカの婿だぞっ」
少女に怒られても、男はヘラヘラ笑いを崩さない。
「えへへーごめーん」
二人のやりとりに加わるでもなくソファーに寝転んで雑誌を読む青年とテレビの前から一歩も動かない少女、欠伸をしながら携帯ゲームに興じる中年と珈琲を飲み続ける女性。
手前の青年は一応生贄だと自覚しているようだが、悲壮も覚悟も全く見受けられない。
ランカを含めた全員が、シェアハウスで暮らしているのかのような態度だ。
ここが何処だか一瞬忘れてしまいそうになる。
「ベイビー。生贄は隠れ蓑だ、安心するといい」
背後から声をかけられて、茫然としていたダグーは我に返る。
どういうことかとフィリップへ問い返す前に、生贄本人がダグーの訊きたいことを答えてくれた。
「イケニエってことにしときゃ〜人間社会から簡単に蒸発できるっしょ?」
生贄の青年曰く、ここは正体バレした魔族の駆け込み寺なのだと言う。
正体はバレても人間社会に居続けたい。そんな彼らを一時的に保護する施設なのだと説明された。
では、クォードのバックとやらはガセ情報で踊らされてしまったのだろうか。
連れ込まれたのが生贄でないのなら、フェンリルは降臨しない?
ダグーは少し考え、ある一点を思い返す。
生贄を選ぶ目的が本当に救済なのだとしたら、あの時の状況に説明がつかない。
あの時――北海道支部でランカを含めた信者の言動が突然おかしくなった件だ。
ダグーを追い返したいんだったら、あんな狂気じみた演技で脅すのではなく、適当な嘘を並べれば良かったはずだ。
あれじゃ余計に懐疑を深めるだけの悪手だ。
第一、ランカは正体バレした後も人間社会に居続ける図太さがあった。
彼女だけは、この六人の中で唯一、駆け込み寺に駆け込む理由がない。
部屋住民が意図的にダグーを騙そうとしているのか、彼らも誰かに騙されているのかは判らないが、四面楚歌の現状では騙されたフリをするしかなさそうだ。
「居心地の良さそうな部屋だね……俺も暮らしてみたいなぁ」
好意的な反応にランカは満面の笑みを浮かべて、ダグーの手を引っ張った。
「ダグーなら皆、大歓迎なのだ!全員紹介してやるから、一緒に遊ぶのだぁ〜ん」
その様子を無言で眺めていたフィリップは、やがて静かに部屋を出ると入口の鍵をロックして去っていった。

生贄の部屋は一つではない。
アイリーンが廊下を駆け回って察したのは、それであった。
天井の目印には自力で気づいたものの、そこから先は警備員との追いかけっこが始まり、部屋を見つけては隠れてやり過ごし、見つかっては逃げ回るの繰り返しだ。
途中からは人狼に変身して全力疾走で振り切ったが、いずれは何処かに追い詰められよう。
目印を元に角を曲がるうちにグルグル曲がり角の続く道へ突入し、中央へ向かっているんだと判る。
中央に向かっては駄目だ。そこは恐らく行き止まりで、生贄の監禁場所にもなっている。
急ブレーキで止まるや否や、追いかけてくる黒服の真上を飛び越えて反対方面へ走り出す。
この建物は巨大迷路のように広大だが、追いかけっこには向いていない。
廊下が狭いせいで、大勢で走ったりすると突然の方向転換で混雑が起きる。今の警備員たちのように。
アイリーンは真っ直ぐな道へ駆け込むと、目印を目指して疾走する。
迷路で現在の位置を確認するには、一番端となる壁を探すのが一番だ。
そうやっているうちに、どうやら生贄の部屋は複数あるのだと気づく。
雇われ魔族バイトが教わる中央の部屋は恐らくダミー、それ以外が本命生贄のいる監禁場所だ。
だが、こちらが探したいのは、あくまでもランカ一人であり、彼女がどちらにいるのかまではアイリーンにも判らない。
結局片っ端から開いて調べるしかないのか。
こんなことなら、一旦研究所に戻って人ならざる相棒を連れてくるべきだった。


入口へ誘導されたクォードや廊下に放り出されたダグー達とは異なり、ヴォルフは一人、大神殿のど真ん中へ出現していた。
室内とは思えない大穴が中央に空いており、天井から吊り下げられているのは狼の死骸だ。
それも一つや二つではない、群れ一つ分の夥しい数にヴォルフは眉を顰める。
フェンリル信仰だと聞いていたが、狼の扱いがぞんざいだ。
辺りには死臭が立ち込め、しかし重要そうな部屋の割には誰もいない。
ここは警備する必要がないのだろうか?
油断なく周囲を見渡すヴォルフの背後に気配が現れる。
「おやおや。人狼はお呼びじゃないというのに、あいつったら、また転送に失敗しやがったか」
振り返らず、低く腰を落とした格好でヴォルフは聞き返した。
「勝手にお邪魔したのは悪かったが、失敗ついでに見逃してもらえると助かるね」
「いやいや」と背後の人物は首を振り、にこやかに微笑む。
「人狼も同じ狼だってんで、吊るす用に転送したのかもしれないよ?いずれにせよ、見逃すのはあり得ないな」
ひりつくほどの殺気を背中に感じる。
こいつは断じて人ではない。
人ならざる者が警備についていないというのはガセ情報だった。
彼らはバイトを信用していない。それもそうだ、彼らの求める生贄こそが人ならざる者なのだから。
仕掛けてくる時が逃げ出すチャンスだ。
ヴォルフは身体を動かさず、目だけで狼の死骸を見上げる。
あれを利用させてもらおう。
「綺麗なまま吊るしてやるから、安心して死にな」
背後の殺気が膨れ上がった直後、ヴォルフは大きく飛び上がった。
「なっ!?」と驚く何者かの頭上で狼の死骸に飛びつき、重みでスロープの如く死骸の列が動き出す。
「いや、いやいや、危ないでしょ?ってか、それ全部穴に落ちちゃうから止めて!?また吊り下げるの面倒だし!」
騒ぐ間にも天井に吊り下げられた狼の死骸は順次穴の底へと吸い込まれていき、ヴォルフも真っ逆さまに落ちていく寸前でパッと手を離して縁に着地する。
「じゃあな、あばよ!」
言うが早いか白い毛並みの人狼は反対側の扉を蹴っ飛ばして、出ていった。
「えー!あー?戦わないなら何しに来たんだよ!?チックショー!」と騒ぐ何者かを部屋に残して。

22/02/09 Up


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