DOUBLE DRAGON LEGEND

第八十九話 目覚めよ、神龍


一番最初に、人々の心へ恐怖を植えつけたのは誰なのか?
奇病が発生した原因は、今も解明されていない。
そればかりか、今でもMS化を完全に治療するのは不可能だ。
能力の覚醒はあっても、その逆はない。一度目覚めた能力を封じることは出来ない。
それにMSとしての能力が目覚めるのは、必ずしも、その者にとって、よいことばかりではない。
もし、目覚めないのであれば、無理に起こす必要はない。
中央国の王妃は、ずっと”彼”の能力を封じてきた。
お前は変身できない。お前は、ただの人間だから。そう、彼に言い聞かせて。
彼が何事もなく平穏無事に天命を終えるまで生き延びる。
それは、没した彼の両親の願いでもあった――


疾走する黒馬の背で小さな影が叫ぶ。
「みんな、下がって!互角に戦える人だけ残して、あとは後ろに下がって!!」
卯の印シェイミーだ。彼もゼノも満身創痍、体中に傷を負っている。
傷という傷からは絶えず血が流れ出て、止まらない。
全て寅の印にやられた傷だ。
一生治らない傷をつける。それが寅の印の能力である。
操られた坂井は、フルに能力を使っている。
奴の能力には、司やシェイミーのような制限がない。
坂井自身が使うのをやめない限り、或いは彼が力尽きて倒れるまで、止める手段はないということだ。
「一斉攻撃を仕掛ける!該、美羽、ちからを貸してくれ」
司の指示へ「判った」と頷き、該が右手へ。
同じく美羽も「判りましたわぁ」と舌をチロリと出し、左手へ散開した。
坂井はゼノの背後を、ぴったりマークして走ってくる。
ゼノ以外の標的は見えていないかのようだ。
三手から同時に仕掛ければ、動きを止めるのは可能だ。
三人の意図を察したゼノが司達の元へまっすぐ突っ込み、そのまま司の横を駆け抜ける。
坂井も続いて包囲網に入ってくるかと思いきや、虎は寸前で「ヴヴッ」と短く唸り急停止。
バッと後ろに飛び退いて、美羽達の飛びかかるタイミングを外してくる。
しかし司達も然る者、伊達に伝説のMSと呼ばれているわけではない。
「チィッ」
作戦失敗と判断するや否や、舌打ち一つ残して該、そして美羽も走り出す。
真ん中の司は地を蹴り坂井の頭上を飛び越して、背後へ着地したかと思うと、急ターンで向き直る。
一瞬だが、坂井の気が司へ逸れた。その僅かな隙を狙って、すかさず美羽が首元へ食らいつく。
「ギャウッ!」と獣の悲鳴があがり、坂井がもんどり打つ。
その際、苦し紛れに振り回した爪が蛇の鱗を何枚か削り取り、美羽が苦痛に顔を歪めた。
「美羽ッ!!」と叫ぶ該へは司の叱咤が飛んだ。
「該、美羽の作った好機を逃すんじゃない!」
言うが早いか、司自身も坂井の懐に飛び込んでゆく。
滅茶苦茶に暴れる坂井を押さえつけようにも、向こうも死に物狂いで簡単にはいかない。
首筋にぞわりと悪寒を受けて、司は反射的に身を退いた。
間髪入れず、これまで司のいた空間を虎の牙が噛み砕く。
野性の勘のおかげで司は傷を負わずに済んだが、その代わり美羽が後方へ投げ飛ばされた。
地上へ叩きつけられようかという寸前、走ってきた該が背中で小さな蛇を受け止める。
陣営を崩してまで恋人を助けに行くとは見上げた愛だが、感謝の言葉の代わりに美羽の口から飛び出したのは激しい怒りの罵倒であった。
「ワタクシに構っている場合ではありませんわぁッ。見なさい、坂井が体勢を立て直してしまいましてよ」
坂井は美羽の襲撃から、既に立ち直っている。
司もまた、坂井の反撃を逃れた後は間合いを取って構えに入った。
お互い、いつでも飛びかかれるよう低い体勢のまま、睨み合いの硬直が続いている。
肉を切らせて骨をたてる相手ならば、このように警戒する必要などないのだが。
「気をつけて!」と背後でシェイミーの声が飛ぶ。
「かすっただけでも虎の印の能力が働くよッ。今の坂井は能力を自分でセーブできなくなっているみたいだから!」
かすり傷でも攻撃をくらってはいけない戦いとは、なんと面倒なことか。
こちらは手加減しなければいけない分、不利である。
三人がかりでいけば、すぐに押さえつけられると思っていたが、伝説の三人でも苦戦している。
「俺達も、行くか……?」
リオが背中のアリアに問うと、彼女は黙して首を真横に振る。
行っても無駄だ。十二真獣ではないリオが混ざったところで、足手まといにしかならない。
先ほどから、ずっとアリアも念じているけれど、坂井に睡眠の兆しが見えない。
操られている状態では、未の印の能力は効きづらいのか。
「……どうして」と、苛立った口調でタンタンが呟く。
彼女にしては珍しく小声だと思ったのもつかの間で、すぐさまヒステリックに騒ぎ出した。
「どうして、あいつは何の制限もないのよぉ!?十二真獣を作った人は虎びいきだったってわけ?」
アリアは力なく項垂れ、タンタンの疑問に答える。
「判りません……どうして、あのように凶暴な能力を、寅の印に持たせたのかも……」
誰にも判りようはずがない。オリジナルを作った人間は、とうに死亡しているのだから。
「きたるべき未来の戦いを予期して、能力を持たせたのかもしれんな」と呟いたのは、アモスだ。
「未来の戦い……?」と首を傾げるリオに力強く頷くと、水平線の彼方へ目をやった。
「ジ・アスタロトやB.O.Sのような軍団が出てくることを、予測していたのかもしれん。十二真獣は奴らを討ち滅ぼす、人類最強の剣にして、最高の盾となる存在になれたのだろう」
事実、司や坂井の強さには何度も救われている。
その能力が、まさか人類側に向かってくるとは、オリジナルの創造主にも予想がつかなかったであろう。
今や大勢のMSが見守る中、睨み合いの呪縛から抜け出したのは坂井が先だった。
勢いよく地面を蹴りつけ、司の元へ弾丸よろしく一直線に飛び込んでくる。
「――ッ!」
ギリギリまで攻撃を引きつけ、鼻先五ミリの感覚で司が坂井の攻撃をよける。
再び坂井が攻撃に出るまでの数秒の空白を狙って、右手から飛び込んできた影があった。
美羽だ。再び坂井の首筋を狙って飛び込んだ。
しかし坂井も彼女の動きを予測していたのか、寸前で避けられる。
回避できない美羽の体を坂井が噛み砕こうかという時、突っ込んできた黒い影が虎に体当たりをかます。
横手にはじかれた坂井が体勢を立て直す頃には、美羽も司も散開している。
前大戦を戦い抜いてきただけあって、事前打ち合わせがなくても息のあったコンビネーションだ。
その伝説の三人についていける坂井の動きも、只者ではない。
「坂井って、あんなに強かったっけ?」
首を捻るタンタンに「いいえ」と応えたのはアリアだ。
「確かに坂井さんは私達の世代の中では一番強いです……けれど今の彼は、普段の彼とは違います」
司達にあって坂井にないもの、それは場数だ。
人は急激に強くなれるものではない。戦いの経験が物を言う。
これまでの戦闘では経験不足が坂井を惑わせ、苦戦を強いていた。
だが、今の坂井には迷いがない。
今の彼を動かしている思考は、恐れ知らずの無鉄砲者である。
迷いがない分、動きも速い。
「このままでは埒があきませんわぁ」
余裕をなくした美羽の呟きに、白い犬も顔をしかめて頷く。
「多少傷つけるのもやむなし、か……該、美羽、次の攻撃に手加減は無用だ。ただし致命傷だけは負わせるなよ!」
司の言葉に、青ざめていた葵野がハッとなる。
該はともかく美羽が手心を加えた手加減無用の攻撃なんて、できるのだろうか。
いくら小さな蛇とはいえ、噛まれる場所次第では致命傷にもなる。
ましてや、司と該との三段攻撃だ。
もし洗脳坂井が己の命も省みず、反撃に出るような事があれば――
勢いで、殺してしまうことだってありえる。
「ま、待って!」と叫んだ葵野は前に出ようとして、アモスに止められる。
それと同時であった。司と該、美羽が動いたのは。
左右と頭上、三方向からの同時攻撃だ。
今度こそ確実に坂井を押さえつけられる――皆が、そう思った。

だが。

司と該の攻撃をまともに食らった坂井は、それでも倒れず左手から襲い来る美羽を睨みつける。
瞳に剣呑な殺気を見つけ、美羽は咄嗟に体を捻って回避を試みたのだが、避けるよりも先に地上から飛びかかった坂井が追いついた。
まさかの悲鳴が、皆の鼓膜を劈いて。目の前で起きた惨劇に、誰もが動けず呆然となった。
バラバラと、雨のように蛇の鱗が降り注ぐ。
鱗と血に混ざって落ちてくるものが、もう一つあった。
噛みちぎられた、二つの胴体。それが、ぼとん、ぼとんと該の前に降ってきた。
もはや、掠り傷なんて生やさしいものではない。
「そんな、馬鹿な……ッ」
いくら操られて意識がないといっても、千年を生き抜いた自分達を倒せるMSがいたなんて。
予想外の出来事に、司も該も青くなる。
否、全ての者の刻が止まった。
伝説の英雄にして死神の異名を取るMSが破れたのだ。名もなき一介の転生十二真獣に。
「美羽……美羽ーーッ!!
目の前に落ちてきた二つの物体へ、該があらんばかりの声を張り上げる。
真っ二つに食いちぎられて絶命したかと思えた美羽は、まだ、話せるだけの意識があった。
「ふっ……ふふっ……油断して、しまいましたわねぇ……たかが、寅の印如きと」
「しゃべるな、美羽ッ。死なないでくれ……!」
ぼろぼろと該の頬を涙が伝う。
「俺を一人にしないでくれ!」
ひゅうひゅうと喉を鳴らし、蛇が僅かに舌を出す。
「な、泣き虫ですわねぇ……該は、昔っから……ずっと、手間のかかる、甘えん坊さん……」
一つの命が、目の前で消えようとしている。
それも自分の恋人の手によって、殺された命だ。
何故、俺は変身できないんだ。今この時こそ、龍の印のちからが必要だというのに!
変身できない自分。役に立たない己に心底泣きたくなり、頭をかかえた葵野は座り込む。
絶望にくれて坂井を見た時、隙だらけの二人を虎の獰猛な瞳が狙っているのに葵野は気づいた。
該は美羽がやられたショックで戦える状態じゃない。司も該ほどじゃないにせよ、衝撃は大きい。
駄目だ。ここで司と該までやられたら、誰が坂井を止められる?
――坂井を止めるのは、俺だ。
俺が、やらなくちゃ。
血の気の抜けた顔で、ふらりと立ち上がった葵野が、坂井の前に立ちふさがる。
美羽がやられた衝撃のせいで、司が葵野の行動に気づくのは一歩遅れた。
「危ない、下がれ!」と声をかけた時には、坂井は既に走り出しており、黄色と黒の縞々が目前に迫る。
葵野に確認できたのは、そこまでであった。
どんとぶつかってきた、重たい感触。右手に鋭い痛み。誰かの悲鳴が後方であがる。
噛みつかれた箇所から下の痛みが消えた。朦朧とした意識のまま、葵野は坂井を抱きかかえる。
「もう、終わりだよ。オイタは終わり。坂井……元に戻ってよ」
「グァウッ!!」と唸った虎が葵野の腕から逃れようと暴れるも、葵野は坂井をきつく抱きしめ離さない。
「もう、皆おしまい。元に戻ろ?誰も死ななかったし、傷もついていない。全部、夢だったんだよ……」
もう一度唸った坂井が自分の肩に牙を突き立ててきたように、葵野は感じた。
不思議と痛みはない。感じない。
そればかりか心地よい暖かな光が自分と坂井を包み込み、次第にウトウトとした眠りに誘われる。
みんな、嘘だ。
坂井が操られたのも、坂井が美羽を殺したのも。
みんな、みんな嘘だったんだ。
目が覚めれば、美羽も坂井も元に戻っている。
ゼノもシェイミーも、血を流したりしていない。
友喜だって綺麗で可愛く細い指をなくしてなんか、いないんだ。
だって、全部なかったことだもの。
そうだよね……?婆様――
「葵野くん!」
呼びかける司、そして、その場にいた意識のある全員が見た。
変貌を遂げる葵野の姿を。
体中がたちまち緑の鱗に覆われて、龍に姿を変えながら、天を目指して登っていく姿を。
降り注ぐ柔らかな光を身に受けて、皆が直感した。
葵野力也は本当にMS――龍の印のちからを引き継いだ者だったのだ!


あれから何時間が、過ぎただろうか。
ズキズキと痛む頭を緩く振り、ゆっくりと坂井が身を起こす。
MS変化が解けて、人の姿に戻っていた。
いつ自分が変身を解いたのか、まるで覚えていない。
ハッとなって水平線を見やるも、そこに人影は一つもなく、トレイダーに逃げられたのだと坂井が思い至るまでには数分の時間を要した。
それにしても、K司教と戦っている最中に何が起きたのか。それも思い出せない。
軽い記憶喪失にかかってしまったかのようだ。
ふと坂井が傍らに目をやると、同じく呆然とした表情を浮かべた美羽が座り込んでおり、彼女にすがりつき泣きじゃくる該も視界に入った。
「まったく、信じられませんわぁ。今度こそ死を覚悟しておりましたのに」
美羽がぽつりと呟き、しきりに自分の体、特に腰を触りまくって異常がないか確かめている。
彼女も該も人の姿に戻っていた。
「なぁ、何が起きたんだ?俺達……勝ったのか?」
釈然としない表情で美羽に問えば、該にはギロリと睨まれた。
「な、なんだよ」とたじろぐ坂井に彼は首を振り、真っ赤な目元を手でこする。
「……いや。悪いのは、お前ではない。全てはトレイダー、あの男の責任だ」
「何が?」と把握できない坂井の腕を、くいくいと引っ張る者が。
振り向けば、友喜が笑顔で立っている。
「全部力也のおかげだね!ねぇ、見て見て!あたしの指、ぜ〜んぶ元に戻っちゃった!」
嬉しそうに両手を差し出されても、友喜の指がちぎれた場面を見た記憶などない坂井は、わけが判らず首を捻るばかりだ。
「そうだ、力也は!?」
不意に叫んで立ち上がった坂井は、足下にこつんとぶつかるモノを見つけ、見下ろした。
「なんだよ、平和そうなツラして寝やがって……」
足下では、すやすやと葵野が熟睡している。ずっと坂井の隣で眠っていたものらしい。
側で座っていた司が、ハァと大きく溜息をついて苦笑した。
「僕達は最後の最後で龍の印に救われたんですよ、坂井。君が、あまりにも手を焼かせてくれたせいで、全滅の危機を迎える寸前でしたが」
「ハァ?どういうことだ。俺が誰の手を焼かせたんだって?」
たちまち坂井の眉間にはしわが寄り、司へ詰め寄る彼を宥めたのはシェイミーだ。
「それより、トレイダーには逃げられちゃったね。せっかく、ここまで追い詰めたのに……」
「そうだ、その通りだ!クソッ、トレイダーの野郎」
悪態をついて坂井は、ばしっと両手を打ちつける。
「一体どこへ逃げやがったんだ!?」
「なぁに、彼の逃げる場所など限られているさ」と陽気に割り込んできたのは、デキシンズ。
どさくさで仲間になった元ジ・アスタロトの戦士は、ここへ残る選択をした。
「どうせまた、つまらない悪事を企むだろうけど、その時は、その時だ」
司もデキシンズに調子を併せて、明るく言った。
「僕達で、どこまでも邪魔をしてやろう。さぁ、戦いは終結したことだし凱旋といこうじゃないか」
生き残った全員が、思い思いの歓声をあげる。
サリア女王を送りがてら、彼らはサンクリストシュアへ帰還した。

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