空の上から見る夜景は壮大だ。
だが、風花の視点は夜景など、そっちのけ。
彼女の視線は、ある一点だけに集中していた。
「ねぇ誉ちゃん……今ってさ、二人っきりだよねぇ?」
操縦桿を握る誉からは何の返事もない。
足音を忍ばせ、真後ろまで接近すると、風花は更にコビコビの声色で彼に囁いた。
「ずっと出しっぱなしで寒いでしょ。風花が暖めてあげる」
そっと、何も履いていない誉の股間に掌を当てる。
それに対する誉の反応は、素っ気なく。
「触るな。気が散る」
「あんっ、もう、誉ちゃんったらぁ。照れちゃって」
誉は無表情で、微塵も照れている素振りなど見受けられない。
だが風花は勝手に自己完結して呟くと、掌を被せていた箇所を、ゆっくりと揉み始める。
「こんなに冷たくなっちゃって……待っててね、触っているうちに暖かくなってくるから」
次第に早くなってくる手の動きには、さしもの誉でも無視し続けるというのは、どだい無理な話で。
「――触るなと言っている!」
終いにゃバシッと片手で払いのけ、背後の女を睨みつけた。
折しもその時、飛行船は警察の塔へ真っ直ぐ突っ込んでいた最中。
「ギャア!誉ちゃん、前っ、前ぇ!」
騒ぐ風花には目もくれず、誉が素早く舵を切る。
塔スレスレな真横を抜けていき、不注意運転の原因には愚痴られた。
「もぉー、誉ちゃん、しっかり運転してよね。危ないじゃない」
誰のせいで激突しそうになったと思っているのか。
だが、怒鳴る代わりに誉は下を見た。
「出てきたな」
「ほえっ?」
風花に教えるよりも先に、真下からは灯りが照らしてくる。
地上では、口々に警官達が飛行船を指さして騒いでいた。
この分だと、そのうち奴も出てくるはずだ。
ギリサムだかギリアムといったか、あの警部殿が。
「風花。俺達の役目は覚えているか」
塔の周りを旋回しながら誉が問えば。
「え、あ、うん」
風花は頷き、頬を赤らめた。
「誉ちゃんと飛行船の中でラブラブランデブ〜するんでしょ」
「俺達の役目は囮だ。今から地上すれすれまで降下する」
戯れ言をまるっと無視し、次に風花が何か言い返す前に行動を起こした。
すなわち、地上目がけて飛行船で直角急降下するという離れ業を。
「ひッ――ひぎゃああぁぁぁぁッッッ!!!」
船内で轟く風花の絶叫など、お構いなしに、飛行船は激しい風塵を巻き起こしながら超低空で停止すると、警官の体勢が整うまでは待ってやらず、塔の周辺を無軌道に飛び回る。
「アッサレフ警部、不審な飛行船が我々の周りを飛び回っております!」
飛び込んできた若い警官には目もくれず「判ってるよ」と手で答え、ギリサムの両目は警備モニターを睨んでいる。
真っ黄色の目立つカラーに、胴体には黒い猫の絵。
紛れもなく、怪盗キャットファイター所有の飛行船だ。
バカみたいに目立つ船なのに、あれで何度も逃走を許している。
飛行船は奴らの足だ。
遠距離の獲物を狙う時、奴らはあれに乗って移動する。
その飛行船が今、低空飛行でウロウロしているのは腑に落ちない。
「……ミエッミエなんだよ、バカヤロウが」
口の中で悪態をつくと、警部は悠然と立ち上がった。
「あ、警部殿、どちらへ?」
オロオロする新人君には、早く行けと目で促す。
「あの飛行船は、ほっとけ!それよか、地上の守りを固めろと全員に伝えろ」
「えっ?し、しかし」
「あれでも囮のつもりなんだろうぜ、精一杯の」
モニターの向こうでは飛行船が無軌道に飛び回り、追いかける警官達の姿が映し出されている。
「猫共め……何が目的で俺達の前に現われたのかは判らねぇが、この塔に目的があるってんなら、正々堂々受けて立ってやる」
警棒と、それから拳銃もベルトに挟み込むと、ギリサムは部下に命じた。
「追撃船のエンジンを暖めておけ!他の奴らは持ち場を離れるんじゃねぇぞッ」
「は、はいッ!」
颯爽と監視室を出ていくと、足はまっすぐ屋上へ向かう。