ネオンダクトの夜は長い――
そして、今日もまた、街の何処かで悲鳴があがる。
「ギャーッ、嫌ーッ!」
あられもない悲鳴をあげて、貴婦人が走り去る。
両目を手で覆い隠しながら。
道には、お菓子の入ったバスケットが落ちている。
先ほどまで、彼女が腕に下げていたものだ。
「はい、ゲ〜ット」
バスケットを拾い上げ、樽斗が二、三回揺すってみる。
「……見た目大きい割に、あんま入ってないねぇ」
「当たり前よ」と、こちらは一緒にペアを組んでいた来奈が言う。
「重たかったら腕が疲れて持ってらんないでしょ」
――お菓子強奪大作戦。
こいつを最初に思いついたのは、ボスの悠平だ。
今宵はハロウィン。
祭りに浮かれた者達が、お菓子の入ったバスケットを持って、あてもなく街をうろついている。
或いは仮装を見せびらかす為に。
或いは、祭りに乗じて恋を囁く為に?
お菓子を求める子供もいた。
今夜だけは、街全体が浮かれたムードだ。
浮かれたムードに乗じて、娘達を脅かして、お菓子をせしめよう――
言ってみれば、いつもの強奪と変わらないキャットファイターの面々であった。
「他の皆は、どれくらい奪えたかな?」と、樽斗。
「さぁね、結果はアジトに帰ってからのお楽しみ」
来奈が気のない答えを返し、バスケットから一枚、ビスケットを取りだした。
「あたしの予想では、ボスか誉ちゃんがぶっちぎりで優勝すると思うけど」
「そりゃ、当たり前すぎて面白くないって。俺らもガンバロ?」
肩をすくめた樽斗に言い返され、来奈も頷く。
「そうね。今宵かぎりの大イベントだもの、是非とも優勝して『欲しいもの』をボスに買わせなきゃ」
誰よりも多く、お菓子を奪った者が優勝。
優勝した奴には何でも欲しいものを与える。
それが悠平の出した案、お菓子強奪大作戦の概要だ。
メンバーは誰もが張り切って、夜の街に飛び出していき、あちこちで悲鳴をあげさせた。
と言っても、暴力で襲いかかるのではない。
キャットファイターには他の強盗や盗賊にはない、大きな特徴があった。
それは――
「きゃあー!イヤー!ハレンチ、ハレンチよぉっ」
野太い悲鳴が夜を劈く。
手に持っていたバスケットを振り落とし、赤い頭巾に赤いスカートを履いた人物が両手で顔を覆い隠す。
「やだぁ、もぉ、信じらんないっ!お祭りだからって、浮かれすぎよぉっ」
耳まで真っ赤になった野太い声の持ち主は、言うが早いか夜道を逃走し、一人残された風花は溜息と共にバスケットを拾い上げる。
「……なーにが、キャーよ。こっちがキャーだわ、あんなの」
格好こそ女性だが、今のは確実に男だった。男の女装。
しかしハロウィンの夜では、さして珍しい格好ではない。
仮装は怪物だけとは限らない。
男が女の格好をしたり、女が男の格好もする。
だが自由奔放に見える仮装でも、一つだけ許されない格好があった。
それが、風花の今の格好だ。
いや、風花だけではない。正確にはキャットファイター全員の格好だ。
一人道に佇む彼女の元へ、よたよたと近づいてくる影がある。
風に香る酒臭い息、新たな獲物のお出ましだ。
「待ちなさい、そこの人!お菓子を置いて、ここから去りなさいッ」
バッと身を翻し、街灯の当たる場所へ飛び出す風花。
「んん〜?違うだろ、お嬢ちゃん。こういう日は、まず、トリック、オア……」
ほろ酔い気分で祭りの掛詞を呟きかけた男の口元が、ぽかーんと開かれる。
しばしの静寂。そして――
「ひえぇぇっ!?お、お嬢ちゃん、なんてぇ格好してんだぁ!」
酒の酔いか、それとも羞恥でか、真っ赤に染まった男が泡を食って手をばたつかせる。
「お菓子、よこせ!」
それには構わず風花が、ずいっと一歩近づくと。
「あ、あわわわわ、だ、駄目だよ、年頃の女の子が、そんな……ひぃ〜〜っ!」
男はバスケットを放り投げ、一目散に逃げていった。
たった一人の女の子を相手に情けないと言うなかれ。
なにしろ、この街には鉄則の掟があった。
――みだりに、人前で裸になるべからず――
町中で裸になるだけが違法ではなく、露出の激しい者と関わっても罪に問われる。
そんなネオンダクトで、もし、下半身丸出しの人間と出会ったら?
一目散に逃げ出すか、警官を呼ぶしかない。
相手が女子供でも、例外ではなかった。
そう。
風花は、何も履いていなかったのだ。下に、何も。
全裸ないし半裸の者と突然鉢合わせたら、大抵の者は驚いて逃げる。
キャットファイターは、そのおかげで、今までのうのうと盗賊家業をやってこられたのだが、この日の龍輔は少々勝手が違っていた。
目の前に対峙するのは、小柄な女性。
菓子の詰まったバスケットを、ぎゅっと抱きしめて、龍輔を見つめている。
吐く息は白く、鼻息も荒い。
頬を赤く染め、それでも一瞬たりとも視線を逸らさずに彼女は言った。
「お、お、お菓子あげるから……だから、触らせなさいよぉっ!」
「いや、な?お菓子は貰う。けど、タッチは勘弁だ」
龍輔も言い返し、手で荷物を渡せと仕草するのだが、女性はバスケットを手放さない。
ますますギュッと強く抱きしめ、首を激しく真横にふった。
「だ、駄目……お菓子と交換じゃないと、あげない」
先ほどから、ずっと同じ押し問答が続いている。
こちらとしては極力、力尽くでは奪い取りたくない。
万が一警察に捕まった場合、罪が重たくなるからだ。
女性の要求は、ただ一つ。
お菓子をあげる代わりに龍輔の下腹部、つまりオチンチンを触らせろ――とのことであった。
これまで悲鳴をあげて逃げる女性は多々いたが、触りたがる奴など初めて出会った。
長い間向かい合っているのに、警察を呼ぶ素振りも見せない。
こうして半裸の者と会話を交わすだけでも有罪なのに、この女性と来たら、龍輔を襲う気満々である。
怖くないのだろうか。警察に捕えられるのが。
龍輔は怖い。
怪盗なんぞやっているが、牢屋に入るのは、まっぴらだ。
「あ、あなたアレよね?世間を騒がすチン怪盗、キャットファイターって一味よね」
ハイともイイエとも答えず、龍輔は真っ向から女性を見つめる。
女性も彼の答えを期待していなかったのか、朗々と続けた。
「……わ、私、男の人のアレを見るのって初めてなの。正直、びっくりしたわ……け、けど同時に好奇心も沸いたのよ。今日はお祭り、少しぐらいハメを外してもいい日よね?」
「いやいや」と、すかさず突っ込んで、龍輔が否定する。
「いくら祭りだからってハメを外しすぎるのは、どうかと思うぜ」
下半身丸出しな格好で、説教できた立場でもないのだが。
「わ……私だって、あなたがブ男だったら悲鳴をあげて逃げていたかもしれない。け、けど、あなたみたいにイイ男、こんな日でもなければ会えないわ」
「そりゃ、どうも」
街で多々見かける女性用のフードに、ふんわりしたスカート。
どこをどう取っても彼女は警官ではない。
警官なら、ハロウィンの夜でも制服に身を包んで巡回しているはずなのだから。
全くの民間人でありながら、こんな異常事態発生中に、よく相手の顔まで眺めていられるものだ。
意外や冷静な女性に、龍輔は少しばかり感心した。
「だから……は、ハロウィンの思い出に、ちょっとでいいから触らせて!」
「いやいや、だから、それは駄目だって」と龍輔も譲らず、両者は再び睨みあう。
「なんだって、その、俺の下半身なんかに固執してんだ?いや、そもそも何で逃げようとしない?」
龍輔の問いに女性は俯き、小さく呟いた。
「……だって。私、街へ出るのは今日が初めてだったんですもの」
「えっ?じゃあ」
聞き返す龍輔へ頷くと、彼女は言った。
「そう。アレだけじゃない。パパ以外の男の人を見るのも、あなたが初めてよ」