旧レイザース王国、最北端。
白い鎧に身を固めた騎士、そして魔術師の一団が、かつて首都のあった場所へ進軍する。
頭上を飛ぶ黒い影が一つ、また一つと飛び去ってゆく。
空の防衛団ビヨンドスカイは南方へ回り込んでの奇襲を任されていた。
北方を下って真正面から攻め込むのはレイザース騎士団の生き残りだ。
首都近郊の港は海賊や海軍が守りを固め、各地の警備団も街の警備を厳重化する。
この戦いに国境はない。
メイツラグ海軍も参戦を決めて、ワールドプリズに生きる人々の意思が一つにまとまった。
――人間の街を魔族の手から取り戻せ――
傭兵を背に乗せてドラゴン軍団は南を目指す。
「こちらバージ、今のところ敵影ナシだ。そちらは、どうだ?」
赤い背の上でバージは通信機を取り出して連絡を取る。通信先は亜人の島に残ったハンター、ジロだ。
『異常ねッス。魔族は全て塔にこもってるんじゃないスか?』
ジロとスージとエルニーは、当然のように戦力外扱いで島に残っている。
なんせハンター資格すら持っていない民間人だ。戦いに参加される方が危なっかしい。
それに、島には重傷のタオも置いてきた。
彼らの身柄、及び亜人の島防衛を集落の亜人に任せて出発した。
「監視は怠るなよ、万が一ってこともある。まぁ、お前らが頑張らなくても長老が何とかしてくれそうだがね」
気難しい亜人の長を思い浮かべ、バージは苦笑しながら通信を終える。
空の防衛団が結成された日から今に至るまで、人間の島来訪を全く歓迎していなかった長は、しかし世界の危機を前に亜人の島を本拠地とするレイザース王の案に頷き、万が一の撤退場所としても集落を提供するまでに至った。
彼らも、いや彼らこそが魔族と最も因縁のある種族だ。
魔族を追い出そうとするレイザース王国の意思に共鳴しないわけがない。
通信を終えた直後にピーと着信音がなり、バージは出た。
「はい、こちらバージ。何かありましたか?大佐」
『バージ、多少予定変更だ。魔族の一団を亜人が目視で確認した』
返事を聞いた直後、緊迫が走ったのはバージのみにあらず。
彼を背に乗せていたドラゴンも反応した。
「いるせ、きたぜ、下級どもが徒党を組んで向かってきやがる!」
前を飛ぶ別小隊が早くもフォーメーション体勢に入るのを見て、バージも己の小隊へ指示を出す。
「もう少し引きつけたら左から回り込むぞ!」
「任せろ!」との打てば響く返事を頼りに、バージを乗せた小隊は大きく西の空へとそれていった。
ビヨンドスカイが上空で魔族軍団と衝突したのと、ほぼ同時だろうか。
陸でも海でも、各地で下級魔族との交戦が始まった。
「撃てぇー!周囲一帯ごと塵になるまで撃ち尽くせ!!」
住民を全て事前撤退させた無人の港町へ砲撃が雨あられと放たれる。
標的は群れをなして攻め込んできた魔族だ。
四方から攻める策を封じに来たんだろうが、既に海軍と海賊とで共同作戦を取り、近海をぐるり船で包囲してある。
空を飛んでくるものはメイツラグの弓矢部隊が狙いを定め、果敢にも海賊船へ乗り込んできた魔族には船の用心棒が応戦する。
たちまち辺りは阿鼻叫喚、魔族や海兵の鮮血の舞う混戦と化した。
その中には南国パイレ〜ツや黒猫海賊団の船もあり、ティカが甲高く吠えた。
「ティカ、魔族、倒す!一人でも多く!」
勢いよく走り出すと、奇怪な鳴き声をあげて襲いかかってくる魔族を鼻先で避けて、おかえしにバリッと引っ掻いてやる。
かと思えばマストを、するすると登ってゆき、宙を飛ぶ魔族に飛びついて首筋へと噛みついた。
目まぐるしい動きには魔族も翻弄されているようで、そう簡単には捕まらない。
「やっちまえーキャプテン!」と甲板でラピッツィが応援する横では、せっせとティーヴが大砲に弾を詰め込む。
「ぶっ飛べー!」
威勢のよいマルコの掛け声と共に砲弾は一直線、狙いを違わず町中に降り立った魔族を数匹巻き込んで破裂した。
一発ずつ撃ち込む南国船と比べたら、横にいるレイザースの最新艦は、もっと遠慮のない攻撃だ。
次から次へとひっきりなしに十二の砲台がバカスカ煙を吹いて、港町を真っ赤に染め上げた。
「ウヒャー、すげぇ!」と喜ぶマルコの背後で眼鏡を押し上げながら、ベイルは、そっと考える。
これだけの戦力が海にありながら、何故レイザースは易易と城を魔族に明け渡してしまったんだろう?
きっと、陸の騎士団だけで片付けられると慢心してしまったが故に負けたのだ。
国が二つだけの世界は歪だ。国がいくつもあった昔、ベイルが生まれる前のワールドプリズであったなら。
或いは、容易く首都を落とされる失態を免れられたかもしれない。
「見えたぞ!」と先頭を飛ぶドラゴンが叫ぶ。
誰の目にも高くそびえる禍々しい塔が見えてきたのは、陸軍が進軍を開始して三時間ほど過ぎた頃だ。
先行するビヨンドスカイの何匹かが、さぁっと地上へ急降下する。
地上へ降りたハリィチームは、すぐさま塔を目指して走り出した。
小さなゴマ粒と化した彼らを目で追いつつ、残りの空部隊は大きく旋回する。
やがて塔の方角から黒い絨毯が迫ってきて、その一つ一つが魔族であると人の目にも判る頃にはドラゴンが一斉に咆哮する。
「敵だ!」だの「やってやるぜ!」と沸き立つ傭兵の通信機越しに、ハリィの指示が飛んできた。
『バル小隊はシェリル小隊の後に続け!ドルクとアッシャス小隊は左手から、ルドゥとガーナ小隊は右手から囲いをかけろ!』
各小隊は魔族軍団を囲い込む形で動き始め、囲まれまいと陣を崩した一部の魔族は、さぁーっと遅れて合流した黒い影が叩き落としにかかる。
「斬、ソウマ!もう追いついたのか!」と喜ぶバージへはソウマが手を振り、斬はバフに新たな指示を出した。
「バフ、塔上空まで近づけるか?」
斬が示すのは塔の最上階だ。
答える代わりに、バフは尋ね返す。
「窓から飛び込むつもりなのか?」
「いや」と首を振り、斬は剣を構えた。
「バドが言っていただろう、跡地上空でアルテルマを一閃すれば最初の結界を壊せると。最初の結界とは、恐らく塔全体にかけられたものではないか?そいつを破壊しない限り、誰も入り込めまい」
地上に降り立った傭兵部隊が侵入にまごつけば、その分、他部隊も長期戦を強いられる。
傭兵がラブラドライトを取り押さえるまでに、騎士団が跡地へ到着しても困る。
風切る勢いを増して、ぐんぐん塔が近づいてくる。
斬は中腰で剣を構えたまま、大きく息を吸って静かに吐き出した。
脳裏に描くのは、透明の薄い膜を剣で一刀両断にする己の姿。
大丈夫だ。
きっと、上手くいく。
バフの巨大な腹が塔の上空へと差し掛かる直前で、勢いよくアルテルマを一閃する。
キィー……ン、と耳には届かずとも、何かの壊れる澄み切った音が、その場にいた全員の脳に直接響いた。
数秒後、地上に降りた傭兵が叫ぶ。
「見ろや、ハリィ!扉が開きやがったぜ」
見れば押しても引いても叩いても爆弾を仕掛けてもビクともしなかった扉が、大きな音を立てて開かれていくではないか。
塔の上空を飛ぶ一匹のドラゴンは、ハリィにも見えていた。
ただ、あれが何をするのかまでは伝えられていなかった。
それでも判る。あれは斬とバフだ。
斬がアルテルマで結界か何かをぶった切ったんだ!
「いくぞ、侵入!」との号令をかけて、ハリィはボブやレピア達を引き連れて塔へ乗り込んでいく。
扉が開いたら魔族の一団とご対面するかと思いきや、奴らは一匹も出てきやしなかった。
奥に潜んでいるのか、それとも、もう品切れか。
いずれにせよ、ハリィ達のなすべきことは魔族との戦いじゃない。
塔の何処かにいるラブラドライトの確保、それだけだ。
一本道を走ってきた傭兵部隊は、やがて階段の前まで辿り着くと、二人一組に分かれて散開した。
塔の結界を一刀両断した斬にも下級魔族は放たれて、黒い絨毯に囲まれんとするバフの助太刀に入ったのはバドであった。
槍に乗ったまま群れの中へ突っ込んでいき、襲いくる爪や魔光弾を寸前でかわして「へっ、遅いなぁ!蝿が止まるかと思ったぜ」とバドが大声で挑発しては、まんまと挑発に乗った敵を栄太郎が斬り伏せる。
勿論この間、斬とソウマもボーッと見ていたわけではない。
向かい来る魔族は片っ端からソウマが剣で切り払い、バフは大きく旋回、包囲網を抜け出した。
「おい、斬!ベリウルが出てきたら、もう一度アルテルマの出番が回ってくるぜ」
バドの呼びかけに斬が応じる。
「アルテルマの?しかしバド、ベリウルの結界は、お前が崩す手はずではなかったか!?」
「結界は、な!」と答えながらも、バドの動きは休むことなく魔族の首根っこを掴んで放り投げる。
体勢の崩れた相手に魔光弾を放ってトドメを差すと、「奴が光弾を撃ってきた時、アルテルマで弾き返せ!」と話を締めた。
塔から出てくる魔族の数は尋常ではない。
だが、それも無限ではなく。
次第に絨毯が晴れていき、目視でも数が減ってきたと思えるほどになった頃。
「見ろ!」
栄太郎の叫びにつられて斬は見た。
塔の裏手にそびえる山がニ度、三度、不気味に揺らいで見えたかと思うと、恐ろしく巨大な影が浮かび上がる。
あれこそはベリウルと名乗り、ジェスターと融合してレイザース城を滅ぼした魔族ではないか。
ドラゴンよりも巨大な身の丈を見据えながら、しかしと斬は考えた。
レイザース城を一日で滅ぼす魔力を持ちながら、何故あいつは跡地を一歩も動かずにいたのだろうか。
その気になれば、ワールドプリズ全土を更地にすることだって、この魔族になら出来るはずだ。
ジェスターの悲願はレイザース城を破壊した時点で叶ったも同然、此処にベリウルが残り続ける意味が判らない。
何か、ここを動きたくない理由があったのか?そして、あの塔は何のために建てたのか。
ラブラドライトの目的も不明だ。
魔族やジェスターと組んでレイザースを滅ぼすのが目的だったなら、何故終わった後も立ち去ろうとしないのか。
不意にソウマがバフの背中をバンバン叩いた。
「バフ、もう一度塔の側まで寄せてくれ!窓から飛び込むッ」
「何をする気だ?」と慌てる斬へは片目をつぶり、ソウマは言い切った。
「マスター、ここから先は別行動を取らせてもらうぜ。俺はラブラドライトを追いかける、あんたは上空でベリウルを引きつけていてくれ!」
「ラブラドライトを!?だが、やつを捕まえるのは傭兵の役目だぞ」とも言い返す斬をまっすぐ見つめて、ソウマが言うには。
「ハリィ達は魔法が使えないし、捕縛にも手こずるだろうさ。だが、俺なら使えるぜ。捕縛にもってこいの魔法をな」
それに――と、塔へ目を向け、小さく呟く。
「奴を倒すのは、俺なんだ。俺じゃなきゃ駄目なんだ」
見つめ合ったのも、ほんの数秒で、斬は頷いた。
「いいだろう。バフ、ソウマを塔まで運んでやってくれ。その後はシェリルの小隊に混ざるんだ」
「え?お、おう!」
塔を目指して、さらにバフが旋回で方向転換した直後。
斬が突然ドラゴンの背を飛び降りてバドの槍へ乗り移るもんだから、ソウマは死ぬほど驚いた。
「マッ、マスター!?いきなり何するんだ、心臓が縮むかと思ったじゃないか!」
驚いたのはソウマのみにあらず、バフやバド達もだ。
「斬!俺一人でシェリルの元へ行けってのか!」と騒ぐバフを一瞥し、栄太郎が斬に問う。
「斬、バフは防衛団ではないのだぞ。一人で戦わせるのは危険ではないか」
「あとはシェリルの指示に従ってくれ!」とバフに向けて言った後、斬は栄太郎へも向き直る。
「俺と共にベリウルと戦うほうが危険だ。光弾を跳ね返し損なった時、バフでは回避できまい」
「だからユーゲルハイトに乗り換えたんだってか?」と、バド。
「いいけどさ、せいぜい振り落とされないよう踏ん張れよ。あんたが落ちても拾いに行ってやる暇ねーからな」
下級魔族をあらかた倒し終えた防衛団は、今は姿を現したベリウルのほうへ向かっている。
「よし、あいつらが攻撃を仕掛ける前に結界を壊しとくか!」との号令を受けて、槍が一気に加速を増す。
その勢いたるや、一番先頭のシェリルが到着するよりも先にベリウルの眼下まで、ひとっ飛びだ。
「ベリウルゥゥゥッッ!」
眼下で吠える豆粒をベリウルが見下ろす。
「――何をしに来た、眷属風情が」
「ヘッ。眷属風情、か」
鼻で笑い、バドもベリウルを見上げた。
「そのデカイ図体、大方どっかの地域を支配していた大魔族の一人だろうが、魔界を捨てて異世界に来たってこたぁ、支配下の信仰でも失いやがったか?」
ピクリ、と巨体が神経質に身動ぎする。
「知ってるぜ、大魔族のルールってやつをよ。お前ら大魔族は下級魔族の信仰を失うと力の均衡が崩れるんだろ。誰に取られたんだ、大いなる信仰ってやつを。アシュタロスか?それともゲビナーか!」
バドの言う意味は判らずとも、彼の言葉がベリウルに効いているのは斬にも栄太郎にも伝わった。
悠然と浮かんでいた巨大な魔族は今やカッと目を見開き、ちっぽけな眷属を憤怒の表情で睨みつけている。
「あぁ、思い出したぜ、ベリウル。あんたの名前を、サ。遠い昔、俺等の御主人ケイナプスを追い出したのが、あんただったんだ。あの頃は偉大だったんだろ?信仰を注がれて。だが、今じゃ異世界へ落ち延びるしかない落ちぶれ大魔族、いや元・大魔族様ってわけだ!悲しいなァ、支配勢力を失った魔族ってのはよぉ!」
身の丈差などモノともせずに煽り続けるバドへ、ついに堪忍袋の緒が切れたかベリウルが叫んだ。
「下等魔族の分際で!我を!語るなァァァ!!!」
カッと大きく開いた口の中に、まばゆい光が生まれる。
光は、みるみるうちに明るさを増して、もはや目を開けているのも辛いぐらいだ。
「――斬、来るぜ!でっかい光弾がよ。いいか、あれがお前にぶつかる寸前でアルテルマをぶん回すんだ!遅くても早くても駄目だぜ、打ち返す要領で振り回すんだぞ!」
耳元で囁かれ、ぎゅっと剣の柄を握りしめた格好で斬が叫び返す。
「ま、待て!結界は、もう壊したのか!?」
しかしバドは「あれだけ大きけりゃ結界なんて関係ないね。まさか、こうも簡単に挑発に乗るたぁ、手間が省けるってもんだ」と言い残して、さっさと栄太郎の側へ駆け寄るや否や彼を抱えあげるもんだから、栄太郎も驚いて「ま、待て、斬を置き去りにする気か!?」と騒ぐも、やはりバドは素っ気なく。
「斬の近くにいたら危ないぜ?栄太郎さんは俺と一緒に避難しよう」
言うが早いか栄太郎を抱えて宙に舞う。
それと同時だった。
ベリウルが「逃がすか!」と叫んで魔光弾を放ったのは。
ギンギラギンに光る巨大な弾が、とんでもないスピードで近づいてくる。
斬は瞼を閉じた。
目に見ずとも、邪悪な気配の接近にタイミングを併せればよい。
……3,2,1。
「そこだぁッ!」
勢いよくアルテルマを振り回した直後、巨大な影が槍ごと斬を押しつぶす。
だが斬が感じたのは巨大な剣の重みではなく、覆面を勢いよく叩く風であった。
遥か遠くで邪悪な気配が消えてゆくのも感じたが、見ようにも風に嬲られて、斬は思うように目が開かない。
――人の目には見えずとも、魔族バドの目は、しっかりと捉えていた。
巨大化したアルテルマに跳ね返された魔光弾がベリウルの皮膚を焼き、骨を粉々に砕き、血を沸騰させるのを。
己の吐き出した光弾の威力は凄まじく、結界を破壊した上でベリウルまでもを焼き尽くした。
大魔族を形作っていたものは全て塵と化し、さらさらと風に舞って四散した。
アルテルマが地上へ落ちていくのを見届けてから、バドは上空へ目をやる。
潰されようかという寸前、からくも緊急脱出して、今は空中で停止している我が武器ユーゲルハイトと斬の姿を――