BREAK SOLE

∽58∽ 宇宙散歩


戦艦へ戻る途中、後ろからポンと肩を叩かれてクレイは振り向いた。
通路を塞ぐ大きな体はリュウだ。
相変わらずサングラスで表情を隠している。
「よッ、探したぜ?ンなとこ一人でウロウロして、何やってたんだ?」
などと尋ねながらも、クレイの答えを待たずに話を進めていく。
「まァいい。それよか待望の自由時間がやってきたぜ?許可を取らずとも宇宙散歩は可能たァ、博士も気が利くじゃねェか。なぁ?」
『散歩の件ですが、春名も同行させていいですか?』
話途中で切り出したのだが、肩を抱かれて歩かされたのは戦艦とは別方向。
真っ直ぐ出口へ向かっているのだと判り、クレイは無理やり立ち止まる。
『春名を同行させたいのです。先に戦艦へ立ち寄って下さい』
するとリュウ、チッチッと指を揺らしたかと思えば「駄目だ」と首を横に振るではないか。
『何故ですか?』
尋ね返すと、リュウの顔が間近に迫ってきた。
「俺は、お前と二人っきりで散歩がしてェんだよ。判るか?お前と別れてからの数年間、これでも寂しかったんだぜ。お前に会えなくてな。元気でやってるだろうってのは予想していたが、ここまで逞しくなるたァ驚いた。んでだ、空白の時間を、こうやって埋めたいと思ってるっつーのに、お前と来たら、なんだ?カノジョを俺に見せつけてノロケようって魂胆か?ひでェなぁ〜俺のこと、なんだと思ってんだよ。俺はお前にとっちゃ、ただの自慢相手ってワケかい」
元々早口な男であったが、再会してからは更に早口に磨きがかかっていた。
こうやって一方的にまくしたてられると、まるっきり自分が悪いようにも思えてくる。
クレイは少し考え、一拍おいてから答えを出す。
『わかりました。春名とは別の機会を待ちます』
彼女が残念がるかもしれないと思うと、少し心は痛んだ。
だが春名なら、きっと判ってくれるはずだ。彼女は優しい人だから……
『では、彼女に断ってきますので』
不意に打ち込む手を押さえられた。
意図がわからず、きょとんとリュウを見上げると、彼はニヤッと笑い「後でいいだろ。休憩時間は一時間しかねぇんだからよ」と決めつける。
『でも』
なおも渋るクレイを力づくの抱擁で黙らせると、無理やり出口まで引っ張っていく。
「でももヘチマもねぇんだよ。それともお前、俺に逆らうつもりなのか?あぁ?」
半ば脅迫めいた言葉を吐きながら宇宙服を手渡し、自分も着替え始める。
もう何を言っても無駄だと悟り、クレイも渋々着替え始めた。
『そんなつもりはありません』
上着を脱いだ途端、リュウに肩を掴まれるもんだから、クレイは反射的に壁際へピョンと退いた。
『なにをするつもりですか?』
警戒するクレイに苦笑し、リュウは肩を竦めてみせる。
「なにって、別に何もしやしねぇよ。それよか、お前。下に着てるパイロットスーツは脱いでいけよ」
『この下は素肌です。これを脱げと言われるなら下着を取りに行かないと』
「マッパでもいいじゃねぇか。素肌に宇宙服ってのも悪かねぇぜ?」
『他人事だと思って、適当なことを言わないで下さい』
いい加減なリュウの言い分に、段々クレイの機嫌も悪くなってくる。
それを察したか、もう一度肩を竦めてリュウは呟いた。
「ま、どうしても脱ぎたくねぇってんなら無理強いはしねぇがよ。宇宙服との相性は悪いかもしれねぇぜ。壊れても直してやる暇はないからな」
『相性、ですか?』
言われて、まじまじと自分の着ているパイロットスーツを眺めてみる。
幾本ものコードが織り込まれた特製のスーツだ。
コンソールやパネルと連動した、ソルを動かすための大事なスーツでもある。
宇宙服を上から着ることで、どういった副作用があるというのか。
『静電気、或いは磁気が発生するのですか?』
尋ねてみたが、答えの代わりにリュウは宇宙への出口に手をかける。
見れば、彼はとっくに宇宙服に着替え終わっていた。
「さ、行くぞ。そいつの回答は外に出てからだ」
慌ててスーツを脱ぎ捨て、上着の上に宇宙服を着込むと、クレイも返事をした。
「了解です」


戦艦を飛び出た春名は、一通りの部屋を覗き歩き、ついでに倉庫も覗いてみる。
だがクレイの姿は、どこにも見あたらなかった。
休憩時間に会おうと言ったのは彼なのに、どこへ行ってしまったのだろう?
生真面目なクレイのことだ、春名に無断で予定変更するとは思えない。
何か、緊急の用事でも入ったのか。
だとしたら――春名は前方にQ博士の背中を見つけ、大声で呼び止めた。
「Q博士!すみません、あの、クレイは何処ですか?」
「クレイ?クレイなら戦艦に向かったはずじゃよ」と、Q博士はニコニコ。
しかし続く春名の答えで、その笑顔にも影が差す。
「え?でも、戦艦には来ませんでしたけど」
「……ホントかね?しかしクレイは確かに、ハルナちゃん。君を呼びに行くと断って、研究室を出ていったはずなんじゃが」
お互い食い違う返答に、春名もQ博士も困った表情を浮かべるばかり。
ややあって、Q博士は打開策を口にした。
「そうじゃの。一応、基地内放送で呼びかけてみるかのぅ。もしかしたらクレイは、単に迷子になってるだけかもしれん。ハルナちゃん、お前さんはブレイク・ソールの食堂で待っていなさい」
とてもそうは思えなかったが、駄々をこねてQ博士を困らせても意味がない。
不安な面持ちを隠しきれないまま、春名は「はい」と頷いた。


クレイが常時つける通話機には、不慮の事態に備えて発信器も内蔵されている。
宇宙服へ着替えた時に通話機も、あの場に置いてきてしまっていた。
そのことをクレイが悔やんだのは、リュウが、どんどん遠くへ歩き出してからだ。
基地が地平線――いや、宇宙線の彼方に隠れた直後、リュウが足を止める。
宇宙服の通信機を通してクレイは尋ねた。
「どうしましたか」
「なぁに、連絡を送ろうと思ってね。そっちのほうが歩いて戻るより早ェや」
「誰に……いえ、どこへ戻るのですか?」
無表情にクレイは尋ねるが、胸の内の不安が増してゆく。
リュウにはスパイ疑惑がある。博士達は、彼に疑いを持っている。
そんな馬鹿なと否定しながらも、信用しきれていない部分がクレイの中にもあった。
空白の数年間――
別れてからの行動を、彼はちゃんとクレイに話してくれていない。
アメリカで色々やっていた。リュウが話したのは、それだけだ。
以前ソルで出撃した際、対話を忘れていたが為に春名が激怒する事件があった。
あの時は何故彼女が怒ってしまったのか、理解することが出来なかった。
だが、今になってクレイは理解する。彼女の想いを。
話してもらえない不安が、こんなにも重苦しいものだったとは……
クレイの問いに答えることもなく、リュウが胸ポケットから小さな機械を取り出す。
上空に掲げると、そいつは、チカッ、チカッ、と二度ほど赤い光を放った。
――合図?
しかし誰に向かって、何を合図したのだ?
それに、ここから合図したとして相手に届くものなのか?
訝しがるクレイへ振り向くと、リュウがニヤリと微笑む。
「お前だけは特別だ」
いきなり切り出された言葉に意味が判らずポカンとしていると、腕を掴まれる。
「お前は俺の弟みたいなモンだからな。死なれちゃ困るってんだよ」
「に……兄さん」
いつもは冷静なはずの、クレイの声が震える。
瞬間的に、一番言いたくない一言が脳裏に浮かんできた。
たった一言を絞り出すのでさえ、彼は苦労した。
「まさか、兄さんは……スパイ、だったのですか?」
リュウが頷く。即答であった。
「まァな」

やっぱり、スパイだったのか――!

怒鳴る代わり、クレイの双眸には涙が溢れてくる。
メットが涙に濡れて、リュウの笑顔も見えない。
いや、見たくもない。自分を騙した相手の顔など!
泣き出すクレイを見て、リュウは肩を竦めたようであった。
かと思えば、ちらっと星空を一瞥する。
遠くから何かが飛来してきたようだ。さっきの合図を受け取った仲間か。
だがパニック中のクレイは、それを確認するどころではない。
まさか、リュウ兄さんが!
頭の中が否定と混乱と疑惑と衝撃でいっぱいになり、冷静に考える余力も失われた。
どんどん涙が溢れ出てきて、一向に止まりそうもなかった。
「ジジィどもは、くたばったって構やしねェんだが。さっきも言ったようにクレイ、お前だけは助けたいと思ってる。だから、な?俺と一緒に来い。そんで、向こうで地球平和について考えようじゃねぇか」
「……向こうって?」
しゃくりあげながらクレイが尋ね返してくる。
潤んだ瞳で見つめられ、リュウは、ぐびびっと唾を飲み込んでから答えた。
「ま、その、インフィニティ・ブラックって組織だよ。宇宙人ってわけじゃない。地球人が結成した、非暴力な対話による平和主義組織ってやつだ」
かなり暈かした説明であるが、彼の言い分は百パーセント嘘でもない。
インフィニティ・ブラックは、対話によって宇宙人と連携を組んだのだから。
しかし宇宙人と連携を組んだという事実を隠しているのは、フェアではなかろう。
泣いていたクレイも興味を持ったのか、耳を傾け始めている。
調子に乗ったリュウが大演説をかまそうかという時、飛来した何かが着陸した。
到着したのは、地球産と思わしき小型偵察機であった。
外枠はアメリカ、内部の機械は日本で造られた、合同開発による機体だ。
世界初の宇宙用偵察機として話題になったこともある。
コクピットから降りてきた女性パイロットへ、リュウが声をかけた。
「なんだ、メリットかよ。クーガーは整備で忙しかったか?」
「彼は別機体を与えられた」
淡々と答え、彼女はクレイへ目を向ける。
「その人が、あなたの大事な友達?」
「そうだ」
大きく頷き、リュウはクレイの腕を取る。
「ちょっとナイーヴな処もあるんでな、傷つけるようなことは言わないでくれ」
その手を乱暴に振り払い、クレイは彼を睨みつけた。
「傷つけるような発言をしたのは、リュウ兄さんでしょう!」
怒鳴ってしまってから、ハッと身を固くする。
不機嫌になって困らせる程度なら、何度かした覚えがある。
しかし、本気でリュウ相手に怒鳴るなど。クレイは自分でも驚きを隠せずにいた。
「あぁ、そうだったな。悪ィ。でもよ、俺ぁ別に騙すつもりはなかったんだぜ?お前らが勝手に俺を仲間扱いしたんじゃねェか。弁解の余地も与えずにな」
振り払われたほうは、さして気を悪くした様子も見せず、ひらひらと手を振る。
その余裕ありげな態度がまた、クレイの神経を逆撫でした。
プイッと勢いよくソッポを向くと、彼は黙り込む。
何か一言でも口にすれば、再び涙が出てきそうであった。
二人を素早く見比べ、メリットが尋ねてくる。
「なに?喧嘩でもしたの」
リュウは肩を竦めてみせる。
「あぁ、まぁ……な」
「そう」
短く頷き、彼女が腕につけられた機械を見つめる。
「クーガー達が到着するまで、あと二十分。それまでに私達は退避しなければ」
「だな」
クレイの背中を一瞥し、リュウも頷いた。
「それまでに、こいつを」
最後まで言わずのうちに、メリットが頷き返す。
「判っているわ。彼を隠しておける場所の確保は既にしてある。時期を見てKへ彼を紹介できるまで、安全に隠していられるはず」
「重ね重ね悪ィな」
「あなたを補佐するのは、私の役目だもの。感謝は不要」
短い遣り取りながらも、二人の心は通じ合っているように思える。
横目で様子を伺っていたクレイは、またも己の心臓が締め付けられるのを感じた。
「な、クレイ。機嫌直して、俺についてきてくれや」
もう一度リュウに腕を取られて、クレイは項垂たまま小さな呟きを漏らした。
「……兄さんには」
「ん?」
「俺を連れて行かなくても、充分な相手がいるじゃないですか」
「ハ?」と、あんぐり大口を開けるリュウの傍らで、メリットが冷静に否定する。
「勘違いしないで。わたしは、ただの補佐。彼が大事に思うのは、あなた一人だけ」
もうすぐ、ここは戦場になる。
ついてきてとメリットに促され、クレイは大人しく偵察機へ乗り込んだ。


基地内放送を流しても、一向にクレイが食堂へ現れる気配は見えなかった。
いや、それどころか――
「博士、レーダーに反応がッ!未確認飛行物体が三機、こちらへ向かってきてます!!」
まともに顔色を変えたソラが怒鳴るのへ、博士達もレーダーの元へ集合する。
「なんじゃと!?」
「むぅ、また黒い蜘蛛の襲撃か!?」
「何故嗅ぎつけられたんじゃ!」
押し合いへし合い大騒ぎした後、Q博士は周囲のスタッフ全員へ指示を飛ばした。
「ミグ、基地内放送を流せ!緊急指令、全ソルは迎撃態勢に入るようにと」
「了解です」
スイッチを入れ、ミグは顔だけ博士へ向けて尋ねる。
「ブルー……いえ、クレイは見つかったのですか?」
答える暇ももどかしそうに、R博士が唾を飛ばす。
「まだじゃ!よって、ヨーコとミリシアを先に出撃させろ!!」
「了解です」
コクリと頷き、ミグは淡々とマイクへ語りかける。
同時に、大音量の警告サイレンが基地内に響き渡った。

『緊急警報、緊急警報。パイロットは直ちに出撃を開始せよ。オペレーター、及び全スタッフは戦艦で待機。第一戦闘態勢で待機せよ。繰り返す……』

ミグの淡々とした放送と鳴り響くサイレンに、誰もが飛び上がって仰天した。
基地内は慌ただしい空気に包まれ、荒々しい靴音と共にスタッフ達が乗り込んでくる。
だが、それでもクレイの姿は見つからない。
「ねぇ!」
通路を走っていく親友、秋子を呼び止め春名は尋ねた。
「クレイは!?クレイを、見なかった?」
「知らない!春名こそ見てないの?」
逆に聞き返され、春名は呆然としてしまう。
言い方が乱暴だと気づいた秋子も足を止め、親友の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?休憩時間は一緒じゃなかったの……?」
ともすれば出てきそうになる涙を、ぐっと我慢で堪えて春名は頷く。
「うん」
「あ、じゃあ、もうAソルに乗ってるのかな?」
思いついたことを呟く秋子。そうならば、別に構わないのだが。
しかし、その前にも放送を入れているというのに、こちらへ顔を出さない理由とは何だ。
いてもたってもいられなくなり、春名は通路を走りだす。
何処でもいい。何処からでもいいからAソルの姿を確認したい。
突然の行動に、秋子もつられて走り出した。
「あ、待って!待ってよ、春名ァ!!」
通路を駆け抜け戦艦を飛び出すと、一番近い窓に張り付いた。
窓から外の様子を伺う彼女に習って、秋子も宇宙を眺め回す。

いない。
何処にもいない。赤い機体が見つけられない。
青い機体と黄色い機体は、月面にて確認できたというのに……

エンジントラブル?それとも、機体自体に故障でも発生した?
否。休憩時間に入るまで、ソルは全機とも快調だった。
秋子とて整備班の一員である。スタッフの頑張りを、直に目にしていた。
急に大きな音がして、秋子はビクッと、そちらを振り向く。
春名が何度も何度も、開かない窓に拳を叩きつけていた。
「は、春名!駄目だよ、窓は開かないんだってば!」
押さえつけて羽交い締めにするも、春名はジタバタと暴れ続ける。
「いやだ!やだ、こんなのヤダ!!絶対、嘘!嘘だッ、嘘だって言って!」
「春名!?」
まるで駄々っ子同然で、こちらの話を聞けるような状態ではない。
「春名、落ち着いて!クレイは、多分エンジントラブルか何かだよ!行方不明なんかじゃない、ほら、格納庫行ってみよ?きっと、そっちに」
「いねぇよ」
ぼそっと呟かれ、またまた秋子は仰天して声の主を凝視した。
通路に立っていたのは猿山であった。
「いないって、何が!」
八つ当たり気味に怒鳴る秋子へ、彼は首を真横に振る。
「だから、クレイが。いねーんだ、どこを探しても……Aソルは、あるのに」
恐ろしく覇気の抜けた声で、青ざめた顔のまま、猿山は答えた。

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