BREAK SOLE

∽14∽ よかった


真っ赤な花弁のように、ぱぁっと血しぶきが輪になって広がる。
だが、それも一瞬で、次に猿山が目にしたのは脇腹を押さえて立ち止まるクレイの背中であった。
クレイは、倒れたりしなかった。
気絶級の痛みが脇腹を襲ったというのに、根性で踏みとどまる。
倒れれば春名が駈け寄ってくるのは、彼にだって簡単に予想できたからだ。
春名を、心配させてはいけない。
猿山はクレイの背中越しに、光る人物を見た。
光る人物――そう称したが、実際には人間ではない。
光り輝く物体と言ったほうが的確だろう。
大きさは成人男性ぐらいで人型を取ってはいるものの、そいつには首がなかった。
顔だって、とても人間と呼べた代物ではない。
体の上に乗っているから顔だと判る程度で、人間のようにデコボコしているわけじゃない。
目も鼻も口も、何もついておらず、のっぺりとした平面を見せていた。
それが全身から発光しているのである。
奴を見た瞬間、背中にゾッとするものが走り、三人は恐怖で縮こまる。
彼らを正気に戻したのは、クレイの一声であった。
『猿山!俺は平気だ、二人を連れて逃げてくれ!!』
突然名前を呼ばれ、猿山がビクリと我に返る。
目線が宇宙人からクレイへ移った。
彼は脇腹を押さえたまま、宇宙人と睨み合っている。
クレイは、しっかりと踏みとどまっており、怪我は思ったよりも酷くなさそうだ。
そこまで考えて安心すると、猿山は言われたことを反芻した。
二人をつれて逃げろ。つまり春名と真喜子を守るのは、猿山に託された使命か。
言われなくても、二人のことは最初から守るつもりでいた。
予定外だったのは宇宙人に遭遇したことと、クレイが三人の護衛を放棄した事ぐらいで。
――いや、放棄というのは語弊があるか。
彼は護衛を放棄してなどいない。
死ぬ覚悟で、三人の捨て石になると宣言してくれたのだ。

クレイのことは、エリートの一人だと思っていた。
ヨーコみたいにツンケンしてはいないが、ピートほど気安くもなかったから。
パーティーにも乗り気じゃないみたいだったし、皆のことは嫌っているのだと思っていた。

でも、クレイは今、猿山達のために命をかけようとしている。
数ヶ月前は見知らぬ他人であったはずの、彼らの為に……
知らず、猿山の胸に熱いものがこみ上げてくる。
「任せろ!必ず無事に帰ってッ、そんで応援つれて戻ってくるからな!!」
片手で春名の腕を掴み、もう片方の手で真喜子の腕を取ると、彼は一目散にフェリー乗り場に向かう道へと飛び込んだ。
瞳の片隅で光る物体とクレイが同時に動いたのが、彼の確認した最後の光景だった。


元フェリー乗り場は、竹原駅から近い場所にある。
とはいえ、それはバスに乗った場合の話であり、歩けば結構距離がある。
猿山と春名はまだいいほうで、最後尾の真喜子は走るというより歩いていた。
「助かったら……運動しますわ、私……っ」
ぜぇぜぇ息を切らしているあたり、本人的には走っているつもりのようだが。
「もっと急げよ、有田!」と言ってしまってから、猿山は彼女がとても急げそうもないことに気づいた。
よたよたと歩いてくる真喜子を待ち、彼女の前でしゃがみ込む。
「……ほら!おぶってやるから、早く」
「え、で、でも、それでは猿山様が倒れてしまいますわ」
「いいから!俺は男なんだぜ、こんぐれーでヘタッてたまるもんかィ!!」
辞退する真喜子の両股を掴み、無理矢理担ぎあげると立ち上がった。
ちょっと足元がふらついたが、何とかオンブしていけないこともない。
背丈のわりに真喜子は軽くて、猿山は内心ホッと溜息をつく。
「さ、行くか!大豪寺も急いで………」
振り向いて、彼の口からは次の句が出てこなくなる。
春名が居たはずの場所には、誰もいなかった。

クレイと宇宙人――タイプβとの戦いは、クレイの劣勢にあった。
Q博士が予測したように、彼にはまだ生身での戦いは荷が勝ちすぎていたようだ。
いくら訓練では群を抜いて成績優秀だと言っても、所詮、訓練は訓練でしかない。
それにあれは、動体視力と基本体力を高める為のものである。
敵を生身で倒す為の訓練ではないのだ。
いずれは、それも行う予定には、なっていた。だがまだ、彼は教わっていない。
勝ち目のない戦いだと、クレイ自身も頭では判っている。
しかし、それでも逃げ出すわけにはいかなかった。
奴は三人を目撃している。
自分がいなくなれば、当然次に狙われるのは彼女達だ。
とにかく移動時間と収容時間を合わせて一時間。
一時間だけでも持ちこたえればよい。
――持ちこたえられれば、だが。
人型サイズの光体、奴の存在自体は民間人でも知っているのではないだろうか。
この地上でも、何度か目撃情報が出ているからだ。
まだ宇宙人が珍しかった頃、アメリカの新聞に載ったこともある。
アストロ・ソールは、やつを『タイプβ』と分類した。
判っているのは、それだけだ。
どのような攻撃を得意し、どのような特徴を持つのか等は不明のままである。
何しろ宇宙人と白兵戦をやらかそうという勇者は、今まで一人もいなかったので。
やつは必ず地上に現れる。地上の、人が住んでいる街中に。
ソルで近寄るわけにはいかない。
市街戦をすれば、巻き添えを食って被害に遭う庶民が可哀想だ。
そもそも彼らを守る為の戦いなのに、彼らを犠牲にしてしまっては何の意味もない。
飛行艇で空から牽制をかけることは出来た。
そうした場合、いつもタイプβは逃走してしまい、最終的には見失う。
だからアストロ・ソールでさえ、やつの実力は調べきれていないのが現状であった。
肉眼では捉えきれない速さの光線が、クレイが身を隠す壁際を掠める。
堅いものがレーザーで切断されるような音がして、壁の一角がボロリと崩れ落ちた。
壁に残された焼き跡が、先ほどより威力が上がっているということへの証明だ。
食らったら、今度は貫通だけでは済まないだろう。
腕の一本や二本は、ぽろりと取られてしまいそうである。
と言ってる側から二発目が放たれ再び壁がゴトッと、今度は大きくえぐり取られた。
相手の出力が、どんどん上がってきている。
まずい。
一時間後には脱出するつもりだったが、無事に逃げられるかどうかも怪しくなってきた。
さらにマズイものを視界に捉え、クレイはぎょっとなる。
こちらへ向かって走ってくる人影。
あれは、見間違えようもない。春名ではないか!
どういうことだ。
彼女は猿山が手に手を取って退避させたはず。
まさか猿山の身にも、何かあったというのだろうか?
いや、今は猿山よりも春名の身を案ずるべきだ。
宇宙人に彼女が襲われる、それだけは絶対に阻止しなければならない。
考えるよりも早く体は動き、クレイは春名の前に飛び出す。
それと同時だった。
タイプβが彼女が来る方向とは、まったく逆に走り出したのは。
――まさか、逃げるのか?
ありえない。さっきまで、やつは全くの優勢だったのに。
いくら二対一になったとはいえ、春名もクレイも丸腰だ。やつが不利になる要素などない。
だがクレイの目から見ても、タイプβは明らかに逃走を始めている。
後も振り返らず一目散に、この場から逃げだそうとしている。
追うべきか、追わざるべきか?
一瞬は迷ったものの、クレイは即座に首を振った。
考えるまでもない。
素手で勝てる相手でもないのに、追ってどうなるというのだ。
悔しいが、今は見逃すしかない。
見逃したのか、見逃されたのかは、ひとまず置いておくとして。


あの時、猿山が一瞬手を放した時。
あの場所へ戻る、それしか考えられなくなっていた。
だから春名は戻ってきた。クレイが無事でいてほしい、そう願いながら走った。
はたして場へ戻ってみれば彼は無事で、宇宙人が走って逃げていくのも見えた。

クレイが撃退したんだ!

無事でいたという喜びと、勝ったという安堵が春名を包み込む。
彼女は笑顔で走り寄ると、クレイに話しかけた。
「クレイ!無事で良かっ――」
「どうして戻ってきた!?」
思いがけぬ怒号に、春名はビクッと身を震わせる。
怒っている?
恐る恐るクレイの顔を伺うと、彼は溜息をつき、二、三度首を振ってから穏やかに言い直した。
「いや……無事で良かった、春名も」
顔には後悔の色が浮かんでいる。
彼としても、怒鳴ったのは本意ではなかったようだ。
「……戻って来ちゃって、ごめんなさい。でも、どうしても心配だったから」
怒られたショックで少し涙ぐみながら、春名が上目遣いに見つめてくる。
心配したのは、こっちの方だ。
逃げてくれと言ったのに、どうして戻ってくるんだ。
少しは、こちらの気持ちも読み取って欲しいものだ。
などと理性では考えつつも、心の中には暖かい感情が広がっていく。
例えようのない不思議な感情に、クレイは自分でも驚いていた。
この感覚は今が初めてではない。
初めて彼女と会議室で出会った時にも、感じたことがあるような?
いや、もっと前だ。春名と出会うきっかけとなった、あの事件。
墜落するピートを助けようと急降下する中、クレイは自分へ向けられた声を聞いた。
気のせいだったのかもしれない。
護衛機に乗っている状態で外の、地上からの声が聞こえるはずもないのだから。
だが、確かに彼は聞いた。


頑張って 最後まで 諦めちゃ駄目


声は、そう言っていた。
誰かの願いが込められた、応援の言葉。
結局ピートを助けるのには、ほんの少し距離が足りず間に合わなかったが……
ソルから降りた時、クレイには応援の言葉を叫んだ人物にアタリがついていた。
彼を指し「宇宙人だ!」と叫び、子供達が散り散りになって逃げ出した時。
春名だけは、逃げなかった。
その場に立ちつくして、クレイを見つめていた。
彼女が言ったのだ。
やがて会議室で自己紹介を聞いた頃には、その予想は確信となっていた。
じっと見ていたら、彼女と目があった。
彼女は驚いていたけど、意志が通じ合ったように思えて嬉しかった。
「あの……やっぱり、怒ってる?」
クレイが何も言わないので、春名は不安が増してきたようだ。
今にも泣きそうな顔で尋ねる彼女へ首を横に振ると、クレイは笑みで返す。
「いや、怒っていない。それよりも帰ろう。合流に間に合わなくなる」
「あ……うん!」
まだ不安そうな彼女の腕を取ると、春名の頬に赤みが差した。
ミグとの合流制限時間まで、あと三十分。急げば充分間に合うだろう。
通話機に表示された時刻を一瞥すると、クレイは走り出した。春名の腕を掴んだまま。

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