BREAK SOLE

∽12∽ 僕らの街


浮上する時は縦に横にと大揺れした潜水艦であったが、今は安定した速さで海中を進んでいるようだ。
正面に映し出されたモニターから目を離さず、クレイが皆に説明する。
『基地より二百キロメートル先に浮上。小型ボートを使い岸へ向かう』
「二百キロ先?なんで真上に出ねーんだよ」と猿山が尋ねる。
それに答えたのはクレイではなく、潜水艦を操縦している少女。
「基地が敵に見つかる危険を下げる為です」
見れば、少女は猿山を真っ直ぐ見つめている。
一点の曇りもなく、それでいて体に突き刺さるような冷たい視線。
心持ち猿山は、視線を少女から球体に逸らした。
謎の球体は、少女の前で穏やかな光を放っている。
「あ、おい。コンソールから目を離して大丈夫なのか?」
「現在は安定した走行を維持しています。再び浮上するまでは、このまま放置しても問題ありません」
少女は淡々と答える。
ふと皆々の顔を見渡して、改めて気がついたのか会釈した。
「失礼、名乗り遅れました。ミグ=エクストラと申します。T博士より皆さんの送り迎えを命じられました。よろしくお願いします」
感情の見えない挨拶だ。まるで機械と話している気分になる。
春名と猿山が戸惑う中、真喜子だけはナチュラルに笑顔を返した。
「私は有田真喜子と申しますわ。よしなに」
慌てて後の二人も、それにならう。
「あ……私、大豪寺春名です。こちらこそ、よろしく!」
「猿山突兵ってんだけど、猿山って呼んでくれりゃーいいから」
ミグは黙って頭を下げただけであった。
無表情な人形。そう比喩してもいい。
クレイといい、どうしてアストロ・ソールは無愛想な奴が多いのだろうか。
もしかしたら、ピートやヨーコの方が異質な存在なのかもしれない。
「T博士に命じられたって?Q博士じゃなくて?」
「はい」
何故そんな事を聞くのか。ミグの目が、そう尋ねている。
確かにQ博士だろうがT博士だろうが、どっちでもいいと言えばそうなのだが、でもT博士は友好的とは言えそうにもなくて、猿山には不思議に感じたのだった。
「ミグ様がお召しのお洋服も、T博士のセンスでいらっしゃいますか?」
さらにどうでもいいことを、真喜子が尋ねている。
「はい」
コクリと頷くミグを見て、真喜子の目が輝いた。
「まぁ……!博士と言っても無骨な方ばかりではございませんのね」
ミグの着ている服――
それは冬空に着るには寒そうな、袖無しのワンピースだ。
色はパステルがかった淡い水色で、背中をリボンで止めるようになっている。
華奢な彼女に似合っていて、これで麦わら帽子でも被れば完璧だろう。
「とてもよくお似合いですわ。可愛らしいですわよ」
真喜子に手放しで褒められて、ミグの表情にも変化が起きた。
きょとんと戸惑いの色を見せた後、恥ずかしそうに頬を赤らめたのである。
「は、はぁ……ありがとう、ございます」
「へぇ、そうやって恥じらってると普通の女の子みたいだよな」
「猿山くん、それ、ちょっとミグさんに失礼だよ?」
猿山が茶化し、春名がそれを窘める頃には、元の無表情に戻っていた。
「……運転に戻ります」
淡々と呟き、ミグは球体へ手をかざす。束の間の交流タイムであった。
一人会話に加わらず、無言で立っていたクレイに春名が話しかける。
「あ、そういえば……コンセレーションって何なのかな?」
出がけにT博士が、そのような単語を口にしていた。
クレイも球体はコンソール用のコンセレーションだとか何だとか?
……あれ?逆だったっけ?
でも、そのような事を言っていたような。
『脳裏で描いた動きを、コンソールに指示として与える作業だ』
説明がしづらいのか、だいぶ間を置いてからクレイが答えた。
やはりというか当然のように、猿山達は首を捻っている。
「脳裏で描いた動きを?指示として与える?さっぱ判んねーよ」
「要するに脳裏で思い描いたイメージを念じて伝える、のでしょうか?」
一応言ってみたものの、真喜子自身にもハッキリと判っているわけではない。
そもそも、念じるというのが判らない。具体的ではない。
「例えるならば、神様に願をかけるのと同じ要領でございましょうか」
彼女の例えに、クレイは満足げな表情を浮かべてコクリと頷いた。
真喜子の予想は大体当たっていたようだ。
「へぇ……有田さんって頭いいね」と感心する春名へ、曖昧に笑ってみせる真喜子。
「いえ、私もちゃんと理解しているわけではございませんわ」
不意に皆の会話を断ち切るが如く、運転席から凛とした声が響いた。
「浮上を開始します。着席して、シートベルトを締めて下さい」
今度はシートベルトを締める余裕を与えてくれるものらしい。
猿山達は急いで席へ腰掛けると、シートベルトできっちり自分を固定した。


「上空チェック。レーダーに反応ありません」
『陸地に反応は?』
「今のところは、ありません」
春名達を乗せた潜水艦が、ゆっくりと水面に浮かび上がる。
小型とはいえ浮上した時の水音は激しく、猿山は思わずビクビクと辺りを見回した。
彼の方など振り返りもせず、ミグが淡々と制する。
「大丈夫です。レーダーに怪しい反応はありませんから」
「んなこと言ってもよォ。こっから陸地へボートで行くんだろ?」
「そうですが、それが何か?」
「その間に見つかっちゃったり……しねぇかなって」
『心配はない。二百キロ程度なら、すぐ到着する』
落ち着いているのはミグだけじゃない。クレイも冷静そのものだ。
レーダーを相当信用しているのか、それとも見つからないという自信があるのか。
逆に落ち着かない猿山が食ってかかる。
「程度って……二百キロだぞ、キロ!メートルじゃないんだから!」
「ボートはクレイ様が、お漕ぎになるのですか?」
『そのつもりだ』
真喜子も不安げに正面のモニターを見つめた。
「手動ということになりますと……どうしても水音が立ちますわね。陸へ着く前に、どなたかに発見されないと宜しいのですが」
モニターに映し出されている空と陸地には、今のところ怪しい影はないようだ。
だが、いつ何時誰かが海岸線へ出てきて発見するとも限らない。
「二百キロ程度、ブルーなら楽勝ですよね?」
『あぁ』
「……Q博士御自慢の力量、拝見させて頂きます」
あれっ、と春名が驚いてミグを覗き見る。
感情のない彼女の声に、一瞬変化があったように感じたのだ。
なにかを皮肉どったような、嫌味っぽいニュアンスを。
しかし今のは勘違いだったかと思い直すほどに、次の彼女は冷静に戻っていた。
「ボートを出します。全員そちらへ乗り込んで下さい」
『行こう』
クレイが踵を返し、潜水艦後方へと歩いていく。
「お、おぅ」
猿山達も、彼の後に続いた。

後部より射出されたボートが、水面へ浮かび上がる。
潜水艦のハッチを押し開け、まずクレイが顔を出した。
彼は素早く前後左右、そして上空を確認してからボートに乗り込む。
『猿山、春名、有田の順に乗り込んでくれ』
「へ?俺から?」
この順番には何か意味があるのか。
そう聞こうと思ったが、真喜子はやめておいた。
ここで押し問答していても仕方ないし、多分だが、真喜子だけがスカートだから最後に乗り込んだ方がスムーズだと考えたのであろう、クレイは。
「大豪寺様、お先にどうぞ」
「あ、うん。……有田さん、掴まって?」
猿山に続いてボートへ飛び乗った春名が、手を差し出す。
真喜子は微笑むと、その好意に甘えることにした。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
長いスカートに足を取られつつ、あぶなっかしいながらもボートへ乗り込んだ。
小さく見えるのに、四人乗ってもボートは安定している。
クレイは既に櫂を持ってスタンバイしていた。
「なぁ。ほ、ほんとに見つからずに行けるのか?」
昨日の意気込みはどこへやら、猿山はビクビクと落ち着かない。
だが、それも仕方のないことで。
一度でも空襲を味わった者なら、あの恐怖を忘れることなどできやしないだろう。
空から無数の光線が降り注ぎ、周囲の建物という建物全てが崩壊する。
地面に放たれた光線の衝撃で大地が割れる。
大地振動による二次災害――火災が起こり、さらに死傷者の被害が増す。
強すぎる力の前に、人々は逃げまどうしか打つ手が無い。
次はいつ攻撃されるのか。毎日空を見上げては、びくびくと過ごしてきた。
その街に、彼らは帰ってきたのだから。
『縁に掴まれ。少し加速がかかるが我慢してくれ』
「加速?加速って……ぐあ!」
ぐい、と体が横に引っ張られたかと思うと、ボートが勢いよく動き出す。
その勢いたるや風切るスピードで、目も満足に開けていられない。
クレイが一漕ぎするたびに、ぐんぐん陸地が近づいてくる。
当然水音も激しく立っているはずなのだが耳元でうなる風の方が大きくて、風圧と加速で驚いているうちにボートは陸地へ漕ぎついた。
「は……はぅぅ……み、耳が痛い……頭がボォッとするぅ」
「な、何が何やら判らないうちに、到着したご様子ですわねぇ」
一人で漕いだにも関わらずクレイは平然と櫂を放り投げ、三人を促す。
その無感情な表情からは、疲れさえも見えてこない。
『降りてくれ。ボートを片づける』
「お、おうよ」
猿山がヨロヨロと大地に着地した。
続いて春名も降りようと縁に手をかけ、グラッとバランスを崩す。
「危ないッ!」
危うく水に落ちかけたところを、クレイに支えられる。
タッチの差で手の届かなかった猿山が、陸地へ降ろされた春名に駈け寄った。
「はッ、春名ちゃん、じゃなかった大豪寺!大丈夫か!?」
「う、うん……」
猿山に頷くも、春名は胸の辺りを掴んで座り込んでいる。
水に落ちたところで泳げるのだし、落ちそうになった事自体はそれほど深刻ではない。
でもまだ、心臓がバクバクいっている。
咄嗟のことで驚いたのもあるし、バクバクのもう一つの原因は――

逞しい腕、そして胸に抱きかかえられた時。
あったかくて、力強いものを感じた。
「大丈夫か?」
そう言ってくれたようにも聞こえたけど、あれは空耳?

黙々とボートの空気を抜き、丁寧に畳むクレイを見ながら、真喜子が呟く。
「さっきクレイ様、自分のお声で叫んでおられましたわ」
「そりゃあ、まぁ、咄嗟だったしな。声も出るだろ」
「通話機が必要なくなる日も近うございますわね」
「どうかなァ」
訝しむ猿山に、真喜子はくすりと微笑む。
「……猿山様も先ほど大豪寺様を春名ちゃんと、お呼びに」
「うっ!さ、さっきのは内緒だぞ!内緒だからなッ!!」
わたわたしながら、ちらりと春名を盗み見る。
大丈夫。さっきのショックが大きくて、彼女は呼び名にまでは気づいてないようだ。
安心したような残念なような複雑な表情を浮かべる猿山に、真喜子が耳元で囁く。
「頑張って下さいませね。クレイ様は強敵でございましてよ」
「お前なぁっ!俺は別に、大豪寺の事はッ」
「……え?何?猿山くん」
ようやくショックから立ち直ったのか春名が立ち上がり、こちらに気づいた。
ボートを撤収し終わったクレイも、こちらへ歩いてくる。
猿山は、さらにワタワタしながら誤魔化すと、出発を促した。
「なんでもねぇって!さぁ、行こうぜ!買い物にッ」


久しぶりに見る陸地は、最後に見た時と変わりなかった。
道路のあちこちに穴が空き、見るも無惨な姿を晒していた。
道を歩く人影は少ない。
宇宙人が攻めてくる前までは、人混みで賑やかだった大通りでさえ閑散としている。
ゴーストタウン。
彼らの住んでいた街は、そんな言葉が似合う場所になってしまった。
ここで暮らしていた人のほとんどは疎開したか、或いは地下壕で暮らしている。
「さーてと。この辺で買い物できそうな場所っつったら」
「駅の近くにある商店街ですわね。行ってみましょう」
駅と言っても電車は全てストップしているから、駅として機能していない。
ただ、地下の蓄えが切れた人達の為に、商店街は店を開けていた。
デパートや専門店は真っ先に破壊されたが、小さな店は生き残った。
細々とした建物は、宇宙人からみてもチッポケな標的だったのだろう。
小さいことが幸いしたのか、とにかく商店街だけは狙われずに済んだのだ。
といっても、やはり命がけなことに代わりはない。
今は狙われないが、絶対に狙われないという保証もないのだ。
そういった命がけの善意で開いている店を、真喜子は幾つか覚えている。
今、彼女達が立っている場所は、通学路だった道だ。
この先をまっすぐ行くと、商店街があった場所に出る。
まだ店が開いているとよいのだが。
「あ!先にお金は降ろしておかなくて大丈夫なの?」
思い出したように春名が叫び、真喜子はポケットから財布を取り出してみせた。
「それでしたら、ご心配なく。一応家を出る前に幾らか降ろしておきましたから」
財布は、こんもりと膨らんでいる。
尋常じゃない膨らみ方に猿山はゴクリと喉を鳴らし、春名も呆然と見入ってしまう。
「降ろしておきましたから……って、これ、いくら入ってんだよ?」
「そうですわねぇ。ざっと、数えて五十万ぐらいでしょうか」
さすが、お嬢様。金銭感覚が只者ではない。
「ごっ、五十万んん!??
春名と猿山が綺麗にハモッた。
「これで足りますでしょうか?」
「足りるでしょうかって」
「足りすぎだよー!」
「あぁ、良かった。では、これで手間が一つ省けましたわね」
そう言って、先ほどからずっと無言のクレイへ真喜子が微笑みかける。
「手間?」と猿山が尋ねるのへ「銀行のチェックをくぐる手間ですわよ」と彼女は答えた。
あぁ、そういえば。春名も思い出した。
有吉さんが、そんなことを言っていたっけ。すっかり忘れていたけど――

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