BREAK SOLE

∽10∽ 大事なことは、何ですか


翌日。
七時きっかりに鳴った目覚まし時計を止め、春名は大きく伸びをする。
今日は地上へ買い出しに行く約束を取りつけていた。
Q博士がOKを出してくれたのは意外であったが、もっと意外だったのは護衛の件だ。
誰が行くとも言わないうちから、博士はクレイを同行させようとしていた。
つまり何も春名が行かずとも、見張りは必ずクレイになっていたのではないか――
まぁ言ってしまえば、単なる結果論ではあるけれど。

皆が聞いた噂なんて、やっぱり、ただの噂だったんだ。

有吉さんは自信ありげにクレイは私の事が好きだと言っていたけれど、昨日の様子を見る限りだと全然そうは思えない。
昨日、誰が買い出しへ行くのかと博士に聞かれた時、クレイの反応を密かに期待していたのは実のところ晃だけではなかった。
春名もまた、彼がどういう反応を示すか期待していたのである。
それを思いだし、春名は失望とも自分に対する呆れとも取れる溜息をつく。
やだな。何、期待してたんだろ。
クレイみたいに大人の人が、私みたいな子供を好きになるだなんて。夢見すぎだよ。
気持ちを切り替えようとベッドから勢いよく立ち上がり、春名は着替え始めた。


七時を少し回った頃、食堂では一騒ぎが持ち上がっていた。
「この時期に地上へ出るですってぇ!?バッカじゃないの、あんた達!」
金切り声が食堂をつんざき、バカと言われた相手も負けじと怒鳴り返した。
「バカってなによ、バカって!クリスマスを祝って何が悪いの!?」
「お、おい、やめろよ佐々木。仲良くしなきゃ駄目だって」
隣で服の裾を引っ張りながら小声で有樹が囁いてくるが、一度始まってしまった女同士の戦いは、それぐらいでは収まらない。
「別に、クリスマスを祝うのがバカだなんて言ってないわよ。あたしが言ってんのは、この時期!基地を作ったばかりだってのに、わざわざ人目のつく地上へ出ようってのがバカだって言ってんのよ!」
「そ、そりゃあ、確かにそれは、ちょっとは考えたけど……ッ」
「ちょっとしか考えなかったの?あんたって、ホント底なしのバカね!」
バカバカとヨーコに連呼され、優はすっかり涙目だ。
「勝手な行動が、どれだけ皆の迷惑になるのか考えたことがあるの!?あんた達が地上で宇宙人に殺されるのは、あんた達の勝手だけど!あんた達が出ることで基地が発見されたら、こっちにまで被害が及ぶのよ!?」
「でもっ、あたしっ、みんなと、みんなと仲良くなりたくて……」
グスグス泣きながら、なおも言い訳する優を冷たい目でちろりと睨み。
「仲良くなりたい?あんた達は、お友達ごっこしに、ここへ来たワケ?」
ヨーコは吐き捨てた。
「ここは宇宙人と戦おうって覚悟のある人間だけが集まる場所よ。あんた達みたいに遊び気分で参加されてちゃ迷惑だわ!」

喜んでくれるかと思ったのに。
息抜きとして、歓迎してくれるかと思ったのに……

楽しみにしていた気分を全てぶち壊され、優が声をあげて泣き崩れる。
その背中を優しく撫でながら、真喜子は顔だけヨーコに向けて言った。
「私達は、けして遊び気分で参加しているわけではございませんわ。厳しく節度を守るのも大事な事かもしれません。でも……常に緊迫していたのでは、気の休まる時もないのでは、いざ戦おうという時に己の実力が出せないのでは、ございませんこと?」
フン、と鼻で笑い飛ばすと、ヨーコは不敵な笑みを浮かべる。
「だらけきって敵に不意討ちされるよりは、常に緊張していた方がマシよ!」
明らかな拒絶だけではない。
ヨーコと有雅致中卒業生との間には、決定的な違いがあった。
すなわち物の捉え方、物の考え方の違いが。
ヨーコは娯楽など必要としていない。
必要なのは、宇宙人を一刻も早く追い返す為の戦力だけ。

でも、本当に必要なのは、それだけで良いのでしょうか……?

この場で、それを問いかけても彼女は答えてくれないだろう。
言っても無駄だと思いこんでいるから。真喜子は静かに溜息を漏らした。
「ヨーコ様は……お強いのですね」
当然よ、といった答えが返ってくるかと思いきや、彼女はソッポを向いて呟く。
「やめてよ。強かったら、焦る必要なんてないじゃない。弱いからこそ、もっと特訓しなきゃって思ってるトコなんだからね」
だからこそ、と強気の姿勢に戻って皆を睨みつける。
「あたしには遊んでる暇なんてないの!そんなにパーティーがやりたかったら、あんた達だけでやったら?買い出しも勝手に行けばいい。あたしは参加しないし、あんた達が宇宙人に見つかっても助けに行ってなんか、あげないんだから!」
食堂は、すっかり静まりかえる。
ものすごく重たい空気の中、飄々とした声が入口から届いてきた。
「おいおい、誰だ?朝っぱらから不機嫌な大声で騒いでんのは。買い出しにはクレイも一緒に行くんだぜ?いいのか、参加しないなんて言い切っちゃって」
声の主は猿山だ。
ヨーコ相手に軽口を叩くほど、彼の機嫌は良さそうであった。
「何ですってェ!?サル、あんた今なんて言ったの!」
「だからァ、クレイも一緒に買い出しに行くっつったの」
サルと呼ばれても、この日ばかりは軽く受け流すほどの余裕っぷり。
何しろ今日は春名と二人で外出できるのだから、機嫌も良くなるというもの。
まぁ、厳密には二人っきりではないのだが。
そこへQ博士も入ってきて、賑やかな二人を交互に見つめてニッコリ。
「おぉ、だいぶ打ち解けてきたようじゃのぅ。仲良くやるんだぞ、皆」
その博士の襟首を掴まんばかりの勢いで、ヨーコが詰め寄った。
「ちょっと博士!お兄ちゃんが、こいつらの悪企みに参加ってホントですか!?」
「悪企み?一体何の話かのぅ」
とぼけるQ博士だが、襟首を絞められ、見る見るうちに顔が真っ赤に膨れあがる。
言っちゃ悪いが茹で蛸みたいで、笑っちゃいけないのに笑える状況だ。
現に、さっきまで泣いていたはずの優ですらプッと吹きだしている。
「とぼけないで下さい!お兄ちゃんが、こいつらの買い物につきあう件ですよッ」
だが、笑ってばかりもいられない。
ほっといたらQ博士が窒息してしまいそうだ。
そろそろ止めようかと有樹が一歩進み出た時、聞き慣れない機械じみた声がヨーコの動きを止めた。

『本当だ』

「お兄ちゃん!」
振り返ると、入口にクレイが立っている。
隣には春名の姿もあるところを見るに、二人は一緒に来たようだ。
「あ、春名ぁ。今日は遅かったね。どうしたの、寝坊?」
食堂の雰囲気が変わりつつあることに内心ホッとしながら、秋子が彼女を呼び寄せる。
走ってくるヨーコとすれ違いに、秋子の元へ駈け寄った春名もホッと息をついた。
クレイとは、食堂へ行く途中の通路で鉢合わせたのだが……
何を話したらいいのか判らないので、とにかく今日の外出について色々話しかけてみた。
だが、彼は頷くか無言でこちらを見ているかの二択で、うんともすんとも話さない。
一方的な雑談というのは、とかく神経をすり減らしがちなものだ。
相手の反応がないのは面白くないのかもしれないと考えてしまい憂鬱にもなるし、かといって無言の行進は余計に肩が凝る。
食堂に到着して彼から解放された途端、安堵の溜息が春名の口を漏れてしまったのだった。
「えっと、七時には起きたんだけど、色々考えてたら遅くなっちゃって」
「そっかぁ。まぁ、今日は大丈夫だよ。クレイも猿山も一緒なんだし、」
秋子の言葉はヨーコの怒号に途中で遮られる。
「クリスマスの買い出しなんて、つまんないことに参加しなくていいじゃない!お兄ちゃんだって判ってるんでしょ!? 今が、どんな時か!」
「えっ、な、なに?」
慌てる春名に、秋子は無言でヨーコを指さす。小声で付け足した。
「あいつさ、パーティーに反対らしいよ?遊んでる暇はないんだってさ。エリートって名乗る割には、随分と余裕のないエリート様だよねェ〜」
半分ヒステリーに達しているヨーコに、冷静な合成音声が答える。
クレイの装着する通話機が、彼の言葉を代弁しているのだ。
『パーティーはQ博士の決定によるものだ。俺達は従うしかない』
「うっ。確かに、博士の決定権は絶対のものだけどォ」
『Q博士は俺に彼らの護衛を命じた。お前が何と言おうと命令は絶対のものだ』
「そっかぁ……命令じゃしょうがないよね。ごめんね、お兄ちゃん」
恨めしげにQ博士をジロッと睨むと、ヨーコもついに折れたようだ。
まだ小声で何か詛いの言葉を呟いているようであったが、大人しく席につく。
クレイはQ博士を見た。
その顔は無表情で、だが何かを求めるようにジッと見つめている。
「命令などと堅苦しく考える必要はないんじゃがの」
博士は苦笑するとクレイの肩をポンと叩いてから、スタッフのいる席へと歩いていった。


やっと険悪な雰囲気から解放されたというのに、子供達の表情は暗い。
それはそうだろう。
歓迎してくれるかと思ったパーティーはヨーコに一蹴され、罵られた。
おまけにどうも、クレイも歓迎しているとは言い難いようなのだ。
彼は、はっきりと「命令だから従うしかない」と言っていた。
Q博士に命じられなかったら参加する気にならない、と言っているようなものだ。
まぁ、確かにヨーコ達の言いたいことは判る。
宇宙人を撲滅しない限り、地球に平和は訪れない。
撲滅する為には一日でも早く、奴らに対抗できる力をつけなければならない。

でも、でも――
そんな風にキリキリして、毎日毎日特訓ばかりして。
自分を追いつめるようなやり方が、果たして本当に正しいのだろうか?
もっと大事なことだって、あるんじゃないんだろうか。

会話も弾まず、ぼそぼそ食事を取っていると、場違いに陽気な声が入ってくる。
「ヨォー、皆なに?朝っぱらから暗いネェ、こんな晴れやかな朝なのにさ!」
ピートだ。全身汗だくで、タオルを首に巻いていた。
彼を視界に入れた途端、ヨーコが鼻の上に露骨な皺を寄せる。
「ちょッ、くさッ!ピート、あんたシャワーぐらい浴びてから来なさいよ!」
「そうしようと思ったんだけどさぁ、腹減っちゃって。だから先に飯ね」
日常茶飯事な会話なのか、ピートが罵倒を気にしているようには見えない。
汗を拭き拭き真喜子の隣へ腰掛け、彼女の皿に乗ったメロンに目を輝かせた。
「わぁお!マキおねーさま、その生ハムメロンは、どっから取ってきたの?オレもそれにしようかな、うん、そうしよっと!」
馴れ馴れしくも騒がしい彼に真喜子は微笑むと、メロンの乗った皿を差し出す。
「これが最後のお一つですわ。宜しければ、どうぞお食べ下さいませ」
「さすが、おねーさまは美の女神様だぁ!」
歓喜に震え大袈裟な事を騒ぐピートの耳に口を寄せ、こうも囁いた。
「ところで、ピート様はご存知でいらっしゃいますか?」
「ん?何を?」
メロンにかぶりつきながら、ピートが応える。
「私達、今度クリスマスパーティーを開催しようと思っておりますの。ピート様がもし、ご都合のほう宜しければ――」
「パーティー!!?」
唐突にガタンと席を立たれ、真喜子は驚いて一歩退く。
怒ってしまったのかと思ったが、よく見ると全然違う。ピートの目は輝いていた。
「いいねぇ!やろう!やろうよパーティー!! んで?いつやるの?」
一瞬は怯んだものの、そこはマイペースな真喜子のこと、すぐに自分のペースを取り戻し、穏やかに微笑んだ。
「え?えぇ、それは勿論、十二月二十四日に」
「二十四日?もうすぐじゃん!よーし、オレ皆にプレゼント用意しちゃうからな。楽しみにしててくれよな、おねーさま方!」
彼の言う皆に多分男子は含まれていないにしろ、こんなに喜んでくれたのはピートが初めてで、男子の面々にも笑顔が浮かぶ。
「あんたもガキねぇ。ガキにまざってクリスマスなんかやって、楽しいの?」
軽蔑の眼差しを向けるヨーコに、ピートは鼻で笑い返した。
「お前だってガキじゃん。ガキのくせに、なに大人ぶってんの?痛いよ」
「なっ……!なんですってぇ!?」
ピートの挑発に、ヨーコはカッとなり立ち上がる。
つかつか歩いてくると、ピートのタオルを引っつかんで睨みつけた。
「あんた、今がどんな時か判ってるわけ!? 遊んでる暇なんてないのよ!」
ピートがQ博士のように首を絞められるのでは、と皆がハラハラ見守る中。
当のピートは余裕の表情を浮かべ、さらに皮肉に嘲笑う。
「遊んでる暇がない?そりゃまた、随分と余裕のないエリート様で。オレはお前らと違って真のエリートだから、遊ぶ余裕ぐらい作れるけどね。ま、余裕のないエリート様は、必死になって訓練に励んで下さいよ」
ちらっとヨーコを一瞥し、さらにはクレイにも同じ目を向けた。蔑みの目を。
「どーせ、お前は戦闘しか能のない人間なんだよな?誰かさんに至っては、戦闘する為だけに生まれてきたって話だし。パーティーに出てきたら場が盛り下がるんで、むしろ出てこないでくれる?」
言い過ぎだ――!
ピートの言い分が小気味良いと思ったのも束の間で、皮肉が鼻につき、嫌悪にかられた晃が仲裁をしようと立ち上がった、その時。

「もう、その辺でやめにしようよ。二人とも」

なんと止めに入ったのは、春名であった。
「お互いにお互いを傷つけ合うなんて、よくないよ。仲間でしょ?」
晃に相談もせず喧嘩の仲裁に入るなんて、およそ彼女らしくもない。
いや、よく見ると足が震えている。声も心なしか強張っていた。
即座にピートが頷き、彼女の肩に手をかける。
「そうだな。ゴメン、ハルナちゃん。オレ、大人げなかったわ」
と言っても春名に謝っているだけで、ヨーコに謝る気は更々なさそうだ。
春名は彼をキッと睨みつける。
「私じゃなくて、ヨーコに謝ってあげて。さっき、酷いこと言ったよね。それから――クレイにも」
「へ?クレイ?別にオレ、あいつには……」
「言ったでしょう。存在を否定するようなこと」
よく、私怒ると怖いんですなどと言う女がいるが、春名はまさにそのタイプで、普段は優しげな風貌だけに怒ると印象がガラッと変わる。
怖いのではない。ヒステリーなわけでもない。
茶化してはいけない、素直に謝らなくてはいけない気分になるのだ。
「クレイだって、ピート、あなただって、私だって。最初から目的があって生まれてきたわけじゃない。生きる目的っていうのは、後から作るもの。誰かが勝手に定めるものじゃない」
訥々と春名の説教だけが、再び静まりかえった食堂に響き渡る。
ピートは春名ではなく、クレイに頭を下げた。
「ご……ゴメン。オレ、ちょっと言い過ぎたかも」
続けて、ヨーコに向けてもボソボソと謝る。
先ほどよりは素直ではなかったものの、彼にしてみれば精一杯の謝罪であった。
「ま、まぁ、パーティーに出るぐらいならオレも許してやるよ?皆とは仲間として上手くやっていきたいしな。だから、その……ゴメン」
春名の変貌には、ヨーコも唖然としていたようだ。
ピートに謝られ、彼女もばつが悪そうに言い返してきた。
「……あんた、どうせ今まで訓練してたんでしょ?わかってるわよ、あたしもあんたみたいに開いた時間を使えばいいことぐらい」
肩の力でも抜けたのか、大きく息をつく。
「そうね、真のエリートなら遊びも余裕で楽しまなきゃエリートとは言えないわ。いいわよ?パーティーに参加してあげても。その代わり……しょぼいパーティーだったら、途中で帰っちゃうからね!覚悟しときなさいよ」
初めて見るヨーコの笑顔は思った以上に魅力的で、皆が言葉を失っている間にヨーコはさっさと元の席へ戻ってしまった。
「機嫌を直してくれたようで、ホッとしたわい」
席に戻ればQ博士に褒められ、ヨーコはフン!とばかりにソッポを向く。
少し、気恥ずかしくなってきたのかもしれない。
正直に内心の気持ちを吐露してしまった事や、皆へ素直に謝ったことが。
彼女の様子に苦笑しながら、Q博士は正面に座るクレイにも話しかけた。
「クレイ、お前もピートを許してあげなさい。ピートは、お前のことをよく知らないから、つい暴言を吐いてしまったんじゃ」
少し躊躇した後。クレイが通話機を通して応える。
『許すも許さないも、ピートの言ったことは間違っていません』
博士は優しい目を向け、ゆっくりと首を振った。
「間違っておるよ。お前は戦闘の為に生まれてきたんじゃない。この星の未来を……いや、皆の未来を守る為に生まれてきたんじゃ」
『皆の?』と聞き返すクレイの手を取り、真っ向から顔を覗き込む。
「そうじゃ。だが訓練ばかりしていたのでは、それを守ることはできん。今日一日彼らとつきあうことで、どうすればよいのかを調べてきなさい」
ニッコリと微笑み、戸惑うクレイを残して先に食堂を出て行った。
「さぁって!そんじゃ話も一段落ついたことだし、飯の続きとすっかぁ」
猿山が皿を持って立ち上がり、食堂は一気に活気を取り戻す。
春名はわっと皆に取り囲まれ、讃美を受けつつも目はクレイを求めていた。
――いた。
スタッフ達が座る列に、ヨーコと差し向かいで食べていた。
いや、食べているのはヨーコだけで、彼は難しい顔で考え込んでいる。
やがて一方的に話しかけるヨーコを置き去りに、彼は食堂を出て行った。
さっき怒った時、クレイだけは一言も発しなかった。
ピートが謝った時も、ヨーコがパーティーへの参加意思を表明した時も。
どうにも気になって、春名も急いでクレイの後を追いかけた。

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