黒い夜

◆7◆ 黒い夜

 レイザース領土内――陸軍宿舎。

 悪夢の夜だった。仲間だと思っていた者が魔獣へと姿を変え、魔物達を引き連れて奇襲してくるとは――!

「邪魔するんじゃないよッ、小僧が!」

 目にも留まらぬ一撃を退けたのも束の間、更なる追撃を受けてアレンが弾き飛ばされる。その合間を縫ってマリエッタだったモノがテフェルゼンとの間合いを詰めた。彼の顔を狙う爪、爪、爪の乱舞が荒れ狂う。だがスレスレの処でテフェルゼンは、それらをかわしきる。よろけて尻餅をついたアレンが再び飛び込もうとするのを止めたのは、隊長自身の制止であった。

「俺の援護は要らない、他の怪獣を頼む」
「しッ、しかし、隊長!」
「お前がいると却って戦いづらい……ここは俺一人に任せてくれないか」

 こうまで言われてしまっては、大人しく従うしかない。一瞬悔しそうな瞳をマリエッタに向け、アレンは踵を返した。シェリルに襲いかかった怪獣三匹は、今は黒騎士全員を相手に大乱闘を繰り広げている。うなりをあげて振り下ろされる腕を剣で受け止めるセレナ。だが重量に耐えきれず、彼女は体勢を崩す。そこへ追い打ちをかけるように二匹目が襲いかかった。

「危ないッ!!」

 考えるより早く足が動き、アレンはセレナの前に飛び出していた。転がり込むように間に割って入ると彼女の身体を抱え込み、凶悪な腕からの一撃を凌ぐ。

「ふぅ……大丈夫だったか、セレナ」

 アレンに尋ねられても、胸の動悸が収まらず、セレナはすぐには答えられなかった。首を吹き飛ばされるのでは、という予感で心臓が竦んでしまった分もある。しかし間一髪でアレンに抱きしめられ、怪獣の間合いから転がり出た時。その直後から、心臓は一層高鳴っていた。見上げると、アレンの凛々しい横顔が目に入る。その横顔は、あの人と、とてもよく似ていて……

 ――こんな時だというのに、私は何を考えていますの?

 セレナは自分を叱咤すると、逃れるようにアレンの腕をふりほどく。

「ちょ、ちょっと!いつまで抱きついているんですの!?」
「あ、ご、ごめん。っと、それどころじゃない!」

 セレナを襲った二匹の怪獣は、もう既に標的を変更している。背後から斬りかかったアージェ、それからミーアと睨み合っていた。残る一体と戦っているのはシェリルだ。彼女なら一人でも手助けの必要はなかろう。ジェーンとボギー、ライザの三人はアージェ達のフォローへ回り、キリーは――

「あれ?キリー、キリーは何処だっ!?」

 ――いた。キリーは一人、倉庫のほうまで走っていったようだ。何をしているのかと思えば、手当たり次第に薪を引っ張り出してきては地面へ放り出している。続いて火打ち石を忙しなく擦り合わせた。どうも火をつけたいらしいのだが、焦っているのか、なかなかつきそうにない。

 何をやっているんだ、と叫びそうになってアレンは思い出す。怪獣達は火が苦手というシェリルのアドバイスを、キリーは覚えていたのだと。また、あの時の奇跡を……いや、精霊の加護とやらを剣にかけてもらうつもりなのだ。しかし今のシェリルは怪獣の相手で手一杯だ。そんな暇などあるだろうか?

 否、暇がないなら作り出すしかない。シェリルの手間を少しでも省こうと、身を起こし、アレンが吼える。シェリルと戦う一匹の背を目指し、走り出した。

「お前の敵は、ここにもいるぞ!うぉぉぉッッ!!」

 入魂の一撃は怪獣の背を深々と切り裂き、奴に咆吼を上げさせる。それでも本能での反撃を、危ういところでアレンはかわした。

「アレンッ!?あたしなら一人でも大丈夫だよっ」
「いや、加勢する!戦うなら一人よりも二人の方が早いだろ!!」

 テフェルゼンに断られシェリルにまで断られたのでは、さすがに騎士としてのプライドも傷つく。力一杯叫び返すと、再びアレンは怪獣に突進した。が、さすがに二度の不意討ちを許してくれるほど、相手も愚かではない。斬りかかった剣は腕で防がれ、振り払われた。勢いで宙を舞ったアレンは、何とか受け身を取って無様な墜落だけは免れる。

「迂闊に飛びかからないで!確実に、集中した一撃を与えて!」
「判った!」

 次いで敵には聞こえぬよう、シェリルに接近して耳打ちする。

「今、キリーが火を起こしている。燃え上がったら精霊の加護を」
「キリーが?わかったわ!」
「あ、いや!キリーの剣じゃなくて加護は隊長の、」

 最後まで聞かず、シェリルは飛び出す。唸り声をあげる怪獣の懐に飛び込むと、剣を一閃した。寸分迷わず彼女の剣は怪獣の胸に一筋の線を走らせ、周囲一面には血しぶきが飛び散る。いや、飛び散ったのは血だけではない。傷口からは内臓らしき物も、ぶら下がっている。大地を揺るがさんばかりの絶叫が、夜の闇を切り裂いた。

「チィッ、なんだ、あのガキは!? っく!」

 咆吼に気を取られた一瞬、マリエッタの頬をテフェルゼンの剣が薙ぐ。魔物と化したマリエッタの頬に細い線が走り、つぅっと緑の汁が垂れてくる。彼女は乱暴に血を拭うと、憎々しげな笑みを貼りつかせてテフェルゼンを睨みつけた。

「油断のならない助っ人を呼んだものだねぇ。あれは、何だい?」
「我が軍のスペシャルアドバイザーだ。怪獣と互角に戦うことも出来る」
「余計なもんを連れ込みやがって!おかげで計画が狂いっぱなしだよ!!」

 振り上げた腕が、しなる鞭のようにテフェルゼンへ襲いかかる。それを難なく避けながら、テフェルゼンはマリエッタの顔を見た。緑の汁、いや、血は既に止まり、乾き始めている。傷の治りが異常に早い。彼女をじわじわと弱らせるのは無意味だ。一撃必殺で急所へ叩き込まなければ彼女は倒せまい、と彼は悟る。

 だが、それは簡単にはいかないだろう。彼女の動きを捉えるのだけで精一杯なのだから。魔物と化す前の彼女は、テフェルゼンの足元にも及ばない強さだった。それが魔物となっただけで彼と互角の強さを得るとは。カウパーなる人物が何を企むかは知らないが、野放しにしておくわけにはいかない。

 もし今のマリエッタに弱点があるとすれば、それは魔物の力を手に入れたことで自信過剰になっている処だ。挑発でもして油断を誘えば、長い間合いの腕をもかいくぐり接近した状態で、急所に一撃加えることも可能だろう。なにしろ、時間がない。こうしている間にも、別部隊の怪獣達は王城を目指しているのだ。黒騎士の出発が遅れることは、白騎士達の窮地を意味した。こうなれば、いちかばちかだ。テフェルゼンは覚悟を決めると、大声を張り上げる。

「……お前は昔から自信過剰だった、そのくせ臆病でもあった」
「なっ 何だィ、いきなり!昔話でもしようってのか」
「その性格は魔物と化した今でも治っていないようだな」

 マリエッタがカァーッと顔を紅潮させる。わなわなと腕は震え、噛みつかんばかりの勢いで怒鳴り返す。

「何を偉そうに!押されてるくせに、くちだけは達者だねぇッ」
「様子を見ていただけだ。だが爪を振り回すだけが、お前の武器だというのなら様子を見る必要もなかったな。今、すぐに止めをさしてやろう」
「ハ!できるもんなら、やってみな!剣を振り回すだけしか能がないくせに!!」
「俺の剣は全てを切り裂く。爪を振り回すしか能のない奴とは違う」

 らしからぬ言葉に、怪獣と戦っていた面々も訝しがる。どう考えても今の一言は、いつもの隊長ではない。彼は国内で一、二番を争う実力を持ちながら、それをひけらかす真似は絶対にしない人間であった。それが魔物と化した敵相手とはいえ、あのように自信満々語るとは。まるで挑発しているかのように。

「フザケんじゃないよッ、腰抜け騎士団がぁ!」
「魔物を連れていなければ奇襲もできん腰抜けに、腰抜け呼ばわりされる筋合いは、ない」
「上等だ!あたしが爪以外にも攻撃能力持ってるってこと、見せてやるよ!!」

 言うが早いか、マリエッタの身体を赤い光が包み込む。輪郭線はぼやけ、まるで彼女が炎に包まれているかのように見えた。口の中でブツブツと呟いている。いや、もしかしたら呪文を唱えているのかもしれない――!

「隊長、危ないッ!早く攻撃を――」

 叫び終わることもなく、ミーアの頭が真横に吹っ飛んだ。振り回された怪物の腕が、彼女の頭を直撃したのだ。頭は地面を転がってゆき、司令塔のなくなった体は、二、三度痙攣した後、どさりと崩れ落ちる。

「いやぁぁぁッ、ミーア!!」

 続いて駈け寄ろうとしたアージェは後方から掴まれ、ズルズルと引きずられる。振り向くと、足を掴んだ状態の怪獣と目があう。奴は、いやぁな笑みを浮かべていた。それを見た途端、アージェの背に戦慄が走る。

「放せ!この手を放せぇッ!!」

 ライザとボギーは、アージェの足を掴んだ怪獣の腕へ目茶苦茶に斬りつけていた。無数の傷が走るたびに血しぶきが舞うも、それしきの攻撃では怪獣も怯まず、足を掴んだ状態で持ち上げたアージェを軽々と振り回す。

「アージェ!アージェを放せ!!」
「いや、駄目だ!今放されたら、アージェが死んじまう!!」

 ぶんぶんと振り回され、アージェが絶叫をあげる。万が一すっぽ抜けでもしたら、彼女は投げ捨てられて、良くて重傷、悪ければ即死だ。かといって迂闊に攻撃を仕掛けて怪獣を怒らせでもしたら、彼女は大地に叩きつけられてしまうかもしれない。この場合は即死間違いなしだろう。天にも届く高さから、あの怪力で叩きつけられるのだ。無事でいられるわけがない。

「じゃあ、どうすれば!このまま見てろというのか!?」
「くッ……」

 仲間を人質に取られたのでは思うように攻撃も出来ない。焦れる騎士達の尻を叩いたのは、離れては斬り、斬っては離れるという戦法で細かくダメージを与え続けていたジェーンであった。

「見てる暇なんかないだろ!あたしらは、これから王城へ向かう敵も奇襲しなきゃいけないんだ!」
「でも攻撃したら、アージェが!」
「アージェだって騎士だ、命捨てる覚悟ぐらいあるだろ!この際、犠牲になってもらうよ。捕まった己の間抜けさを怨みな!」
「ジェーン、なんてことを!」

 ライザの非難の声を背に、ジェーンは怪獣へと突っ込んでゆき渾身の力で剣を突き立てた。狙いは勿論、アージェを持った腕だ。剣は深々と突き刺さり、怪獣に絶叫を上げさせ、アージェの足から手を放させる事に一応は成功した。

「ぐぎゃ!!」

 アージェの体は恐ろしい勢いで急降下し、これでもかという程の力で思いっきり大地に叩きつけられる。潰れた蛙のような声が、彼女の断末魔となった。脳髄は派手に飛び散り、ぐにゃりとアージェの体は横たわる。

「ジェーン、貴様ッ!」

 涙に濡れたボビーの抗議さえも無視し、ジェーンは地に転がった剣を拾い上げる。アージェの手から落ちた剣だ。どうするかというと、ジェーンは剣で剣を打ちつける。そう、怪獣の腕に突き刺さったままの我が剣を、アージェの剣で叩きつけたのだ。剣は、ますます深く埋まり、怪獣の口からは絶叫が迸る。

「まだだ!次は足を再起不能にしないと、こいつはまだ動く!」
「ジェーン、貴様よくもアージェを見殺しに!!」
「うるさいッ!ボビー、てめぇそれでも男か!? メソメソしてんじゃないよッ。倒せる時に敵を倒さずして、国が守れるとでも思ってんのかい!そら、剣をよこしな!あたしが代わりにコイツを倒しといてやる!!」
「ジェーン、ボビー、危ないッ、避けてェェーッッ!!」

 頭を根こそぎ持っていかれそうな豪風。間一髪、ジェーンは暴風から身を逃れる。避けれたのは殆ど奇跡、本能であった。伊達に場数を踏んでいるわけでもないといったところか。だがボビーは、彼女ほど上手くかわせなかった。悲鳴をあげる暇もなく彼の体は宙を舞い、上空から地面に叩きつけられる。

「うっ……うぅっ………」

 幸か不幸か、頭を根こそぎ持っていかれる事態だけは避けられたようで、地面に転がったまま呻いている。安堵の溜息を漏らすと、立ち上がった怪獣を油断無く睨みつけるジェーン。片腕を駄目にしてやったというのに、まだ奴の闘争本能は薄れていない。むしろ、余計に燃え上がってしまったようにも見えた。

 その時、ボッと後方の空気が明るく染まる。キリーだ。キリーがたき火をつけるのに成功したらしい。彼は火打ち石を放り投げると、怪獣と斬り合っているシェリルの背中へ叫んだ。

「シェリルッ、頼む!俺の剣に魔法をかけてくれッ!!」
「えっ、ちょ、ちょっと待って……きゃあ!」

 しかしシェリルのほうとて余所見厳禁、一瞬でも気を抜けば太い腕で身体ごと持っていかれる。地面に叩きつけられたら最後、ボビーやアージェのように悲惨な運命が待っているだろう。斬りつけて大分ダメージを与えたはずの敵は未だ闘争心を失わず、果敢に襲いかかってくる。

「ごめん!ちょ、ちょっと忙しくて……アレン、セレナァ、何とかしてぇ!」

 突風から身を竦め、シェリルが喚く。しかしアレンもセレナも、助太刀をしていることはしているのだ。だが怪獣が狙うのはシェリルばかりで、アレンとセレナは奴の眼中にない模様である。

「くそっ、お前の敵は俺だと言っているだろうが!」
「なんて奴ですの!? この、私達を無視するだなんて!」

 突如燃え上がる炎に目を向けたのはジェーンだけではない。呪詛を唱えていたマリエッタもまた、炎の存在に気づき、ギクリとなる。怪獣達にとって炎や熱の攻撃は天敵だ。打撃や剣撃には強い防御力をもつ彼らでも、炎の前には一撃で沈んでしまう。現に森で黒騎士達を襲わせた怪獣も、炎の力で倒されたとカウパーからは報告を受けていた。

――なんだ、あの火は!側にいるのは、キリーか?
――またあいつが、あたしの邪魔をしようってのか!弱いくせに!

「キリィィィッッッッ!!これ以上、あたしの邪魔をするな!」

 完成した呪詛は、マリエッタの手元から放たれる直前で目標を変える。目の前のテフェルゼンではなく、遠方のキリーへ。いち早く、それに気づけたのは、彼女と睨み合っていたテフェルゼンだけであった。

「!」

 斬りかかるタイミングを伺っていた彼は、迷うことなくマリエッタの懐に飛び込み剣を一閃する。彼の一撃はマリエッタの胸をパックリと切り開き、大量の血を噴き出させた。ぐぅ、と呻き、マリエッタの体が地に沈む。だがキリーを救うには、少しばかりタイミングが遅かったようだ。意識が途切れる直前、どす黒く濁った赤い光弾はマリエッタの手元を離れていたのだ。

 光弾は一直線にキリーの元へ飛んでゆき、彼に当たる直前で軌道を大きく空へと変える。外れたか?と安堵する彼の上を飛び越していった光弾は、建物に当たり大爆発を起こした。瓦礫がキリーの頭上に降り注ぐ。彼の回り一面は、激しく舞いあがる土埃で何も見えなくなった。

「いやぁぁぁ!キリーッ、死んじゃ駄目ぇぇッ!!」

 その土埃の中にシェリルが飛び込んでゆく。彼女を止めようと走りかけ、アレンは思い直す。怪獣は、まだ三匹とも生き残っているのだ。こいつらを倒さなければ、黒騎士団は全滅してしまう。そうなれば白騎士達は更に苦戦を強いられ、レイザースまでもが滅びてしまう!

 向き直るアレン、ゆっくりと間合いを詰めるセレナ。だが斬りかからんとしたところで、二人は異変に気づく。怪獣の様子がおかしい。それも三匹とも、だ。奴らは襲いかかってくるどころか、棒立ちで土埃を見つめている。

「チャンスですわ!今のうちに攻撃をっ」
「いや……待ってくれ。もしかして」
「何故ですの?何故、止めるのですか?アレン」

 ややあって、耳を劈くような咆吼が夜の闇に吸い込まれていった。断末魔ではない。威嚇でもない。魂を引き裂かれるような、そんな物悲しい声であった。三匹が、三匹とも土埃を見つめて、咆吼をあげている。

「……我に返ったのか」
「隊長」
「えぇ、たぶん……マリエッタが倒れた事で正気に戻ったんじゃないでしょうか」


「誰が……倒れたっ………て?」


 ハッとなり、セレナもアレンもテフェルゼンが振り向いた方向を振り向く。そこには血にまみれたマリエッタが、立ち上がっていた。胸からは一向にドクドクと血が流れ出し、手で押さえていなければ内臓は飛び出しそうになっていたが。

「ハ……無駄に生命力が強いってのも……考えものさ」
「マリエッタ。まだ戦うつもりなのか?」
「……動ける限りは、戦わないと……駄目だろ?あいつが……怒る」
「あいつ?あいつとは誰だ」
「………知ってる、くせに……伝説の黒騎士……忘れちゃ、いないだろ?あいつは……レイザースに、深い怨みを………」

 ひゅう、と息を吸い込み、血を大量に吐き出す。マリエッタに出来たのはそこまでで、彼女は再び地に倒れ込み、今度は二度と立ち上がってこなかった。アレンが駈け寄り、脈を取る。脈は既に止まっていた。

「伝説の黒騎士……まさか……」

 思いあたりがあるのか、セレナの顔は青ざめている。いや、セレナだけではなくアレンやライザも顔色を失っていた。平然としているのは鉄仮面なテフェルゼンと、それから何も知らないのであろうジェーンぐらいなものだ。

「誰なんだい?その伝説の黒騎士ってのは」

 尋ねるジェーンへ震える声で答えたのは隊長ではなく、セレナであった。

「前黒騎士隊長、ジェスター=ホーク=ジェイト……あの人が、まさか、私達の敵にまわるだなんて……!」
←BackNext→
Topへ