黒い夜

◆6◆ マリエッタ

 レイザース領土内――陸軍宿舎。

 夜通しの任務も終わり、黒騎士団は帰還する。しかし怪獣退治はともかくも、マリエッタは見つからず、どの顔も憔悴しきっていた。彼女の生死は気になる。なるがしかし、体のあちこちが悲鳴をあげているのでは捜索の続行も、ままならない。だが、彼らを待っていたのは愛しい寝床の感触ではなく、新たなる任務であった。それも緊急の。

 隊長の部屋でテフェルゼンを待ちかまえていたのは、同じく陸軍所属の白騎士が一人。伝令を伝えるだけ伝えると、彼はさっさと持ち場へ戻ってゆく。緊急任務とは、このようなものであった――


 現在、レイザース首都へ向かって怪獣の群が侵攻中。白騎士団が城の守り、黒騎士団は道中で奇襲をかけてもらいたい。


 闇討ち、奇襲、捕虜拷問などといった汚い仕事は、大抵黒騎士団が請け負う事になる。今回も白騎士団は正々堂々と守りにつき、黒騎士団は汚れ役を引き受けるというわけだ。街のヒーローは常に白騎士団。黒騎士団は卑劣漢として、同じレイザース人からも疎んじられている。文句を言ったところで今更どうしようもないのだが、テフェルゼンは部下達が不憫だな、と、いつも思っていた。

 ふとドアをノックする音に気づき「入れ」と頷くと、失礼しますの挨拶と共にセレナが入ってくる。彼女も不憫な部下の一人だ。白騎士団を希望していながら、僅かな実力差で黒騎士団に振り分けられてしまった少女。セレナは部屋へ入るとすぐに、任務の件について尋ねてよこした。黒騎士となっても腐ることなく、彼女は任務に忠実であった。根が真面目なのだ。

「隊長。先ほどの伝令は緊急任務ですわね?」
「あぁ。怪獣軍団が首都へ向かっている。我々の任務は道中での奇襲だ」
「軍団……そんなに沢山いるんですの?」
「肉眼で五、六体を確認している。白騎士団は城の護衛についた」
「五、六体……!」

 たった一体でも黒騎士総勢で手こずらされたのだ。それが複数で首都へ向かっていると聞き、セレナの顔も青ざめる。だが、そこで気絶するほど彼女は気弱な性格ではない。すぐに気を取り直すと敬礼を取り、踵を返す。

「では皆に伝えて参ります。すぐさま準備をしなくてはなりませんわね」
「あぁ、頼む。それと――」
「そうでしたわ、忘れるところでした。シェリルの調査ですけれども」

 セレナの口調は淡々としたものであったが、テフェルゼンの顔色を変えさせるには充分だった。ドンゴロの名が出た時には、彼は眉をひそめ何事か考え込んでいたようであったが、セレナの報告が終わると同時に顔をあげる。

「その話、聞いていたのはキリーとお前だけか」
「たぶん。他の者が盗み聞きをしていない限りは」
「……キリーは承諾したのか?」
「いいえ。相手は子供ですし、彼にも一応分別ぐらいはあったようですわ」

 それよりも、と逆にセレナが問い返す。隊長が本気で、この話を信じているのがおかしかった。何しろ二人の話を盗み聞きをしている間も、セレナは眉唾ものの与太話だわ、と呆れていたのだ。ただの無邪気な女の子かと思っていたら、とんでもない。シェリルは妄想癖、及び淫乱趣向の強い変態少女だった!よっぽど、そう報告してやろうかと思ったぐらいだ。もっとも、テフェルゼンへの報告では控えめな表現に抑えたが。

「隊長はこの話、どうお考えなのですか?まさか信じていらっしゃるのではないでしょうね」
「信用してもいいと思っている」
「まさか!あの賢者様に、そのような不届きな知りあいがいるとでも!?」

 数時間前に出会ったばかりの男に、そのような重大な話を打ち分けるわけがない。それはテフェルゼンも理性では判っているつもりだ。だがシェリルという少女は今までの行動を見ていても、打算や詐欺のできる子供ではない。どちらかというとバカがつくほどの素直な正直者で、誰にでも気を許してしまいそうな、放っておけないタイプだろう。あくまでも直感的なものではあるが、彼は、それが間違いではないと確信していた。

「ドンゴロ様の名が出たからこそ、信用できるとも言える」
「何故ですの?賢者様の地位を汚す為の陰謀では――」
「もし嘘であれば、地位を汚す前に自分が死刑になる。ドンゴロ様の名を知っている限り、それを知らぬ者などいまい」

 ただ――と、つけくわえておくのも忘れなかった。ただ、シェリルにかけられた詛いを解く方法。あれだけは少し嘘くさいな、と。テフェルゼンがそう言うと、セレナも黙って頷いた。彼女も、そう思っていたらしい。

「すぐに手配書を作ろう。呪術師カウパーといったか、似顔絵も添えて」
「判りました。絵の上手い下男達に作らせておきますわ」
「それと謎の黒騎士……我々の中の一人だと思うか?」
「えっ?」

 セレナにとっては意外な質問だったようで、彼女はポカンとくちを開けている。しばらくして質問の意味が飲み込めたのか、セレナは戸惑いがちに応えた。

「違うと思いますわ。いくら鎧が黒いからといって……」
「今のメンバーとは言っていない。過去の者も含めてだ」
「離脱した者や引退した者の中に、ですか?でも」
「……そうだな。俺の考えすぎだろう」

 そうですわ、と言いかけたセレナが、不意にハッとなる。

「もしかして、隊長。あの男のことを……!」
「いや。この話は終わりにしよう。お前も考えるな」

 だがテフェルゼンは彼女の言葉を押しとどめ、部屋を出て行くように身振りで示す。考えるな、と言われても一度思いついてしまった想像は止めようもない。セレナの脳裏には、一人の男が――黒い鎧を身に纏った男の姿が浮かび上がっていた。

 あの男。
 セレナが陸軍に正式入隊し、生まれて初めて恋心を抱いた男――


 廊下を急ぎ足で戻ってくると、宿舎のほうが騒がしい。仮眠を取っておけと言われていたはずなのに、食堂からは明かりが漏れている。誰か、まだ起きているのか。しかりつけてやろう、と近づいたセレナは、あっとなった。誰か、どころの話ではない。ほぼ全員が食堂にいた。シェリルを輪の中心に置いて。

「貴方達、何をやっているの?休めと言われていたでしょう!」
「お、ガミガミ大臣のお帰りだ」

 仲間の一人が軽口を叩く。シェリルの話を笑って聞いていた女性の一人が言った。

「今ね、シェリルの話を聞いてたのよ。彼女、かなり旅慣れてるみたい」
「メイツラグやファーレンにも行ったことがあるんですって」
「小さいのにスゴイよねーっ」
「……あのねぇ、あなた達?」

 トントントン、とセレナは足を踏みならす。心持ち苛ついたリズムで。実際、苛ついていた。シェリルの事は別に嫌いではない。だが今は状況が状況だというのに、何を暢気な談話に花など咲かせているのだ!

 ――そこまで考えてセレナはまだ、シェリルがどういう経歴で仲間になったのか、隊長に尋ねるのを忘れていた事に気づく。しかし出会って半日ほどしか経っていないというのに、シェリルはすっかり皆と打ち解けているようにさえ見えた。

「あなた達、少し不用心すぎるのではなくて?騎士ともあろう者達が、見ず知らずの少女に気を許しすぎですわ」
「なんだ、アレンから聞いてないのか?この子は軍の、いや黒騎士団のアドバイザーなんだぜ。隊長公認の」

 無知をせせら笑われ――いや、言い返した騎士には、そのつもりはなかったのだろうが、セレナには そうとしか思えなかった――セレナはカチンと来る。と同時にアレンの姿を視線で探したが、彼は此処には居ないようだ。時間が時間だし、もう寝ているのかもしれない。彼は規則正しい青年だから。

 知っているなら教えて下さればいいのに!隊長は勿論のこと、アレンですら教えてくれなかったという事に、セレナは腹を立てた。自分が尋ねなかったという点は、完全に無視だ。ますますイライラしながらセレナは反撃に出た。

「アドバイザーといっても王家が正式に任命したわけではないのでしょ?それに仲間が一人消息不明ですのよ。よく寛いでいられますわね」
「それだ。マリエッタの事なんだが……」

 急に騎士の一人が声を潜める。つられてセレナも小声で聞き返した。

「……マリエッタがどうかしましたの?見つかりまして?」
「街の連中が、マリエッタらしい女を見たっていうんだ。ここへ戻ってくる途中、酔っぱらいに呼び止められて……街を横切り、遺跡の方角へ向かう彼女を見かけたそうだ。声をかけても無視された、彼女は見知らぬ男と二人連れだったと」
「なんで、そのような大事なことを早く言わないんですの!?」

 カッとなり怒鳴ると、言い出しっぺの騎士はゴニョゴニョと口の中で「だって酔っぱらいの話だし、与太だと思ったんだよ」等と呟いている。セレナは踵を返し、隊長室へ引き返す。が、部屋を出る前に皆のほうへクルリと振り向いた。

「そうそう、隊長より命令があったのを伝え忘れるところでしたわ。レイザース首都へ怪獣の大群が向かっている。黒騎士団は闇夜で奇襲をかけろ、との任務が入っておりましてよ。頑張って奇襲のアドバイスでもなさることね、小さなアドバイザーさん」

 宿舎は、にわかに慌ただしくなった。


 仮眠を取っていた者達も叩き起こされ、数分後には全ての騎士達が宿舎広場に集合していた。どの顔にも疲労の色は残っていたが、不満を言う者など一人もいない――いや、一人だけいた。

「めんどくせぇなぁ。どーせ城につけば白騎士が撃退してくれるんだろ?俺達が、わざわざ奇襲する意味なんてあるのかよ」
「静かにしてろ、キリー。隊長が来たぞ」
「ヘッ。人は急かしといて自分は悠々と、か。隊長クラスは気楽でいいや」

 彼を窘めた騎士は、これ以上つきあってられないよ、とばかりにキリーの軽口を聞き流す。整列した皆の前に現れたテフェルゼンは、淡々と今回の任務内容を語った。それはセレナから聞いていたものと大体同じであり、違うのは奇襲をかけてくる怪獣の具体的な数字だけであった。

「五体も六体もきたら、いくら白騎士でも保たないんじゃ!?」
「そうだ。だからこそ我々で奇襲をかける必要がある」
「一体に手こずってた俺達が奇襲をかけたところで何になるんだかねぇ」

 皆が一斉にキリーを睨む。が、当の本人は涼しい顔で隊長に尋ねる。

「それに奇襲をかけるのは構わないけどよ。ここをお留守にしてもいいのか?」
「ここも奇襲をかけられる……と?」
「そういう策もあるってことさ。俺が敵なら同時攻撃ぐらいはするだろうぜ」
「我々、敵、双方に言えることだが、手数を分ければ戦力も分散する。怪獣の強さに自信があるとはいえ、首都の防衛は半端ではない。敵も、それぐらいは見越していると思うが?」
「もし、海を渡ってきた怪獣の数が五、六匹以上いたとしたら――?」
「……いるには、いたな。各地で暴れていた者達か」
「あぁ、そうだ。そいつらはまだ倒されてないはずだ」
「シェリル」

 声をかけられ、少女がハッと顔を上げる。シェリルは先ほどまで我ここにあらずといった風にボ〜ッとしていたのだが、テフェルゼンの声で我に返ったようだ。

「な、なぁに?アレックス」
「先ほど首都より続報が入った。各地で暴れていた怪獣が、一斉に姿を消したそうだ。キリーの言うように、こちらへの奇襲も懸念される。シェリル。君は防衛側に残り、皆の指揮をとって貰いたい」
「あ、あたしが?」
「君は、我々のアドバイザーだ。現場の指示ぐらいできなくては困る」
「お待ち下さい!いくら強いと言っても、彼女は子供ですわ!子供を前線に立たせるなんて――」

 ――それは、つむじ風と共に姿を現した。黒い影が、四体。うち三体は森で見た怪獣と、よく似た姿をしている。彼らの登場はセレナから言葉を失わせただけではなく、場の空気を一気に冷たいものへと変え、気がついた時には誰もが剣を抜いていた。そう、普段は冷静なテフェルゼンや、ひねくれ者のキリーでさえも。

 怪獣達の前に立った影が、一歩前に出る。体のラインからして女だ。だが、黒い鎧から飛び出た手足は毛むくじゃらで長い爪が光っている。月の光に照らされて、彼女の顔を見た何人かが悲鳴を飲み込んだ。目が反射して光ったからだ。まるで猫のように。目だけが異常なのではない。狼のように、大きく前に突き出た鼻。そして口元からは涎を垂らし、時折、鋭い牙が見え隠れしている。

 人間ではない。だが、亜人でもない。そして、怪獣ほど大きくもない。見たこともない種族であった。アレンがそっと呟くのを、セレナは耳にした。

「……ライカンスロープ……?」
「ライカン……なんですの?それ」
「どこかの異世界にいるっていう、獣に詛われた人間だ……」

「あたしは、異世界人じゃないよ」

 アレンの呟きが聞こえていたのか、女はキッパリと断言する。その声には聞き覚えがあった。アレンやセレナだけではなく、その場にいた黒騎士全員が。

「マリエッタ!?」

 誰かが悲鳴をあげる。と同時に斬りかかってきた騎士の一人を、女は素手で払いのけた。剣を、素手で、いとも簡単に払いのけると、もう片方の手で騎士の顔を張り飛ばす。殴られた騎士はもんどりうち、壁に激突して動かなくなった。首が異様な方向に曲がっている。誰の目から見ても即死は明らかであった。

「イクシード!――迂闊な真似をッ。皆、不用意に斬りかかるな!!」
「りょ、了解ッ!」

 女は――いや、マリエッタだった者は獣の唸り声を発していたが、不意に目を細め、肩を竦める。嬉しい事などがあった時に彼女がよく見せていた仕草だが、獣の姿となった今では、それすらも不気味に見えた。

「やっぱりね。こんな時でもあんたは冷静なんだね、アレックス」
「……本当に、マリエッタなのか?」
「そうだよ。顔は変わっても声は覚えてるよね、同期で部下だもんねぇ」
「何故……そのような姿に」
「あたしさぁ、」

 テフェルゼンの問いには答えず、マリエッタは話を変えた。

「寂しかったんだよね。あんたが、どんどん昇進してっちゃって。それに、あんたは どんどん強くなってくから置いていかれてる気もした……でも、もう大丈夫。もう、それも今日でオシマイさ」
「何が大丈夫なんだ?」
「ちからを手に入れたからさ!やっと追いつけた!やっと、あんたと対等に戦える!やっと、あんたを追い抜ける!!」

 ぱっくりと大きく割れた口を見て、再び女性騎士達から悲鳴があがる。耐えきれず、失神や目眩を起こす者さえいた。マリエッタが声高に嘲笑する。その笑い声を遮ったのは、シェリルの怒声だった。

「そんな力に頼っちゃ駄目!詛いは反動が怖いんだからっ」

 獣の目が、ゆっくりとシェリルを見据える。双眸には良い気分を邪魔された怒りの炎が、ちらついた。彼女の言葉に反応したのはマリエッタだけではない、近くで構えていた騎士達も口々に叫ぶ。

「詛いだって!?あれが呪術だというのかっ!?」
「そうよ!カウパーに偽りの力を貰ったんでしょう、あの子達みたいに!!」

 シェリルの指先には、マリエッタがつれてきた三体の怪獣が立っている。

「あの子達には本来、闘争本能なんて、ないの!穏やかな性格なのよッ。カウパーが詛いで植え付けたりしなければ今頃は幸せに亜人の島で暮らしてたんだから!!あなただって詛いに頼ってたら、そのうち非業の死を遂げるわよ!死んだ子達みたいに!!」

 舌打ちを漏らしつつマリエッタが指を鳴らすと、怪獣が三体とも ゆっくり身構えた。動きは緩やかに、だが確実に黒騎士達を取り囲むように動いている。

「お嬢さんが、あんた達の相手をしたいって言ってるよ。存分に相手をしてもらいな!あたしは、アレックスをやる!!」
「――させるかぁッ!!」

 長い手が、その爪がテフェルゼンの両目を抉るよりも先に、横から飛び込んできたアレンの剣が爪を弾き返す。怪獣が三体ともシェリルに向かうが、その突進を遮ったのは黒騎士達であった。騎士団宿舎を舞台に、怪獣三体と騎士達、そしてマリエッタとテフェルゼンの一騎討ちが始まった!
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