不器用な恋と呼ばないで

#11

「おきつって、坂一さんが一代で盛り上げたお店なんですよね?すごいですよね!あ〜俺も、いつかは自分の店を持ちたいなぁ!」
なんてことを大声で話しながら、真木が先頭を歩いていく。
真木は定年まで大蔵屋に居続けると思っていた島は驚いた。
さりげに坂一と、興宮を下の名前で呼んでいるのにも驚きだ。
距離の詰め方が早すぎる。知り合って本日で一日目なのに。
島は未だに、興宮を坂一と呼べない。
何となく気恥ずかしいものがあるし、弟子としてのけじめもあるし、なんと言っても年上だ。
真木も興宮より遥かに年下のはずだが、あっさり坂一と呼び、気さくに話しかけている。
「ほぅ、店主志願だったのか、真木さんは。で、どんな店を持つのが夢なんです?」
初対面なせいもあってか、興宮は真木に敬語で話しかけている。
それでも、坂一と呼ばれた件に注意の一つもない。
気にしていないのか、或いは大人の優しさでスルーしたのか。
内心モヤモヤしながら、島は無言で二人の会話を聞いた。
今は部屋を離れ、出入り口へ向かっている。
これから海で、ひと泳ぎするのだ。真木の、いたっての希望で。
「あ〜、フレンチ喫茶やりたいんですよね。俺、元々フランス料理を学んでいたんすよ。大蔵屋は和食が多くて、まぁそれも悪かないんですけど、やっぱり軽食屋いいなーって」
フランス料理を学んでいながら、和食主体の宿を選んだのは何故だ。
先輩諸氏が大蔵屋に来るまで、どこで何をしていたのか島は全く知らない。
あえて聞き出そうと思うほどには、先輩各位に興味がわかなかったのだ。
自分の経歴は話してあった。一番最初の自己紹介で。
おきつの名を知らない者も多数いたが、真木と料理長は驚いていたように記憶している。
「島は、さー」
真木が話題を振ってきたので、島は軽く身構える。
「おきつから、うちに来たんだよね。あん時は武者修行で来たっつってたけど、自立するって考えはなかったの?」
武者修業と言った覚えはないのだが、島は言葉少なに答える。
「……俺はまだ、実力不足ですから」
「そうかぁ?」「そうかのぅ」
興宮と真木の反論が、かぶった。
「いや、島。お前は充分独り立ちできる実力だと思うぞ?ま、俺としちゃあ、おきつに戻ってくれたほうが嬉しいがな」
ここでさりげなく勧誘されては、真木も黙っちゃいられない。
出がけ、おかみさんに言われていたのだ。
興宮坂一が島を勧誘してくることがあれば、絶対に阻止しろと。
今回の慰安社員旅行は、島を守る旅行と言っても過言ではない。
興宮と島が二人っきりで旅行をすると聞いた時の、琴の穏やかならぬ心中は、よく判る。
島は大蔵屋になくてはならない料理人だ。
よく気が回り、皆のサポートに徹している。
がさつで大雑把な横内と西脇がクビにならないのも、ひとえに島のおかげであろう。
そして、なんといっても、琴のお気に入りである。
島の辞職で、おかみさんが悲しむのは真木も心苦しい。
大蔵屋は滑り止めの就職先であったが、今は気に入っている職場だ。
一見たおやかな和服美人なのに、ああ見えて琴は結構太っ腹な性分だ。
従業員の意見を真面目に聞き、事業に取り入れてもくれる。
瑞穂は入って一年目で部屋の装飾を任された。
実力重視というやつだ。
給料はいいし、休暇も申請すれば取り放題だという。
実際に取り放題休みを取った従業員を見たことはないし、真木も取ろうとは思わないが。
「いやーそれはないっす、駄目です。島は、大蔵屋の看板をしょって立つ料理人ですから!」
ここぞとばかりに、ぐいっと島の両肩を掴んで前に押し出し、ついでに大蔵屋も強調する。
「俺が独り立ちする時には、ついてきてほしいぐらいですけど。やっぱり大蔵屋の名が一番似合うと思うんですよねー、島には!」
そこまで先輩にプッシュされていたとは本人にも与り知らぬ話で、島は目を丸くする。
興宮も同じ思いか、真木の意見に反論してきた。
「大蔵屋の看板を背負っているのは料理長の片倉さんでしょうがよ」
「いやー片倉さんも、お歳っすからねぇ。次世代料理長は島で決まりっしょ!」
な?と真木に相槌を求められて、島は困ってしまう。
大蔵屋は永住の地ではない。
いずれは離れ、おきつに戻るつもりでいた。
俯いて黙りこくる島を助けたのは、興宮の一言であった。
「自ら実力不足だと言っているんだ。次期料理長だと言われたって、すぐにゃあ頷けんよな」
「……その通りです」
心底ほっとした表情で興宮を見つめる島を、真木は、どこか白けた視線で眺めていたが。
不意に「あ、そうだ」と思いつき、二人を促した。
「女子部屋に立ち寄って、三人も誘っていきませんか?どうせ泳ぐんでしたら華やかなほうがいいっしょ」
「そいつぁ構わんが、三人は水着を」
「持ってきてます、持ってきてます。おかみさんが言ったんです、水着を持ってこいって」
興宮の発言を遮り、飛ぶような速さで真木が廊下を駆けていく。
その背中が小さくなるまで見送ってから、興宮は改めて島に声をかけた。
「俺は華やかさなんて求めちゃいなかったんだがな……ま、仕方ない。こうなったら、おかみさんらの水着鑑賞会と行こうか」
おかみさんの水着姿。
五年大蔵屋に務めてきて、今日初めて見ることになる。
興宮には申し訳ないが心を密かにときめかせつつ、表面上は冷静に頷き返した島であった。
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