アクア

5.屋敷変貌

表の冷気で冷えた体に湯が染みる。
だが、それがいい。
体の外側から内側まで、じんわりと熱さが浸透してくるような気がする。
透明な湯を手ですくいあげながら、沙由はふと思う。
この屋敷に住む者で湯を使うのは自分だけなのだな、と。
魚人はみな、水で行水する。冬でもだ。
寒くないのかと尋ねたことがあった。
サザラはもちろん、シズクですら微笑んで頷いた。
彼らは、元々海の深く底に住んでいたという。
だから水には慣れているのだそうだ。
反対に湯には、ひどく拒否反応を示す。
シズクは私をゆであげる気か、などと憤慨した。
住んでいた環境の違いというものだろう。

私も水に慣れなきゃいけませんか

そう、尋ねたこともあった。
サザラは無理しなくていいですよ、と微笑んでくれたけれど。


不意に、どこか遠くで乾いた音を耳にした。
それが銃声であるとまでは沙由には判らなかったのだが、どこか異質な音の響きが湯の中の彼女を怯えさせる。
気のせいか、誰かがあげた悲鳴も交っていたような……
怖い。
自分の知らないうちに、何かが少しずつ変わっていく静かな恐ろしさ。
湯の中で細い、自分の腕を抱きしめた時、シズクの声が聞こえてきた。

誰か!誰か、あるか!
人間が侵入したぞ!
地下へ逃げるのだ!
今から水を放出する!


続いてシャッターが次々と降りていく音。
風呂場から見える空もシャッターで遮断された。
何が起きているのだろう。
誰が侵入したというのか。
地下とはどこだろう。
そして、水………
水を放出する?
どこへ?
シャッターが窓を塞いだということは、まさか部屋に?
その言葉を頭に浮かべるよりも早く、風呂場に水が流れ込んでくる。
その水は渦を巻きながら飛び込んでくると、風呂釜の中で縮み上がる沙由を風呂釜ごと飲み込んだ。


苦しい。
水が、口から、鼻から、入り込んでくる。
死にものぐるいで水面に顔を出すと、大胡は顔をしかめる。
窓という窓はシャッターで完全に塞がれていた。
完全に外への出口が遮断されている。

くそぅ

彼は両手で水を掻き分けながら、口の中で罵った。
こんな仕掛けがあるとは予想だにしなかった。
魚野郎め、まさか家ん中全部に水を流出しやがるたぁ……
流れてきた家具が肩を打ち、彼はまたも顔をしかめる。
あと何分で、水は天井まで届くだろうか。
完全に届いたら、恐らく息が続くまい。

死にたくねぇなぁ

戦って、それで死ぬというのなら、まだ納得がいく。
しかし戦う相手も見つけられぬままに溺死というのは納得がいかない。

俺、こんなところで死ぬのか

せっかく買ってもらった銃も、使いどころがないまま終わりそうだ。
立ち泳ぎで、廊下だったところを泳いで抜けていく。
台所らしき入口を見つけたが、天井スレスレまで水で塞がれていた。
庭から侵入していったおやっさんは、どうなっただろうか。
足が悪いと言っていた。

こんな時に他人の心配をしている余裕もないだろうに

理性とは裏腹に、大胡はリーダーがひどく心配でたまらなくなる。
だから庭がありそうな方向へ水をかき出し泳ぎ始めた。

いて

だが、すぐに天井へと頭をぶつけて進みを止める。
もう駄目だ。
顔の半分以上が水に埋まっている。
鼻で呼吸をしているが、首を真上に向けないと水が入ってきてしまう。
若い自分でこれなのだから、年寄りや体力のない者は、とっくに沈んでいるに違いない。

もう、ここまでかな

――大胡が死を覚悟した時、水位は徐々に下がっていった。


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