アクア

4.突入

空は青い。
透き通るほど青いというのに、それを見上げる青年の心は晴れなかった。

いい天気だよな、オヤジ

メンバーの中で比較的一番若い青年。
彼の名は大胡といった。
オヤジと呼ばれた年輩の男が振り向き、大胡の首にライフルをぶら下げる。

そうだな
だが、こんな天気だからこそ奴らは油断してるに違いねぇ
こんな、いい天気に襲撃されるなんて普通は思わねぇだろうよ



大胡が育ったのは瓦礫の中だった。
彼は大地震が起きるよりも前から瓦礫の山に住んでいた。
いや、正確には紙で作った野外の家に両親と三人で住んでいたのだ。
彼の両親は世間が言うところの浮浪者で、家らしい家を持っていなかった。
だから、その息子である大胡も段ボールでこさえた紙の家に住んでいた。
その紙の家も今はもう、ない。
あの日、大きな岩が落ちてきて全てを飲み込んでしまったのだ。

あの大地震が起きた時、大胡はまだ五つにも満たない子供であった。
物心つかない子供の目の前に大きな岩が落ちてきて、彼の両親を二人とも、その大きな体で押しつぶしてしまった。
大胡は泣いた。
泣いた。
涙がかれるのではないかというほど泣きまくった。
だが誰一人として、泣いている大胡に声をかける者はいなかった。
街は皆が皆、混乱の最中にあり、泣いている子供に気を配る余裕などなかったのだ。
やがて泣く気力もつきてきた頃には、幼い大胡にもそれが判った。
自分で生きていこう。
幼い彼がそう思ったかどうかは謎だが、とにかく大胡は岩から離れた。
そして瓦礫の中に居住まいを収めたのだ。


沙由が屋敷に戻るのを見届けたメンバーの一人が、合図を送ってよこす。
いよいよ突入の時、迫る。
誰もが張りつめた表情で各々の武器を握りしめた。

生きて帰ろうと思うな
見つけたら死ぬ気でかかれ
俺達の成功は、彼女の救出と奴らの皆殺しを確認した時だ


第二の親父となった男は、大胡にそう言い聞かせると別口から突入する。
残された大胡は首にライフルを引っかけ、しばし呆然と瓦礫の屋敷を見上げた。

大きい屋敷だな

思わず声に出してみた直後、慌てて口を押さえる。
誰にも聞かれていなかったようだが、まさかこんな処でヘマをうつわけにもいかない。
まだ突入さえも、していないのだ。
身をかがめ、こそこそと小走りに走り出す。
彼が向かうのは比較的警備がいないと事前の調査で判っていた、庭先だった。

大胡は、この組織では一番の若輩者だ。
瓦礫の中に住んでいる時に、同じく浮浪者となった男に誘われて入った。
世界のため人間のため、というフレーズが若い大胡に感銘を与えたのだろう。
また、魚人が人間狩りの計画を立てているという噂も聞いていた。
たかが噂、されど噂とはいえ、ここまで広まるのだ。
火のないところに煙は立たずというではないか。
案外本当に彼らは、人間狩りを行う計画を立てているのかもしれない。
そう考えると放っておける存在ではなくなった。
おまけに彼らは人間を既に一人拉致しているとの情報も入ってきた。
突入の日を決めると、組織は一斉に武器集めに走った。
瓦礫の中から使えそうな家具を掘り出し、修理しそれを食べ物と交換する。
大惨事の後、経済はすっかり崩壊していた。
紙幣や硬貨と交換してもらったところで、物の役にも立たない。
交換してもらった食べ物を、さらに闇市で武器と交換してもらうのだ。
大胡が今、首からかけているライフルも、闇市で仕入れてきた物だ。
撃てるかどうか判らないが、との曰く付きで弾もオマケしてもらった。

なぁに、撃てなきゃその銃身で殴るだけよ
なぁ大胡


彼の養父はそう言って笑った。
まさか、そのライフルが自分の武器になるとは知らぬ大胡も、それに併せて笑った。
だから突入のこの日、自分の武器を見たときは驚いたものだ。


誰か、そこにいるのですか

裏口から入った男はびくり、と震える。
壁の向こう側から己に向かって話しかけてくる者がいるのだ。
声の様子からして、目的の女性ではない。太い声、男だ。
とすると、この瓦礫の住民――魚人だろうか?
いとも簡単に見つかってしまったものだ、と口の中で舌打ちをしつつ銃を構える。
男は今まで銃など撃ったことがない。
大惨事の前までは、平凡なサラリーマンだったのだから無理もない。
壁から銃の先を出そうとして迷った。
こちらが撃って出れば向こうも反撃してくるだろう。
そうなった時、素人丸出しの自分は生き残れるのだろうか?

生きて帰ろうと思うな。

組織の頭である一番の年輩者は、そう言っていた。
男も突入の直前までは、そのつもりだった。
だが、いざ突入して武器を使う時になって、初めて男の全身を恐怖が襲った。
これはゲームや漫画ではない。
反撃されたら死ぬのだ。
男が悩む間にも、再度呼びかける声が聞こえてきた。

もし、そこに隠れているお方
私達に何かご用ですか


その声が引き金となったのか、それとも緊張の糸が切れてしまったのか。
それは男にも判らない。
ただ、彼は意味不明の叫びをあげながら銃を乱射した。
叫びながら連射される銃を必死の形相で抱えていた。
乱射される弾のうち、声の主に当たったものもあったが、そのうちの一つは壁に跳ね返り、男の胸を貫いた。

廊下を通じて銃の乱射音が聞こえてくる。
屋敷の住民であるシズク、そしてサザラは、はっと面を上げた。

兄さん

囁く弟を手で制しシズクは耳を澄ます。
魚人の耳は、人間では聞き取れない音までもを聞き取れる。
その卓越した聴覚で、音の主が彼のもっとも嫌う者であると知ることができた。

人間だ

えっ?

人間が、この屋敷に侵入してきたのだ!


訝しがる弟をそのままに、シズクは荒々しく立ち上がり廊下へと飛び出す。

誰か!誰か、あるか!
人間が侵入したぞ!
地下へ逃げるのだ!
今から水を放出する!


兄の伝令を聞きながら、サザラは不意に思い出した。
そうだ。
沙由は今、どこにいるのだろうか。
まだ風呂に入っているとしたら、この伝令が聞こえていないかもしれない。
兄のやろうとしていることがサザラの考えと一致するのであれば、彼女が危険だ。

どこへ行く?お前は早く地下に潜れ

立ち上がり駆け出すサザラをシズクが鋭く呼び止める。

沙由を探しにいきます
彼女は、水の中では生きられませんから


いつもは穏やかな笑みを浮かべている弟も、この時ばかりは険しい視線で応えた。


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