アクア

2.沙由と魚人

瓦礫の街には行ってみたかい。
あそこに、一つだけ立派なお屋敷が建っていただろう?あれが奴ら…うおじんの屋敷さ。
うおじんを知らないって?
おいおい、ニュースぐらい聞いておけよ。街頭ラジオがあるだろう?
奴らは海からあがってきた異形の怪物だ。
今は大人しくしているが、将来は俺達を食用にするつもりだろうな。
その証拠に奴ら、今じゃすっかり瓦礫の街を我が物顔に占拠してやがる。
ああ、俺達にかつてのような軍事力があれば、奴らをすぐにでも海に追い返してやれるのに。



全人類を襲った大災害。
この大地震で、沙由は全てを失ってしまった。
住み慣れた街、仲の良かった友人、入るのに苦労した学校。
そして――愛すべき家族をも。
落ちてきた瓦礫の中で一人生き残っていたのは奇跡だったのかもしれない。
しかし、こんな奇跡なら起きない方がよかった。
一人で生き残るぐらいならば、親と一緒に死んでしまえた方がよかった。
悲しいことに涙が一滴も出なかった。
沙由は、そんな自分が嫌で嫌で、だからあてもなく歩き回ってみた。
力なく、叫んだ。

もう、生きてたくなんかないよぅ

歩きさまよううちに足の疲れも限界に達し、沙由は瓦礫の上へ倒れ込む。
このまま死んでもよいとさえ思った。
そんな時であった。頭のない人間と出会ったのは。


頭がない、というのは沙由の誤解であった。
なぜなら彼を横に回って見てみれば、きちんと頭がついていたからだ。
そう、彼の頭は横に平べったかったのだ。
真正面から見ると、ほとんど厚さを見せていない。
胴体は人間と同じでありながら、頭だけは不思議な作りをしている生物であった。
恐らく人間ではないのであろう。

――じゃあ、宇宙人?

非現実な、と思い直して沙由は笑った。
楽しい気分でもないのに笑った。
こんな惨事の後で、非現実だなんて考えている自分に対して笑いがこみ上げてきたのだ。
もう、どうだっていいじゃないか。
街は壊滅したんだ。この際、宇宙人でも何でも来るがいい。
だってもう、わたしは死ぬんだから関係ない――
全てにおいて絶望的になっていた沙由に、頭の平べったい人が話しかけてくる。

ここで何をしているのですか

だから沙由は答えた。

何も

もし、行くあてがないのでしたら私と共に来ませんか

と、平べったい人は言った。

どこへ?

沙由が尋ねると、男の人はサザラと名乗り、

瓦礫の向こうに家を造っているんです

と言って微笑む。

もしよろしければ、あなたも一緒に住みませんか

穏やかな笑みだった。

沙由は思わず涙ぐんでしまい、慌てて目元をぬぐう。
死のうとさえ思っていたのに、温かい人の心に触れたおかげで死ぬ決意が揺らいだ。

生きていれば、きっといいことがあります

男は そうも言った。
沙由は頷き、サザラに手を引かれて瓦礫の向こうへと消えていった。


瓦礫の向こうに小さな家を建てて、彼らは住んでいた。
そこにはサザラの他にも、幾人か頭の平べったい人がいた。
みな、海から来たという。

人間ではないの?

尋ねる沙由に、サザラは頷いた。
彼らは魚人だという。
魚の人、と書いて うおじん と呼ぶのだそうだ。
空前絶後の大惨事を体験した後だからなのか。
それとも、全てを失って考える力までなくしてしまったのか。
常識を計る為の物差しも、あの大地震の最中にどこかで崩れ去っていた。
彼らが人ではないと聞いても、不思議とも非常識とも思わなくなっていた。
海から来たのか。あの惨事の後に来たから、みな無傷なのか。
それぐらいだった、沙由が考えた事と言えば。

たくさんいるけど家族?それとも友達?

好奇心を持つ余裕ができたおかげか、少し元気になった沙由が尋ねる。
サザラは頷く。

はい
友人です、家族もいますが


遠目にこちらを眺めている一人を指さして言った。

あれが私の兄です
名はシズクと申します


サザラの髪の毛をもっと長くして、眼光を鋭くさせたような男が、こちらを見ている。

そういえば……聞き逃していましたが、あなたの名前は?

サザラの微笑みにつられるように、沙由は頭を下げながら名乗った。

あ……沙由、です。二崎 沙由

サザラ達の住むバラックが大きな屋敷となる頃には、魚人の存在も人類に大きく知れ渡るところとなっていた。
生き残った人類は現状に絶望し、新たな驚異として魚人の存在を受け取る。
中には共存を望む声もあったのだが、その多くは黙殺された。
彼らの異様な外見が、人類に警戒心を与えてしまったのかもしれない。
だが、沙由が魚人達の屋敷に迎えられたことは人類の誰に知られることもなかった。
そう、誰にも知られないままに、時は過ぎていったのだ。




沙由が魚人屋敷へ来てから十年が過ぎ、これから語る物語は静かに幕を開ける。


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