act9.進展
空一面を染める、夕焼け。雲が沈みゆく夕日を反射して。
その眩しさに目を細めながら、少年は後ろを振り返る。
後からついてくるのは、太った女と細い男。
彼の父親と母親だ。
父が荷車を引き、母がラギの手綱を引く。
もうすぐ今日が終わる。
日が沈み、そしてまた日が昇り、明日が始まる。
明日も明後日も明明後日も。
ずっと、毎日が同じように続いていくのだと思っていた。
思っていた………
聖獣クーガー。
レジェンダーの親が子供に聞かせる御伽話で、よく耳にしたことのある名前。
大きな翼を持ち、二本の足で歩き回り、鋭いカギ爪で獲物を狩る。
だけど精神は非常に誇り高く、滅多なことでは姿を現さない。
この星に――ボルドに異変が起きた時のみ、天を割り現れるという。
神の使いとして。
或いは、神そのものとして。
それがリンタローの正体と知っても、マナルナは、さほど驚かなかった。
少なくとも、スカイが期待したよりは。
「要するに、聖獣に似てる動物ってことよね?」
「ちっがーう!拙者は真に聖獣クーガーの末裔でござるなりッ」
憤慨の面持ちでリンタローが叫ぶも、我関せずといった調子でマナルナは傍らの青年に視線を送る。
バンダナを締めた彼――スカイは、リンタローの背中から鞍を外す作業に没頭していた。
精悍な横顔を汗が伝い流れてゆく。彼はヒューイよりも大人びて見えた。
あぁ、ヒューイ。
光が村を襲うよりも前に出て行ったヒューイ。彼は無事だったんだろうか。
ラギ飼いの荒野と呼ばれた場所からリンタローの背中に乗って、ここまでひとっ飛びしてきた。
目の前には樹海が広がる。
一面に広がる緑を見て、マナルナは息を飲む。
「この森を抜ければ、賢者達の住む谷へ出るはずだ」
ドサン、と重たい音。
振り返れば、スカイが鞍を地面に降ろしていた。
「……賢者の住む谷?」
小首を傾げるマナルナの横に立ち、スカイも視線を樹海へ移す。
「さっき説明しただろ?必殺の武器を作ろうと考案した人達さ」
「必殺の武器……」
マナルナは彼の言葉を繰り返し呟き、スカイは彼女の肩に、そっと手をまわす。
「樹海を見てるのもいいが、そろそろ休んだ方がいいよ。ずっと鞍にまたがってたんだ。腰が痛くなったんじゃないか?」
リンタローの背中にまたがって飛んでいる間に、マナルナとスカイは少しずつ互いの事を話した。
マナルナの住む村が光の柱に襲われたこと。
光が村の中央を貫いた瞬間、辺り一面が何も見えなくなったこと。
気がつけば、側にはスカイがいた――
村は、クォン村は、どうなったのだろう。
そう尋ねるとスカイは黙って首を振り、ずっと無言が続いた。
彼の態度から察するに、村人の安否は絶望的。そういうことらしい。
傷心で口を閉ざしたマナルナの代わりに、今度はスカイが話し出す。
スカイが住んでいたのは、荒野周辺にあった小さな集落。
人々はラギという生き物を飼って生活していた。
ラギに畑を耕させ、収穫物を都市に売る。
一面に広がるのは、地平線まで続く農耕地。のどかな集落だった。
天から降りてきたホルゲイやフィスタ達が、集落を襲うまでは。
この人も、同じ思いをしたんだ。
家族が目の前で失われるという悲劇を。
それを知った瞬間から、マナルナは少しだけスカイに心を許した。
本当に、ほんの少しだけではあったけれど。
スカイがたき火を用意し、二人は地に腰を降ろす。
リンタローは少し離れた場所で、毛繕いをしていた。
「あなたは肉を食べないの?リンタロー」
そう尋ねると巨大な鳥は頭を擡げ、左右に軽く振る。
「拙者は焼いた肉など好きではござらん。肉は生に限るでござる」
頑として言い切る鳥に目をやり、スカイが肩を竦める。
「リンタローは頑固でね、食べ物の好みも激しいんだよ」
ぷぅっと頬を膨らまして子供みたいなリンタローを思いだし、マナルナは、つい思い出し笑いをしてしまった。
「ふふ、そうね。聖獣の末裔だもんね。どうせ食べるなら、生贄の肉……じゃないと嫌?」
自然に微笑んだ彼女をスカイは、この時初めて見た。
改めて、この場にいるレジェンダーは自分と彼女の二人だけと自覚する。
マナルナを女だと意識すると、顔が上気してくる。
別に、彼女が可愛いから助けたわけじゃない。
下心があったわけでもない。あの時は緊急事態だった。
誰かを助けようとするのに、自身の損得を考える奴がいるだろうか?
「……?どうしたの、黙っちゃって」
「こやつは冗談が苦手でござる。生真面目ぶった奴でござるからなァ」
こちらが黙っていると思って、好き勝手に言ってくれる。
「そうじゃない。悪い、話をちゃんと聞いてなかった」
ぶっきらぼうに言うと、スカイは乱暴に肉を火の中へ放り込んだ。
かつては麦畑を両側に添え美しかった街道も、今は荒れ果てて見る影もない。
その街道を、二つの人影が歩いてゆく。
一人はオレンジ色の髪の毛に、褐色の肌。
尖った耳の根本には、ぽわぽわとした毛がついている。
もう一人は背中に羽根を生やした、桃色の髪の少女。
レジェンダーのヒューイと、フィスタのアミュであった。
成り行きから知りあった二人は今、同じ目的で同じ場所へ旅立った。
スウェン街道をまっすぐ行くと、やがて大きな湖に出る。
湖を横断して、さらに歩いていけば、広大な荒野が二人を待つ。
その荒野のさらに先、ジェネ・グレダが二人の目的地だ。
彼らが大きな街へ向かおうとしているのには、理由があった。
一つは、レジェンダーの生き残り数を確認するため。
もう一つは、奇跡の石の在りかを聞き出すため。
フィスタやホルゲイ達が求めているという、謎の石。
その石をつかえば、ホルゲイやフィスタを打ち滅ぼす武器が作れるらしい。
どうしても知りたかった。
ヒューイは、武器を作ろうとしている人達の所在を。
アミュは、その武器で彼らが全てを倒すつもりなのかを。
武器を作る者達の目的がフィスタの絶滅であるならば、アミュは全力をもってしても止めなければいけなかった。
目的までの道のりは同じでありながら、二人の目的は全く違う。
ヒューイは天魔を滅ぼすのに賛成で、アミュは反対なのだ。
しかし二人とも互いに互いの目的を口にするのは憚られて、道中、お互いに目的を明かすこともなかった。
「ジェネ・グレダについたら、まず何をしましょう?」
尋ねるアミュへ、陽気にヒューイが答える。
「最初に宿を取ろう。それから住民への聞き込みだね。そうだなぁ、村長さん、いや町長さんか長老さんに聞けば昔話ぐらいは聞けるんじゃないかな?」
まるで、都市についてしまえば何もかもが上手くいくとでもいうように。
その日、レジェンダーでも足を踏み入れない秘境――
センの谷へ、一筋の光が舞い降りた。
光に包まれた若者は背中に白い羽根を生やしていて、何かを探すように視線を一周させた後。
強く羽ばたいて、その場を後にした。
「……アミュ……無事でいてくれよ……!」
悲壮な面持ちを抱え、空から地上に絶え間ない視線を投げかける。
まだ若い。年の頃はアミュと同じか、それより少しばかり上だろうか。
空のように、透き通って青い髪。
彼の名はアスペル。
ラインクインを抜け、先ほど惑星ボルドに辿り着いたばかりだった。
妹弟子であり婚約者でもあるアミュが心配で、ついには叔母の制止も振り切ってラインクインに単独で突っ込んだ。
悪いことをした、というのは判っている。
再び神界に戻ることがあれば、どんな罪でも身に受けよう。
だが、今は。
今はアミュを探したい。その為に、危険を犯して此処へ来たのだ。
早く、気持ちをアミュの気配だけに切り替えなくては……
耳がおかしくなってしまったのではないか。
彼女が一番始めに考えたのは、そのことであった。
おぼつかない足取りでテーブルに近づき、黒いもやの入った瓶を手に取る。
第十五階級魔族ポウワの入った瓶だ。
彼が逃げ出せないように、魔力で封印してある。
こいつを口に放り込んだ後、指揮官は何をしろと言ったんだっけ?
困惑の表情で彼を見やると、クォードは眉間に皺を寄せてイライラしていた。
物わかりの悪い彼女に神経を尖らせているようだ。
そんな風にも感じられて、フェルミーは尋ねかけていた口を閉じてしまった。
「まさか、レジェンダーどもの作った食べ物じゃないから摂取できない……なんて言い出すつもりじゃねぇだろうな?」
彼の眉間に寄った縦皺を見ないようにしながら、フェルミーは首を振る。
「いえ。指揮官殿が命じられるのであれば、何でもする覚悟であります」
改めて、瓶をしげしげと見つめた。
瓶の底に溜まった黒い塊は、ぐるぐると渦を巻いている。
下級魔族の中には、肉体を個体として維持できない者も多くいる。
ポウワ。
彼もまた、下級魔族の一人だ。
魔族でありながら、レジェンダーに味方した愚か者。
「いきます」
誰にいうともなく号令をかけると、瓶を開けてすぐに口をつけた。
息を吸い込むと、もやもやが一瞬激しく抵抗する。
「お前のほうが魔力は上だ。遠慮せずに吸い込んじまえ」
ポウワは瓶の底でとぐろを巻いて抵抗を続けていたが、吸い込まれる勢いには逆らえず、ぐんぐん瓶の入口に近づいていく。
しまいには、すっぽりと吸い込まれてしまった。
喉元に何かが引っかかるような、もどかしい感触。
吸い続けている息が、苦しくなってくる。
吐きたい。息を、吐きたい。
不意に、喉につかえていた何かが、すぽんと胃の中に落ちていく。
「……はぁッ、はぁ、はぁッッ。の、のみこめた?」
フェルミーの青い肌は苦しさから更に青味を帯びていたが、次第に青の色が和らいでいき、彼女の息も整いつつあった。
クォードに次の行動を命じられる直前までは。
「こいよ、こっちに。そのボロ雑巾は、そのへんに脱ぎ散らかしても構わねぇぜ」
誘っている。誘われている、ベッドに。
フェルミーの視線は、クォードがポンポンと叩いた辺りに注がれた。
恐れ多くも指揮官殿の真横に座れと指示されている。
いや、座るばかりではない。
誘われているのは、ベッドの上なのだ。座るだけでは済むまい。
恐らくは裸に剥かれて、クォードの手に抱かれて――
あぁ!
ここからは恥ずかしくて、とても考えられない。
お気に入りの服をボロ雑巾と言われたショックなど、どこかへ吹っ飛んだ。
焦れたクォードが立ち上がって、フェルミーの腕を引っ張り自分の元へ強引に引き寄せる。
「何をするのか判らないって顔してんな。トボケてんのか本気なのか?」
「い、いえ、その……」
モジモジとして、視線を彷徨わせるフェルミー。
彼女とて判らないわけではない。もう、子供ではないのだし。
ただ、慣れていないだけだ。
夜が更けて日付が変わった瞬間、クォードには新しい名前を呼ばれた。
「今日の名前はチェーナか。まぁまぁ可愛い名前じゃねぇか」
耳元で囁かれ、くすぐったさにチェーナは身悶えする。
クォードが身を乗り出してきた。かと思うと、視界を塞ぐ緑の色。
あっという間に、唇を塞がれていた。
前よりもずっと長く情熱のこもった――
いや情熱がこもったと感じたのは半分以上、チェーナの妄想かもしれないが。
だが以前にされたときよりも長い間、口づけされているのは間違いない。
「うっむぅぅん、んふぅっ」
苦しさにもがく両手が、クォードの背中へ回される。
クォードの手がボロ雑巾ことチェーナの服を剥ぎ取り、貧弱な肢体をさらけ出す。
胸は男のように真っ平らで、腰と尻の太さが、それほど変わりなく。
でも股間には何もぶらさがっていないのだから、なるほど其処だけは確実に女であった。
「――ぷぁッ!」
唇を離された瞬間、チェーナが勢いよく息を吸い込む。
またしても彼女の肌は通常以上に青ざめていた。
よほど息が苦しかったのであろう。
息を乱したチェーナを抱え、クォードは彼女をベッドへ横たわらせる。
「お前に初歩を教えてやる。肌で魔力を摂取する方法の初歩を、な」
「は、はぁ……」
目の前で脱ぎ始める指揮官を、チェーナは定まらぬ視線で見つめた。
小柄な割にクォードの体躯は引き締まっていて、無駄な贅肉は一切ついていない。
次第に視線は下へ降りていき、下腹部の一部分に集中する。
大きすぎず、小さすぎず、まっすぐだ。
なにより集落の男どもと比べて異臭を放っていない。
無意識に鼻をひくつかせていたチェーナは、ふと、クォードが苦笑しているのに気づいてハッとなる。
「……匂いが、そんなに気になるのか?てめぇよかぁ匂わないはずだがな」
言われて初めて自分から香る体臭にも気づき、途端にチェーナはボッと赤面し顔を伏せた。
人の匂いを、とやかく言えたもんじゃない。
改めて嗅いでみたら酷い匂いで、我ながらウッとなる。
もう何日も風呂に入っていない、垢にまみれた体臭を自分は全身から放っていた。
着ていた服をボロ雑巾と言われてしまうのも、もっともだ。こんなに臭かったら。
恥ずかしくて、目も満足に併せられない。
この場から消え失せたいとさえ、チェーナは思った。
そして、それはクォードが許してくれそうもなかった。
覆い被さってきたクォードに、チェーナは尻込みする。
「駄目です、くっついたら自分の匂いが貴殿に移ってしまうであります」
だがクォードは「何言ってんだ、くっつかなきゃ肌での摂取もできねぇだろうが」と全く意に介さず。
ぴったりと閉じていたチェーナの足を開かせ、間に入り込んでくる。
弾みで熱いものが太ももに触り「うびょえあぁぁっっ!?」と、色気もヘチマもない悲鳴をあげるチェーナにクォードが囁いた。
「キスだけでも摂取出来ない事はねぇ。だが一番効率のいい遣り方は、こいつをココへぶち込む」
ちょっと自分のモノで彼女の股間を突いただけで、チェーナは「ひぎぃぃぃっっ!!!」と泡を食って狼狽えた。
大音量の悲鳴は説明をかき消し、人の話を聞かない態度には、またもクォードの眉間に幾つもの縦皺を刻ませる。
「まぁ、てめぇは、その前に魅了をマスターしなきゃ摂取もクソもあったもんじゃねぇんだがな。魅了のやり方は、次の機会に教えてやるよ」
イライラしながらも怒鳴らなかっただけ、今までと比べたらマシというものであろう。
すっかり興を削がれたクォードは、再びチェーナに口づける。
「はぅんっ」と情けない声で放り出された彼女を横目に、口元の辺りを満足げに手で拭き取った。
「ふん……まぁ、ゴミにしては悪くない魔力だな。もう戻っていいぞ」
チェーナは思わず、えっ?となる。今のは聞き違いではなかろうか?
「え、で、でも指揮官殿は自分を、お、おかすと」
どもりながらも尋ねると、クォードは、あっさりした調子で答えた。
「もう終わったと言ったんだ。奴の分だけ魔力を奪い取らせて貰った。十五階級にしては強い力がみなぎってくる……ま、俺の階級アップの足しにするには全然足りないが」
呆然と佇むチェーナは頭にボロ雑巾をかぶせられ、部屋から叩き出される。
釈然としない顔で、街の中へ戻っていった。