Folxs

act10.畏怖

あれだけの長い道のりを歩いてきたというのに、旅立って一ヶ月後。
幸か不幸かヒューイとアミュの二人旅は何に襲われることもなく無事、城塞都市ジェネ・グレダまで辿り着くことができた。
だが、街へ入る一歩手前でアミュは立ち止まり、ヒューイを手で制した。
「――おかしいです」
えっ?となり、ヒューイは傍らのフィスタを見上げて首を傾げる。
目の前に映るのは、ジェネ・グレダの門。
おかしいところなど、何もない。
いや、明らかにおかしい点があるといえば、あった。

――見張りがいない――

ホルゲイとフィスタに襲われている現状で、門の前に見張りがいないなど、ありえない。
大都市なら、なおのこと。
しかし門の前は、まったくの無人。
何かが起きたと考えるのが普通だろう。
アミュは緊張していて、ヒューイも思わず周囲に視線を走らせる。
そして、あっと開きかけた口は横合いから塞がれ、同時にアミュに抱えられたまま空へ飛び立った。
「師匠!見ましたか、あっち!壁の影に、ホルゲイが!」
後ろからアミュに抱きかかえられたままヒューイが問う。
「えぇ」と彼女は重々しく頷き、重ねてヒューイに告げた。
「私達の訪問は知られてしまったようです。大人しく入れるとは思えませんね」
ホルゲイの性格の悪さは、ヒューイは勿論のことアミュも知っている。
特にアミュは、この星へ来てから何度襲われたか数え切れないほどだ。
「それに……」
少し、躊躇いがちにアミュが言う。
「それに、レジェンダーの気配がしません」
「気配が?」と聞き返すヒューイに力なく頷き、再び目を門へ向けた。
「恐らくは魔族に襲われて……いえ、不吉な予想はやめておきましょう」


ジェネ・グレダがホルゲイ達の手によって陥落してから、一ヶ月が過ぎた。
すでに第一小隊の姿はなく、この街に留まっていたのは第十八小隊の面々であった。
彼らは第一小隊隊長のクォードから伝達を受け、街の守衛を任されていた。
「なんで俺達が奴に顎で、こきつかわれなきゃならねぇんです?」
そう尋ねたのは、第十八小隊の副隊長クレッセント。
長い顎髭を引っ張りながら、隊長のファヴァールが答えた。
「まぁ、そう言うな。奴のおかげで羽根のばしができるんだ」
ここのところ、ずっと戦いづめで、小隊の士気も下がっている。
休息は常に必要とされていた。そう考えれば街の暮らしも悪くない。
ただ、その説明では血気盛んな部下を納得させるまでには至らず、クレッセントは理由を聞く前よりも鼻息を荒げた。
「羽根のばしなんか必要ない!我々には功績が何より必要だ!」
「なら」と、隊長は横目でちらり。
「第三階級を相手に喧嘩でもしてみるか?できんだろ」
階級を持ち出されてはクレッセントも文句が続かず、鼻息をプゥプゥ言わせて黙り込むしかない。
まだ納得がいかない、といった部下をファヴァールは優しく慰める。
「我々下っ端の役目は予め決まっている。上役の後始末、それだけさ」
ファヴァールは魔族の中でも一風変わった男で、彼は他の仲間達とは違って世の中が見えていた。
世の中には、出来る奴と出来ない奴がいる。
出来る奴は高みを目指せばいい。
しかし、出来ない奴は高みなど目指してはいけない。
出来ない奴は、なるようになるしかない。
長いものには巻かれろ。
それが彼のポリシーであった。
「敵です、神族が現れましたッ!」
間髪入れず、別の部下が駆け込んでくる。
「神族だと!?何人来た!」
「階級は、第何階級なんだ!」
ファヴァールとクレッセントの双方に尋ねられ、駆け込んできた兵は、しばし躊躇の後に報告を続けた。
「敵の階級は不明、一人です!あと……奴はレジェンダーを一匹つれております!」
レジェンダーを?
意外な報告にファヴァールは首を傾げ、もう一度聞き返す。
「そのレジェンダーは生きていたか?それとも」
「生きておりました!ピンピンしてましたッ」
とすると、餌だろうか。それとも我々に対する囮用?
いずれにしても神族とレジェンダー、彼らの仲が良いとは思えない。
この街には魔族と仲の良いレジェンダーがいたそうだが、そんなのは希も希、砂漠で見つかる砂金のようなものだ。
とにかく、相手の目的がはっきりするまで攻撃は禁物だ。
下手にしかけて怒りを買っては、まずいことになる。
思案するファヴァールの横を駆け抜ける風一つ。
「クレッセント!」
血気盛んな部下は、一回だけ振り返るとこう叫んだ。
「司令官、俺が仕掛けてみる!」
「クレッセント、馬鹿者!やめるんだ!!」
あとは司令官が叫ぼうが喚こうが聞きもせず、一直線に出ていった。
ファヴァールは、くしゃくしゃっと頭を掻きむしった後、ぼけっと突っ立っていた報告兵に慌てて命じる。
「仕方ない、神族に攻撃を仕掛ける!全員で一斉攻撃だ!!」
自身もまた、フォローにまわるべく外へ飛び出した。


ヒューイとアミュの二人は、街の入口付近にある小屋へ身を隠していた。
かつては見張り小屋として使われていたのだろう。
しかし、ここにもレジェンダーの姿はなく、二人を落胆させる。
「皆、どこに行っちゃったんだろ?街をほったらかしにするなんて」
誰にいうでもなくヒューイは呟き、アミュがそれに応える。
「ホルゲイに襲われて逃げ出したか……もしかしたら」
全滅。
でも、それをヒューイに言うのは憚れて、アミュは口を噤んでしまう。
ヒューイは、この街に希望を持って訪れたのだ。
彼の希望を潰すことはできない。
しかし、この状況は他に考えようが――

コト、という微かな音に。

アミュもヒューイも、ハッとなる。
静かに、と手振りでヒューイを制し、アミュが背中の剣に手をかけた。
扉が開くと同時に斬りかかるつもりだ。
彼女には、向こう側にいる人物の気配が何なのか判っているようだ。
アミュが殺気立つとしたら、相手は一つしかない。ホルゲイだ。
ヒューイは口を出さず、成り行きを見守ることにした。


「――ここです」
兵達に案内され、第十八小隊司令官ファヴァールは見張り小屋の前に立つ。
扉の前に立っていたクレッセントへ、視線を向けた。
「許可なく勝手な行動を取るんじゃない。突っ込んでいたら無謀死していたところだったぞ?」
クレッセントは「まさか」と手を振り、肩を竦める。
「一人で突っ込むほど馬鹿じゃねぇですよ、俺は」と、呟いた。
どうだか、と呆れつつも、ファヴァールは扉の向こうに意識を投じて、向こう側に潜む相手の気配を読んだ。
二人、それは間違いない。
神族とレジェンダー、それぞれが一人ずつ。
レジェンダーはともかく、神族が厄介だ。
強大な者になれば、山を一つ二つ崩すほどの魔力を持つというではないか。
しかも困ったことに、扉の向こうに隠れている神族の階級がファヴァールには感知しきれない。
脂汗が額を伝ってゆき、部下にも心配された。
「どうしたんですか?奴の階級は判りましたか」
クレッセントにも判らなくて、彼は感知を放棄したものらしい。
「――駄目だ、判らない。階級が読み切れない」
司令官の否定的な言葉に、一同はザワッと軽く混乱する。
が、続くファヴァールの命令で勇気を取り戻し、武器を構えた。
「奴ら、気配を押し殺してるんだ。忍んでるつもりらしい……ということは、さして強くないのかもしれんぞ?」
神族も魔族と同じぐらいプライドの高い種族であると聞く。
気配を消して逃げ回るなど、彼らのプライドが許さないはずだ。
強ければ、気配を殺して隠れる必要などない。
真っ向から戦い、潰せば済む話なのだから。
「神族だ、神族を集中して狙え。レジェンダーは無視して構わん」
クレッセントが扉の取っ手に手をかける。
いち、にの、さん、と合図をして。
一気に開け放った瞬間、彼の目は何も見えなくなった。

何か鋭いものがクレッセントの頭から爪先までを一閃したかと思うと、数秒後には彼は顔から青い血しぶきをあげる。
断末魔をあげることなく地へ倒れ込み、そのまま絶命した。
「何ッ!?」
いきなりの死にファヴァールも部下達も驚き、武器に手をやるが、何もかもが遅かった。
続く閃光がクレッセントの脇にいた兵士を襲い、彼もまた、悲鳴をあげる間もなく崩れ落ちて青い血だまりに倒れ込む。
かと思えば、ファヴァールの前にいた兵士の腕が飛ぶ。
太刀筋すら見えず、斬った相手の姿さえ見えず、まるでスローモーションのように次々倒れる仲間を司令官は見た。
最後にファヴァールが見たものは、桃色の髪に赤い瞳の少女が、自分に向かって振り下ろした剣先で。
そこから後の意識は、一切の闇に包まれた。

強い。
いや、彼女が強いことは知っていた。
知っていたつもりでは、あった。が、しかし。
フィスタとは、ここまで圧倒的に強い生き物なのか。
魔力があるから強いのだと思っていた。
しかしアミュは一度も魔力に頼らず、剣だけで大群を全滅させた。
剣だけでも、これだけ強いのだ。
これに魔力まで加わったら、レジェンダーに勝ち目など、あるのだろうか?
こんな奴らを滅ぼせる武器など、本当に存在するのだろうか――?
頼みの情報源であったはずのジェネ・グレダ住民は一人もいなくなっていた。
そして今、フィスタの強さを見せられて、一方的な虐殺が終わった後もヒューイは小屋の中で放心していた。
「終わり、ですね。魔族の気配は無くなったみたいです」
チンと剣を鞘に戻して、アミュが微笑みかける。
彼女は一つも息を切らしていない。あれだけ動いたというのに。
体が、動かない。
手を差し出されても、その手を掴めない。
掴みたくない。
強さに憧れて弟子入りしたいと思った相手なのに、今は彼女がとてつもなく恐ろしく感じる。
一緒にいることさえ、恐ろしい。
アミュはヒューイに気を許しているから斬りかかってくるはずがないのに、体の震えが止まらない。
座り込んだままヒューイは、ずりずりと後ろに下がり、怯えた目でアミュを見上げた時、彼女の顔に影が差すのを見た。
怖がられている。
すぐ、アミュにはそれが判った。
畏怖の目。
魔族とはいえ、大勢が目の前で死んだのだ。一瞬にして。
村の中で平和に暮らしていたレジェンダーが怯えるのも無理はない。
この一ヶ月、ヒューイと旅をして、少しは仲良くなれたと思ったのに。
ちょっとだけでも、心を許してくれたと思ったのに。
戦えば、こうして怯えさせてしまう。
でも戦わねば、二人とも殺されてしまっていた。
堂々巡りの思考の末に、アミュは決心する。
――諦めよう。
レジェンダーと仲良くなるのは。
いや、仲良くなれる、なんて思ってはいけなかったのだ。
臆病で優しいレジェンダー、彼らは強すぎるものが嫌いなのだから……
だから強さを求めるアミュとは未来永劫仲良くなることなど、できやしない。
彼女は、怯えて動けないままのヒューイに声をかける。
「驚かせてしまって、ごめんなさい。ここで、お別れしましょう」
その頬を、一筋の涙が伝った。

クォード率いる第一小隊はジェネ・グレダ攻略の後、一ヶ月を経て広大な草原を進軍し、大樹海へと足を運んでいた。
彼らは一つの手がかりを元に、樹海を目指していた。

一ヶ月前、ジェネ・グレダ村長の家には来訪者があった。
「魔力の高まり?そんなもんが、森にあるってのか」
「我々が最終的に探しているのは何だ?奇跡の石だろうが」
「んなこたぁ、あんたに念を押されなくたって判ってるぜ」
高飛車な物言いにクォードは顔をしかめ、対面に腰掛ける男が微かに笑う。
彼の名はアルタス。第二小隊を率いる隊長だ。
「クォード、レジェンダーを侮るな。彼らは意外と博識だぞ」
「森に魔力があると、あんたに教えたのはレジェンダーか?」
「そうだ。彼らの話によると、彼らが生まれるよりも前から魔力の高まりは樹海に集まっているそうだ」
それを聞いた途端クォードの脳裏には疑惑が生まれ、彼は、しばし考え込む。
この情報を素直に信じていいものだろうか。
目の前の男がレジェンダーに担がれている、という可能性もある。
しかし奇跡の石に関しては、情報は一つもないのが現状だ。
先発隊の仕事は星の大掃除。
とはいえ情報を一つも持ち帰らないというのも、能なしのやること。
レジェンダーや神族を残らず始末した後、石の情報まで持ち帰れば、立場は今よりずっと良い待遇へと変わるだろう。
「その情報が確かだとして、何故それを俺に教える?」
考えた末に別の疑問が沸いてクォードは尋ね、相手は真面目な顔で応える。
「共同作戦だよ。樹海は広い、一小隊だけでは迷い子になる」
「俺達を先行させ、森の生贄にでもしようって腹か?」
「疑りぶかいね」
軽口を叩くクォードに、アルタスも苦笑する。
「共同というからには、連絡を取り合うに決まってるじゃないか」
使い魔を送りあってと付け加えられて、クォードも、ようやく納得した。
いや、するそぶりを見せた。
「ま、いいさ。裏切られたら、その時はその時だ」
「怖いことを言う……さすが第一小隊の隊長に選ばれただけはあるね」
相手もまた小隊隊長に選ばれし者であり、完全に気を許したら寝首をかかれかねない。
「で、実際あんたは、どう思っている?」
「どう、とは?」
「だから」
クォードはアルタスから視線を外し、窓の外を見た。
ジェネ・グレダ周辺は、あの戦い以来、穏やかなものだ。
神族が襲ってくることもなく、レジェンダーの逆襲もない。
そろそろ別の街を襲う計画を立てようと思っていたところだ。
樹海への旅立ちは、部下達にも新たな刺激を与えるだろう。
「魔力の高まりの原因は何だと思っている?やっぱり奇跡の石か」
すぐ相づちを打つかと思っていたのにアルタスは躊躇し、一拍の間を置いてから、ぼそりと答えた。
「いや……森にあるのは、それだけではなかろう。僕は神族か魔族も、そこに居るのではないかと睨んでいる」
意外な答えに、クォードは驚いた。
「魔族が?」
神族はともかく、魔族が森に滞在し続ける理由とは何だろう?
どの小隊も、地上の殲滅作戦で忙しいはずなのに。
「魔力の高まりがあるから、居続けるのか……それとも、神族との抗争が長引いているのか……とにかく樹海にあるのは石だけではない、と思うのだ」
一言一言を区切るように、彼は言った。
「そいつは勘か?それとも」
尋ねるクォードに、アルタスは かぶりを振る。
「クォード。森に潜む魔力の高まりを自分で探知してみれば、僕の言いたいことも判るはずだ。魔力の気配は、複数ある」
苦悩の声を、その口から絞り出した。

第二小隊隊長、アルタス。
彼を疑うわけじゃないが、完全には信用できずにいるのも事実である。
それでもクォードは第十八小隊に後を任せて、樹海へ出発した。
森が近づくにつれ彼の肌は粟立ち、自身の腕に立つ鳥肌をクォードは驚いて見つめた。
まだ魔力を調べてもいないというのに、この反応は何だ。
森の中にある危険を、体が先に感知したというのか?
第二小隊は反対側から森へ侵入すると言っていた。
使い魔を飛ばし、第一小隊も森へ入り込む。
だが一歩入った途端、強い魔力を感じて、彼らは動けなくなる。
「な……なんだ、こりゃあぁ!?」
あちこちで悲鳴があがり、魔力の低い輩は周囲の気配に気圧されてしまう。
屈強な体の魔族が数人、情けなく地にへたり込む。
ガクガクと震えている者さえ、いた。
名誉ある第一小隊の隊員ともあろう者達が、だ。
「チッ。おい、しっかりしろ!」
クォードもまた、へたり込みたい気持ちを無理に振り払い、額に汗する部下の一人を蹴っ飛ばして檄を飛ばす。
「相手の姿も見ないうちからヘタッてんじゃねぇ!」
蹴ろうと殴ろうと座り込んでしまった面々は、そこから動こうとせず、森に入って早々、第一小隊は停軍を余儀なくされる。
ふと、クォードは傍らの第七階級魔族、通称『名無し』を見た。
彼女は神族と聞いただけでも、震えあがっていたのだ。
この強烈な魔力の気配には、ひとたまりもないはず――
だが。
意外なことに、臆病で気弱なはずの彼女は平然としている。
周りの連中を見渡してから、のんびりとクォードに尋ねてよこした。
「皆さん、どうしちゃったのでありますか?とても気持ちの良い森なのに、気分が悪そうでありますね」
これにはクォードのほうが驚いてしまい、しばらく二の句が継げなくなった後、ようやく言葉が見つかった。
「どうしてって、お前、怖くねぇのか?」
「何がでありますか?」
不思議な事を聞く、とでも言いたげな素直な瞳で見つめられて。
思わず八つ当たりしたくなる気持ちを抑えながら、クォードは重ねて尋ねる。
「魔力だよ、強い魔力を感じるだろ」
きょとんとした顔のまま、彼女は首を横に振り。ぽつりと答えた。
「魔力ですか?いえ、何も感じませんが……」

なんてこった。

怖い、怖くない以前の問題だ。
こいつは魔力が怖くないんじゃない、魔力を感じていないだけだ。
話すたびに、こいつには驚かされてばかりのような気がする。
ことごとくクォードの持つ魔族の常識を打ち破ってくれる相手である。
こいつ、間違ってレジェンダーの腹から生まれてきたんじゃねぇだろうな?
などと苦笑しながらクォードは第七階級魔族、本日の名前はイユに命じた。
「なら都合がいい。お前が先頭を歩け、俺達は後から続く」
ワンテンポ置いた後「えぇぇー!!」と絶叫する彼女の背中を乱暴にどつき、前へと進ませたのであった。
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