Devil Master Limited

2-4.閉ざされた希望

イスラルアを南下した先に、小さな港町がある。
いや、あったというべきか。
もう使われていない廃港だ。
今は漁業で細々と食いつないでいる小さな町であった。
町の人口は五十人。なんの変哲もない寂れた町。
それが、世界におけるシャリムの大まかな印象だろう。
だが――
シャリムには外の人間に知られていない、もう一つの顔があった。

日が暮れて真っ暗な大通りを、一人の娘が歩いていく。
背後に付き従っているのは悪魔だ。
白いフードを目深にかぶり、大きな鎌を背負っている。
細い眉に切れ長の瞳。
美麗ではあったが、生気のある顔ではない。
所詮は人ならざる者の擬態、人を真似た姿に過ぎない。
悪魔が前を行く娘に話しかけた。
『浮かない顔をしているな?もうすぐ、幼馴染みに会えるかもしれないというのに』
娘が振り向き、ぼそりと答える。
「嬉しいわけがない。私は、こんな結末を求めていなかったのに」
『今ある流れを作ったのは、お前の周辺にいた人間だ。俺のせいではない』と悪魔もやり返し、薄く笑う。
娘の名はベルベイ。
悪魔は彼女の遣い魔で、名をアリューという。
二人は、ある日突然消息を絶ち、この町に匿われていた。
匿われていたというのは正確ではない。
囚われている、と言った方が正しいんじゃないかとベルベイは思う。
私は、あの会社を抜け出したかった。
会社のネジになりたくて、悪魔遣いになったのではないのだから。
悪魔遣いになる夢は、元々は近所の幼馴染みが持っていたものだ。
両親が離婚し、母と共にベルベイも家を出て、スラム街へ身を移した時。
そこで知りあった近所の少年は歳に似合わぬ、しっかりした信念を抱いていた。
彼が悪魔遣いを目指すと言うから、ベルベイも同じ道を選んだ。
彼のように世の為、人の為に役立とうという気は更々なかった。
ただ、幼馴染みといつまでも同じ道を歩みたかった。
それだけだったのに。
二人で悪魔遣いの儀式を受けた時、あの瞬間から、二人の歩く運命は引き裂かれてしまったのだ。
「何故私の引き当てた遣い魔は、お前だったのかしら。何故、彼の遣い魔はあの子だったのかしら」
ポツリと呟くベルベイに、アリューは『偶然だろう』と素っ気なく流し、来た道を振り返る。
『あまり留守にしていると、またウォンが心配する。そろそろ戻ろう』
ベルベイの眉間に、僅かばかりの皺が寄る。
彼女はウォン=ホイが好きではなかった。
少しばかり知名度があるからといって、馴れ馴れしすぎる。
ラダマータにしたって、そうだ。
あの女は、すぐ人を新人、お嬢ちゃんと見下してくるので、とても好意を持てたもんじゃない。
ハムダッドぐらいだ、まともな仲間は。
だが、その彼は今ここにいない。
ラダマータと共にイスラルアへ潜伏している。
彼らが推し進めるDECADENT計画の為に。
テロ行為、悪魔王国の建設は目くらましだ。
真の目的は他にある。
カゲロウがそれに気づかず、真っ直ぐ自分を追ってきてくれると嬉しいとベルベイは考えた。
彼とは戦いたくない。
しかし彼がもっと困難な戦いに巻き込まれるぐらいなら、自分の命を捨てた方が遥かにマシだろう。


猫道を辿ったラングリットとパーシェルは、誰よりも早く大通りに出た。
『ラングリット様、道が開けたニャ♪』
走り出したパーシェルは不意に足を止め、フーッと猛々しい唸り声をあげる。
「どうした!?」と尋ねておきながら、答えを聞く前にラングリットにも異常は察知できた。
背後に何者かの気配が迫っている。
近づかれるまで気づかなかった自分の愚かさに、唇をかみしめた。
尾行されていた。
誰にって?決まっている、テロリストの連中だ。
ラングリットやパーシェルに全く気配を感じさせないとは、慣れた連中である。
数は五人。テロリストの仲間なら全員悪魔遣いだ。
一人や二人ならなんとかなろうが、さすがに五人は数が多い。
パーシェルは悪魔といっても、それほど強くない。
どちらかといえば、探索向きの能力だ。
ならば、どうするか。
決断した後のラングリットの行動は早かった。
「あっちに走れ!パーシェルッ」
『りょ、了解ニャ!?』
パーシェルとラングリットは大通りを、全く逆の方向へと散開する。
虚を突かれた尾行の連中も、我に返って悪魔を呼び出す。
悪魔の気配が追いかけてくる。
三匹はパーシェルを、残り二匹はラングリットを。
ラングリットが叫んだ。
「パーシェルッ、頼んだぞ!」
『ニャッ!!』
追ってきた二匹が足止めを食らう気配を背中に感じながら、ラングリットは一目散にその場を退散した。

ラングリットを尾行してきたのは、彼の予想通りDECADENTのメンバーだった。
彼らは侵入者であるラングリットの捕獲を命じられていたのだが、奴が遣い魔だけ残して逃げるとは誤算だった。
「どういうつもりなの……?遣い魔と別行動を取るなんて、何か他に策でもあるっていうの」
困惑の表情で呟く女に、スキンヘッドの男がニヤリと笑う。
「遣い魔を捕らえた後に奴も捕まえれば問題ない」
目の前には四つんばいで威嚇の声をあげる少女が身構えている。
少女のナリをしているが、れっきとした悪魔だ。
気配が人のものではない。
「耳に鈴をつけているわ。音波攻撃をしてくるのかもしれない」
後方の少女が呟き、己の遣い魔に低く命じる。
「ブランケット、皆に防御幕を」
『ヴィヴィヴィヴィヴィヴィ!!』と耳障りな鳴き声をあげて、球体が空に跳ね上がる。
ぶわぁっと風呂敷のように広がったかと思うと徐々に薄くなり、大気に溶け込むようにして消えてしまった。
上空で起きた謎の行為に目を向けるでもなく、パーシェルは手前の奴に飛びかかる。
『ニャッ!』
シャッと繰り出された鋭い爪を寸前でかわすと、緑色の肌をした悪魔が威勢良く叫んだ。
『ザッシャー様!こいつ、ベロンベロンに皮膚を剥がして剥製にしちまいましょうぞッ』
「剥製はナシだ」と、後方に控えた長髪の男が答える。
「我々はそいつを捕獲しろと命じられている。殺すなよ、適度に痛めつけるだけでいい」
「なら、早々に連携でケリをつけるわよ」と女も頷き、ぱちんと指を鳴らす。
それを合図に上空からは二匹、前方からは先ほどの緑色が、横手からは更にもう一匹が襲いかかってきて。
『ニャアウッ!!』
後ろに飛び退いて三匹の攻撃を避けたまでが上出来で、横合いの一撃を食らったパーシェルは激しく吹っ飛んだ。
いや、吹っ飛んだことは吹っ飛んだのだが空中でくるりと回転し、叩きつけられる寸前で壁を蹴って逆に飛びかかる。
『フニャンッ!』
着地直後で態勢の整わぬ一匹を思いっきり爪で引っ掻いてやると、『ギャパァッ!!』と叫んで一匹が後退する。
顔を覆い隠す手の隙間からは紫の血が滴っている。
確かな手応えを感じた。
『ニャフゥッ!』
間髪入れず、もう一匹にも仕掛けるが『させるかッ!』と横から飛びかかってきた者がいて。
そいつにのし掛かられたのをきっかけに、他の者達も続けとばかりに飛びかかってきて、あとは上や下への団子状態。
噛みついたり引っ掻いたり、五匹の悪魔による乱闘の始まりだ。
五匹の悪魔が本気で殴り合っているのだ、とても人の近づける状態ではない。
「こ、これは……」
収拾のつかない混戦を悪魔遣い達が困惑で見守る中、勝負の行方が決まろうとしていた。
『あ、あ……た、倒しましたァ……っ』
緑色の奴が、よたよたと団子状態から這い出てくると、皆の前でビタンッと前のめりに倒れ込む。
あちこち噛み傷だらけのひっかき傷だらけでボロボロだ。
慌ててザッシャーが「ヨルン!」と駆け寄って助け起こすのを横目に、他の四人も近づいてみると。
同じくボロボロになって『ニャフン……』と小さく呻いたパーシェルが横たわっているのを確認した。
パーシェルの横には、ズダボロになった他の三匹も蹲っている。
「四対一で、やっと……か。けど、これで遣い魔は確保できた」
半ば呆れる女の横で「耳元の鈴は関係なかったの?」と少女が呟き、己の遣い魔に命ずる。
「ブランケット、元にお戻り」
ふわぁっと遣い魔が舞い降りてきて球体に戻るのを見届けてから、少女が尋ねた。
皆と同様ボロボロになった己の遣い魔をジッと見つめていた少年に。
「ヴァル、このまま侵入者を追うの?それとも一旦戻った方がいい?」
「戻るしかないでしょ」と答えたのは、女だ。
「見てよ、皆ボロボロにされたわ。一匹だと思って侮っていたら酷い目にあったわね」
「侮ったつもりなど、なかったのだがな。どこの社の手先だか知らんが、強い遣い魔を飼っている」
忌々しげにスキンヘッドが呟き、横たわったパーシェルの腹に蹴りを入れる。
『ニャウッ』と哀れに鳴いて腹を押さえる悪魔を見て、女がしかめっつらを作った。
「ちょっと、トドメを刺さないでよ?せっかく生け捕りに出来たってのに」
「こんな程度で悪魔が死ぬかよ」と男もやり返し、少年に命じた。
「ヴァル、そいつはお前が運べよ。お前の遣い魔の傷が俺達の中じゃ一番軽いんだからな」
仲間達が軽口や文句を言い合いながら、役所のほうへ歩いていく。
その背中を、やはり少年は黙って見つめていたが。
横たわったパーシェルへ近づくと傍らにしゃがみ込んで、じぃっと眺め、何を思ったか、にぃっと微笑んだ。
「お前は、いい魂を持っている……お前なら僕のシュナイダーの、良い合成材料になりそうだ……」
無造作に髪の毛を掴むと、ずるずるとパーシェルを引きずっていった。


何度目かの角を曲がり、目の前に開けた景色を見てデヴィットがぼやく。
「あれ……また外に出ちゃったよ」
正面に広がるのは砂漠だ。
この街は正方形に道が区切られていて、どこをどう歩こうと必ず街の外に出てしまう。
頭の中で地図を描きながら、あと行っていない道は何本あったかとデヴィットが考えていると、胸元の携帯がピピピと鳴り出した。
「はい、僕だけど」
『デヴィットさん、僕です、カゲロウです』
電話の相手は新人後輩のカゲロウだった。
会社専用のコードを使っている。
エイジの注文通りだ。盗聴の心配はない。
「なに?僕に直接かけてくるってのは急用かい?」
『はい、多分迷路で迷子になっているんじゃないかと思いまして』
図星だ。
なら電話をかけてきた用件は、その解答を教えようって腹か。
「なるほど、お得意のモバイルで調べたんだね」
デヴィットが尋ねると、カゲロウが嬉々として答える。
『えぇ。他の皆さんにもお教えしたかったんですが、何故か皆、電話が通じなくて……』
不穏な一言に、デヴィットの片眉がぴくりとあがる。
「みんな?エイジもかい?」
電話で連絡を取ろうと言った本人が、携帯の電源を落としているとは考えづらい。
何か不慮のアクシデント、電話に出られない事態が発生していると考えた方がいいだろう。
カゲロウは『全員です』と繰り返し、こうも付け足した。
『バルロッサさんに至っては圏外だと言われましたよ。でも、おかしいですね。僕達は全員街の中にいるはずなのに』
バルロッサが一人のこのこ街の外へ出て行くというのも、考えられない。
彼女の身に何かあったのか。
ラングリットもエイジも無事だろうか。
「ふぅん……まぁ、いいや。それで君が調べたことを教えてもらえるかな」
ひとまず仲間の事は置いといてデヴィットが情報を促すと、こほんと咳払いを一つしてカゲロウが話し始めた。
『えぇ。デヴィットさん、イスラルアは巨大仕掛け迷宮だったんです。曲がり角にスイッチが設置されていて、赤・青・紫の三つのルートで壁が切り替わるんです』
「あぁ……なるほど、ダンジョンによくあるやつか」
悪魔退治の依頼が多いデヴィットには、お馴染みのトラップだ。
野良悪魔は廃棄された人工建築物に住み着くことが多いのだが、そうした建物には地下が広がり罠も多数仕掛けられている。
カゲロウの言ったタイプはスイッチで壁が開閉し、道そのものが切り替わる大掛かりな仕掛けだ。
そいつが地下ではなく地上に施されているという。
何度歩いても街の外へ追い出されてしまうのは、正解の道が隠されていたせいだ。
「正方形は仮初めの姿だったんだな。それで、連絡をよこすからには当然ルートも確定できたんだよな?」
『えぇ、まぁ……一つだけなら』
途端にカゲロウの歯切れは悪くなり、彼はポツリと申し訳なさそうに呟いた。
『僕が調べたのは紫のルートです。恐らくは工場地帯と思わしき場所に出ました……それで、デヴィットさん。相談なんですが、僕を助けに来てもらえませんか?見つかりそうになって隠れたのはいいんですが、身動きが取れなくなってしまって』
それでデヴィットにSOSがてら電話してきたのか。
だが、かけた先が悪い。相手はデヴィットだ。
「お断りだね。君もいっぱしの悪魔遣いなら、自分の窮地ぐらい自分で何とかしたまえ」
『そんな、無理ですよ。パーミリオンは戦闘向きではありませんし、僕もいっぱしの悪魔遣いではありません』
「じゃあ何だって言うんだい」
『新米です』
新米なら新米らしく、情報を掴んだ時点で連絡を取ってくればよいものを。
一人で先走って動くから、予測できない窮地に追い込まれたりするのだ。
「君が窮地に陥ったのは自業自得だろ。僕を巻き込んでいい理由にならないね」
デヴィットは冷たく突っぱねると、頭の中で紫のルートに線を引いた。
カゲロウには悪いが、しばらく籠城していてもらおう。
連絡の取れなくなったエイジが心配だ。
『そんな、デヴィットさん。僕達はチームでしょう!?』
まだカゲロウが何か言っていたが、デヴィットは構わず通信を切る。
続けてエイジのコードにかけてみたが、彼の携帯には繋がらない。
「ふむ……あまり面白い展開では、なくなってきたみたいだね」
デヴィットはポツリと呟くと、曲がり角に目を留める。
カゲロウの言ったとおり、色のついたデッパリが地面にちょこんと顔を覗かせていた。
よくよく注視していないと気づかないようなサイズだ。
こんな仕掛けを施す奴は、きっと捻くれた性格に違いない。
「残りは赤と青か。さて、どっちが正解かな?」
足下にあるデッパリは赤く塗られていた。
「……なら、僕は青を探そう」
誰に言うでもなく独り言をもらすと、デヴィットは次の曲がり角へと急ぎ足で歩いていった。
この仕掛けを作った奴は捻くれた奴かもしれないが、デヴィットは、さらに上を行く捻くれ野郎であった。


バルロッサがDECADENTのアジトへ戻ってくる頃には、他のメンバーも集まってきていた。
「あら、新入り?見かけない顔ね」と声をかけられて、何気なく相手の顔を見たバルロッサは驚きを飲み込んだ。
青いアイシャドウに紫の口紅。
褐色の肌にまとうのは、透けそうで透けないギリギリラインの薄い衣装。
仄かに漂ってくるのはバラの香水。
女はメディアで多々見かける超のつく有名人、悪魔遣いのラダマータ=ドラグナーであった。
彼女が此処にいるということは、ベルベイも此処へいるのだろうか?
いや、先兵の話だと彼女は本部にいるのではなかったか。
なら、ラダマータに聞けば判るだろう。
まずは溶け込むのが先決だ。
気を許して雑談できるぐらいまでには仲良くなっておきたい。
「なんていうの?名前」
ラダマータに問われ、バルロッサは素直に答える。
本名を答えたって平気だろう。
彼女は悪魔遣いの中では無名だ。
少なくとも目の前の女性よりは、ずっと。
「バルロッサ=ルベロよ」
「ふぅん。聞かない名前だねぇ」と言ったっきり、ラダマータの興味はバルロッサから別のモノへと移った。
「そういやヴァンが捕まえてきた奴は、大人しくしているかい?」
聞かれた男は、どぎまぎと頬を赤く染めながら「は、はい!聖状縄で縛ってあるから大丈夫です」と上擦りがちに答えた。
「聖状縄?悪魔を捕らえてあるの?」とバルロッサは男に尋ねたのだが、答えたのは別の人物で。
ラダマータの隣に腰掛けて本を読んでいた長髪の男が顔をあげ「侵入者の遣い魔だ」とだけ言うと、再び手元の本へ視線を落とす。
聖状縄は東のエクソシスト御用達の道具で、悪魔を束縛する時に使う縄だ。
悪魔の能力を全て封じ、抗う気力を奪わせる。
と書くと無敵アイテムのようだが、アーシュラやエイペンジェストぐらいの強敵が相手だと容易く縄を切られてしまう。
縛れるのは弱い悪魔に限られた。
そんなもので捕らえられる侵入者の遣い魔って、どんな奴よ?とバルロッサは首をひねったが、まぁ、今は間抜けな悪魔について頭を悩ませている場合ではない。
バルロッサは素早く建物の中を見渡した。
表で見るよりも建物内部は広く、人も沢山いることはいる。
しかし、思っていたよりは少ない。
今ここにいるのは、せいぜい十人から十五人弱といったところか。
いずれは三千人に増やす予定だと聞いていたが、これでは気の遠くなる話だ。
「あなたぐらいね、見覚えのある有名な人って」
バルロッサがごまをすってみると、ラダマータは、まんざらでもない様子で受け応える。
「そう?あと二人いるのよ、有名人。でも今は、あたしとあいつの二人しか詰めていないけどね」
「あいつって?」
バルロッサの顔を見て、ラダマータが微笑む。
「そのうち嫌でも顔をつきあわせることになるわよ」
そう言って、さっさと歩いていってしまった。
何なんだ。
誰なのか教えてくれたっていいだろうに、何を勿体つけているんだか。
バルロッサはむくれたが、むくれたってラダマータが戻ってくるでもなし、仕方なく奥へ行ってみる。
さっき、ちらりと階段が見えたのだ。
二階にも誰かがいるはずだ。
正体がバレる前に、少しでも情報を集めておかねば。