Dagoo

ダ・グー

魔族達のハロウィン

唐突に甲高い声が頭上から轟いてきたかと思うと、そいつはピョンと身軽にキエラの上にまたがって、彼の胸をドコドコ叩いてきた。
「うげっ!?」
おかげでキエラは予想外の悲鳴をあげて、ベッドから飛び起きる。
胸を押さえた彼が見たものは、得意満面ベッドの上で仁王立ちする我が義妹ランカの姿であった。
ランカとキエラは兄妹でありながら、実の兄妹ではない。とある理由で、義兄妹の約束を交わした間柄だ。
以来ずっと魔界で一緒に暮らしていたのだが、ある日、ランカはふいっと出て行って戻らなくなった。
まるで猫の家出みたいに。
だが魔界で誰かがいなくなったり消滅するのは日常茶飯事だから、キエラは特に気にしていなかった。
再会したのは人間界、それも人間どもが現代と呼んでいる時代だった。
キエラとクローカーは、もう一人、強力な味方をつれて人間界に出向いていた。
ある崇高な目的の為に。――と言えば格好いいが、要はツカイッパである。
彼らより、さらに強力な何かの為の。
ランカは人間のすみかに、ちゃっかり居候していた。ごく普通の家出娘として。
「トリック・アンド・トリート?何だそれ」
首を傾げるキエラの前で、ランカがふんっと鼻息を漏らす。
「お菓子をよこして悪戯もさせるのだ!」
「それをいうなら、Trick or Treatでしょう」
静かな声が部屋に入ってきて、キエラの前を横切り、椅子へ腰掛ける。
長い黒髪に黒スーツ。クローカーはキエラの、いずれは義理の兄にあたる存在だ。
キエラの姉、フェザーの恋人であった。彼女は魔界で留守番している。
「お菓子をくれるか、悪戯するか。答えは一つ。どちらも与えてもらおうなんて、図々しい話だと思いませんか?」
相づちを求められたので、キエラは頷く。
ランカの機嫌を損ねるのは後々面倒になりそうだが、クローカーの機嫌を損ねても立場上まずい。
嫌な板挟みだ。
「あぁ、まぁね。で、それ、なんなんだ?」
クローカーとランカがハモッた。
「ハロウィンなのだ!」「ハロウィンですよ」
ハロウィン?と再び首を傾げるキエラの前に、タブレットが差し出される。
「人間どもの祭りですよ。十月末日、一日限りの……ね」
タブレットに映し出されているのはwikipedia、人間がインターネットという空間で作り出した情報掲示場だ。
一通り目を通したキエラは、にやりと口の端をつり上げる。
「へぇ……面白そうじゃん」
どの辺に面白さを見いだしたのだとクローカーが尋ねると、彼は「夜に訪問して悪戯しようってのが」と答えた。
「夜に乗じてダグーの家に侵入して、思いっきりクチビルをブチュウゥゥ〜〜っと!」
両手を拳に押し当ててフルフル首を振るキエラの臑を、ランカが癇癪起こして蹴っ飛ばす。
「何度言ったら判るのだ!?ダグーはランカのモノだから、キエラは手を出しちゃ駄目なのだ!!」
「それに」とクローカーも静かに諭す。
「彼へ迂闊に近づかない方がいいですよ、深く魅了されたら理性を取り戻せなくなる危険もある」
「誰がそんなことを?」と、キエラ。
クローカーは短く「クォードが」と答えた。
強力な協力者のクォードは、今ここにいない。
ここにいるのはクローカーとキエラ、それからランカの三人だけだ。
「あいつ、何者なのだ?」とランカに聞かれ、キエラは首をひねった。
「さぁな。あいつを仲間にしようって言い出したのはクローカーだし?」
「言ったでしょう」と、苦笑してクローカーが付け足した。
「彼は強い。そして我々の後ろ盾とも面識がある。だから仲間に加えたのです」
「けど、余計な口出しまでしてくるのが、玉に瑕だよな」
キエラは口をとがらし、不意に「そうだ!」と思いつく。
何事かと耳を澄ませるランカ達の前で、意気揚々と思いつきを公開した。
「トリックを仕掛けてやろうぜ、クォードに」
「クォードに?ダグーじゃないのか?」
あからさまに不満げな妹の耳元へくちを寄せると、キエラはニヤリと笑う。
「あいつ、ちょっと生意気だからさ。思いっきり悪戯してやれば、少しは融通が利くようになるんじゃないか」
「思いっきり悪戯……素っ裸にして写真でも撮るのか?」
陰険な返答には「なんだよ、それ。人間じゃあるまいし」と面食らったものの、気を取り直してキエラは続ける。
「悪戯って言っただろ。古来より伝わる悪戯といえば、くすぐりだ!」
「コチョコチョしてやるのか?」
途端に瞳を輝かせるランカに、人差し指を立てたキエラも満足げな頷きを返す。
「そうだ。ハロウィンは、泣きが入るまでコチョコチョするぞ!」
「おー!」
意気投合する二人を、クローカーは少し離れた場所で遠目に見守った。
彼としては人間のお祭りに参加する気はないし、誘われたとしても丁重に断るつもりでいた。
しかしターゲットがクォードとなると、厄介が起こりかねない。
協力者を怒らせてはならない。少なくとも、使命を無事に果たすまでは。
当日は二人を見張ることにしよう。


ハロウィン当日。
白鳥家に易々と忍び込んだ三人は、一人息子の部屋へ向かう。
一人息子といっても、そこにいるのは人間の子供じゃない。
一人息子に成り代わった、キエラ達と同じ魔族のクォードだ。
「ここからが本番だぜ……クローカー、結界を頼む。強力なやつをな」
やれやれ、と心の中で溜息をつくと、クローカーは申し出を拒否した。
「結界を張れば、嫌でもクォードの目を覚まさせることになりますよ。ここは普通に忍び込むのがベストかと思いますがね」
「ん、わかった」と案外キエラも素直に頷いて、音もなく廊下を歩いていく。
二階へ登り、静かにドアノブを回して部屋へ入ると、ベッドの上から声をかけられた。
「こんな時間に何の用だ?ここへは俺が呼んだ時以外、来るなと言ってあったはずだがな」
クォードはバッチリ目を覚ましていた。
三人が侵入してきた時点で気配に気づいていたという。
「あらまぁ。眠りが浅かったのかな?」と茶化すキエラに、どこまでもクォードは素っ気ない。
「何の用で来たと聞いているんだ。さっさと答えろ」
待っていましたとばかりに、キエラとランカは声を併せて「せーのっ」と答えた。
「Trick or Trick!今日はとびきりの悪夢をお前に与えてやるぜ☆」
「Trick and Treatなのだ!悪戯させろー!!」
せっかく声を揃えても、言っている内容がバラバラでは意味がない。
「一人ずつ言えよ」と苛つくクォードには、クローカーが説明した。
「今日はハロウィンです。人間どものお祭りで、夜分に訪問してお菓子か悪戯の二択を迫るのだそうですよ」
「くだらねぇな」
一言で吐き捨てると、クォードは眉間に皺を寄せてキエラとランカを睨み付ける。
「お前ら、人間のなれ合いに染まりすぎなんじゃねぇのか?」
が、キエラもランカも嫌味の通じる相手ではない。
全く気にした様子もなく、二人はクォードの側へ腰掛ける。
「何だよ?」と人相悪くガンを飛ばすクォードの顎をすくい上げ、キエラが囁いてくる。
「ハロウィンの幸せを、君にプレゼンツ・フォーユー」
鳥肌の立つ気持ち悪い言葉を囁いたばかりか唇を寄せてキスしてこようとまでしてくるもんだから、クォードはキエラをドーンと突き飛ばし「何言ってんだ!?」と泡食ってベッドの端まで避難した。
全く懲りてない様子でベッドの上を這いにじり、キエラが極上スマイルを浮かべる。
「何ってハロウィンの愛をプレゼンツしようと思ったんじゃん」
女の子ならコロッといきそうな微笑みではあったが、あいにくと向かい合っているのは男のクォードで。
「俺にゃあ、そんな趣味はねーぞ!!」
さっそく癇癪を起こすクォードを、今度はランカが背後から羽交い締めにする。
いや腕を取って羽交い締めにしたかと思ったのも一瞬で、次の瞬間には猛烈な勢いで脇の下をくすぐり始めたのだ!
「ひぃやっ!?」
「そーれ、コチョコチョコチョコチョコチョ!」
「や、やめろ、バカッ」
必死になって身をよじろうとするクォードだが、逃がさじとキエラも飛びついてきて、足の裏をくすぐりだす。
「コチョコチョコチョ〜」
「いっ!?い、いやだっ、ウヒッ、ウヒヒヒヒッ」
「コチョコチョコチョなのだー!」
クォードが次第に人には見せられぬ馬鹿笑い顔へ変化していくのを見守りながら、クローカーは、そっと溜息をついた。
こんな真似をして、くすぐったさが収まった後にクォードが激怒しないと良いのだが。
少しのつきあいだけで判る、彼は自分と同じく根が真面目な魔族だ。
涎を垂らしてくすぐったがるクォードの姿に哀れを感じ、そっとクローカーは目をそらした。
そのせいで、己の身に降りかかる次なる不幸へ気づくのが、ちょっとばかり遅れてしまった。
「くーろーぉぉーかーぁー」
キエラの声が耳元に忍び寄ってきたかと思うと、生暖かいものが頬に押しつけられる。
キエラにキスされたんだと認識する暇もなく、今度は自分の脇が猛烈にくすぐられ始めた。
「こ、こら、キエラ!」
「クローカーも混ざれよ〜。くすぐりやんのが嫌なら、俺がくすぐっちゃうぜ?」
「や、やめなさい、こら、やめなさいっ、やめろと言っているでしょう!!」
全力で引きはがそうとしても、キエラはスッポンのようにしがみついてクローカーから離れない。
「やめろと言われて俺が素直にやめるとでも思ってんの?」
キエラはニマニマ笑って、脇の下のみならず、耳元へ息は吹きかけてくるわ、片手は脇を離れて前に回され乳首を摘んでくるわで、ぞわっとクローカーは全身が総毛立つ。
「き、君はこういった趣味はないんじゃなかったんですか!?」
「ないよ〜ん。けど、クローカーのキョドる顔っての一度見てみたくってさぁ」
キョドる顔とは一体なんだ。
だがキエラはクローカーに聞く暇も与えず、弱い部分を重点的にくすぐってくる。
言葉にならない声をあげながら、クローカーは自分が今最高に情けない顔になっている事に屈辱を覚えた。
このやろう、キエラ、フェザーの弟だからと遠慮していれば、遠慮のない真似をしてくれる。
今までだって何度となく彼の我儘には苛つかされた事もあったし、頭の回転の鈍さに呆れる事も多々あった。
それでも恋人の弟だから仕方なく面倒を見てやっているというのに、今度はこれだ、変態行為の悪戯など。
もう、いい加減堪忍袋の緒を切ったところで誰が俺を責められようか。
クローカーがブチキレる寸前、ドダンッと激しい音がして、キエラもクローカーもそちらを振り向いた。
「……いい加減にしろよ?このクソどもが」
これでもかってぐらい眉間に縦皺をよせまくって、ビキビキこめかみを引きつらせているのはクォードだ。
ランカは、床でノビている。クォードに投げ飛ばされたのは一目瞭然。
投げ飛ばされる程度で済んだのは奇跡かもしれない。クォードの怒り具合からすると。
「あ、ありゃりゃ?」
ぽかんとするキエラの腕を外させて、クローカーは逆ひねりにねじ上げた。
「あっ、あだだだだだ!!」
「……形勢逆転、ですね」
「クローカー、そいつをきっちり押さえていろ」
指をポキポキ鳴らしながら、クォードがゆっくり近づいてくる。
「え、ちょっと、俺を見殺しにしないよね?もちろん放してくれるよなっ」
もちろんクローカーはキエラに人なつっこい笑顔で微笑まれても、絶対にねじ上げた両手を解放してやらなかった。
「ちょ、痛い、痛い、お、俺に何しようってんの?やるなら正々堂々と、あだだだっ!」
ちょっとねじ上げる力を強めただけで、キエラはすっかり涙目だ。
「正々堂々なんて言葉が、君のどこから出てくるんですか」
「全くだぜ」と吐き捨てたクォードが、おもむろに手を伸ばしてくると、キエラの脇の下を全力でくすぐりだす。
「ヒェッ!?」
予期せぬ行動だったのかキエラは一瞬甲高い悲鳴をあげるも、クォードの激しい攻撃の前には「ゲヒャヒャヒャ!」と下品な顔と笑い声をまき散らし、「も、もうやめてぇ〜」と泣きに入った。
「まだまだですよ、キエラ。夜は始まったばかりなのですから……」
自分がされて鳥肌の立った行為を、キエラにやり返してやる。
耳元に、ふぅっと生暖かい息を吹きかけた。
「ひぎぃっ!?く、クローカー、俺のこと、もしかして好きなのっ」
この期に及んでギャグが言えるとは、たいしたものだ。
「私に、その手の趣味はありません。ただ、あなたの泣きが入った顔を拝んでおきたくってねェ」
意地悪く微笑んでやると、それだけでキエラは萎縮したようでもあった。
「な、泣きならもう入ってんじゃん、勘弁してよぉ」

――だが、完全にキレまくった二人が勘弁するわけもなく。
夜通し続けられたくすぐり大会は、キエラが声をなくして失禁して気絶するまで続いたという……


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End