Dagoo

ダ・グー

佐熊とダグーのハロウィン

十月三十一日はハロウィンである。
日本ではマイナーな祭り――
だったのも昔の話で、今は雑貨売り場にカボチャのグッズが売られる程度にはメジャーになってきた。
むせかえるキャンドルの匂いに眉をしかめながら、佐熊はぼんやり考える。
去年のハロウィンは、散々だった。
同居人の未央がカボチャでジャック・オー・ランタンを作ると言い出して、作らされた佐熊が彫刻刀で怪我を負った。
怪我は回復が長引き、その間全く仕事にならなかったと付け加えておく。
だから今年は家に戻らないで、どこかに一泊するつもりでいた。
問題は何処に泊まるか、だが……
故郷の青森は今更どのツラさげて戻れるかって状態であるし、何より遠すぎる。
かといって、都内のホテルに泊まるのは金がかかる。
都内の知り合いを数人脳裏に浮かべ、佐熊は緩く首をふる。
駄目だ、佐熊の友人知人は全て未央の友人でもある。
一人だけ、そうではない顔が思い浮かんだ。
彼の家なら、泊めてもらえるかもしれない。
未央の知り合いではないから、彼女に気取られる恐れもない。
問題があるとすれば、その家は非常に建て付けが悪く、すきま風がビュービュー入ってくる点だ。
しかし贅沢は言っていられない。
いつ何時、未央が自分を探しに秋葉原まで遠征してくるか判ったものではない。
プレハブ小屋を前に、佐熊は小さく咳払い。
ドムドムと扉をノックして、声をかけた。
「ダグーさん、ご在宅ですか?」
「え、えぇっ!?」と驚くダグーの声が聞こえ、勢いよく扉が開かれる。
「佐熊くん?どうして、ここに」
佐熊が来るなど予想だにしていなかったという顔をしていた。
それもそうだろう。佐熊がダグーの家を訪ねたのは、今日が初めてだ。
「今日が何の日だか、お忘れですか?」
薄く笑い、佐熊が聞き返す。
「今日って確か……」と相手が思い出す前に、お約束の言葉を吐いた。
「Trick or Treat。今日はハロウィンですよ、ダグーさん」
「そう、それ!」と嬉しそうにダグーも笑い、続けて佐熊をプレハブ小屋へ招き入れる。
「何も用意してないんだけどね。とりあえず外は寒いから、中へ入ってくれるかな」
知り合いだというだけで、しかもハロウィンだと告げただけで、簡単に家の中へ入れようとするダグーに。
不用心だなと呆れながらも、佐熊は、しっかりおじゃました。


質素な暮らしであった。
中央に一応来客用のソファとテーブルが置かれているものの、他の家具といえばタンスとキッチン。それぐらいだ。
奥のほうには畳んだ布団が見える。プレハブ小屋では布団を入れる物置も確保できないと見える。
「ここでランカさんと二人暮らしを……?」
物珍しそうに部屋を見渡す佐熊へ、ダグーが頷く。
「うん。いつの間にか、あいつも住み着いていてね」
猫の子でもあるまいに、いつの間にかということもなかろう。
恐らくはダグーが忘れてしまっただけだな、と思いながら、佐熊はソファーに腰を下ろした。
間髪入れず、目の前に珈琲が置かれる。
湯気の立っていないところを見るに、だいぶ前に煎れたものらしい。
「食後に飲もうと思っていたんだけど、良かったらどうぞ」
こういう時は来客用に、新たに入れ直すのが礼儀ではないのか。
だがダグーは一般常識を兼ね備えているかのように見えて、案外常識知らずな部分も多い。
聞けば謎の組織に拉致されて特訓を受けていたと言うし、幼少の彼に最低限のルールを教えてくれる人はいなかったのだろう。
そんな彼でもハロウィンは知っていた。
「昔は先輩と、よく祝ったもんだけど……最近は、すっかり忘れていたな」
そんなことを呟いている。
「先輩、とは?」
彼の生い立ちを聞いた時にも耳にした記憶がある。
俺と一緒に暮らしていた親代わりの人だよと説明され、ダグーが佐熊へ尋ね返してきた。
「佐熊くんには、そういう人いるかい?大切な人」
ぶしつけな質問には佐熊もムッとくる。
「いますよ、失礼だな」
本当はいなかったのだけど、見栄を張って答えた。
「ごめん」と割合素直に謝ったダグーが、不意に口調を改める。
「ところで――Trick or Treatと言うからには、君は今日、俺の家にハロウィンを求めてやってきた。そうだよね?」
実際は泊まれる場所なら何処でも良かったのだが、本音を隠して佐熊も頷く。
「けど、今日はあいにくお菓子を切らしている。君にあげられるモノがない」
「いえ、構いませんよ。俺もお菓子が欲しい年頃ではありませんし」
「そうはいかない」
ずいっと顔を近づけてこられ、距離の近さに佐熊はギョッとなって身を引いた。
「なんでもいいよ、俺に悪戯を仕掛けてくれれば」
ダグーはハロウィンを佐熊と楽しみたいらしい。
犬神は来なかったのか、それとも今から来る予定なのか?
「悪戯……と言われてましても」
ドン引きする佐熊の手を取り、ダグーがぎゅっと握りしめてくる。
馴れ馴れしい態度には、佐熊も困惑するばかりだ。
未央の処へ転がり込んでからも、佐熊へこのような距離ゼロ接近してくる輩は一人としていない。
いや依頼人の中にいないこともなかったが、佐熊は頑として、はね除けてきた。
馴れ馴れしくされるのは嫌いだ。たとえ、それが親兄弟や恋人であったとしても。
「何でもいいよ?好きなことをして」
握られた手が汗ばんできて、気持ち悪い。
それに自分を見つめてくるダグーの瞳も子供みたいにキラキラしていて、不気味だ。
話を切り上げたいばかりに、佐熊は咄嗟の思いつきを提案した。
「じゃあ……電気あんまでもしましょうかね」
何故電気あんまなんか思い浮かんでしまったのか。
不意に一昨年のハロウィンで、未央の知り合いで佐熊の友人でもある情報屋の荒川にやられた記憶が蘇った。
あの時も酷い目にあった。
嫌だくすぐったいと涙目でのたうち回る佐熊などお構いなしに、荒川はニヤニヤ笑いながら、ぎゅうぎゅう佐熊の急所を踏みつけてきた。
くすぐったかったものが次第に気持ちよくなってきて、ついには失禁してしまって恥ずかしい思いをさせられた。
その後しばらく彼とは口をきいてやらないぐらい、佐熊は不機嫌になったものだ。
ダグーも同じ目に遭わせてやる。しつこく悪戯を要求してきた罰だ。
「電気あんまって何?」
ダグーは、きょとんとしている。
そうか。彼は日本で生まれたわけではないから、知らないのか。
「何故そういう名称なのかは知りませんが、日本じゃ古来より子供達の間で流行っている遊びですよ」
佐熊はニヤリと微笑み、ダグーを床へ横たわらせると、彼の両足を掴んで持ち上げた。意外と重たい。
おっとっと、とよろめく佐熊へ下から心配そうな声がかかる。
「大丈夫かい?」
「平気です。それよりダグーさん、覚悟しといて下さいね」
ふみっと股間へ軽く足を乗せただけでも、ダグーはびくんと体を震わせ、不安げな目を向けてくる。
「え、と……?」
心の準備なんて、させてやるものか。
前から思っていたのだけど、佐熊はダグーの馴れ馴れしい態度が嫌いだった。
どうも距離を測り損ねているというか、近すぎるのだ。
初対面で「くん」付けしてくるし、普通は仕事関係者なのだから、「さん」付けをするべきではないのか。
股間に置いた足を、ふみふみとリズミカルに踏み始める。
「あっ!?」と高い悲鳴をあげたダグーが、じたばたと藻掻いた。
構わず両足をしっかり支えて、足で股間を揉むようなかたちでフミフミを続けてやった。
「あっ、や、くすぐったい、ひんっ」
こういった攻撃には慣れていないのか、全く耐性がないようで、ダグーは激しく身悶えしている。
目元には早くも涙が滲んでいた。
「まだまだいきますよ、どんどん激しくしてやりますからね」
足の指でマッサージをするかのように、肉を摘む。
ズボン越しでも感じるのか、ダグーは「あっ」と喘いで大きく仰け反った。
「や、やだ、佐熊くん、そこ、やめてっ」
「悪戯しろと言ったのは、ダグーさんですよ」
ぐにぐにと足の指で刺激するたび、ダグーは悲鳴とも嬌声とも取れる声をあげて体を痙攣させる。
その様子を眺めるうちに、次第に佐熊も、おかしな気分になってきた。
なんというか、もっとダグーの喘ぐ姿を見てみたい欲求にかられる。
ズボン越しと言わず、直接足の指でダグーの肉を摘みたい。
あられもない妄想ヴィジョンが脳裏をよぎり、慌てて頭を二、三度振った。
ありえない。
自分が誰かに欲情するなんて。
佐熊は男にも女にも、もっと言うなれば他人に性的欲求を感じたことなど一度もない。
そういや以前、笹川が言ってなかったか?
ダグーと直接見つめ合うと、彼のフェロモンに魅了されてしまう……と。
今の自分は、ダグーとモロに見つめ合っている。
――危ない。
このままでは、自分までダグーの魅力に取り憑かれてしまうかもしれない。
慌てて佐熊はダグーの両足を離し、さっと距離を取る。
電気あんまから逃れたダグーは起き上がろうともせず、恍惚とした表情を浮かべて寝そべっていた。
息を乱し、ポツリと呟く。
「あ、はぁ……はぁ、はぁ……んん、なんか、すごく気持ちよかった……気がする?」
「へ、変態ですね。電気あんまで感じるだなんて」と、己の脳内に広がる欲望を棚に上げて佐熊が言うのと。
プレハブ小屋の扉が音もなく開き、無感情な犬神の声が『おいぬ様』を呼び出すのとでは、果たしてどちらが先だったか。


ほどなくして、プレハブ小屋では佐熊の絶叫が響き渡った――


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End