Dagoo

ダ・グー

犬神とダグーのクリスマス

今年も、この季節がやってきた。
十二月はクリスマスのシーズンだ。
街が電飾で賑やかに飾りつけられ、カップル達がお気に入りの店で語らい合う。
これで雪でも降れば、さらにロマンティックになるのだが。
もっとも、ホワイトクリスマスなんて東京に引っ越してきてからは、もう何年も見ていない。
ふ、と脳裏に懐かしい笑顔が浮かんで、犬神は緩やかに首を振る。
何故、今になって彼を思い出すのだろう。
クリスマスの季節だから?
でも、あの人とクリスマスは何の関係もない。
冬を迎える前に、彼は二度と手の届かない場所へ行ってしまったのだから。
蔵田 剛志。
逞しい肉体と子供のような純真さを兼ね備えた、年上の男であった。
一緒に村を出ようと誘ってくれたのに、その願いは叶うことなく、彼の命と共に未遂で終わる。
結局あの村を出たのは、成人して、かなり経った後だ。
詛われた黒い箱と一緒に村を飛び出したのは、自分の手で全てを終わらせてしまいたかったというのもある。
だが、それ以上に犬神の心を惹きつけてやまない存在があった。今から向かう先に住んでいる、あの男だ。
蔵田亡き後、孤独だった自分の前に現れた人物。
その名は、ダグー――


秋葉原の一角に、そのプレハブ小屋は建っていた。
元は造成地で、いずれ何かのビルが建設されるはずの場所であった。
プレハブ小屋の周りには鉄線が張り巡らされていて、立ち入り禁止にも見える。
だが犬神は、ひょいと鉄線をまたぎこし、プレハブ小屋の戸を叩いた。
「ダグーさん、こんばんは。犬神です。いらっしゃいますか?」
ゴトゴトと音がして、戸が開いたかと思うとランカが憎々しげに睨みつけてくる。
「犬野郎!何しにきたのだ」
その彼女を押しのけるようにして「ゴメンゴメン、ようこそ犬神くん」と、ダグーも姿を現した。
二人ともエプロンをつけているところを見るに、今まで準備に忙しかったのだろう。
ランカの顔にはベタベタと生クリームが跳ね飛んでいたし、ダグーは両手に鍋掴みを嵌めていた。
「準備、言って下されば僕も手伝いましたのに」
一応社交辞令で申し出ると、ダグーは「いやいや、お客様に用意をさせるなんて、とんでもないよ」と笑った。
今日は、お客様として招かれたのだ。ダグーのクリスマス・ホームパーティーに。
ランカも一緒に住んでいるから、二人っきりの……とはいかないが、それは高望みしすぎだろうと犬神自身も思っている。
それに、きっと二人っきりになってしまったら、会話が続かなくなるかもしれない。
元々、犬神は人付き合いのいいほうではない。
「クリスマスプレゼントは、持ってきたのか!?」
図々しく手を差し出すランカを、横からダグーが窘める。
「こらっ!お客様にプレゼントを要求するんじゃない、プレゼントなら後で俺から渡すから!」
そういえば、この二人は一緒に住んでいるけど、どういう間柄なのか。
ダグーが話さないので、なんとなしに犬神もスルーしていたけれど、急に気になってきた。
こんなふうに感傷的になってしまうのも、クリスマスだから?
頭に浮かんだ馬鹿な考えを緩く首を振って追い出すと、ダグーに誘われるまま犬神の姿はプレハブ小屋の中へ消えた。

「メリ〜クリスマース!なのだー」
部屋に入った途端、ランカが犬神めがけてクラッカーを発射させてくる。
「わっ!」
思わぬ不意討ちに、対処しきれず犬神は紙吹雪を顔面に受けた。
「こら、人の顔に向けて撃ったらダメだろ?」
注意しているけど、ダグーの声も笑っている。
紙吹雪を犬神から取り除いてやりながら、そっと耳元で囁いた。
「ごめんな。ランカはクリスマスが大好きなんだ。少しはしゃぎすぎると思うけど、大目に見てやってくれ」
「そうだったんですか」
ケタケタ笑ってクラッカーを引っ張りまくっている少女を遠目に、犬神も苦笑する。
「イベントは何回祝っても楽しいものですよね」
そう答えながら、床に転がったクラッカーを一つ手に取り、そっと糸を引っ張った。
「駄目だよ、もっと強く引っ張らなくちゃ」
糸を握った犬神の手に、ダグーの手が重なる。
ぎゅっと手ごと握りしめられ、どきりと犬神の心臓が跳ね上がった。
馬鹿な。僕は、何を期待しているんだ。
もう誰かと親密になるのは、やめにしようと誓ったはずだ。
あの人を失った時に――
「それっ」
目の前でクラッカーがパーンと弾けて、紙吹雪が宙を舞う。
おかげで物思いに沈んでいた犬神の意識も現実に呼び戻され、隣で笑うダグーと目があった。
そうだ、今日はクリスマスパーティーを楽しむ為に、ここへ来たんじゃないか。
いつまでも、過去の感傷に浸っている場合じゃない。
「ホントはね、もみの木も飾って盛大にやるつもりだったんだけど」
ダグーは台所へ入っていったかと思うと、すぐに丸い筒を手に戻ってきた。
CMでお馴染みの、チキンの詰まったでかい円筒。ケンタッキーのパーティバーレルだ。
テーブルにはワイングラスが二つ、それからジュースの瓶が一本。
百均で買ったかのような白い皿が三つ、用意されていた。
ダグーはチキンの筒を置いたかと思うと、また忙しなく台所へ戻っていく。
彼一人に用意をさせるのは、とばかりに犬神も台所へ入っていくと。
「おっとっと、お客様はあちらで座ってくれなきゃ」とダグーには押し戻され、無理矢理椅子に腰掛けさせられた。
ワインを抱えて戻ってきたダグーが犬神の対面へ腰掛ける。
「用意する時間がなくてね。結局ケンタッキーに寄って、酒屋に寄ったらタイムオーバーになっちゃったんだ」
「充分ですよ」と犬神は微笑んだ。
こういっちゃ悪いが、豪華な食卓など特別期待していなかったし、立派なクリスマスツリーも必要ない。
犬神としてはダグーの顔さえ見られれば、あとはどうでも良かったのだ。
「さ、乾杯しよう」
どぶどぶと安物のワインをグラスにつぐと、ダグーの隣に腰掛けたランカも自分のグラスに葡萄ジュースを注ぐ。
「かんぱーい、なのだ!」
ぐびーっと一気にジュースを飲み干してランカが品なくゲップをかましたのを合図とし、ダグー家のクリスマスパーティーは、なし崩しに始まった。
「今年一年、色々あったね」
チキンをもりもり頬張るダグーが話を振ってくるのへは、
上品にナイフとフォークでチキンを切り分けながら犬神も応える。
「まだ一年を振り返るのは、早いんじゃないですか?」
「いや、あとは大掃除と大晦日を残すだけだ。忙しくなるだろうから、今のうちに言っておこうと思って」
「大晦日は、お忙しいのですか」
「うん?いや、俺とランカは暇だけど、犬神くんが忙しくなるんじゃないのかい」
「いいえ。大晦日は僕も暇ですよ。仕事休みに入りますから」
「じゃあ」
早くも三本目の骨を皿の上に並べて、ダグーが言った。
「大晦日は俺の家に来るかい?」
この家に?
ちらりとランカを見ると、骨をしゃぶる彼女と視線がかちあった。
「なんなのだ?犬畜生。ランカは見せ物じゃないのだ」
「ダグーさんは、こう言っていますが、年末に僕が御邪魔しても宜しいのでしょうか?」
「ノーなのだ」
ランカはあっさり断って、ダグーが困ったように彼女を叱る。
「こら!犬神くん、ランカは気にしなくていいからね。暇だったら、いつでも遊びに来てくれよ」
犬神は少し逡巡したが「ありがとうございます」と控えめに答えておいた。
それから、しばらくの間は、今年一年にあった出来事を話した。
ダグーの引き受けた依頼の体験談や、最近の社会の動きなど――どれも他愛のない雑談だ。
食事はチキンの他には手作りのサラダとオニオンスープ。あとはパンと飲み物にワイン。
チキンは、ほとんどランカとダグーが平らげてしまったけれど、それでも充分だと犬神は思った。
「げふー、お腹いっぱいなのだ」
よろよろとランカが立ち上がり、自分の寝床へ歩いていく。
「ちゃんと歯を磨いてから寝るんだぞ」と声をかけたダグーへ振り向くと、チキンの挟まった歯を見せ、にかっと笑う。
「ダグー、ランカのトコにもサンタさんはくるのか?」
「あぁ、よい子にして寝ていれば、ちゃんと来るよ」
ダグーに微笑まれて安心したのか、お腹をさすりながら少女は寝室へと引っ込んだ。
その背中を見送りながら、犬神がぽつりと尋ねる。
「……サンタクロースを信じているのですか?彼女は」
「うん、そうらしいね」
「そういえば、幾つなのでしょう。あの子」
ダグーは「さぁ?」と首を傾げ、「そういや聞いたことがないな」などと言っている。
犬神は更に突っ込んで聞いてみたくなった。
「さぁって同居しているのに?ダグーさんと彼女は一体どういう繋がりなんです」
するとダグーは困ったように頭をかいた。
「知らないんだ、何も。あいつは、いつの間にか俺の家に転がり込んでいた居候でね」
そんな馬鹿な。
いくらダグーがお人好しでも、知らないうちに住民が一人増えるなんてミステリーは有り得るのか。
だが、或いはダグーなら……?という気がしなくもない。
いずれにせよ、このまま言い合いを続けていても答えが得られそうにないのだけは、犬神にも判った。
「まぁ……学校の問題もありますし、年齢は確認しておいたほうが宜しいかと」
「うん、そのうち聞いておくよ」とダグーは、どこまでもノンビリしている。
はぁ、と小さく溜息をつき、犬神は話題を変えた。
「大晦日の予定ですけど」
「ん?来てくれるんだろ」
「いえ、僕の家へダグーさんがいらっしゃるというのは如何でしょう」
言ってから、犬神は自分でも驚いた。
二人を招待するのではなく、ダグー一人を誘ったことに。
ダグーのほうでは気づかなかったのか「いいのかい?」と無邪気に喜んでいる。
「きていいっていうんなら、喜んで行かせてもらうよ。あ、でも行くのは事務所?それともマンション?」
そこまで嬉々として言われると、理由を聞きたくなってしまう。
いや、聞かなくても何となくは判るのだが。
誰だって隙間風入るプレハブ小屋よりは、普通の家で過ごしたいだろう。
「そんなに嬉しいですか?僕の家へ遊びに行くのは」
何気なく尋ねた犬神は、ずいっとダグーに近づかれて、顔の近さに目眩がした。
「そりゃあ嬉しいよ、だって犬神くんと二人っきりで過ごせるんだからね」
二人ではなくダグー一人を誘ったことに、ダグーもちゃんと気づいていたのか。
熱い瞳で見つめられ、なんとはなしに気恥ずかしくなった犬神は視線を下へ逃がしてボソボソと答える。
「……そうですか。僕も嬉しいです」
「それで、行っていいのはマンション?それとも事務所?」
ダグーの息はワインの香りがした。
あんなに沢山食べていたチキンの香りはしないんだな、とぼんやり考えながら、犬神は答える。
「僕の……マンションへ」
酒には強いと自負していたが、ワインの息で酔いそうだ。
違う。ワインじゃない。酔いそうな原因は、息がダグーのものだから。
じっと見つめてくる瞳に吸い込まれそうになってしまう。強い光を持った灰色の瞳だ。
……灰色?
違う、彼の瞳は茶色かったはず。
僕はもう、相当に酔っぱらっているらしい。
ぶんぶんと頭を振る犬神の頬を両手で挟み込み、ダグーがさらに顔を寄せてくる。
「二人で大晦日を過ごそう。その時には、こんな安物のワインじゃなくて、もっと上等なのを持っていくよ」
「い、いえ……僕の家に来るのでしたらダグーさんは来賓です。食事は全て僕が用意……します」
触られている頬が熱い。
とろんとした瞳で見つめ返し、犬神は、それでも最後の理性でダグーの両手をやんわり外させると距離を置く。

ごめんなさい。
僕は、僕はまだ、駄目なんだ。
もう少し時間が必要なんです――あの人の影を、完全に消し去るまでは。

「そうだ、ダグーさん。クリスマスプレゼントを渡しておかなくちゃいけませんでした」
後でいいよと言う彼に背を向け、鞄から取り出すと席を立ち、ダグーの首へふわりと巻き付けた。
「マフラーかぁ!暖かいよ、ありがとう」
喜ぶダグーへ犬神も微笑む。
「とても、よくお似合いです。買ってきて良かった」
「じゃあ、俺からもお返ししなきゃ」
立ち上がったダグーが、よろめく足取りでタンスの側まで歩いていくと、小さな袋を手にして戻ってくる。
「これ。マフラーと似たようなもので悪いんだけど」
「手袋ですか」
先回りして尋ねると、ダグーは、うんと頷いた。
袋から取り出してみて驚いたことには、犬神のあげたマフラーとダグーの買ってきた手袋は、お揃いの柄であった。
本当のお揃いではないのだが、殆ど同じ柄と言ってもいいぐらいの似通いっぷりだ。
「あ……ありがとう、ございます」
素晴らしき偶然に、しばし言葉を失った後、ようやく犬神の口から出た一言は、お世辞にも気が利いたものではなかったけれど。
ダグーは嬉しそうに微笑むと、犬神からもらったマフラーに頬ずりして呟いた。
「俺達、趣味が似ているんだ。だからきっと、これからも上手くやっていける」
「それは……」
どうでしょう、そう言おうとして、犬神はハッと思いとどまる。
こんな時にまで天の邪鬼を発揮して、どうするんだ。
一転して笑顔になると、犬神は言い直す。
「そうですね、きっと上手くやっていけます。ですから、来年も宜しくお願いします」
そう言って、手袋を嵌めた犬神は、そっと自分の頬を撫でる。
ダグーと同じ、優しい暖かさを感じた――


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End